No.0 おしまい
九月を過ぎたというのに気温は一向に下がる気配は無く、風は吹く事を知らない。このまま夏が永遠に続くのではないか、と言う錯覚に囚われた、そんな日の事だーーーー
⍢⃝
「あーくっそ! 今日も三十度超えかよ、一体いつになればこの蒸し暑さから解放されるんですかねぇ……」
俺、江ノ島慈英は隣にいる友人、浅岡峰に皮肉を言っていた。
「ん? そんな事私に言っても何も起きないよ? それと、文句ばっかり言ってないで早くご飯作ってよ、今日は慈英君が担当の日でしょ? ルームシェアを始めた時に決めたじゃない」
「分かった分かった、今作ってるからそう急かすなよ。大体、そういうお前はどうなん
だ? 昨日はお前が掃除担当だったっての
に、キッチンの隅に埃が溜まってるぞ……ちゃんと掃除したのか?」
こいつは昔から大雑把な性格だった。掃除をしろと言えばするのだが、部屋の隅とか手の届きにくい所はほとんどしていない。偶に女かどうか疑う時がある。
「えーーーー、それくらい別にいいじゃん。そんな事よりもご飯は?」
「はいはい、今出来たところだ。テーブルに運ぶから邪魔な物があったら片付けといてくれ」
「了解っ!」
俺は出来たばかりの卵焼きと味噌汁、そして米を茶碗についでテーブルに置く。我が家では朝食は和食と決まっているからありふれた光景だ。
「あはは! 今日も美味しそうだね! それじゃ、いただきまーす!」
「いただきます」
料理の基礎は卵焼きからと言うが、なるほどなかなか奥が深いものだ。絶妙のタイミングで卵を転がすのは料理を作り初めて数年経った今でも難しい。
峰がほんの数回でマスターしたのを見る
と、俺には料理の才能が無いのかと思ってしまうがとある友人曰く、「あいつが異端なだけ」らしいのであまり気にしないようになった。
「あっ慈英君、テレビつけて」
「ん」
そう言って俺はリモコンを取り、テレビをつけるとよく知った顔がそこに映っていた。この時間帯のニュースに出ている人だ、その七三分けのような髪型と顔つきと服装から巷ではムスカと呼ばれている。
本名は何だったか、まぁ別に知っていて得をする事は少ないだろうし、覚えても意味はないだろうな。普段の会話でもムスカで通じる事だし。
そんな事を思っているとムスカが妙に真剣な顔をして口を開いた。
『昨晩、○○県の○○で、佐々木優人さん二十三歳が何者かによって後ろから刃物のような物で刺殺される事件が起きました。また、その一時間ほど前に黒の全身タイツを着たような不審な人間が現場の近くに居たとの証言があり、警察は事件との関連性があると見て捜査を行っているとの事です』
「ねーねー、これってこの家のすぐ近くじゃない? 怖いねー。」
「俺はお前が怖がっているようには見えないけど……」
「何それ!? ひっどーい!」
そんな会話をしつつ、食事を終えた俺は家を出て会社へと向かう。
俺の勤めている会社は某有名家電会社、そこの広報課で働いている。元々は小さな広告会社で働いていたのだが、俺が作ったチラシを見たお偉い方に腕を買われ今に至ってい
る。
元々いた会社の人達は、ただでさえ人材が少ないと言うのに俺が大企業で働けるようになったと知ると自分の事のように喜び、応援してくれたのを今でも覚えている。今頃どうしているだろうか、年賀状は毎年届くが……
「先輩、どうしたんですか? さっきからボーッとしてますけど」
「ん? あぁ、昔勤めていた会社の事を思い出してな。上手くやっていれば良いのだけど……」
それから仕事は特に変わった事は無く終、いつもと同じ道をいつものように歩いて家へ帰ろうとしていたその時、背筋がゾッとするような気配を後ろから感じ振り向くと、全身黒タイツのような人間がそこに居た。
いや、あれには人間とは違うおぞましい何かを感じる。絶対に捕まってはいけないと、そう思うや否や俺は全力でそいつから逃げ出した。そして邪魔な鞄を投げつけ何故か人の居ない道路を走った。
足が悲鳴をあげ始めたのはそれから何分
後、いや、何秒後だろうか、俺は恐怖のあまり時間の感覚が分からなくなっていた。足がすくみ、もう歩く事すら辛くなっていた。
(あ……あそこの角を曲がって……)
なるべく複雑な道を通り撒くことが出来ればと思い角を曲がるとーーーー『それ』が居た。
「ひっ……あ、あぁ……助け……」
そいつを近くで見た時に身体が死を覚悟したのか息も、声も、足の震えすら止まりかけている。 そいつの腕は既に、人間のそれとは違う異様な形をしていた。先端は尖り黒く不気味な光沢があり、まるで刃物のようだっ
た。
そして、そいつが腕を振り上げると同時に俺の意識は暗転していた。
⍢⃝
ーーーーどれ程時間がたっただろうか、気がつくとそこはどこを見ても黒く不気味な世界だった。そんな中俺は一人で佇んでいた。不思議と孤独のような感情は無く、ただ、あぁ俺は死んだんだな、とばかり思っていた。
ここはあの世だろうか、それともこの世とあの世の境目なのだろうか、あまり良く分からない。俺はあれからどうなったのだろう
か、あいつの招待は一体……と、そんな事を考えていたが答えは分からないまま、時間だけが過ぎていった。いや、この世界に時間なんてあるのか分からないが……
ここからずっと遠くへ行けば、元の世界に帰れるだろうか。ふとそんな事を思いついた矢先、俺の体は前へ向かい始めていた。走っていても疲れは感じない、足がすくむ事も、息が切れる事も無かった。ただただ俺は走り続けていた。
もしかすると、このまま永遠に帰れないのかもしれないと思う事があった。峰の事が心配になり、あいつも殺されたのでは、と思うと急に胸が痛くなった。
何度も泣きそうになったし、何度も挫折しそうになった。走っている事に虚しさを感じた時やあいつの事を思い出した時は疲れてもいないのに足が動かなくなった。だが俺はきっとこの先に何かがあると信じ走り続けた。
何年、いや、何百年経っただろうか。俺は常に機械のように走り続けていた。目はもうろうとしていた。そして、ついに俺は走る事を辞めた。
(なんで……なんでこんな事に……俺が何をした? 俺はただの会社員だし、警察に睨まれる程の罪を犯した事は無い。困っている人を見つければ助けていたからむしろ報われるべきじゃないのか? くそ……)
何かに怒りをぶつける事も出来ず、ただ虚しいだけだった。そして全てを諦めようとしたその時、『何か』が見えた。
俺は無意識のうちにそれに向かって走っていた。ここからの距離は今までと比べれば大した事は無い、感覚で言えば三百メートルもないだろう。
俺は顔に笑みを浮かべ、腐りかけている目からは涙が溢れていた。帰れると決まったわけじゃない、だがそれは唯一の希望だった。
見つけたのは、俺の形をした像だった。大きな長方形の大理石のような物の上に座禅をし、目を閉じている姿の俺の像だった。
大理石のような物に触れると、水色の強く優しい光が浮かびだし、文字となった。
江ノ島 慈英 (二十八歳)
レベル 1
HP 10
MP 10
ATK
DEF
STR
DEX
AGI
SAN 100
使用可能な魔法
ヒール
使用可能なスキル
英知の王(持続)
導く者
技の強奪者
与えられし者(持続)
ステータス確認
(夢……か……中学生の頃を思い出すな。あの頃はゲームやアニメにハマっていて闇とか悪魔に憧れていたっけ)
そう思っていると突然どこからか声が聞こえてきた。
『アナタハ、二回目ノ人生ヲ望ミマスカ?』
やはり夢を見ているのだろう。それにしても長い夢だった、体感でしか分からないが何十年も何百年も経ったような気がする。
もし、これが夢でないのなら俺はきっと恐怖のあまりに気が狂って幻覚を見ているのだろう。そうでなければこんな馬鹿げた事が起こるはずが無い。
『アナタハ、二回目ノ人生ヲ望ミマスカ? 望ムノナラステータスヲ振ッテ下サイ』
ステータスか、まるでゲームの様な夢を見ていると思う。それにさっきから二回目の人生を望むか、と言っているが、それは俺が一度死んだと言う事だろうか。
……もし、これが夢じゃなくて現実だった場合、二回目の人生を拒否するとそのままあの世に行く事になるのだろうか、それなら俺は新しい人生を歩む事を選ぶ。
逆にこれが夢だった場合、どちらを選んでも最終的には夢から覚めて終わりだろう。それならリスクを考慮して新しい人生を俺は選ぶ。
割り振りのポイントは100か、ゲームじゃ5とか10程度だったが、これはかなり多めで嬉しい。
ここで、ステータスの割り振りが出来るゲームではなるべくバランスが良くなるように割り振っていたのを思い出し今回もそうする事にした。
HP 10
MP 10
ATK 20
DEF 20
STR 20
DEX 20
AGI 20
SAN 100
こんなもんか。残念だが体力や魔力、SAN値にはポイントを振れなかった。と言うかこれはなんなんだ? いい加減説明が欲しいのだが。
『ステータスヲ確認シマシタ。只今ヨリ魂ノ転送ヲシマス』
なるほど、二回目の人生のために俺の魂を転送、か。しかし何故転生じゃなくて転送なのだろうか、既に存在している身体に魂を入れると言う事か?
いまいち良く分からないが、しばらくすると身体が暖かくなっていき一気に眠気が押し寄せた。
そうして俺は重くなったまぶたを閉じ、眠りについた。