世界はシナリオを曲げない
「水野綾乃さん。いい加減気付いて。この世界はゲームなんかじゃない。現実なんだよ。あなたはヒロインかもしれない、だけど、それはあなたの人生においての話。みんな、みんな、ここに、生きているんだよ」
真っ直ぐ、射抜くような強い視線で、長い真っ黒な髪を靡かせた美少女は語気を強めた。自分が正義だと疑わないその声にスゥと胸のつかえが取れていく。
私は自然と緩む口元をそっと押さえた。
「瑠花、もういい。こいつになにをいっても無駄だ」
瑠花———と呼ばれたのはその黒髪の美少女。その横に寄り添うように立っていたカリスマ性溢れる美形生徒会長、白石晴臣は、そっと彼女を引き寄せた。耳元で囁かれて頬を赤くする彼女。お似合いの二人だ。
ゆっくり、ゆっくり、固まったなにかが流れ落ちるように感覚がなくなってゆく。
「綾乃、いや水野さん、貴女を学園から追放します」
続いて、学園理事の息子、生徒会副会長の眼鏡美形、緑堂が侮蔑を含んだ目でこちらを見た。
「あやちゃん、サイテー」
心底呆れ返ったようなチャラい書記の声。不良な後輩、黙ったまま冷視線を浴びせる硬派な風紀委員長。
引いたところで難しい顔をして立っているフェロモン教師。
その沢山の視線をぶつけられて、それを受け止めた私の体がゆっくり固まって、微笑を添えた筈の顔が強張っていく。
その沢山の目の奥に不穏な光を見つけたから————
……これは、違う。
やっと無くなった筈の感覚が今度は押し上がるように湧いてきて、私は、吐き気を堪えるように両手で口元を覆った。
***
私は普通の女の子だった。
この学園の門をくぐり、学園の教会の鐘が鳴り響いた瞬間、『普通の女の子』ではなくなったけれど。
膨大な情報が頭の中に流れ込み、液晶の画面で多種多様な美形達が笑っている光景が雪崩のように押し寄せる。
ぐらんぐらんと揺れる視界の中、私が気付いたのはこの世界が、『乙女ゲーム』と呼ばれるものだということ。
この知識が前世のものなのか、それとも脈略もなく与えられたものなのかはわからない。
けれど、確実にこれは分かる。
私は、ヒロインだ。
いや、類似した世界なのかもしれない。
そうだといい、いや、そうであって、と願うようにゆっくり気を失った。
目が覚めた時、私は保健室で寝ていた。これは、見覚えがある。確か、入学式イベントで倒れた時のルートだ。朝、体調が悪くて家を出る時、薬を飲むか飲まないか、その選択肢で初日から攻略対象との出会うルートが別れる。私は朝、薬を飲まなかった。
動機が収まらない。
白いカーテンが風に揺れてふわりと広がる。
「あ、目が覚めた?君、急に倒れたんだよー、大丈夫?」
目の下の泣きボクロ。甘い垂れ目に緩いウエーブのかかった髪、人懐こい笑みを浮かべた美形が目に入った。
二年の生徒会書記、藍原。
倒れた場合、出会うのはこの人か風紀委員長の黒羽瑛士。そして倒れない場合と共通で担任の朽木青。三人がランダムだった筈。そして、綾乃は入学式初日にこの三人の内誰かに抱きかかえられて保健室に運ばれるのだ。
ーーーそれから急激に始まったこの世界がこわくて仕方なかった。
蘇ったゲームの知識を使う度、つまり正解の返事を攻略対象に返す度に自分に好意を抱く。
……全てはゲーム通りに。
怖くて怖くて仕方なかった。
自分に寄せる好意に真実はひとつもないのだ。
幸せ、な筈あるわけない。
イレギュラーはないかと探した。
攻略対象にわざと返事の選択を間違えたこともある。
それでも、世界は変わらなかった。
関わらなければ良かったの?
それは、無理だ。どうやって逃げても攻略対象達は容易に『綾乃』に近付いて、イベントを勝手に起こしてくれる。
私が知っているこのゲームは難易度低めで逆ハーエンドを築ける。そしてもうひとつ生徒会に補佐として入り、学園を会社のように発展させるサブゲームという要素が合わさってハマる人が続出した乙女ゲー。
ヒロインが両親を事故で亡くし、母方の実家に引き取られたところから始まり、学園の門をくぐるまでがプロローグ。
実は母の実家は代々続く名家で、母と父は駆け落ちして一緒になったのだ。ヒロインは庶民の暮らしから一転、上流階級へ放り込まれこの学園で恋をしながら成長していく。初めは冷たかった祖父母もヒロインの前向きな明るさに絆され真の家族となる。
二次元を三次元にしても違和感のない美形達を相手にイベントはどんどん進んで。自分に夢中になっていく攻略対象達。
気が狂いそうだった。
考えみて欲しい。今まで自分が生きてきた世界がゲームと酷似していたら?選択肢通りに物語が進んだら?初めて来た学園、初めて出会う人達なのに、全てその裏側まで知っている自分がいたら?……両親の事故。それが、自分がこの世界のヒロインだからだとしたら?
果てし無く自分を責めた。
前向きで明るいヒロインなんてどこにもいない。
転生、もしくは与えられた記憶を素直に喜べる純粋さは私にはなかった。
ゲームなら?ねえ、この世界がゲームならどうなるの?
リセットボタンがある?
学園生活が終わったらどうなる?
だから、賭をした。もしも、もしもこの世界が現実なら………
***
「水野さん、聞いているの?」
鋭い声で我に返る。
黒髪の美少女瑠花は、俺様生徒会長の婚約者でライバルポジション。
記憶にあるゲームの彼女とは違う。ゲームでは表面は大和撫子風に慎み深く、けれど影で陰湿なイジメを繰り返すキャラだった。
しかし、実際の彼女は大和撫子というよりも活発で行動力があり、その容姿も相成ってなにより皆から好かれていた。
攻略対象達とのイベントがいくつか彼女に流れていたのは知っていたんだけど。
それを横目に見ながら、あれ無意識なら感心だと思っていた私はやっぱり歪んでる。
……なんとなく、『イレギュラー』を彼女に期待してたのかもな。
生徒会長の晴臣とはイベントが中々起こらなかった。彼の難易度が基本的に高い。ほかの攻略対象達の好感度を上げると晴臣の好感度は上がらないのだ。逆ハーレム簡単に築けちゃうよ、がウリのくせに。と思うかもしれないけど勿論攻略法がある。
この婚約者にステータスが勝てばいいのだ。
晴臣は大財閥の息子。婚約者は彼に見合うようになにもかも彼の為だけに磨かれた完璧な才媛。
晴臣一途にイベントを進めれば最大のライバルになる。だけど、彼女が私に対立したことはなく、先程の彼女の言葉とこの状況を見るとやっぱり彼女も自分と同じゲームの知識があるんだろう。
たった今、私は逆ハーレムを築こうとして皆に良い顔をしていたのがバレてビッチの烙印を押され『ここは現実世界なのだ』と断罪を受けた所だ。
湧き上がる喜びが、止められなかった。
自分が追い込まれれば現実、と認めることができる。その為にステータスも上げたし、偽物の仮面も被った。歯の浮くようなセリフだって言ってみせた。
サブゲームの生徒会運営にも力を入れたから生徒会は崩壊していない。至極、真っ当な攻略方法だ。ただ、女子からは嫌われていると思う。だって、学園のアイドルである彼らを独り占めしているのだから。
瑠花さんの『ここは現実』という言葉を聞いた時、確かに安心した。
−−−−ストンと胸のつかえがとれるように。
現実で美形の男子生徒ごとにキャラを変えて愛想を振りまいていたら、攻略対象だっていつかはその紛い物の『ヒロイン』に気付くはず。というか気づかなきゃおかしい。
とりあえず目を覚ませよ、おまえら。
ツンデレでフワフワでひまわり娘で体育会系ってどんな女だよ。
断罪される日を、或いは『現実』なのだと言われる日をずっと、ずっと待っていた。
現実なのだと、実感したかった。
ただそれだけなのだ。
それによって自分が全てを失ってもかまわなかった。学園追放もキングオブビッチの冠も慎んで受け止める。
そして、その後の未来を、もうなにも振り返らず歩く。
私が賭けたのはこれだ。
元々、両親が亡くなった時、自分にはなにもなかったのだ。初めに戻るだけ。それで良い。
なのに。
どこで、どこで選択肢を間違えたんだろう————
攻略対象達の不穏な光に心底頭を抱えたくなる。
「瑠花、おまえの声は届かない。綾乃に届くのは俺の声だけ」
晴臣が瑠花さんを突き飛ばし、私を見つめて艶やかに笑った。瑠花さんが心底驚いた表情をする。
「綾乃、学園を追放です。他の男の目に触れさせるなんて、許さない。貴女を閉じ込めてしまいましょう」
にこり、と冷笑を送る副会長、緑堂柚彦。
「柚彦。五月蝿いよ。あやちゃんは俺の。俺以外にその笑顔を見せたのだとしたらオシオキしなくちゃ、ね?」
藍原がペロリと赤い舌を見せた。
「うっせーよ、おまえら。こいつは俺のだ」
吐き捨てるように、攻撃的に彼らを睨む後輩の赤見。
「……やめろ。綾乃が怯える……綾乃、こっちに来い」
低い声を響かせて私に手を伸ばす風紀委員長、紫吹。
「はいはい。話はもう終わりか?緑堂、学園追放とか認めないからな。可哀相に、震えてんじゃねーか。綾乃心配するな、俺が守るから」
優しい瞳で、首を傾げる担任の朽木。
「ちょ、みんな、なに言ってるの⁈は、晴臣!どうしたの!しっかりして!」
焦ったような声を上げた瑠花。
私は世界が崩れていくのを感じた。
バッドエンド、だ。
このゲームのもうひとつのウリの要素。
逆ハーを築いた後の選択肢によってみんなで仲良く愛し合おうね、なハッピーエンドとみんな仲良く友達でいようね、なノーマルエンド。そして、みんなでヒロインを取り合おうね、なバッドエンド。
実際はせっかく好感度を上げて逆ハーを築いたにもかかわらずみんな仲良く友達なノーマルエンドがバッドエンドで、取り合うのがハッピーエンドだと言われていたけれど。
綾乃にとっては、この皆のセリフは正しくバッドエンドだった。
くそったれ。
世界は、シナリオを曲げる気なんか、ない。