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T‐ショック アブソーバー  作者: 木柚 智弥
大好き。だからその先へ行こう。
9/11

大切なものだから


 その夜、僕は久しぶりに拓巳くんのベッドで一緒に寝た。拓巳くんは僕にその後のことを話してくれた。

「あのあと、まだおまえが寝こんでいるときに、雅俊や祐司が何度も見舞いに来た。俺は雅俊に脱退の意思を伝えた。もう、あいつの顔を見て歌を歌えるとはとても思えなかったからだ」

 それは僕も思っていた。

 そんな事件が起これば、拓巳くんなら即座にバンドを捨てそうだ。なぜそうならなかったんだろう。

 僕が聞くと、拓巳くんは少し痩せた、でも相変わらず綺麗な顔にうっすら笑みを浮かべた。

「そりゃ、おまえが止めたからだ」

「えっ、僕?」

「ホントに、何も覚えてないんだな……」

 拓巳くんはちょっと安心したように息をつくと、僕の顔をなでながらそのときのことを教えてくれた。



 見舞いに来た雅俊に「脱退する」と告げると、あいつは何も言わずに帰っていった。

 てっきり承諾したものと思っていたから、次の日に祐司が来て、

「これを預かってきた。和巳にあげてくれ」

 と言って、楽譜と音楽CD-Rを渡されたときは面食らった。

 正直、あいつの楽譜なんぞ見るのも嫌だったから、祐司に「絶対あげるんだぞ」と念を押されても、バックレてゴミ箱にすぐ捨てちまった。そしたら、

「いけません、お友達のお見舞いの品を粗末にすると、病気の方に悪いことが起こりますよ」

 と、中沢さんに怒られた。

 あの事件から四日。いまだ朦朧として回復の兆しが見えない和巳に、これ以上、何かあったら俺の身が持たない。で、仕方なく中身を確認すると、それは新しいバラードの曲だった。

「あげろって……何なんだよ、このプレゼントは……。ったくわかんねーヤツだな」

 俺自身がそのときはもうヨロヨロで、気力も残ってなかったんだが、中沢さんのセリフ内容がコワかったんで、一応、和巳にCDの曲だけ聞かせてみた。そしたら。

「トシくんの曲……? キレイだね……」

 一発で和巳の意識が戻りかけた。慌ててもう一度かけ直すと、今度ははっきりと言った

「キレイな音だね、タッくん」

 それから和巳は少しずつ回復に向かい始め、俺は楽譜の横に書かれた歌詞を音にはめて曲を完成させた。その歌を聞いた和巳はこう言った。

「とてもステキ。でも、タッくんだけだと、寂しいね」

 俺は仕方なく祐司を呼んだ。祐司は何も聞かずに楽譜を受け取ると、その日はまず即興で伴奏をつけ、次の日にはギターを完成させてきた。和巳が喜んだのは言うまでもない。

「その後の展開は想像つくだろう?」

 僕は頬をなでる拓巳くんの手をつかんで言った。

「僕が俊くんを呼んだんだね?」

「ビンゴ」

 いつの間に雅俊の電話番号を覚えたのか、和巳はあいつを電話で家に呼び出すと、「三人でやってほしい」と俺にねだった。

 俺たちは久しぶりに三人そろって演奏した。雅俊はここにある小さい電子ピアノ、祐司はアコースティックギター、俺はマイクなし。それでもわかってしまった。雅俊と祐司がいてこその俺の音楽だと。

 和巳はそのときこう言った。

「ああ、やっぱりみんな一緒がいいね、ステキだね」

 もう、降参だった。

 俺は、脱退発言を撤回し、雅俊はそれを受け入れた。

「その後、俺たちは今後の活動について、芳弘を交えて話し合った」

 全国ツアーを控えることは俺が復帰する第一条件で、雅俊も祐司も和巳が小学校を卒業するまで待つことに同意した。会社側は渋ったが、芳弘が交渉の窓口になるとあっさり条件を呑んだ。どうやらマネージャーの過失を最大限に利用したらしい。その後マネージャーは会社を退職した。

「だから和巳。今、俺たちが〈T-ショック〉でいられるのは、みんなおまえのお陰なんだ」

 拓巳くんは、こんどは寝そべる僕の頭をなでた。ひじをついて横になる拓巳くんの長い髪が、僕の顔に落ちかかってきてくすぐったい。

「おまえは、俺が仕事よりおまえを優先しようとすると、スタッフどもに遠慮していただろう。俺はそれを感じるたびに腹が立って仕方がなかった」

 そ、それは感じていたよ。

「俺はこれからも周りに遠慮するつもりはない。だから和巳も気にしないでいいんだぞ」

 僕のことを一番にする。それが、あの日僕を守れなかった拓巳くんの誓い。なら僕は。

「拓巳くんは、僕が遠慮しないほうがいいんだね?」

「そうだ」

「僕が思うとおりにしていいの?」

「ああ」

 ごめんね、拓巳くん。甘えるよ。

「なら僕は明日、僕に何があったのかを俊くんに聞きに行く」

「――!」

 拓巳くんの体が瞬時に強張った。

「わかってる。俊くんは、アトリエにいるんでしょ?」

 俊くんは、普段、住んでる目黒のマンションの他に、絵画に使うアトリエを一ヶ所持っている。それはここからそう遠くない。

「俊くんが、僕を待っているよ」

 拓巳くんはガバッとベッドから飛び起きた。僕はゆっくり上半身を起こして言った。

「僕は、確かに何も覚えていないよ。でも、だからこそ、自分の身に何があったのかを知っておきたいと思う」

 彼は僕の両肩をつかむと声を絞り出した。

「和巳……っ!」

「ねえ拓巳くん」

 僕は逆に拓巳くんの頬に両手を添えた。

「なんで俊くんは、わざわざアトリエを選んだんだろうね」

「それは……」

「あの場所には、俊くんの表現したいものがたくさんあるね」

 拓巳くんは驚いた顔になった。

「俊くんにとって、生きることは表現すること。それがよくわかる場所だよね」

「おまえは、あそこに入ったことがあるのか?」

「何回か、連れていってもらったよ」

 僕が答えると、拓巳くんは、少し浮かしていた腰を落とし、「そうだったのか……」とつぶやいた。

 僕は拓巳くんの手を取った。

「あの場所で、俊くんは僕たちの出す答えを待っている。それは俊くんにとって、生きるか死ぬかの瀬戸際だから」

「………」

「拓巳くんがいないと、俊くんは音楽を自由に表現できないんだよ」

 だから、あの場所にこもって賭けに出た。ここで拓巳くんを動かすことができなければ、俊くんにとってはすべてが終わるのだ。

 僕は持ち上げた拓巳くんの両手を見た。少し骨っぽい、白くてなめらかな手。まだ僕の手の大きさはこの手に届かない。でも、精一杯広げて重ねながら僕は言った。

「全国ツアー、来年やろうね」

「――っ」

 拓巳くんの手のひらが震えた。それを包むようにして僕は続けた。

「さっき話してくれたバラードって、この前の生収録で祐さんと歌ったあれだよね」

「……ああ」

 僕の心の奥までを揺さぶったあの旋律。

 あの曲だからこそ、あんな切羽詰まった状況にもかかわらず、二人はすぐに演奏することができたのだ。何年経とうとも、忘れることのできない曲だったから――。

「僕ね、健吾に言われたんだ。僕の中に、拓巳くんが音楽活動をためらってしまうような、何か否定する気持ちがあるんじゃないかって」

 拓巳くんは、それは驚いた表情になった。

「僕も、拓巳くんが歌を歌うのが当たり前すぎて、みんなの作る音楽が好きとか嫌いとかってよく考えたことがなかった。でもあの歌を聞いたときに気がついたんだ」

 僕にとって、それはもう好き嫌いの次元を超えて、水のように空気のようにあって当たり前のもの。普段は意識しないけど、もし取り上げられてしまったら、そのままではいられないくらい必要なもの。それは時々あんな風に、感動というかたちで僕の中に溜まっていく。

「それでわかったんだ。拓巳くんが僕に対して不安に思ってるのは、そういう種類のものじゃないって。それは七年前の事件のことなんだって。そうだよね?」

 だから、今度は拓巳くんのために、僕が自分と向き合う番なんだ。それがどんなに恐ろしくても、僕は俊くんから受け取らなければならない。それを受け止めて、乗り超えたときこそ、拓巳くんを解放してあげられる。

「ありがとう、拓巳くん。今まで守ってくれて。僕は大丈夫。どんな事実を聞いたとしても、今より先へ進む自信があるよ」

 僕は立ち膝で拓巳くんの目をしっかり見つめると、首に両手を回し、その頭を抱いた。

「だから、先へ進んでね。僕も必ず……ついていくから」

 たとえそのために傷ついて、少し遅れたとしても、必ず追いついて見せるから……!

 拓巳くんはしばらく放心したようにされるがままだったけど、徐々に抱き返す腕の力が増してきて、最後は全身で何かから僕を庇うように抱きしめた。

 ――僕はちゃんと笑えただろうか。この人のために、あらゆる感情を引出しにしまい、かっこよく笑えただろうか――?



 玄関のチャイムを鳴らして呼びかけると、重たそうな扉はすぐに開いた。

「やっぱりおまえが先に来たか、和巳」

 JR山手駅から歩くこと十分。おしゃれな住宅街の片隅に俊くんのアトリエはある。初めて連れて来てもらったのは二年前、僕の誕生日だった。以来、何度か呼ばれ、一人で来たこともある。僕の住んでる横浜の三ツ沢からはたいした距離じゃない。

「俊くんこそ、僕に先に来させたくてここにいたんでしょう?」

 わざわざこのアトリエにこもり、他の誰も寄せつけなかったのが、たとえ一人でも来いと僕を誘う強いメッセージだ。拓巳くんが単独で僕より先に来ることはない、と踏んでの判断だろう。

「相変わらず、おまえの鋭い洞察力に惚れ直すぜ」

 なんかどこかで聞いたセリフだな。

 一週間ぶりに会った俊くんは、少し雰囲気が変わっていた。黒のランニングにジーンズ、上にプリント柄のシャツをはおったラフな姿は、アトリエにいるときの定番だけど、前にここですごしていたときのような、作品に囲まれてくつろいでいた様子はない。

 今までにないピリピリとした緊張感が全身にまといつき、少し顔が痩せて、ただでさえ尖り気味の顎がさらに細く見える。どんな気持ちでこの日々をすごしていたのかがわかる姿だ。

 僕はいたたまれない気持ちになった。

 僕と拓巳くんがどんな答えを出すのかを、内心の苛立ちや恐れと戦いながら待っていたんだろう。ここで拓巳くんが承諾しなかったら、〈T-ショック〉を終わりにする覚悟だったのだと、この顔を見て改めて確信する。彼はこの先の一生をかけて、いつまでも捕らわれたままでいる拓巳くんを、先へ動かそうとしたのだ。

 だから。

 僕は顔を上げ、正面から俊くんの顔を見た。

 ちょっと時間がかかったかも知れないけど、僕は来たよ。ちゃんと話し合って来たよ。

「昨日、真嶋さんが拓巳くんの前で、僕や中沢さんに七年前の事件のことを話してくれたよ」

「芳さんが」

「僕の用事はわかってるでしょう? 僕は拓巳くんにちゃんと断ってから来たんだよ」

 俊くんはちょっと驚いたようにアーモンド型の目を見開いた。

「あいつが? 承知しておまえを一人でここへ? 進化したなー」

 進歩じゃなくて進化……まぁ否定はしないケド。

「で? すぐそこでこっそり見張ってるってか。興ざめだな」

 突き放すような口調で言うと、俊くんはくるりと背を向けて扉を閉めようとした。僕は彼の腕をすり抜けて中に入ると、しっかりと鍵をかけてから振り向いた。

「……へぇ」

 俊くんは少し思い直したようにチラッと僕を見た。やっぱり一週間は待たせ過ぎたらしい。すっかりグレている。

「言っとくけど、拓巳くんはここにはいないよ。僕はちゃんと説得して、本当に一人で来たんだ」

 俊くんはそれを聞くと振りむきざまに僕の腕をつかんだ。

「本当か?」

「俊くん相手にすぐバレるような嘘つかないよ。拓巳くんはいない。でも二時間後には迎えに来る」

 拓巳くんにはそれが限度だったから。

「だから、時間を無駄にはできないよ」

「……二時間あれば十分だ。来いよ」

 俊くんは僕の腕をつかんだままアトリエの中へ入っていった。

「わぁ……」

 どのくらいぶりだったのか。

 初夏にしては珍しく、さわやかな風が通り抜けるアトリエの中、方々の壁に飾られた絵が前に見たものとは様変わりしていた。もうすぐ夏を迎えるからだろうか、海をテーマにしたものが多い。僕がそれを伝えると、俊くんは嬉しそうに笑った。

「やっぱりおまえはいいな」

 そうしてリビングスペースのソファーに座ると、いつものように僕を膝の上に座らせた。

 僕をつかむ手の力が、いつもより強い。俊くんはそのまましばらくじっと僕の顔を見つめると、やはりいつもより強く、僕の顔を指でなぞった。

「この日をどんだけ待ったことか。……長かった」

 アーモンド型の黒目勝ちの目が光を増す。僕は目を逸らさないように踏ん張った。

「おまえの身に起こったすべてを聞く、その覚悟があるんだな?」

 震そうな体をなんとか抑えこみ、僕は俊くんに向けて頷いた。

「拓巳は何て言ってた」

「何も。僕は拓巳くんからは何も聞かなかった。拓巳くんは、自分が弱いから、俊くんは自分にはすべてを話してくれないんだと言っていたよ」

「………」

「俊くんが嫌う拓巳くんの過保護な行動は、みんなそこから来るんだよ」

 僕の身に何があったのか、俊くんは一体何を見てしまったのか。すべてを知らないままだから、いつまでも不安感がつきまとう。

「だから全国ツアーにもいまだに踏み切れない。それでも俊くんは教えなかった。知らないほうがまだましだと判断したんだ。違う?」

「おまえは……そんなことまでわかっちまうのか」

 俊くんはしばらく僕の頬に手を添えて、顔を見つめていたけれど、やがて一息ついてから言った。

「そこまでわかってて……おまえの勇気と行動力は絶対に若砂ゆずりだな。間違っても拓巳じゃない」

「――若砂?」

「知らないのか。おまえを産んだ人の名前だ」

 ……初めて聞いた。  

「ったく。あいつときたら、自分がダメージ受けた記憶はみんなシャットアウトかよ……」

 俊くんはしばらくぶつぶつ言ってから、気を取り直したように僕を見た。

「拓巳がこの先も話せないようなら、おれがいつか若砂の話をしてやるよ。けど、今はおまえの話が先だ。芳さんが話したなら、コンサートが終わったところまでは聞いているな?」

「うん……俊くんが拓巳くんに説明したって」

 僕が答えると、俊くんは僕の顔から手を離した。それから僕の体を抱え直し、両手で僕の肩と胴をしっかり支えてから切り出した。


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