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T‐ショック アブソーバー  作者: 木柚 智弥
大好き。だからその先へ行こう。
7/11

そもそもの原因


「それで和巳。マースの具合はどうなの? お見舞い、行ってるんでしょ?」

 五時間目の授業が終わり、帰りの用意をしていると、〈T-ショック〉ファンの女子を引き連れた優花が、クールビューティーな顔に微笑みを貼りつけて聞いてきた。

 僕は、もう何度聞かれたかわからないその質問に対し、カンペキな微笑みと淀みない口調ですらすらと答えた。

「うん、もう大丈夫だよ。でもかなり痛かったようだから、大事を取ってもう少し休むんじゃないかな」

 優花はくるりと振り向くと、五、六人からなる女子集団に向かって言った。

「ね、和巳君も言ってるでしょ? マースは大丈夫よ。週刊誌なんて、売り上げのためならなんだってでっち上げるんだから」

「よかったぁ~、解散とかデマで~」

 マースってカルシウム系好きなんだね~、と言って女子たちは笑った。おそらくは六年生であろう、希少な小学生ファンたちは、僕を取り囲んでもう二、三の質問をすると、満足そうに去って行った。最後尾の優花が後ろ手に感謝のピースサインを送ってよこしたので、僕もこっそり返した。

 ここ数日間の修業で、今の僕ならアメリカ政府報道官の役もこなせるかもしれない。

 一週間前のあの夜、〈T-ショック〉関係者は最大のピンチに陥った。

 突然の生番組キャンセルは、超がつくほどのスキャンダルになる。が、今回は祐さんが踏ん張った。

「腹をくくろう」

 本番四十分前を切った時点で、祐さんが言った。

 なにしろテレビ局内での出来事なのだ。周囲にバレないように俊くんを探すのは容易ではない。俊くんを見失った祐さんが、沖田さんや横澤さん、それに事務所の動けるスタッフたちと連絡を取りながら、僕らの待つ控え室に戻って来たとき、時計は午後七時を回ろうとしていた。

 それからさらに二十分。スタンバイするにはギリギリのタイミングなのだった。

「マジ?」

 おそるおそるといった感じで確認する拓巳くんに、祐さんは「そうだ」と素っ気なく返した。

「おまえのボイコット癖のお陰でこっちは鍛えられてるんだ。たまには俺や雅俊の苦労を味わえ」

 彼はにべもなく言い放つと、沖田さんに向かって矢継ぎ早に指示を出した。普段は寡黙な祐さんの、計り知れない底力を僕は見ることになった。さすが健吾の目は高い。

 かくして番組が始まった時、マースは尿路結石で緊急入院、曲目は祐さんのアコースティックギター一本で歌うバラード、ということにバッチリ変更されていた。

 それは、もともとは俊くんのピアノ伴奏で歌うしっとりとした曲で、ずいぶん前に出したアルバムの中の一つなので、最近ではほとんど歌ってなかったはずなのに、拓巳くんも祐さんも少し練習しただけで何の不安もないようだった。

 いよいよ本番になり、真嶋さんとスタジオの隅で見守る中、テレビの世界ではおなじみのベテラン男性司会者が二人をステージに呼び、事情が説明された。

「さっきまで元気だったのにねぇ。残念だけど、代わりに珍しい演奏を聴かせてもらえるんだよね?」

 司会者の前振りにギャラリーが沸く中、いつもは寡黙な祐さんが受け答えた。

「まあ、貴重な映像にはなると思いますね。生番組のハプニングは一回で勘弁だから」

「そりゃそうだ」

 珍しい祐さんの軽口に、スタジオ内がさらに室内温度を上げる。

 さすが祐さん。出し惜しみなし。

 その隣では、こちらは普段と寸分も変わらない無表情の拓巳くんが、時折、伏せ目がちな視線を一段下のギャラリーに漂わせていた。

 多分アレ、僕を目の端で確認してるんだよね。

 おそらくは不安を克服するためだろう、いつも以上に視線が動くさまから、少し緊張しているのが見慣れた僕にはわかる。しかしギャラリーを埋めるお客さんには、超絶的といわれる美貌が妨げになってわからない。結果、視線が漂うたびに(イヤーっ、こっち見てる)(やーん、ラッキー!)などと女の人たちの押し殺したような興奮が伝わってきて、これはこれでいいカモフラージュになった。

 そんな結果オーライ状態の仲、二人の演奏は始まった。

 椅子に腰かけた祐さんの華麗な指使いから繰り出される細かなギターの音色に、拓巳くんの伸びのある高音が重なる。やさしくて、どこか哀愁を含んだメロディが、ゆっくりと音量を上げてスタジオいっぱいに響き渡り、こんな事態だというのに、僕は久々に胸が締めつけられるような感動を味わった。それは他の人たちも同様だったらしく、二人の演奏が終わると、司会者もギャラリーも拍手喝采を二人に浴びせていた。

 もっとも本人たちはそれを喜ぶ心の余裕などないようで、演奏後、司会者のトークに対応していた祐さんが俊くんの病状を聞かれ、「あいつは魚とホウレン草が好物なんで」とか説明していたときは、明らかに半分ヤケになってたと思う。

 それでも「俊くん不在の生番組」という、〈T-ショック〉始まって以来のピンチは切り抜けられ、傷も最小限に抑えられ、後は事務所にかかってくる俊くんの容態を心配する電話が収まるのを待つばかり……と、いきたかったんだけど、さすがにそれはムリだった。

 生番組収録の夜が明けてから三日後――。

〈ファン激震! 〈T-ショック〉のマースとタクミに亀裂!〉

〈ミュージックライフの夜に起きたマース緊急入院騒動の真相はストレス性胃潰瘍!〉

〈以前からささやかれていた音楽活動に対する方向性の違い〉

 などなど、その週に発売の週刊誌各社に、こぞって書き立てられてしまった。

 世の中って案外平和? もっと大事なニュースってないの?

「……当たらずといえども遠からずか、クソッ」

 週刊誌を読んだ拓巳くんの第一声がこれだ。

「まぁ、テレビ局内でのことだったので、完全に誤魔化せるとは思っていなかったですから……」

 沖田さんの声も元気がない。

 そんなわけで、祐さんの努力を無にしないために、関係者一同は発売日からスポークスマンに徹して奮闘することになる。僕も、僕のささやかな社会、すなわち学校で、優花や健吾とともに微力を尽くしてるわけだった。

 でも、僕たちの中では何といっても健吾が一番ダメージを受けただろう。なにしろ彼は、多くのロックバンドの決裂解散騒ぎを知っているのだ。

「マースが、ボイコット……!」

 事件の次の日、僕が約束通り事の顛末を報告すると、健吾は絶句した。

 それはそうだろう。拓巳くんがボイコットすると思って健吾は僕に知らせてくれたのに、いざテレビの放送時間を迎えたら俊くんが出てこない。おまけに緊急入院なんて言ってるから、何が起こったのか見当もつかなかったらしい。

 宮内ファミリーにどこまで打ち明けるかはみんなが迷うところだった。けれど健吾が僕の身近にいて、あの一家が一番ファン情報に通じている以上、隠してバレるより最初から協力してもらったほうがいい、と真嶋さんがGプロ側に言ってくれたのだ。健吾に伝えられるのは、僕としても心の支え的にありがたいことだった。

 けど、ロック仲間が大勢いる健吾一家は大変だ。もちろん、その人たちには打ち明けられないから、うまくやってもらわなければならない。それでも一週間経った今も、宮内ファミリーは必死に協力してくれている。

 それなのに、その日の僕ときたら――。



「で、その後マースは?」

「まだ見つからないんだ」

 今日は研究授業の影響で僕たちのクラスは下校が早い。学校を出るとすぐに周りに誰もいなくなったので、僕たちの表情は瞬く間に浮かないものになった。

 あの日の夜から、いまだ俊くんが姿を現さない。

「そっか……」

 このやり取りが一週間繰り返されている。このところ健吾は真剣に解散を心配するようになっていた。

「どこ行っちゃったんだろう……」

 その落胆ぶりに、僕はとうとう根をあげた。

「和巳……どうした?」

 ふいに足を止めた僕に健吾が振り返った。

「みんな僕のせいだ」

「和巳……」

 健吾が僕の前に立った。

「僕のせいだよね」

「なんでそんなことを言うんだ?」

 健吾は訝しげに聞いてきた。それがまた僕の罪悪感をつついてくる。

「だって健吾が言ったじゃないか。俊くんはツアーをやりたくて、拓巳くんは僕の中にある何かが原因でやりたくないって」

「和巳……」

「僕が元凶なんだ……僕がもっとはっきり自分の考えを伝えていたら」

 あのとき、俊くんにすぐに返事をしておけば。

「それは違うぞ和巳」

 健吾が必死な顔で僕の肩をつかんだ。

「マースはそんなに無責任じゃない。解散を考えたとしても、それは断じておまえが原因じゃない。もしそうなるなら、何か別の考えがあってのことになると思う」

「なんでそんなことが健吾にわかるんだよ」

「わかるさ。マースの作品世界を知ってるから。だから、そんな風に言うなよな」

 マースの作品世界。俊くんのデザインアート。あの、抽象的でありながら、強い意思を訴えかけてくる俊くんの絵の世界。

 確かに、健吾の言うとおりかもしれない。

 一瞬、そう思えたけれど、健吾の慰め顔を見たら涙が出そうになり、僕は「ごめん」と彼の手を振り切って、足早に帰ることしかできなかった。



 玄関を開けると、今日はまだ誰もいない時間のはずなのに、拓巳くんと、真嶋さんのものらしき靴があった。

 予定が変更になるのはよくあることだし、真嶋さんが来るのもしょっちゅうなので、特に気に留めることなく居間に入って行くと、珍しく奥の応接スペースのほうから話し声が聞こえてきた。真嶋さんはいつもリビングですごすので、違う人かも知れない。

(拓巳くんが応接へ通すようなお客さん……?)

 ちょっと思いつかない。そんなことを考えながら通学バッグをおろし、リビングの棚の上にひとまず置いたそのとき。

「でも拓巳、もうこのままじゃ、いられない」

 聞き慣れた声が響いた。やっぱり真嶋さんの声だ。僕は、吸い寄せられるようにそっと応接スペースに近づいていった。なぜか気づかれてはいけない気がしたのだ。

「雅俊にはできないよ。これ以上、ツアーを先送りすることは。君も見ただろう? あの思い詰めた姿を。彼は会社側との交渉窓口にもなっていたから、ファンの情報をもろに浴びているんだ」

 僕の視界に、応接セットのソファーに座る真嶋さんの背中が入る。

「ファンの事情だけじゃねーじゃんか。こんな手段取りやがって。俺が覚悟して迎えにこない限り外には出ないだと? 祐司には会ってるくせに」

 外には出ない?

 僕は、はやる心を抑えてさらに近づいた。

 拓巳くんの姿はまだ見えないけど、憤るは声よく聞こえる。どうやら真嶋さんの隣に座っているようだ。

 じゃあ、俊くんの居場所はもう、わかってるんだ……。

「会ってるといってもベランダ越しだ。中には入れてくれなかったようだよ」

「で、俺に来いってか? ずいぶん勝手な言いぐさだぜ」

 拓巳くんの横顔が見えるところまで近づいた。いつにもまして不機嫌そうな顔が、今はさすがに青白い。

 ふいに拓巳くんが声の調子を変え、真嶋さんに向かって真剣な表情で聞いた。

「芳弘はどう思うんだ。本当に和巳はもう、雅俊の言うようにちゃんと受け止められるのか? 何の心配もなく?」

 真嶋さんは茶色の目で拓巳くんの顔をじっと見ると、頬にそっと片手を添えた。

「ごめん、拓巳。それはわからない。記憶を動かせるのは本人だけだ」

 僕の耳に、記憶を動かすという言葉が引っかかる。真嶋さんの彫りの深い目もとが憂いを帯びて揺れた。

「そして、和巳にはそのときの記憶が今のところないわけだから、どうしようもない」

 体がビクッと震える。

 記憶? 何の記憶?

「記憶がないから何の症状もない、ということでもある。でもそれは諸刃の剣だよ。誰も何もしなくても思い出すことはある」

 拓巳くんが真嶋さんの腕にすがった。

「でも、じゃあ話したことがきっかけで、何かを思い出しちまうってこともあり得るよな?」

「……否定できないね、残念だけど」

「だったら俺は嫌だ。せめて中学へ上がるまではそっとしておいてやりたい」

 拓巳くんは真嶋さんの肩に頭を落とした。真嶋さんの手が頬から離れてサラサラ髪の頭をなでる。

「なんであいつが俺にちゃんと言ってくれないのか、見当はついてる」

「拓巳……」

 拓巳くんは何かを思い出すように目元を歪めた。

「俺がそれを知ったら正気を手放すような種類のものを、あいつは見ちまったんだ。俺が弱いから、多分……」

 普段は深く響きのある声が、掠れてうつろな音になっていく。僕はその姿に、胸がギュッと捩れる思いがした。

 一体どんな経験をしたら、こんな頼りない、か細い声が出てしまうようなことになるんだろう……。

 真嶋さんは、拓巳くんの頭をなでていた手をおろして肩に添えた。

「拓巳。全国ツアーが来年なのか再来年なのかは、実をいえば和巳のことが問題なんじゃない」

 拓巳くんは真嶋さんの顔を見上げた。

「あれから和巳もずいぶん大きくなったし、丈夫にもなった。自分の身もある程度は守れると思う。記憶のことが心配なら、ツアーが一年早まったところで今のあの子にたいした違いはないよ。遅かれ早かれ、いつかそれは来る」

「………」

「問題なのは君自身。それに直面したときの、君の心の問題だよね」

 拓巳くんは真嶋さんの顔をじっと見つめている。

「君はいまだに深く傷ついたままだ。それはそうだろう。君にとって、前回の全国ツアーは僕をはじめ、メンバーやスタッフ、君が初めて心を預けた仲間たちに裏切られ、しかもその仲間たちのために、君が信頼し、家庭を託した中沢さんに二つも嘘をつかなければならなかった悪夢の出来事なんだから」

 瞬間、拓巳くんの背中が震え、僕の鼓動が大きく跳ねた。

 今……今、何て?

「かわいそうに。雅俊はそこを軽く考えているね。だから話が噛み合わない。けれどあのときの代償として、雅俊も拓巳の分まで〈T-ショック〉のことをずっと背負ってきて苦しかったんだ。だから……僕はそれを少し取り除いてあげようと思う。そう思わないか? 和巳。どうでしょう、中沢さん」

 真嶋さんはそう言うと、ゆっくりとこちらに顔を向けた。

「和巳! 中沢さん!」

 拓巳くんが驚いて振り向きざまに声を上げ、僕は驚きのあまり声も出ず、二人を見たまま動くこともできなかった。そして――。

「……だからわざわざ応接スペースにいらっしゃったんですね。私や和巳さんが来たことが、すぐには拓巳さんにわからないように」

 首を巡らせると、中沢さんはいつものように穏やかな、それでいて表情の読めない顔つきをしていた。時間は三時半、中沢さんが来る時間になっていたのだ。むろんのこと、今日、僕のクラスが優花より早い下校だというのも、真嶋さんの頭にちゃんと入っていたに違いない。

「こちらへ来て座って下さい、中沢さん。和巳も拓巳の隣にお座り」

 何から話せばいいのか――。

 真嶋さんはそう言って語りだした。




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