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T‐ショック アブソーバー  作者: 木柚 智弥
仲間より歌より僕?
2/11

俊くん対拓巳くん

「参加イベント三回……。しかも卒業式ですかっ!」

 話を聞いた沖田さんが絶句する。

 日曜日の午後、東京の中目黒にある拓巳くんの所属プロダクション、GAプロダクツ(略してGプロ)の事務所に顔を出した僕は、昨日の戦果を沖田さんに告げた。

 ちなみに拓巳くんは別室で、他のメンバーと一緒に音楽雑誌のインタビューを受けている最中だ。

 今年三十四歳になる沖田智紀おきたとものりさんは〈T-ショック〉のメインマネージャーさんだ。やさしくて、真面目な努力家タイプで、けっして器用な人ではないけれど、拓巳くんが言うには「アクの強い俺たちにはちょうどいい」のだそうだ。

 サブ時代から数えればもうかれこれ七、八年になるお付き合いで、中肉中背、オールバックの短髪、メガネにビジネススーツの姿は絵に描いたような一般サラリーマンだ。

 日本中に溢れているハズのスタイルなのに、僕の目に、常に新鮮でやすらぎに満ちて見えるのはなぜだろう。

「ごめんなさい。結局来年もお世話かけます」

 僕は神妙に頭を下げた。

 これまで順調に回数を減らしてきた参観日だったから、沖田さんにとっても来年の「参観日出席なし」への期待度は高かったハズだ。

 案の定、沖田さんは一瞬、魂を抜かれたような顔になった。

「参観日は阻止したんでしょう? 減らせたんだからよかったじゃないですか」

 事務所内に残っていたサブマネージャーの横澤よこざわさんが、沖田さんを慰めるように言った。

「そんな顔したら、和巳君が心配しちゃいますよ?」

「ああ、すみません、和巳君」

 我に返った沖田さんが、しまったというように頭を掻いた。僕はイエイエと首を振る。僕が原因で拓巳くんが沖田さんにかけてきた苦労の数々を考えれば、ちょっと表情に出ちゃったくらいナニほどのものでもない。

「しかし……困った。確か運動会は六月半ば、音楽会が十一月の半ばで卒業式が三月のはじめ……」

 さすがマネージャー。僕の学校行事まで把握済みだ。

「何が困ったって?」

 突然かかった後ろからの声に、沖田さんがハッと振り返った。

「雅俊君」

としくん」

 沖田さんの声に僕の声が重なった。

「内輪話はせめてドアを閉めてからにしろよ、ノリさん。誰に聞かれるかわからないだろ?」

 半開きのドアにもたれて立っていたのはマースこと小倉雅俊おぐらまさとし、僕にとっての俊くんだ。

 やや小柄で細身の俊くんは、アイドル出身の人気俳優にも負けないような華やかな顔立ちの人だ。

 どう見ても二十歳そこそこにしか見えないけれど、拓巳くんより学年は一つ上、同じ中学出身で、あの人と渡り合って〈T-ショック〉を立ち上げた、メンバーの中心人物だ。

 南国系のくっきりとした目鼻立ちが自信に溢れた表情に華を添え、肩までかかる栗色のウェーブヘアとよくマッチしている。

 彼は、作曲やキーボード演奏のかたわら、絵画やデザインアートも手掛ける芸術家で、その作品世界は僕も大好きだ。僕自身、特に美術が得意なわけではないのだけれど、俊くんの描く世界はどれも色使いが鮮やかで、それぞれが僕の心を揺さぶって引きつける。俊くんもそんな僕を喜んでくれて、アトリエに呼んでくれたり、作品がギャラリーに展示されたり個展を開いたりするときは必ず連れていってくれる。

 でも拓巳くんに言わせると、「アイツの絵、よくわかんねー」なんだけど。

「インタビュー、終わりましたか?」

 沖田さんの問いに、室内に入ってきた俊くんが後ろを指差しながら言った。

「おれと祐司はね。拓巳はまだかかる」

 俊くんの後ろに、ユージこと井ノ上祐司いのうえゆうじ、僕にとっての祐さんが姿を見せた。

 百八十八センチの長身を軽く屈め、ドアをきっちり閉じたあと、振り向いた彼は沖田さんに軽く会釈した。

 俊くんと祐さん、拓巳くん。この三人が〈T-ショック〉のメンバーだ。僕にとっては家族に等しい人たちで、特に俊くんの存在はある意味刺激的だ。

「久しぶりだな、マイハニー。元気だったか?」

 つかつかと歩み寄った俊くんが、頭一つ分低い僕をギュッと胸に抱きしめた。俊くんはいつもこうだ。

「先週も会ってるよ?」

「一週間は長んいだぜ?」

 ちょっとスネた表情に本気モードが漂っている。ヤバい。

「俊くんは相変わらずオシャレだね。今日もカッコいいよ」

 僕はすかさず合わせるのが難しそうなアッシュパープルの花柄をあしらったジャケットの襟に触れ、着こなしのセンスを誉めた。

 中に着た、少し光沢のある藍色のシャツや紺のジーンズがジャケットの印象を引きしめ、襟もとから覗く細いプラチナの二連チェーンがキラキラして、アクセントに効いている。

「おまえの父親にゃ負けるがな」

 そういう俊くんの笑顔は、けれど揺るぎない自信に溢れていて力強い。自分に、拓巳くんに劣らないだけの容姿と、人を惹きつける魅力があることを十分にわきまえた上での発言なのだ。さすが、あの拓巳くんに十二年も仕事させることができる人だ。

「それで? ヤツは、今度は何を言い張っておれの和巳を困まらせてるんだ?」

 僕を抱え込んで奥の来客用ソファーに移動した俊くんは、そのままストンと僕を膝の上に座らせると、頬から髪をかき上げるようになでながら顔を覗いてきた。

「だから早くおれのところに来いって言ってるだろ? いい加減に目を覚ませよ」

「俊くん……」

 くっきりと二重を描くアーモンド型の瞳が熱を帯びて色香を漂わせているのが、小学五年男子にも感じ取れる。

 ……だから拓巳くんに目黒のNO・1ホストとか言われちゃうんだってば。

「おまえが目を覚ませ」

 後ろに続いてきた祐さんが俊くんの頭をグーで叩き、ヒョイっと僕を持ち上げて自分の隣に座らせた。

 祐さんにとって、三十五キロの僕なんて、そこのクッションと変わらないのかもしれない。

「おまえが和巳を困らせてどうするんだ。困ってるのは沖田さんだろうが」

 祐さんはそう言って俊くんを牽制するように長い足を組んだ。

 長身でありながら、無駄なく引き締まった体つきの祐さんは、俊くんより四歳年上の硬派な雰囲気を漂わせた物静かな人で、他の二人にはない落ち着きがある。

 彫りの深い鋭角的な顔立ちは男らしく、まるでハードボイルドに出てくるヒーローのようだ。前を少したらしたソフトリーゼントの髪は黒く艶やかで、定番の黒の革ジャンスタイルによく似合っている。

 祐さんこそは正統派ロックミュージシャンの姿だ、と健吾などは常々力説しているけど、気の毒かな、〈T-ショック〉において祐さんは別の役割を果たす人なんだよね。

「そのでかい手で殴るなよ、しかもグーで!」

 頭をさすりながら訴える俊くんは涙目だ。

「このくらいでどうにかなるタマか。それで沖田さん、どうしたんだって?」

「ああ、実は……」

 頼れる現実派の祐さんに尋ねられた沖田さんは、さっそく事の次第を二人に伝え、対策を求めた。

「卒業式は、まぁ、そうだろうとして、運動会に音楽会? ンなもんに出る気だったのか。まいったな……」

 思案顔の俊くん。

「どうしましょう」

 ちょっと青い顔の沖田さん。

「来年は参観日をなしにできる、まではこっちの予想通りだったんだが……どれか二つ、諦めさせるしかないか。……できるかな?」

 深刻な面持ちで祐さんが僕を見る。

「それはもう、和巳君に頼るしか……」

 沖田さんも僕を見る。

「何か、あるんですか?」

 さすがの僕も気がついた。どうも、いつもの「無理して学校に関わるのは(和巳のために)いいかげん控えろ!」的なニュアンスとは違うようだ。

「あっ!」

 そのとき、ふいに俊くんが声を上げた。すかさず沖田さんが反応する。

「なんですかっ」

「ヤバい」

 青ざめた俊くんがウェーブ頭を掻きむしる。

 ……これは、すごく珍しい。俊くんが青ざめる?

「おれ、あの話、昨日の飲み会でチラッとだけ匂わせちまった。あの中に、今日の雑誌記者の仲間がいたかも……」

「なんですって!」

「なんだって!」

 祐さん沖田さんの二重唱。

「あの話?」

 僕は身を乗り出して俊くんに聞いた。

「何か、仕事の話?」

「おまえの鋭さにいつもながら惚れ直すぜ、ハニー」

 祐さんを押し退けて僕の隣に座り直した俊くんが、包み込むように抱きしめてきた。

「察しのいいおまえのために、事前にきちんと説明して、承諾を得てから話を進めるつもりだったんだが……」

 悲しそうな俊くんの顔が僕の右肩にうずめられたそのときだ。

 ――ドンッッ!

 凄まじい勢いで部屋のドアが開いたかと思うと、何かが弾丸のような速度で飛びこんで来た!

「ざっけんじゃねーぞっ! 雅俊っ!」

 俊くんの肩越しに僕は見た。怒りの形相をした災厄のカタマリが、拓巳くんの姿で仁王立ちしてるのを!

「あの記者が言ってんのは本当かっ! テメーが言ってたって!」

「拓巳、落ち着け」

 祐さんが、僕を抱きしめたままの俊くんの姿を拓巳くんから隠すように立ち上がった。

 そう、怒れる拓巳くん(時に俊くん)の攻撃を食い止め、冷静な話し合いに持っていく調停人、それが祐さんの重要な役割だ。この人の存在がなかったら〈T-ショック〉は十二年も続かなかっただろう。

 が、今日は時遅し。

「半年間の全国ツアーなんて俺、聞いてねーぞぉっっ!」

 広げられた祐さんの腕をコンマ0・1秒の差でかわした拓巳くんが、僕の目の前で振り返った俊くんに襲いかかっていた……。



「だから、まだ計画段階だっつってんだろっ!」

 俊くんが叫ぶ。

「計画が出てること自体、おかしいじゃねーかっっ!」

 拓巳くんがいきり立つ。

「だから二人とも座れ!」

 祐さんが引き戻す……。

「飽きないね~」

 隣でぼそりとつぶやく優花に、僕もそうだね~、と相づちを打った。

 もう、何回このパターン見たかな。

 ここは〈T-ショック〉立ち上げ当時からの専属ヘアスタイリスト、真嶋芳弘まじまよしひろさんの自宅マンション、つまり僕のうちのお隣だ。

 僕たちは吹き抜けの二階にあるダイニングの隅、階段への入り口手前に置かれたベンチから、手すり越しに階下のリビングを見下ろしていた。

 騒々しいメンバーのそば、悠然とソファーに座っている真嶋芳弘さんは、祐さんの従兄で今年三十六歳のバツイチ、横浜駅近くのビルに自分のお店を持つ、打ち解けやすくて包容力のある美容師さんだ。

 外見は祐さんとよく似ていて、鋭角的で彫りが深い顔立ちだけど、祐さんよりも印象が少し柔らかい。

 髪も、肩くらいの長さの緩いウェーブヘアを茶色に染めているので、一見、ヨーロッパあたりにいるクールビューティーなお兄さんにも見える。服装の色使いも明るいものが多い。なので、祐さんと並ぶと真嶋さんのほうが年下に見えてしまう。

 最近はファッション誌でも時々目にする売れっ子スタイリストな真嶋さんだけど、実は拓巳くんとの付き合いはメンバーより古い。

 それは拓巳くんがまだ中学生になったばかりの頃で、当時二十歳の真嶋さんがカット試験のためにモデルを探していて、近所のゲームセンターにいた拓巳くんを呼び止めたのだ。

 その後、たくさんの事件や出来事を乗り越えて、真嶋さんは拓巳くんの〈後見人〉というものになった。そして拓巳くんにモデルの世界を紹介して行動を共にするようになり、一人っ子だった拓巳くんにとって真嶋さんは親であり、兄であるような存在になったという。祐さんがメンバーに入ったのも、ギタリストを探す俊くんに真嶋さんが紹介したからだとかで、〈T-ショック〉誕生の立役者の一人と言えるんじゃないかな。

 僕と優花のうちが同じマンションの隣同士なのも偶然じゃなくて、真嶋さんの手配によるものなのだそうだ。だから、僕にとったら真嶋さんは伯父さん、優花は従姉みたいなもので、僕たちはまさしく姉弟のように育ってきた。ホントは六月生まれの僕のほうが八月生まれの優花より少し兄貴なハズなんだけど、真嶋さんゆずりのクールビューティーな顔立ちに似合わず熱血タイプな優花が相手じゃ、どう見ても僕のほうが弟だ。おまけに優花のほうが今のところ背も高い。

「ほら、おいでよ二人とも。そんな潤いのないもの見てないでお茶にしよ?」

 後ろからのかけ声に、僕たちは「は~い!」と応じて部屋の中央にあるテーブルに駆け寄った。

「いつまでかかるかわかんないでしょ? 美味しいものでもお腹に入れときましょ」

 そう言って紅茶を入れてくれたのは、同じく美容師の塚田祥子つかだしょうこさんだ。

 七年前頃から仕事で拓巳くんたちと関わるようになった祥子さんは、真嶋さんの店のチーフスタイリストで優花も顔馴染みだ。

 シャギーの入ったショートヘアが細面の顔立ちによく似合っている祥子さんは、真嶋さんより二歳年下、この年頃の女の人には珍しく大柄なので、祐さんに準じる長身の真嶋さんと並んで立つと迫力がある。出張仕事で店空けることの多い真嶋さんが信頼する人で、仕事の打ち合わせとはいえ、こうして自宅に来ることもしょっちゅうなのに、ナゼかそれ以上の進展がない、とは優花の情報だ。

 優花の普段のファッションセンスが周りの女子たちから評判がいいのは、九割がた祥子さんのお陰で優花の努力ではナイ。本人が実はファッションというものに対して関心が薄く、外出ナシで友達に会わないなら一日中ジャージでもいいや、くらいに考えているのを僕は知っている。でも同学年生に対する見栄とプライドは高いので、これは健吾にもナイショだ。

 そんなわけで、日曜の午後三時、真嶋さんとの打ち合わせを終えた祥子さんに、休憩するから一緒にどう? なんて声をかけられていたところに予定外のお客さん(それも〈T-ショック〉のメンバー)の乱入を受けた優花は、慌てて身なりを整えるハメになり、今ようやく落ち着いてお茶に手を伸ばすことができるのだった。

「ねぇ、祥子さん。全国ツアーって、半年もかかるものなの?」

 クッキーを頬張りながら優花が質問すると、祥子さんは手に持っていたコーヒーを一口飲んでから答えた。

「かかる。準備期間を考えたら一年でも足りないくらい」

「そっかー……。拓巳くんはそれがイヤなんだね」

 優花が腕を組んでウンウンと頷いた。

 そもそも何を揉めているかといえば、今から七年前に行われた全国ツアーのあと、GAプロダクツとの話し合いで〈今後約八年間、拓巳の承諾なしには長期にわたる全国ツアーのような仕事は入れない〉と取り決めたはずなのに、それを破ったからだというのだ。

「来年がその八年目で、拓巳君は来年いっぱいまでは受けない約束をしてたの。ところがね」

 約束が明ける再来年の三月にスタートできるように、とGプロ側が場所取りに動き始めたら、大事な会場のうち三ヶ所が、すでにイベントなどでかなり先の時期まで埋まっていたというのだ。

「〈T-ショック〉レベルのバンドだと、ヘタな会場は選べないし。その前の半年間なら空いているらしいんだけど、一月から三月までは季節が悪いから避けたいわね」

「それで前倒しなんだ」

「そういうこと」

 僕の答えに祥子さんは相づちを打った。

「会社側は、まずリーダーである雅俊君にそのことを伝えて、前倒しを打診したの」

「それを俊くんが受けたんだね?」

「そう。まだ仮の承諾って感じではあったみたいだけどね」

 バンドを組む者にとって、全国ツアーは最大のイベント。多くのロックグループはやりたくてもなかなかできないのが現状で、人気、実力ともにかなり高いところに登り詰めてからでないと企画が立ち上がらない。

「その点、〈T-ショック〉は立場が逆。会社側、ファン側の両方が待ち望んでいるの。ファンサイトを覗けば、一年半後に迫っているはずの、ツアー再開を心待ちにするファンからの熱いメールでいつも満杯よ」

「えーっ、今からっ?」

 優花が口の端からクッキーを飛ばした。

「そうよ。前回のコンサートが伝説で語り継がれちゃってるからね」

 答える祥子さんの瞳が輝いた。

「そういえば祥子さんは、前の全国ツアーの時に初めて真嶋さんのアシスタントをしたんですよね」

 僕が尋ねると、祥子さんは感慨深げに答えた。

「そう、七年前ね。あんときはスゴかったわ~」

 どんなスゴいことを思い出しちゃったのか、祥子さんの顔がほんのり上気してきた。

「和巳君は、何か覚えてる?」

「あんまり」

 五年生男子にとって、四歳児の記憶はあまりに遠い。

「あたしは、あっちこっち旅行したな、って覚えてる。なんだかワクワクしながらバスに乗ったのよね」

 優花が楽しそうに記憶をなぞりだした。

「それから、大きな建物の中に入って、なんか暗くて広ーいところに出たなーと思ったら、電気がバババーって点いて、確か和巳が大泣きしたのよ」

「えー? そうだっけ?」

 よく覚えていない。

「優花ちゃんは覚えがいいわねぇ」

 祥子さんが笑う。ということは、優花の記憶は事実なのか。

「それ、多分、札幌のことなんじゃないかな。会場のリハーサルでステージの照明をテストしてた時のことでしょ」

「祥子さんも見たの?」

 僕が聞くと、祥子さんは笑って否定した。

「私はその場にはいなかったから。確か前に仲間から聞いたような気がする」

 他の人が知っていたなら事実に違いない。

 そんなこと、あったんだ。

「札幌はツアー終盤だったから大変だったのよ。もう拓巳君が神経質になっちゃって」

「えっ? どうして?」

「ほら、ただでさえコンサート会場は広いでしょう? それなのにツアー中だから場所が次々変わっていくでしょ。さすがのスタッフたちもあなたに目が届かなくなって。おまけにコンサート当日は、あなた怪我か何かで体調悪くしたらしいのよ。彼にしたら、我慢の限界だったんじゃない?」

 それは、実にあり得そうだ。

「普通のコンサートなら、リハーサル入れても長くてせいぜい一週間、しかも同じ場所だから慣れていくじゃない。それに、家にも帰れるし」

 けど、ツアーじゃそうはいかないわけだ。

「じゃ、拓巳くんがツアーを嫌がるのって、僕の学校行事に参加したいとかいうよりは……」

「まぁ、そのときの影響も理由の一端では、あるでしょうね」

 祥子さんの表情が少しだけ曇ったのが僕の視界に入った。自分の言葉を打ち消すように祥子さんは続けた。

「でも、択巳君本人のモンダイも多いわよ」

 ああ、わかる。

 枕が変わると眠れないとか、気候が違うとダメとか、健吾のお父さんがやってる料理店の夕食を週一は食べないと調子が出ないとか……まるで駄々っ子だ。

「じゃあ、今ならもう、ツアーをやっても平気なんじゃないの?」

 優花が元気よく僕に顔を向けた。

「和巳、もう照明なんて平気でしょ? あたし、沖縄とか行ってみたいなぁ~」

 何か、別の妄想入ってるぞ、優花。

「僕たち、中沢なかざわさんと一緒に留守番だと思うけど」

 僕たち二人のうちには中沢さんという、ベテランハウスキーパーのおばさんが家事を手伝いに来てくれている。なにしろ親同士の仕事現場がちょくちょく重なるので、まとめて見てもらうこともしょっちゅうだ。

「えー、なんで?」

「学校どうすんの。そんなに休めないでしょ?」

「あ、そっかー。小学生ってつまんな~い」

 気がつけよ、おい。

「でも、ツアーは長いんだから、土日とか、夏休みとか? 一緒に連れてってもらえる時もあるよね、きっと!」

 それは、あるんじゃないかな、って言おうとしたそのとき。

「待て拓巳!」

 ひときわ大きな祐さんの声が下のフロアに響いたかと思うと、階下から乱暴な足音が複数上がってくる気配がした。

「和巳! 帰るぞ!」

 まず現れたのは、サラサラの長髪を振り乱した拓巳くんだ。引っぱられた跡なのか、白と薄いグレーのストライプのシャツがジーンズからはみだしている。

「待てこのやろうっ!」

 その髪をつかむようにして俊くんが続く。こちらは襟でも鷲掴みにされたのか、光沢のあるシャツにシワが寄っている。そして僕までの距離あと一歩のところで、俊くんが拓巳くんに追いついた。

「まだ、話は済んでないだろうがっ」

「離せっ! キサマと話すことなんかねぇ!」

 拓巳くんが振り向きざまに自分の髪をつかむ俊くんの手を引きがしにかかる。この二人が普段の美々しい容姿をかなぐり捨て、必死の形相で取っ組み合う姿はかなりの迫力だ。僕の後ろからは祥子さんと優花が息を飲む音が聞こえる。

 俊くんが叫んだ。

「いつまでも逃げてんじゃねぇ! テメーはそれでもプロか!」

「――!」

 一瞬、拓巳くんが固まった。

「もう七年経つんだぞ拓巳!」

「だまれっ! おまえがそれを言うかっ!」

 叫びざまに拓巳くんが俊くんの手を振り払うと、そのままの勢いで僕の腕を強くつかんだ。

「わっ!」

 椅子からつんのめりそうになる。

「何しやがるっ!」

 僕が声を上げるのと、俊くんが叫びざまに僕の胴を支えるのと、どっちが早かったのかはわからない。

「――っ!」

 わかったのは、慌てて手を離した拓巳くんが、俊くんの腕の中に収まった僕を見て傷ついた表情を浮かべたことだ。

「拓巳くん」

 僕は思わず手を伸ばした。でも俊くんは容赦しなかった。

「息子に八つ当たりかよ。サイテーだな」

 乱れた前髪が落ちかかる額の下、大きなアーモンド型の瞳を爛々と光らせた俊くんが、伸ばした僕の手をゆっくりとつかんで引き戻しながら言い放った。

 やめて、俊くん。

 拓巳くんの顔から一瞬にして表情が消えた。

「和巳」

 絞り出すような拓巳くんの声。

「来るんだ」

 凍りついたようなその薄い色の瞳を見た途端、背筋に稲妻が走った。

 ダメだ。行かなくちゃダメだ、今すぐに。なのに体が動かない!

「来い!」

 目の前につき出された拓巳くんの手が妙に白い。僕の頭は必死になってその手をつかめと命令するのに、体は俊くんの腕の中、ぶるぶると震えを増すだけで、持ち主のいうことを一向に聞かなかった。

 ああマズイ、このままじゃ、拓巳くんが……!

 切羽詰まった次の瞬間。

「やめなさい、拓巳」

 低く、柔らかな落ち着いた声が拓巳くんの背後から響いた。

「……!」

 拓巳くんの瞳が一瞬、揺れる。

 その肩越しに、祐さんに似た、でももう少し柔らかさを増した顔が現れた。

「真嶋さん……」

 声が掠れ、全身から力が抜けていく。

 拓巳くんの背中に歩み寄った真嶋さんは、自分より少し低い拓巳くんの肩を両手で包むと、顔を近づけてもう一度ささやいた。

「やめるんだ」

 そうして自分のほうに拓巳くんを振り向かせると、片方の手をゆっくりと肩から離し、その手で乱れたサラサラ髪をなでつけながら言った。

「和巳は、今日はこのまま僕が預かる。拓巳、君は一人で帰りなさい」

「芳弘っ!」

 抵抗しようとするのを真嶋さんの手が封じる。そんなに力を入れているようには見えないのに、拓巳くんは動きを止めた。

「なんでだよっ! 和巳は俺のっ……」

「君は今、自分がどんな表情をしてるかわかってる?」

 染み入るような真嶋さんの声。

「今の君に、親にふさわしい態度が取れるのかい? 本当に?」

 拓巳くんの体が揺れる。

「できるというなら、僕の目を見てはっきりと言ってごらん?」

 言いながら真嶋さんは瞳を細めた。すると柔らかな印象が一変し、犯人を問い詰める刑事のような厳しい表情が現れた。

「どうなんだ?」

 僕は思わず身震いした。この、何もかもを見透すような瞳を持った人の前で、自分を偽れる人間がどれだけいるんだろうか。

 間違いなく拓巳くんにはできない。だから、顔を背けるしかない。僕にはわかる。

 そうしてうつむいた拓巳くんに、真嶋さんから再び声がかけられた。

「明日の朝、迎えにおいで」

 表情が、またもとの柔らかな印象に戻っている。ひとつ頷いた真嶋さんは、拓巳くんの肩をつかんでいた手を離した。

「行きなさい」

 そして少し脇に体をずらすと、階段の入り口を指差した。

 拓巳くんはしばらくその指先を見つめていたけれど、階段を上がってくる祐さんの姿に気がつくと、弾かれたように動き出し、祐さんの体を押しのけて階段を駆け降りて行った。

 やがて、遠くのほうで玄関のドアがギィッと開き、そして、バタン! と閉まる音がした。

 僕は、俊くんの腕に支えられたまま固まっていたけれど、ドアが閉まる音が聞こえた瞬間、糸が切れたように、その場にへたり込んだ……。


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