困ったお父さん
今日は参観日だ。
どこにでもある私立小学校の、ごくフツーの高学年参観日だ。五年生になった僕たちにしてみれば、別に親なんか来ても来なくてもいいや、くらいのありふれたものだ。
事実、親友の健吾が、玄関口でお母さんに「忙しかったら来ないでいいぜ 」なんて言ってるのを登校する時に聞いちゃった。ゼイタクだな、とか思ったけども。そう、僕にとって今日のこの参観日はフツーじゃない。
僕の名は高橋和巳。
この六月の終わりに誕生日が来ると十一歳になる、小学校五年生だ。小さくはないけど大きくもない、ごくフツーの体格をした、ごく平凡な子どもだと自分では思っている。でも健吾は僕がそれを言うと、
「ムリムリ、そーんなキレーな顔して平凡ったって。たかが学校の制服がフォーマルに見えちゃうようなヤツがフツーな世界って、モデル事務所くらいじゃねー?」
とか言って大笑いする。ちょっとヒドい。
今日は五年生最初の参観日。みんなは、お父さんが来るとか、お母さんに来てとか、来ないとか、来るなとか、好き勝手なことを言っている。五年生にもなればごく普通のことだ。
だけど僕にその選択肢はない。来るななんて言っちゃった日には、多分……わーっ、考えるのヤメッ。
「ねぇねぇ、和巳君のお母さん、今日は来るのかな。スッゴい綺麗な人だよねー。いいよね親子して美人でさぁ」
隣の席の友加里がため息混じりに言う。友加里はオシャレが大好きで、なのに自分のお母さんがちょっとポッチャリしてて、ファッションに敏感でないのが気に入らないのだ。
僕は、友加里のお母さんは優しい感じであったかそうでいいな、と思うんだけど。前にそう言ったら「慰めてくれてありがと」なんてサラッとかわされちゃった。ホントにそう思ってるんだけどなぁ……。友加里も一度特殊な親を持ってみれば、普通の親を持つシアワセがわかるのに。
そう、僕の親は特殊だ。何が?
すべてが(僕にとっては)。仕事が、家庭が、本人が。
仕事は芸能人。まぁ、ここは横浜だし、この学校にだって他に芸能人の親を持つ子がいないわけじゃないから特に困ったりはしてないけど、特殊な仕事には変わりない。
家庭は二人家族。いわゆる片親だ。あ、もう今時珍しくはないか。ただ、その片親が有名人で、顔が綺麗すぎて厄介なので、ゴミ出し当番が僕だけになった、って理由は特殊かも。
そして本人……これは極めつきに特殊。
色々な意味でかなり珍しい人なんじゃないかな。事情をある程度知ってるのは、幼なじみの健吾と、隣のクラスで親同士が仕事仲間の真嶋優花だけだ。口のカタい二人は、僕を憐れんで(?)秘密を守ってくれているから僕は頭が上がらない。その分、欲しい芸能関係のチケットをゲットしてあげたりして頑張ってるけど。
……とにかくその特殊な親が今日、あらかじめ来ると決めた参観日にだけは、忙しい仕事の合間をぬってやって来る。拒否権はない。なぜなら小さい頃に僕が言った言葉がきっかけで始まったから。
でも、でも、四歳児のセリフを逆手にとって、今に至るまで律儀につらぬかなくても……。
いや、そんな風に思ったらダメだ。もとはといえば僕のせいだ。たとえ、今はその目的が多少ズレちゃってるとしても、あの人の誠意であるには違いない。甘んじて受け止めよう。さぁ、勇気を持って心の準備をするんだ……。
チャイムが鳴り、参観授業が始まった。あの人はすぐには現れない。一応、授業に配慮して、いつも途中にやって来て、終わり間際にそっと教室を出たあと、駐車場の隅に停めたスモーク貼りの白いベンツの中で、僕が下校してくるのを待っている。
そしてそのままドライブしたりショッピングしたりしたあとで、予約したレストランで夕食を食べて帰るのがお約束のコース。なんだけど……。
(あっ、ホラッ。来たんじゃない?)
隣の友加里が僕にささやいた。確かに、廊下からなんだかサワサワとした気配がする。なんで廊下歩いてるだけで気配が他と違うんだ、とか思ってはいけない。だってそれは仕方ない……。
ガララ……
控えめな会釈をしながら入って来たのは紛れもなく僕の親だった。
――目立つ。超目立つ。
僕は目の端で今日の姿を確認した。
いわゆるシャネルスーツってやつに似た、クリームイエローのタイトなツーピースに、銀色で統一したアクセサリーとパンプスとバッグ。ストレートのロングヘアは、今日はゆるいウェーブでセットしてある。彫りの深い整った顔に薄いメイク……。でも、もともと唇が艶のある深い色をしているので、とても薄化粧には見えないっ!
周囲に立つお母さんたちからもれる羨望のため息が、教室の右端から左端へとこだましていくのが僕の耳にも届いてきた。
ゆっくりと後ろを横切って、左の奥にある僕の席の近くに立った姿は確かに優雅で綺麗なんだろう。たとえローヒール履くと百八十センチ越えちゃってても、透き通るような肌の色の手がなんだか大きくても、キレイだと気にならないんだろう。だからって僕は平静ではいられない。
だって僕のお母さんはもうこの世にはいないハズ。あそこにいるのは、親は親でも……っ。
(すぐにまた外国へ帰っちゃうんでしょ? 寂しいね)
知ったように友加里がささやくのに、僕は相づちを打った。学校の中ではそういうことにしてある。つまり、お母さんは昔、離婚して、今は外国でモデルをやっている、と。っていうか、そういうことにしろと本人に言われたのだ。
この僕の斜め後ろに立つ、絶世の美女に化けてる僕の父親に!
特殊だろーっっ!
この前も、今月発売のビジュアル系ロック雑誌〈スーパー〇リーナ2〉にあの人の特殊っぷりを表す特集が組まれているのを、つい読んでしまった。
――会場に設置された大画面を流れるプロモーションビデオの中央に、激しいギターに合わせて歌う、長髪の男が映し出されると、会場を埋めるファンの歓声が爆発した。
伸びのある高音で歌うその横顔は、一目で人の心を奪う〈衝撃の美貌〉だ。
ローマの美術館にある彫刻のような、なめらかで彫りの深い顔立ち、朱を刷いたような紅い唇。そして何よりも、腕利きの画家が一筆で描いたような眉の下深くに納まる涼やかな目元。長い睫毛の作り出す陰が、大きな薄い色の瞳に差しかかって不思議な印象を与え、見る者を釘付けにする。
高音と低音を使い分け、速いテンポで歌う魅惑のボーカリスト、それがタクミだ。
その隣で信じられないような指の運びを見せる長身のリードギター、ユージ、中性的で華やかな美貌のキーボード、マース。彼らとともに活動するロックバンド〈T-ショック〉は、今も絶大な人気と実力を誇っている――。
(先月発売の写真集〈蒼い焔〉より抜粋)
バンド結成十二年目を迎えた今年、ますます光り輝くタクミの活動から、今後も目が離せない。
いや、いいよ離してくれて。っていうか、そろそろ少しは離そーよ。
高橋拓巳、二十八歳。
デビューして十二年、今もなおロック界で輝きを放つバンド〈T-ショック〉のボーカリスト。タクミの名でソロ活動やファッションモデルまでこなし、特にビジュアル系をうたっているわけでもないのに、その道の雑誌から特集まで組まれちゃうアーティスト……それが僕の父親だ。
あまりに若すぎたので小さい頃から拓巳くん、と呼んできたけど、母親が僕を生んでから半年ほどで死んでしまった後は、正真正銘、男手ひとつで僕を育ててきた人だ。
十七歳で子どもができて、しかもその母親がこの世からいなくなっちゃったら、普通はどちらかの実家に引き取られるか、施設に入れられちゃうかするはずなのに、拓巳くんはガンとして譲らなかったという。
拓巳くん自身が家族の人と折り合いが悪く、家を出て自活していたからなおさらだ。
幸い当時はデビューして一年目、音楽活動は軌道に乗り、スタッフの協力にも恵まれていたから、僕は拓巳くんの元で育つことができた(そのスタッフの一人が真嶋優花のお父さんだ)。
僕ももう五年生。色々な事情を知るようになって、それがどんなに大変で難しいことだったかわかるようになったから、大抵のことは拓巳くんの意見を尊重している。しているんだけど……。
「ねぇ拓巳くん、参観日のお母さんバージョン、今年で終了にしようよ」
恒例の夕食会の席、湘南海岸沿いにあるフランス料理店の個室で、学校の制服からセミフォーマルに着替えてめかしこんだ僕は、勇気を振り絞って先に席についている拓巳くんに切り出してみた。でも答えは分かっている。
案の定、モデル顔負けの美貌に縦ジワを寄せ、フォークでやや乱暴ぎみにマリネのサーモンを突き刺しながら、拓巳くんは即答した。
「ヤダ」
やっぱり。
いや、負けるな僕。今までだって数々の難関を乗り越えてきたじゃないか。いわく、
小学校三年生参観日、月一の参観→年に五回。四年生参観日→年三回……スタッフやメンバーの皆さんの協力のもと、築き上げてきた戦歴だ。
「五年生は二回にしたいっていうから、俺が譲歩したばっかじゃんか」
明らかにムッとしているクリームイエロースーツの美女。
ビビるな僕。
「その、参観日が一つ終わったからね。来年の希望を言っておこうと思って」
努めてあっさり口調を心がける僕。
「忙しいのに、僕のためにありがとう。もう十分だよ。クラスの男子だってお母さん呼ばない子、結構いるんだ。だから」
……もう女装しなくていいよ。ここ数年は誰かにバレやしないかと、僕、生きた心地しないんだよ。女子たちなんて、結構鋭いからもうドキドキで……。
って続けられたらどんなに楽だろう! でも言えない。僕が悩んでた、なんて知ってしまったら、拓巳くんはショックのあまり――やる気をなくして仕事をボイコットするだろう。それは困る。スタッフやメンバーの皆さんが。
ショックを受けた拓巳くんを、僕自身がなだめたり持ち上げたりするのはかまわない。けど、二人のために毎回振り回される仕事仲間の皆さんの姿を見るのが忍びない。拓巳くんが皆さんに容赦ナイからなおさら……。
「今年の秋の参観日で終わりか。……仕方ない、和巳がそう言うならいいや。確かに六年生にもなりゃ、親が来るなんて恥ずかしくなる年頃だ、っていうもんな」
拓巳くん! なんて聞き分けがいいんだ!
きっとマネージャーの沖田さんあたりが前フリしておいてくれたに違いない!
思いもかけない展開に僕の心は浮き立った。けど、次の瞬間、
「まあ、六年生は保護者参加イベント盛りだくさんだからな! さすがに俺も全部はムリかと思ってたから、ちょうどいいや」
と、返されてしまった。……天国と地獄。
「参加イベント――?」
呆然とつぶやくと、拓巳くんは華やかな美貌をほんのり上気させて嬉しそうに言った。
「だって、最後の運動会や音楽会って、六年生の保護者がお客の中心なんだろ? そんで最後は卒業式だしな! 今から楽しみだぜっ!」
少し潤んだ切れ長の大きな瞳が、自分の脳内を駆け巡った映像のためだろう、これ以上ないほどの輝きを放ち、絶世の美貌はすでに神の領域だ。
僕はもはや声もなく、目の前でムダに美しい容姿をさらにパワーアップさせて豪華絢爛になった拓巳くんの美貌を、炎天下にあえぐ軒下のノラ猫のようにボーゼンとながめているだけだった……。
「あっはっはっ!」
翌日の土曜日の昼下がり。近所の公園のベンチで僕から事の顛末を聞いた健吾が、豪快な笑い声を公園内に響かせた。
健吾は僕の幼なじみで、賢くて活発な性格の、僕の特殊な事情を話せる貴重な友達だ。見かけはジーンズの上下にツンツンしたシャギーカットの髪の毛をワックスで整えて、ちょっぴり大人っぽい雰囲気だけど、中身は情が深くて人なつこい。
僕より少しだけ背が高く、僕よりかなり世の中の事情にくわしい。「家が自営業だと、息子も影響受けるんだな」なんて拓巳くんが言ってたっけ。おまけに健吾のうちは家族で大のロックバンド好きなので、なおさら僕には頼もしい。だから何かあるたびに、健吾に話して意見を聞いたりするのが習慣になってしまっている。
「絶対誰かから情報入手してんだぜ。拓巳さん、あなどれねぇ~っ」
僕もそう思う。六年生の保護者が行事のお客さんの中心なんて、あの人が発想するわけがない。
よく晴れたさわやかな天気に反比例して、暗~く火の玉を背負ったような僕の様子を憐れんだ健吾が、ベンチに座り直して言った。
「前から思ってたんだけどさぁ、拓巳さんはなんで参観日だとお母さんに化けるわけ? そんなに和巳の様子を見に来たいんなら、おじさんとかおにーさんに変装って手もあるじゃん?」
ああ、それこそ問題のコンカンだ。
「いくらメディアではサングラス姿が多くて、女装は化粧して化けるったって、写真集やプロモーションビデオ出してるんだし、やっぱ心配だろ?」
もちろん。最近はいつもヒヤヒヤだ。
「もしかして女装癖あるとか? ……まぁ拓巳さんならキレイだからいいけど……」
真顔で言うなっ、おい!
「違うよっ! ……入学式の事件のせいだよ、ヘンな方向に行っちゃったのは」
「あー入学式! あの時は確か、拓巳さん普通の男のカッコだったんだっけ?」
フツーかどうかはちょっとギモンだが、どんな姿がいいかと聞かれた僕が、珍しくリクエストをしたのを嬉しく思ったあの人は、精いっぱい身なりを整えた。
「どんな身なり……?」
健吾の質問はもっともだ。
「その頃出した写真集で使った、シルバーグレーのジャケット」
「あー知ってる、それ。真嶋さんのヘアメイクが評判を呼んだヤツで、ポスターにもなったのだろ? 優花んちのリビングにも貼ってあったよな。……っていうかそれ、ヤバくね?」
さすがは健吾、早くも察したか。できれば当時の僕たちのところにいて欲しかった。
「そーなんだよね。今ならわかるんだけど。その頃の僕はまだ苦労が足りなかったんだよ」
それは僕が気に入った、拓巳くんの写真集の一ページ。光沢のあるそのロングジャケットのデザインが、いわゆる十九世紀ヨーロッパの貴族みたいでカッコよかったのだ。
拓巳くんは多分、どのお母さん姿にするかの参考にしようと思って聞いたんだろうけど、思いもかけずリクエストされたので、期待に応えようとそっくりに装い、現に六歳の僕は無邪気に大喜びした。
「で、学校に行ったら周囲の目線がもう、痛いのなんの。保護者のメール情報であっという間にマスコミにバレて大騒ぎ。マネージャーの沖田さんが慌てて飛んできて拓巳くんを匿って、その後、学校からは出入り禁止を食らったの」
「だよなー! うちの学校ってアタマ固そうだし! 何だってそんな無防備なことを……」
健吾が額を押さえた。まったくだ。
「拓巳くんのことだから、学校の保護者世代なら、自分のファンとはカンケーねーじゃん、くらいに思ったんじゃないかなぁ。それと、母親姿の時は誰も気がつかなかったし、世間は広いんだから、まぁ大丈夫だろって」
「んな、ばかな」
いや、拓巳くんなら十分あり得る。たかがロック歌手ごとき、そう騒がれるハズもあるまい、とか思っていたんだろう。
でもきっと、一番の理由は僕のため。僕のリクエストはゼッタイ叶えたい。僕に関する限り、あの人の行動は常に暴走気味だ。せめて沖田さんが警戒して、拓巳くんを見張っててくれたらよかったんだけど、女装姿のカンペキさをある意味信頼していた沖田さんは、まさかそんな姿で行くとは思わず油断したらしい。
以来、痛い目を見た拓巳くんは、僕の学校行事に関する保護者としての役目はすべて、母親姿で通すことになる。親の権利がある自分を、問答無用で出入り禁止にした学校側への意地もあるから、親として振る舞うことにこだわったわけだ。
「なるほどなぁ~。拓巳さんなりに、スジ通してるんだな。それでもなぁ……」
わかってくれるか健吾。
「僕もね、女装姿の拓巳くんを見るのが嫌だ、とか言ってるんじゃないんだよ。ただ、仕方ないとはいえ周りを騙してるって思うと、スッキリできないんだ」
「そうだよなぁ」
「でも、そもそもの発端が僕だし……」
「あー、あれね、幼稚園のお迎え事件」
それは僕が幼稚園に入ったときの出来事だ。
そこで初めて、僕は送り迎えなるものを日々体験することになった。来るときはバラバラだけど、帰りは一斉にお迎えが来る。大半の子はお母さん。みんなキャーキャーいいながら、お母さんのところに走っていく。
僕は違う。僕の迎えは拓巳くんのスタッフ、大抵はマネージャーの沖田さん。
一ヶ月が過ぎる頃、帰りの車の中でとうとう僕はこらえきれずに泣いた。沖田さんから連絡を受け、仕事を中断して待っていた拓巳くんにわけを尋ねられた僕は、つい言ってしまった。
「僕も、ちょっとでいいからお母さんがお迎えに来てくれたらいいのに。どうして僕はお母さんに会えないのかなぁ……」
――ああ、無邪気で残酷な僕。許してスタッフの皆さん。
「しょーがねーよ。俺が和巳だったって、きっと同じこと言ったと思うぜ?」
健吾の慰めが胸に染みる。しかし今となっては取り返しもつかない。
その言葉を聞いた拓巳くんは、しばらく仕事をボイコットした。自分が送迎すると言い張って、時間的にも立場的にも無理、と反対するスタッフやメンバーと揉めたからだ。当時、売り出し中のCDや写真集がことごとくヒットしてた〈T-ショック〉のメンバーは、お忍びもままならぬ状態だった。ましてやボーカルの拓巳くんじゃ……。
みんなの様子に恐れをなした僕が「もうヘイキ」とか言いながら慌てて幼稚園に通っても、拓巳くんは納得しない。それが、自分の言葉のせいで、なんだかケンアクな様子になっていくスタッフやメンバーの皆さんと拓巳くんの姿を目にした、最初の記憶になったんだっけ……。
「おい、遠い目をしてるゾ」
「ああ、ごめんごめん」
つい、その後に起こるあれやこれやのスリリングな出来事の数々を思い出してしまった。
そしてボイコットすること三日、いよいよ仕事への支障が無視できなくなってきた頃、ついに拓巳くんは思いつく。
「そうだっ。いい手があるじゃんか!」
そして、半ばスタッフを脅しつけて強引に手伝わせ、超セレブママの姿に変身した拓巳くんが、お迎えを待つ僕の前に現れた!
時に拓巳くん、二十歳。そのハンパでない美貌がすでに世間に認められていた頃。
どうやらモデル仲間から伝授されたらしき、カンペキなウォーキングで拓巳くんはサクサク歩み寄ると、腰に手をあててこう言った。
「さぁ、お母さんが迎えに来たゾ」
……まだ四歳前の僕でもブッ飛んだっつーの。
「なのに、あんまりキレイだったから、つい喜んじゃったんだよな」
健吾の言葉に僕は頭を垂れた。
まさにそのとおりだ。拓巳くんのあまりに華やかで美しい姿が憧れのお母さんの姿に重なって、つい、
「きれい」
とか言っちゃったんだよね。
周りの子はうらやましがるし、先生はかしこまって挨拶してるし、なんだか得意になってきて、誘われるままにご飯まで食べに行っちゃった。つまり、今につながる行動パターンの基本がここにある。
母親姿が見破られなかったことで自信をつけた拓巳くんと、彼の素性がバレなくて一応安心した仕事仲間の皆さんは、話し合いの末、お互い妥協した。拓巳くんは回数を限定し、幼稚園に関わるときは母親姿であること。スタッフとメンバーはそれを支え、協力すること。それが今日に至るまで続いている。
「なんか、聞けば聞くほど拓巳さんの意思を変えるなんて不可能な気がしてきたな」
ベンチに片膝を立てながら健吾が言った。
「おまえのこと、ホントに大事に思ってんだな、拓巳さん」
それはわかっている。だからこその悩みなのだ。
「和巳への執着心がフッ飛ぶような出来事でもあれば少しは違うかもな。なんかない?」
「スタッフの皆さんが総力を上げて色々考えてくれたけど、今のところ連戦連敗」
健吾が思いつくくらいだから、当然みんなも考えたのだ。
「そっかぁ~。じゃ、今年残り一回、来年は三回、ラストを飾るのが卒業式。……頑張って乗り越えていくしかないよなっ」
励ましになってないぞ、健吾。
「そんなに悲観するなって。今までやってこれたんだから、なんとかなるさ」
健吾の手のひらが僕の肩をたたく。近くで鳴くカラスの声が、僕の胸にむなしい響きを残した。
――もうまもなく、僕自身もフッ飛ぶような出来事が次々起こることを、このときの僕はまだ知るよしもなかった――。




