第7話 貴族の少年と友達になりました
「あ~、一応致命傷になる攻撃が決まりそうになったら俺が割り込んで止めてやるけどあんまり無茶するんじゃねえぞ?」
グレゴールが呆れ顔で睨み合う二人に忠告する。
もしかしたら止められるかもしれないとアンナは思っていたが子供同士の喧嘩に口出しする気はないようだ。
三人は村を出て、紅茶の売上げのお陰で綺麗に整備された道、通称ダリア街道から少し離れた高原に来ていた。
ここならば魔法を放とうと剣を振り回そうと回りに迷惑はかからない。
「あなたが謝ってくれたらすぐにでも止めますよ」
「ふん、泣いて謝るのはお前の方だ」
「ま、これはこれで面白いか。一度本気でぶつかり合った方が後々上手く行くって言うしな」
完全に二人の世界に入り込んでいるのを見て、逆に面白くなってきたのかグレゴールはニヤリと笑う。
「後から言い訳されても嫌だから最初に言っといてやる。俺は刃壊流を使えるぜ?」
(刃壊流……。どこかで聞いた名前ですね。確かレイラが教えてくれた対魔剣術の一つですね)
この世界で魔法使いと呼べる存在は全体の三割程度だと言われている。
その中でも強力な魔法使いは戦争でも活躍するし重宝されるが、当然魔法がろくに扱えない人々も戦場には出される。
ならそんな彼らがどうやって魔法使いに対抗するのか、その答えの一つが対魔剣術である。
そもそもこの世界には主流と言われる三つの剣術の流派がある。
刃壊流、水繃流、極帝流の三つがそれなのだが、このうち魔法の打ち消しを得意とすると刃壊流、受け流しを得意とする水繃流の二つが対魔剣術と呼ばれている。
いくら強力な魔法が使えても対魔剣術に対処できないとあっさり負けるのだとレイラは教えてくれた。
(だとしたら初見のボクには厄介な相手ですが……今更引く気もありません!)
アンナは無言で少年を睨み、戦意を示した。
「ふん、なら身の程を教えてやるよ」
少年が剣を抜き構えた。
昨日アンナが破壊したものより、幾分安っぽい代物だが、凶器であることには変わりは無い。
アンナは覚悟を決め精神を集中させる。
「んじゃぁ、さっさと終わらせて仲直りしろよ。ほい――始め!」
若干気の抜けたグレゴールの合図と共に、アンナと少年の戦いが始まった。
「おしっ! 今こそ俺の本当の力を見せてや――」
先手必勝とばかりに、少年がアンナに向かって踏み込もうとした瞬間――彼の前方で爆発が起こった。
「――ふべっ!!」
直撃こそしてないものの爆風に煽られ、少年は顔面から地面に突っ伏すした。
「――ほう、今のは第三階梯合成魔法の『トゥリアフレイム』か。まさか第三階梯を無詠唱・無宣言で発動できるとはなぁ」
「ぐっ……、不意打ちとは卑怯だぞ!」
グレゴールは驚愕した後苦笑いを浮かべ、少年は顔を真っ赤にして怒っている。
「ちゃんと開始の合図の後に発動しました。悪いのは油断したあなたです」
「ぐ……」
あまりの正論に少年は押し黙る。
「なら今度は油断しない!」
だが少年の闘志はまったく衰えておらず、それどころかより一層燃え上がっていた。
次は本当の戦いになる。アンナはそう直感した。
「行くぞ――!」
二人が動いたのは同時だった。
アンナが無詠唱・無宣言で発動させたのは先ほどと同じ『トゥリアフレイム』。
少年の前方に三つの火の玉が出現し、それが融合し小規模な爆発が起こる――
「刃壊流破魔の型――魔刄!!」
――その直前に少年は上段に構えた剣を火球に振り下ろし斬り裂いた。
「発動前の魔法を斬った!?」
通常魔法という現象は発動してしまえば物理法則に従うのだが、発動するまでは魔力という不確定な存在であり物理的影響を受けない。
しかし、それを可能にするのが刃壊流。
少年は切り裂かれた火の粉を浴びつつも、最初の勢いのままアンナに肉薄する。
「『ダブルアクセル』!」
アンナは物体の一定の方向に加速させる無属性基礎魔法『アクセル』の二重掛け、第二階梯合成魔法『ダブルアクセル』を宣言し自分にかけた。
少年の剣が届く刹那、アンナは魔法の効果により自身の身体能力を大きく越えた速度と距離で後ろに跳び、それを回避し――
「――わぷっ!!」
自分の身体能力を大きく超えた動きのせいで着地に失敗し派手に転んだ。
「ははははは、良い動きしたと思ったらそれか! ユーモアがわかってるじゃねえか嬢ちゃん」
あまりに間抜けな光景を見せてしまったアンナは内心恥ずかしくて死にそうになったが、生憎とそんなことに時間を使う余裕はなかった。
「体裁きは完全に素人だな! だからって手加減はしないぞ!」
アンナの滑稽な姿にも気を緩めることなく、距離を詰めてくる少年。
『ダブルアクセル』により開いた距離は一気になくなり、倒れたままのアンナに剣先が迫る。
「――っ! 『ウインドシールド』」
風の盾によりその剣閃を逸らし回避に成功するが、空振った勢いのまま体を一回転させ横凪を繰り出す少年。
「『アースシールド』!」
アンナの足下の土が盛り上がり壁を形成する。
「甘い!!」
少年は土の壁を物ともせず斬り裂くが、同時に発動していた『アクセル』のお陰で距離を取ることに成功するアンナ。
「充ち満ちよ
生を潤す至高の雫
その甘露に与るは僅か一欠片の民なれど
我は其の荷を授かりし幸福者
ああ素晴らしきこの刹那
かくも尊きこの刹那
朽ちる事なく咲き誇れ――
第三階梯合成魔法『エア・エッジ』」
そして繰り出すは風の刃。
敢えて詠唱を行う事で精度を上げ、しっかりと魔法の発動位置を計算する。
狙いは昨日と同じく少年の剣。
詠唱を終え、放たれたその魔法は――
「狙いがバレバレだ! ――魔刄!!」
少年の剣技によって不発に終わり彼の髪を僅かに揺らすに止まった。
(またですか……)
やはり魔法は完全に打ち消されてしまう。
これが刃壊流、魔法の打ち消しを得意とする剣士の戦い方である。
「これでわかっただろ! お前の魔法は通じないんだよ!」
そう、確かに攻撃魔法が打ち消される以上、アンナに攻撃の手段はない。
このまま逃げ続けることは出来るかもしれないが、魔力が尽きてしまえばそこまでだ。
(――いえ、でも本当に通じないんでしょうか?)
盾系魔法と『アクセル』を駆使し、少年の攻撃を紙一重で躱しながらアンナは考える。
先に発動させた二つの第三階梯合成魔法は確かに不発に終わったが、完全に何も起きなかったわけではない。
一度目は火の粉が残り、二度目は少年の髪を揺らす程度の風が吹いた。
それはあたかも基礎魔法を発動した時のような微々たる威力で――
(基礎魔法……そうか!!)
「充ち満ちよ
生を潤す至高の雫――」
「何度やっても同じだ!!」
通じないと分かっているはずの第三階梯合成魔法の詠唱を始めるアンナ。
詠唱を終えるだけの距離は稼いでいたため、少年は発動を阻止することはできない。
しかし、それでは今までと何も変わらない。
少年には魔法を打ち消す力があるのだから。
「第三階梯合成魔法『トゥリアフレイム』!!」
「魔刄!!」
――今回も打ち勝ったのは少年の剣技。
当然の結果に喜びを浮かべることも無く火の粉を浴びながら少年が進む。
しかしアンナは確信を得てほくそ笑んだ。
(やっぱり、彼は魔法を打ち消したんじゃない。合成を阻止したんだ)
『トゥリアフレイム』は火属性基礎魔法『フレイム』の三つを合成し、目視した特定の場所に火の玉を出現させ爆発させる魔法である。
それが発動せず『フレイム』程度の弱い火の粉を出すに止まったと言うことはすなわち魔法の合成が妨害されたということだ。
それはつまり合成魔法が物理現象になる前に阻止しているということであり――魔法の発動が完全に完了して物理現象となった後では打ち消すことができないということである。
「『エアショット』!」
第二階梯合成魔法『エアショット』。
風属性基礎魔法『ウインド』と無属性基礎魔法『アクセル』の合成魔法であり、その特性は『アクセル』により指向性を持ち速度を上乗せされ突風となった『ウインド』を相手にぶつけることにある。
つまり、相手に着弾する時には完全に物理現象となっているのだ。
「ほう、三度見ただけで対処法を思いつくとは、ほんと恐ろしい嬢ちゃんだな。だが――」
「その程度の対策くらいあるに決まってるだろ!」
グレゴールの言葉を少年が続けた。
少年の剣が淡い光を放つ。
半身となり剣を地面と水平に構え――突きを放った。
「刃壊流攻の型――豪槌!」
アンナの魔法と少年の剣技が衝突する。
『豪槌』――自らの剣の先に魔力を満たし、突きと同時に解放し、衝撃波を生み出す技。
魔法使いは通常、魔力を何か別の力、或いは物体に変換して使う。
それに対して少年が行ったのは魔量の純粋なエネルギー化であり、そのエネルギーを纏った剣を突き出す事で衝撃を生み出したのだ。
込めた魔力の分だけ威力を増すその技は、当然個人の技量や武器の善し悪しで上限が決まってしまうが第二、第三階梯程度の魔法を打ち破るのには充分である。
そしてこの技は単に物理現象となった魔法を打ち破るだけの技ではない。
「まだまだああああああ」
突風を食い破った衝撃なおも消えず、少年と一体となってアンナへ突進する。
攻防一体の剣技、それが『豪槌』である。
「『エアショット』!」
向かってくる少年に再び魔法を放つアンナ。
それさえも『豪槌』の衝撃によりかき消されるが、勢いを殺すことには成功する。
しかし――
「これで終わりだ!!」
アンナと少年の距離は埋まり、今や完全に剣士である少年の間合い。
加えて少年が繰り出すは破魔の型『魔刄』。
今から魔法を使ってもそれは少年の剣技で無効化されてしまう。
グレゴールもこれで決まりだと判断し少年を止めに入ろうとするが――少年が剣を振り下ろすその間際、突風が少年を襲い彼の体は真横に吹っ飛んだ。
「……ぐっ……何しやがった……」
受け身も取れず地面を転がった少年が呻きながらアンナを見た。
「忘れたんですか? 私は無詠唱・無宣言で魔法を発動できるんですよ?」
アンナがしたことは単純である。
敢えて『エアショット』を宣言して使うことで、相手の注意を引き、同時に本命の攻撃を無詠唱・無宣言で発動していたのだ。
「基本的に魔法は目視した場所でしか発動しないので、ちゃんと目線を追われていたなら避けられたかもしれませんが」
「また俺が油断したって言いたいのかよ……」
アンナは少年の問いに無言の肯定を示した。
少年お顔が悔しさに歪む。
「あ~……、残念だがこれは若の負け……だな」
吹っ飛ばされた拍子に少年は剣を手放しており、それを拾う前にアンナの魔法の餌食になるであろうことは誰が見ても明らかだった。
まさか本当に女の子に負けるとは思ってなかったのだろう。
若干気まずそうに少年に声をかけるグレゴール。
「……俺はまだ負けてない。謝るつもりはない」
しかし意地になってしまったのか少年はこの結果を認めなかった。
「別にボクはいいですよ。このまま続けても」
「続けるに決まってるだろ! すぐにぶった斬って――ぐはっああああ」
言い終わる前にアンナのエアショットが直撃し再び少年が吹っ飛ぶ。
「まだまだ――ぐほっ――」
それでも少年は負けを認めず三度宙を舞った。
「……なんていうか……まぁ程々にしとけよ」
一応致命的な怪我をしない程度にはアンナが手加減していることがわかっているグレゴールはワンサイドゲームとなった二人の戦いを黙って見守るのであった。
それから数刻。
斜陽の光でオレンジ色に染まる草原に相変わらず三つの長い影があった。
「――ぐああああああああ」
都合何度目かもわからない少年の絶叫が響く。
あれから何度か少年は剣を手にする機会があったのだが、それでもアンナに勝つことはできず全敗していた。
少年も完全にやられっぱなしというわけではなく、無詠唱・無宣言による不意打ちを防ぐため、アンナの視線に注意を向けて戦うなど工夫は凝らしたのだが、目線によるフェイントを入れられたりしてあっけなくあしらわれてしまっていた。
「……はぁ……はぁ……はぁ…………いい加減、負けを認めたらどうですか?」
「……はぁはぁはぁ……いやだね……俺はまだ……負けてない……」
しかしアンナに誤算があったとすれば、少年の異常なまでの根性だろう。
確かに全勝のアンナだったが、何度打ちのめしても立ち上がってくる少年を倒すためかなり魔法を連発してしまっていた。
「お前こそ……そろそろ魔力がヤバいんじゃねえか?」
少年の言うとおり、先ほど彼を吹っ飛ばした分で恐らく限界だろう。
これ以上は魔力切れで倒れてしまう。
「……はぁ……はぁ……そっちこそ……もう剣は使えませんよ」
少年もまた満身創痍だった。
何度も地面を転がってあちこち打撲を負い、おまけに剣は昨日と同じく真っ二つにされており使い物にならない。
それでも両者は一歩も引くつもりはなかった。
結果――
「ふざへんにゃこのれいてちゅまじょ――」
「そっひほひょ、こにょわからふひゃ――」
最後は互いの頬をつねったり、髪の引っ張り合いをしたり、ひっかいたり噛みついたりと、それはもう見事なまでの子供の喧嘩となった。
「そんなにレイラに謝るのが嫌なんですか!!」
「うるさい! なんで俺が獣人の、しかも忌み子なんかに謝らなくちゃいけないんだ!!」
「獣人だとか、忌み子だとかは関係ありません!!」
「ある! 俺の父さんも母さんもみんな言ってるんだ!! 亜人は賎しい存在だって!!」
「じゃああなたはちゃんとその目で確かめたんですか!? 自分の目で見て、耳で聞いて、口で話して、ちゃんとそれが正しい意見だと確かめたんですか!?」
「でもみんな言ってんだよ!」
「ボクは知ってますレイラが優しい子であることを。ボクたちと同じように喜び、悲しみ、愛することを知っている存在であることを! それをあなたはただ周りの人が言ったというだけの根拠で否定して……」
「だからそれは――! ……って、おい泣くなよ」
「え?」
少年に指摘されて初めて頬を伝う温かい雫に気がついた。
(あれ? ボクなんで……)
ここまで感情を高ぶらせたのはアンナにとって初めての経験だった。
それゆえにあふれ出る感情を制御出来ず知らぬ間に涙が流れていたようだ。
「――これはちょっと興奮しただけです! それより――」
「……もういい」
泣き顔を見られてしまい顔を真っ赤にしながらも続きをしようとするアンナだったが、少年の方は不機嫌そうにしながらも戦う意思を見せなかった。
いや、不機嫌というよりはとても気まずい表情。好きな女の子にちょっかいをかけて、相手もそれに反応して構ってもらえるものだから調子に乗っていたら最終的に泣かせてしまい後悔する、という思春期男子あるあるを経験したときの顔だった。
「わ……悪かった悪かった。俺の負けだ」
「はぁ!? 何なんですか突然態度を変えて! まだ喧嘩は終わってませんよ!」
「だから泣くなって……」
「なっ――泣いてません!」
仕方ないのだ。感情が高ぶって勝手に溢れ出てくるのだから。
別に少年にやられて泣いたわけでは無いのに、素直に謝られてしまったら本当に少年に泣かされたみたいになってしまうではないか。
「まだ喧嘩は終わってません! 続きをやります!!」
「だからもう謝っただろ」
「ボクに謝ったって意味がありません! 直接レイラに謝ってください! でなければ喧嘩の続きです!」
どうして急に殊勝なことを言い始めたの理由がわからず、先ほどまでとは逆転してアンナの方が喧嘩を吹っかけていくスタイルになってしまう。
「……何で俺がそこまでしなきゃいけねえんだよ」
「なら喧嘩です!」
「ああ、もうわかったよ! そのレイラってやつを自分で見て……それでお前の言うとおりだってわかったら……その時は謝ってやる。それでいいだろ!」
「なぜそんなに聞き分けがいいんですか!? 嫌です! ボクは負けてません!!」
求めていた条件を呑んでもらえたのにアンナの方が駄々をこねていた。
「男ってのは女の涙にはどうやっても勝てねえもんなんだよアンナちゃん」
「女の涙!?」
グレゴールが答えを与えてくれたが、その答えはとても受け入れることのできないものだった。
「そっ、そんなもので意見を変えるなんてありえません!」
「ま、女の子には理解しづらい感情だからな」
理解ならちゃんとしている。
自分だって女の子に泣かれたら180度意見を変えてしまう自信がある。
(でも違うんです! 少年が屈したのは女の子ではなく男の涙なんですよ――!!)
思わず叫びたくなるのをアンナは必死に我慢した。
今日は散々な日である。
(でも結果だけ見れば少年もちゃんと謝ってくれるみたいですし、昨日の復讐をされる心配ももう無さそうですし……これでよかったんですかね?)
一通り騒いだあと冷静さを取り戻したアンナはそう思った。
泣いたせいで相手に情けをかけられたというのはアンナの男心に傷を付けたが、これ以上だれも傷つかないのだからここは涙を呑んで受け入れるべきなのだろう。
つまりこれにて一件落着である。
「はぁ……今日は疲れました」
安全が確保されたとわかるや、どっと疲れが押し寄せてきてアンナは地面にへたり込んだ。
自分の姿を見てみるとあちこち擦り傷だらけで、髪もぼさぼさ。服にも土が付いており酷い有様だ。
帰ったらきっと両親にいろいろ言われてしまうこと必死である。
(……でも何故でしょう。とてもすっきりした気分です)
込み上げてくる感情は決して不快なものではなかった。
いや、むしろ……。
「ぷっ……あははっ――」
アンナは笑い出していた
喧嘩なんて前世の子供の頃ですら経験しなかったし、ましてや精神的には大人になった自分がこんな子供っぽいことをしていたのかと思うとあまりに滑稽だ。
でもこれは少年ならだれしも多かれ少なかれ経験すること。
自分はようやく普通の少年になれたんだ。
アンナはその事実にとても心満たされる思いだった。
「……おいグレゴール。こいつおかしくなったぞ」
そんなアンナの心情など知るよしもない少年が引いていた。
「あははっ……ごめんなさい。ボク喧嘩なんて初めてだったから何かおかしくなっちゃって」
「初めてだと? ……その割にはノリノリで俺を吹っ飛ばしてくれたみたいだが?」
「それは……だって相手が何度倒しても蘇る、ゾンビみたいな人でしたから」
「酷えな、魔物扱いかよ……」
いつの間にか少年とも普通に話せるようになっていた。
これが喧嘩の後に結ばれるという漢の友情なのかもしれない。
今度は二人揃って笑い出した。
「アドルフだ」
「え?」
ひとしきり笑い合った後、少年は唐突に名を告げた。
「訳あって家名は明かせないけど、名前の方は嘘じゃねえから」
そういえば、それと臭わせる発言はしていたが、一度も彼は自分が貴族であると言ったことはなかったなとアンナは思った。
アンナは知らないことではあるが、少年――アドルフの服装は高級ではあるが貴族が着るものではない。
むしろ上級の冒険者などが持つような実用的な服である。
彼らは何らかの理由で身分を隠してここに滞在しているようだ。
「アンナです。アンナ・ブリューム」
しかしアンナは気にせず、アドルフに手を差し出した。
家柄とか身分とかは関係ない。
アドルフは初めて感情をぶつけ合った相手なのだ。
だから――、
「もしよければ、ボクとお友達になってください」
その言葉は自然とアンナの口から出てきた。
迂闊に交友関係を広めるのは危険なのかもしれないが、こうやって真正面からぶつかった相手とこれっきりになるのはあまりに惜しい気がしたのだ。
そしてその思いは、別の秘密を持っているであろうアドルフも同じだったのだろう。
「ああ、よろしくな。アンナ!」
二人は手を取り合った。
それを見てグレゴールも満足そうにニヤリと笑う。
「雨降って地固まるってな。ダチもできたことだち、そろそろ帰るか~」
アンナは最後の力を振り絞ってグレゴールにエアショットを放った。
++++++
「は~、せっかくこの俺が直々に鍛えやってるのに、ボコボコにやられちまうなんてショックがでかいよなぁ。しかも同年代の女の子相手だぜ? その上最後は剣を捨てて魔力切れの女の子相手に噛みつくわひっかくわだもんなぁ」
コルト村の一般宿にてグレゴールは独りごちていた。
いや、正確にはもう一人の宿泊人に聞こえるよう、わざとボリュームを上げてしゃべっているのだ。
アンナを家に送ったあと、アドルフに待っていたのはグレゴールの小言だった。
「ぐぬぬ…………」
批判の対象であるアドルフはしかしグレゴールの嫌みに言い返すことができないでいた。
戦いに完敗したのも事実なら、負けを認めず自棄になって女の子に掴みかかったのも事実だからだ。
相手を先に泣かせたという意味ではアドルフの勝ちなのかもしれないが、それは男として何の自慢にもならない。
「とは言えあの嬢ちゃんに関しては俺も驚かされたけどな。あの年であれは規格外だわ」
「……あいつは一切俺の剣を恐れていなかった」
「流石、我が国始まって以来の天才。ちゃんと本質を見抜いてるな」
「……茶化すなよ。本当に天才だったらあんな一方的にやられたりしてねえよ」
「ま、そう思えるってことは一つの成長だ」
思った以上に反省しているのを確認し、グレゴールの語り口は少し真面目なものになる。
「若が言った通り、あの嬢ちゃんが異常なところは間近に剣が迫ってきても一切心を乱さないところだ。それこそ戦場に出ればそれだけの覚悟を持った猛者は五万といるが、それはいくつもの死線をくぐり抜けやっと辿り着く境地だ。間違っても10歳そこらの子供が至れるものじゃねえ。そしてその冷静さは魔法使いにとって最強の武器となる。魔法の発動速度と精度は精神状態に大きく左右されるからな。自分を切り裂く刃が目前に迫っているその瞬間でさえ冷静に次の一手を打てる精神力は些細な経験不足など補って余りあるってわけだ」
「それはあいつの才能なのか?」
「さあねぇ。もしかしたら生まれつきそういう性質なのかもしれねえし、案外死を受け入れるような何かを経験しているのかもしれねえ」
「そこを埋められたら俺はあいつに勝てるのか?」
「ああ。若と嬢ちゃんの差はそこだけだ。魔法と剣術、分野の違いはあれど技量と経験は若の方が上だ」
「なら明日からはその特訓だ! 俺があいつと――いや、あいつ以上の精神力を身につけるよう殺す気で鍛えてくれ!」
「言われなくてもそのつもりだ」
闘争心に燃えるアドルフを見てにやりと笑うグレゴール。
(これは思わぬ収穫だったな)
天賦の才を持つ主人は、その才能と出自ゆえに少々思い上がっている嫌いがあり、その影響か相手を気遣うということが下手だった。
ただ本質的には善良な男の子であることは知っていたので、今回の出来事を利用して他人との接し方を学んでくれればと考えていた。
だが結果はグレゴールの考えていた以上のものだった。
(まさかあの若が自分の意見をねじ曲げるとはな。しかも女の子の涙を見て)
短くない時間を共に過ごしてきたグレゴールにとってアドルフの行動は驚愕に値した。
(それほどあの嬢ちゃんを気に入ったってことか。まったく若いってのはいいねぇ)
その変化は喜ばしいものである。
もっともっと多くを学び、そして変わっていって欲しい。
口には出さないがグレゴールの切なる願いだった。
軽薄な態度とは裏腹に彼は誰よりもアドルフのことを考えているのだ。
だが一方で、
「ところで若。流石に名前を明かすのは拙かったんじゃねえか?」
グレゴールは絶好のおもちゃを見つけたと言わんばかりのにやけ顔でアドルフの脇腹を小突いた。
「いいだろ別に。アドルフなんてありふれた名前のやつなんていっぱいいるんだから。それにお前とは違って有名でもねえし」
「くくっ、まぁ男心としては好きな女の子には名前で呼んで欲しいもんな」
「――なっ、すすす好きだと!? そんなわけないだろ!」
「照れるな照れるな。女も剣術と同じで真摯に向き合わねえと振り向いてくれねえぞ?」
「だっ、だから違うと言ってるだろ! あいつはあくまでその……友達だ!!」
必死に否定するが顔を真っ赤にしたアドルフの言葉に説得力は無かった。
グレゴールは主に訪れた春を喜びつつ、酒の肴にしてますます彼を煽り楽しむのであった。