第6話 貴族の少年は嫌なやつです
「みんなで逃げしましょ!」
ブリューム家の食卓では緊急家族会議が開かれていた。
議題は今後の家族の行く末という限りなく重い内容のものである。
だが、それも仕方の無いことだった。先ほどまでこの家には貴族の少年とその従者と思われる男が来ていた。
従者の男は身長は190センチを優に超えているであろう顎髭を蓄えた壮年の大男で、筋骨隆々というわけではないが、かなり鍛え込まれた機能的調和を感じさせる体をしていて、もしや少年の代わりにこのおじさまと戦うことになるのではとアンナを戦慄させた。
だがどうやら相手には少なくともその場で報復する意思はなかったようで、『アンナが明日一日少年と行動を共にする』ことを条件として、その日は大人しく帰って行った。
急な出来事でヨハンもエーリカも錯乱していたため、その場ではただ頷くことしかできなかった。
だが冷静になって考えてみれば大事な一人娘(♂)を貴族の少年と二人きり(+従者)にするなど正気の沙汰ではない。
「きっと彼らはアンナの可愛さにやられてしまった哀れな子羊たちに違いない! のこのこ付いていったら純血が奪われるのは確実だよ」
「アンナ、男の人は飢えた獣なの、食べられちゃうのよ? ママがいつもやってるのとは違って性的な意味で! 賢いアンナならわかるでしょ?」
間違いなくアンナの体が目当てだと考えた二人は猛烈に反対した。
「そうですアンナ様! これは罠です。やつらに捕まればアンナ様はやつらの×××を○○○されて、さらにはアンナ様の汚れ無き∇∇∇を×××で――」
その二人にも増して過激なのはレイラだった。
「おっ――女の子がそんな言葉を言っちゃ駄目です!! というかそんな言葉どこで覚えてきたんですか!」
男であるアンナの方が赤面してしまうほどの言葉を次々と放ちアンナに翻意を促そうと必死である。
普段寡黙でクール美人なレイラからあられもない単語が出てくるのはアンナにとってかなりショックな光景であった。
「というか三人とも!! ボクは男なんですからそんな心配はいりません!!」
アンナは顔を真っ赤にして根本的な問題を指摘した。
そう、自分は男なのだ。
仮に少年にその気があったとしても、そのような行為に及ぼうとすれば間違いなく性別はバレてしまう。
それはそれで別の問題が発生するのだが、少なくとも3人が心配するようなことにはならない。
(そもそもいくら髪を伸ばして女の子の服を着てるからって、男のボクが男性に好かれるなんてことあるわけないじゃないですか。お父様もお母様も自分の子供だからって過大評価し過ぎですよ。レイラはレイラでボクを心配するあまり暴走してますし……まったくもう!)
心の中でぷりぷり怒るアンナ。
「「「甘すぎ(るよ)(るわ)(ます)!!」」」
だが3人はアンナの意見を真っ向から否定した。
やれアンナは女の子よりも女の子らしいとか、自分が男だったら性別がわかったとしてもやれるだとか、アンナにとってはショックな反論を浴びまくって涙目である。
アンナは鬼気迫る三人の言葉に不本意ながらも頷かざるを得なかった。
「でも……まかり間違ってもないとは思いますが、もし万が一その危険があるとしてもやはり逃げるのはやめたほうがいいと思います」
理由は少年に付いていた従者の存在だ。
アンナには武術の心得など無いが、彼がただ者ではないことは立ち姿を見ただけで伝わってきた。
下手な動きを見せれば、その兆候を見せた瞬間に彼に切り伏せられる。
そう思ってしまうほどのプレッシャーを感じた。
それはレイラも同じだったようで真っ先に主人の前に立ち、守ろうとするはずの彼女をして、一歩も動かせなかったのだ。
「そんな人から逃げ切れると思えませんし、わざわざ条件をだしてきたんですからすぐにボクをどうこうすることはないはずです……と思いたいです」
結局ヨハンとエーリカは納得しなかったが、貴族に目を付けられた時点で二人に打てる手などなく、渋々認めることとなった。
レイラだけは最後までアンナと同伴、或いはこっそり陰から見守るのだと主張したがあの少年の前にレイラを出すわけにはいかないし、もし隠れているのが従者の男にバレたらどんな事態になるか想像も付かなかったので結局アンナ一人だけで少年の相手をすることとなった。
++++++
「遅いぞ! この俺を待たせるとはいい度胸だな」
「ご……ごめんなさい」
昨夜教えられた少年が止まっているという宿の一室に出向くとアンナは早速咎められてしまった。
「あの……でもまだ10時の鐘はなってませんが……」
コルト村では朝4時から夜10時まで一時間ごとに鐘が鳴らされる。
指定を受けていたのは朝10時頃だったので9時の鐘が鳴った後、自分で3000秒数えてからここに来たのだ。
多少のずれはあるだろうがまだ10分くらいは余裕があるはずである。
「うるさい! 俺が待たされたと思ったんだから待たされたんだよ」
「……はい……ごめんなさい」
非常に理不尽ではあったがここで反発しても損をするのは自分の方である。
釈然としない思いを抱えつつもとりあえずアンナは謝った。
「それで、これから何をするんだ?」
「えっ? 呼ばれたのはボクの方なんですが……」
もしかして何も考えずに呼んだのだろうか?
「そっ……そうだったな。なら何か話せ!」
「何かと言われても……」
こんな状況で何を話せというのか。
少なくともこんな険悪なムードの中話せるような話題をアンナは持ち合わせていない。
困り果てて言葉が出ないアンナと、ぶすっとした顔でアンナが話し出すのを待つ少年。
二人の間になんとも言えない沈黙が流れる。
(なんですかこの空気は……。もしかしてこれが昨日の仕返しなのでしょうか)
まったく相手の思惑が読めず今すぐこの場から逃げ出したい気分になるアンナ。
だが助け船は意外なところからやってきた。
「はぁ……、何やってんだよ若。それじゃ落第だ。ラクダいっぴき落とせやしないぜ」
親父ギャグを言いながら部屋に入ってきたのは、昨日少年の側にいた従者の男だった。
思わず殺意が湧くほどのつまらなさだったが、場の空気は少し緩んだので極刑を下すのは許してあげようとアンナは思った。
「なんだよ、グレゴールが俺一人で出迎えろっていったんだろ」
「出迎えろとは言ったが、喧嘩を売れとは言ってねえだろ。せっかく尋ねてきてくれた女の子に向かってそんな態度じゃ嫌われるぞ?」
「なっ――別にこいつに嫌われたってどうってことねえよ!」
「何言ってんだ。昨日はお嬢ちゃんの話ばかり――」
「あ――あ――!! それ以上余計なことをしゃべるんじゃねえ!!」
(何なんですかこの二人は……)
アンナを完全に置き去りにして揉め始めた二人。
アンナはただ唖然としながらそれを見守るしかできなかった。
(というか、従者のおじさんは昨日とは随分雰囲気が違いますね)
昨日家に来たときは常に隙を見せず、鋭い眼光をこちらに向けてきていた。
それゆえに逃げるのも逆らうのも悪手だとアンナは判断したわけだが、今少年と揉めて(というか一方的にからかって)いる従者の男は気のいいおじさんという感じでまったく怖くない。
アンナはますます自分が呼ばれた理由がわからなくなった。
「そら、若があまりにお子ちゃまだからアンナちゃんが退屈しちまってるじゃねえか」
「こいつの方がチビじゃねえか!」
「はぁ……、そこが子供だって言ってんだよ」
「あの、そろそろボクを呼んだ理由を聞きたいのですが……」
このまま黙っていたらまったく話が進みそうになかったので、仕方なくこちらから聞いてみることに。
「ああ、悪いなアンナちゃん。別に昨日のことでどうこうって話じゃねえんだ。まぁ、なんだ。若の友達ってやつになってやってほしくてな」
「友達……ですか?」
返ってきたのはアンナがまったく想定していなかった内容だった。
(っていうか昨日殺されかけた相手とどうやって仲良くなれと?)
「アンナちゃんの言いたいこともわかるけどよ、若はこの通りの性格だし、事情があって長期間一カ所に留まることができねえから同年代の遊び相手がいないんだわ」
もしかしたらこの二人は主従というより親子の関係に近いのかもしれない。
従者の――グレゴールと呼ばれた男は態度こそ軽薄なものがあるが少年のことを想って行動しているのだということがなんとなくわかった。
昨日脅すような行動に出たのも、こうやってゆっくりアンナと少年が話せるようにと考えてのことなのかもしれない。
(実際お父様とお母様がいる前だったらとてもまともな会話はできそうにありませんからね)
そう考えると先ほどまで二人に感じていた恐怖は消えていった。
もし自分を害する気があるのなら貴族の息子に魔法を放ったというだけで充分な理由になるし、わざわざここで嘘を付く必要もないはずである。
(少年君にはいろいろ思うところはありますが、ここは自分が大人な対応をすべきなのでしょうか……)
ここで変に意地をはって関係を拗らせるよりは形だけでも友好的な関係になっておく方が有益なことは確かである。
「そういうことでしたらボクでよければ――」
とりあえずこちらから歩み寄ってみようと考えるアンナであったが、
「別に俺はお前と友達になりたくなんてねえよ」
ここに一人空気を読まない子供がいた。
グレゴールは額に手を当ててため息をついている。
「そっ……そうですか……。無理にとはいいませんが……」
だがアンナは大人なのだ。見た目はともかく精神年齢はもう20を超えている。
だからカチンときながらも大人な対応をしようとする。
「どうしても友達になりたいってんならまずは下僕からはじめるんだな」
「なっ――」
(なんて生意気な子供ですか!! いいですよ、そっちがその気ならもう知りません!)
「わかりました。ボクは必要とされていないみたいですし帰らせてもらいます。これ以上は時間の無駄みたいですから」
アンナは横柄な少年の態度に、つい挑発的な言葉を投げてしまった。
「ふん、さっさと帰れ! そろそろ忌み子の犬の餌の時間だろ?」
「おい、若……」
売り言葉に買い言葉。
少年は更にムキになり侮辱的な言葉を投げる。
流石にグレゴールが諫めようとするがもう手遅れだった。
「……訂正してください」
「何だと?」
「今すぐさっきの言葉を訂正してください」
レイラを侮辱されアンナは静かに怒っていた。
今の言葉だけではない。昨日からずっと我慢していたのだ。
先ほどまでならば貴族が相手という恐怖心の方が勝っていた。
だがグレゴールとのやりとりを通じて恐怖が薄れた事が逆に災いしてしまいアンナは怒りを表に出してしまった。
「て……訂正しなかったらどうなるってんだよ」
だが少年も引く気は無いようだ。
怒りの目を向けるアンナを睨み返す。
だから当然の帰結として――
「絶対に謝ってもらいます。――力尽くでも」
二人の間に喧嘩が勃発した。