第4話 レイラ先生の魔法教室
忌み子の奴隷レイラがブリューム家にやって来てから数ヶ月が経った。
あの日以来アンナとレイラは徐々に打ち解けていき、最初は身構えていたヨハンとエーリカも少しずつレイラに心を許していった。
しかし今日は、そんな平和な家族にとって一つの試練の日だった。
――いや、正確には、
「本当にいいのかいアンナ。パパやママとしばらく会えなくなるんだよ?」
「そうよアンナ。寂しくなってもすぐには会いに行ってあげられないのよ?」
アンナにお留守番をさせなければいけないというヨハンとエーリカにとっての試練である。
もうすぐ茶葉の収穫の時期が来るため、村長であるヨハンは収穫量の見積もりや茶葉加工の指示、各商人への販売量や値段の決定など様々な仕事大積なのである。
エーリカもまた、村長の妻としてその手伝いをしなければならず、二人はしばらく村の役場に缶詰状態となる予定である。
そこで二人はアンナも一緒に役場へ連れて行こうとしたのだが、そうなるとレイラが家に一人になってしまう。
レイラを奴隷として買ったことは一応村の大人には報告してあるのだが、恐怖の対象である忌み子を連れ歩くのはあまりいい顔をされないしレイラ自身にも嫌な思いをさせてしまう。
そのため家の外に出れないレイラと一緒にアンナはお留守番すると言い張ったのだ。
「お父様もお母様も大げさですよ。レイラがいるんですから、ボクのことは心配せず仕事に打ち込んできてください」
「でもアンナ。お母さんアンナエキスを定期的に摂取しないと干からびてしまうのよ?」
「アンナエキスは有毒性が発見されたので販売停止中です、お母様」
「まぁ! それじゃあ時々記憶が欠けるのもそのせいなの!?」
「えっ!? ボク本当に有毒なんですか!?」
「そうだよアンナ。僕たちはもうアンナ無しでは生きられない体なんだ! 見たまえボクの手を! アンナと会えないと思うと震えが止まらなくなるんだ」
「悪質な依存性も!? ――って、もうこういうやりとりはいいですから、早く仕事に行って下さい!」
二人はなかなかにしつこかった。
レイラ自身に危険がないことは既に二人も納得しているのだが、それとは別にの問題で二人は子離れができていなかった。
アンナはまだ6才の誕生日を迎えようとしている年齢なので一般的に考えれば二人の反応の方が正しいのかもしれないが……。
玄関までは行ったのだが、二人はそこから先になかなか動こうとしない。
流石にこのままでは埒が明かないと思い、アンナは二人の背中を押して無理矢理外に追い出した。
「アンナああああああああああ」
「お願い捨てないでええええええええ」
しばらく扉の前で茶番を続ける二人だったが、やがてアンナに相手にしてもらえないとわかると、とぼとぼと役場の方に歩いて行った。
「や……やっと出かけてくれました……」
まだ朝だというのにアンナはどっと疲れた顔をしていた。
傍らにはレイラが無言で佇んでいる。
家の中は先ほどまでの喧噪が嘘のように静寂が訪れていた。
「いつも騒がしい二人がいないとやっぱり少し寂しいですね」
「はい」
レイラの返事は素っ気ないようにも見えるがこれはいつものことだった。
どうやら無口な性格のようで必要の無いときはあまり自分からしゃべってはくれないのだが、いつもぴったり付いてきてくれるので嫌われているのではないはずだとアンナは前向きに考えている。
「では部屋に戻りましょうか」
アンナが手を差し出すとレイラはその手をそっと握ってくれる。
髪の色は全く違うのだが端から見れば仲の良い姉妹のようである。
(ああ……女の子の手は柔らかくて気持ちいいです)
妹の方は少々邪念に塗れていた。
++++++
「では基礎の復習からいってみましょう」
「はい。レイラ先生!」
レイラが家族に加わった次の日からアンナは魔法の勉強を始めた。
もともと興味があったのもあるのだが、何よりアンナにやる気を出させたのはレイラの存在が大きい。
(レイラの魔力が暴走するようになる前に、なんとか対処法を見つけてあげないといけませんからね)
忌み子の暴走を根本から押さえること、それが現在のアンナの目標となっている。
とは言え最初の取っ掛かりにはかなり苦労した。
ヨハンもエーリカも一応魔法は使えるのだが、二人が使える魔法はこの世界の人ならば誰でも使えるような基礎の基礎のものであり、感覚的に身につけるようなものだったため教えることができなかったのだ。
だが幸運なことに他ならぬレイラの自身が魔法使いとして高い素質を持ち、かつ知識も豊富であった。
二人はベッドの上にちょこんと座り魔法教室を開始した。
「えっと……、魔法の属性には火・水・土・風・雷・光・闇・無の8つがあって人により属性ごとの得手不得手があるんですよね。でも物体を光らせるだけの『ライト』のような基礎魔法ならばどの属性のものでも大抵の人が使えると」
「はい。では基礎魔法以外の魔法はなんというでしょう」
「合成魔法です。基礎魔法を複数並列発動してそれを合成して放つためにそう呼ばれるんですよね」
「そうです。一般的に魔法使いとはその合成魔法を使える人のことを言います」
なので基礎魔法しか使えないヨハンとエーリカは魔法使いではないのである。
更に詳しく言うなら、合成魔法には汎用魔法と固有魔法があるのだが今はそこまで言及しなかった。
そして合成魔法には合成する基礎魔法の数によって名称が決まっている。
二つの基礎魔法を合成した第二階梯合成魔法を始めとして、それ以降は合成する魔法の数が増える順に、
第三階梯合成魔法
第四階梯合成魔法
第五階梯合成魔法
第六階梯合成魔法
第七階梯合成魔法
と呼ばれる。
その中で、第七階梯合成魔法は太古の昔に竜族の長、神竜王メルカルドが使ったと言われており伝説上の魔法だと言われている。
なので実際は第六階梯合成魔法を使える者が最高峰の魔法使いということになる。
「では今日はどの階梯まで使えるのかを調べてみましょう」
一通り復習を終えるとレイラが切り出した。
「何階梯まで使えるかは、同時に何個の基礎魔法を発動できるかで判別できます。一番簡単な基礎魔法『ライト』を使って親指から順に一つずつ明かりを灯していってください。同時に光らせることが出来た指の数がそのまま使用可能な合成魔法の階梯となります」
「なるほど~」
「ちなみに一度にいくつの基礎魔法を並列発動できるかは生まれつき決まっていて生涯増えることも減ることもありません。こればっかりは完全に才能です」
「これで二つ以上光らせられなかったらボクは魔法使いにはなれないということですね……」
緊張した面持ちでゴクリと唾を飲み込むアンナ。
もし才能が無ければレイラを救うという目的が大幅に遠ざかってしまう。
「アンナ様なら問題ありません」
「わかるんですか?」
「わからなくてもわかります。アンナ様ですから」
たまにレイラはよくわからない理屈をこねる。
勇気づけようとしてくれているのはわかるのだが、その自信はどこからくるのだろうか?
「あと様付けはしなくていいと言ってるのですが……」
「そうはいきません。アンナ様ですから」
やっぱりレイラの理屈はよくわからなかった。
「では始めましょうか」
そう言ってレイラはアンナを包み込むように後ろから抱きしめる。
アンナに魔法の実習をさせるときのレイラの定位置である。
最初はアンナに魔力の流れを体感させるという名目でアンナの体に触れながら魔法を発動させて見せたのだが、アンナが基礎魔法を使えるようになってからも何故かレイラはこの体勢を続けていた。
(ああ、女の子の良い匂いです。同じ石鹸を使ってるはずなのにどうしてこうもレイラは良い匂いがするんでしょうか)
もっともアンナ自身も、この状況を堪能しているのでどちらもやめようとは言いださないのであるが。
更に言えば今の体勢は体を密着させるのでアンナの背中にはレイラの感触が直に伝わってくる。
具体的に言えばレイラの胸の感触が。
(これはD以上はありますね)
アンナには女性のカップサイズなどわからないので適当なのだが、とにかく年齢に比べて大きいことはわかる。
(年齢と言えば、これでボクと同じ6歳なのだから驚きです)
中学生と言われても何の疑問も感じない体型なのでてっきりレイラは10代前半だと思っていたのだが、実はアンナと同い年だった。
なんでもこれは獣人族の特徴らしく、人族に比べて1.5~2倍くらいの成長速度なのだそうだ。
この調子ならば恐らく10才前後で大人の体が出来上がるのではないだろうか?
(この習慣がずっと続くといいですね)
魔法の実習をする度にその成長を確かめられるというのは実にすばらしい。
この良き習慣は伝統として受け継がれていくべきだろう。
(いえ、受け継がせる気はありませんが)
ちなみに妄想逞しいアンナであるが、自分からレイラにちょっかいをかけたことはない。
体は6歳児なのでそれこそお風呂に誘えば何も文句を言われることも無く裸を拝めるだろうとは考えているのだが、それを実行する勇気がアンナにはなかった。
なぜならまだレイラに性別のことを明かしてないのだから。
(レイラは初めて親しくなった異性ですから、どうせならレイラの方からボクのあふれ出る男気に気づいて欲しいんです)
などとアンナは自分に言い聞かせて性別を隠しているのだが、本当のところは自分が女装する変態だと思われるのが怖いだけである。
要するにアンナはむっつりでヘタレなのである。
「アンナ様?」
「あっ、ごめんなさい! 『ライト』で指を一本ずつ光らせていくんですよね」
「はい」
逸れていた思考を戻して、自分の右手に魔力を集中させる。
「『ライト』」
一言、アンナが唱えると、まずは親指に光が灯る。
同じ要領で人差し指、中指……薬指にまで順に光を灯していく。
「私と同じ第四階梯ですね」
そこで終わりだと思ったのか、レイラが判定を下した。
平坦な声だったが腰の辺りに振動を感じる。
一緒の階梯なのが嬉しくて尻尾をふっているのかもしれない。
(でも……まだ行ける気がします)
意識を小指に向ける。
アンナの右手の指はすべて光っていた。
「えっ!?」
珍しくレイラが驚きの色を含んだ声を上げた。
今振り向けばレイラの驚く顔を見れるかもしれない。
(でも今は『ライト』に集中しなきゃ……)
まだ行けると踏んだアンナはさらに左手も顔の前に持って行き――そして左小指に光が灯る。
「――っ、第六階梯!?」
顔を見ずとも、表情がわかるほど動揺した声が耳元で響く。
アンナ自身も動揺と興奮で頬を紅潮させる。
(すごい! ボクには最高位の魔法使いの素質があるんだ!)
あともう一つ灯せれば伝説とも言われる第七階梯に届くが、これ以上は無理なのだろうなとアンナは思った。
――いや、正確には七つ目を発動させるのはまずい、という本能のような衝動がアンナに警鐘を鳴らしているように感じられた。
しかし、
(も……もしかしたらできるかもしれないし……)
自分が記憶を保持して転生した存在であるという事実が判断を鈍らせ、アンナは本能の警告を退けた。
左薬指に魔力を集める。
他の指の時より魔力の流れが悪い気がしたが、やがて魔力は指先に集まる。
そのまま左薬指が光るところをイメージしようとした――その瞬間、
「――うぐっ……」
身体の内側、自分を構成するための大切な何かに無数の刃物を突き立てられたような痛みを感じてアンナはうずくまった。
「アンナ様!?」
慌てたレイラの声が聞こえるがそれに応える余裕など無い。
(――っ……とにかく魔法を止めないと――)
体内から押し寄せる痛みに脂汗を流しながら、指先に集まった魔力を拡散させるイメージを伝える。
程なく指先の光は失われ、同時に痛みも引いていった。
「……はぁ、はぁはぁ……」
一瞬で疲労困憊となったアンナはそのままベッドに倒れ込んだ。
どうやら助かったらしい。
「何か身体に異常が――!? ふっ――服をお脱ぎ下さい、というか脱がせます失礼します!」
と思ったら別の意味で助かっていなかった。
気が動転しているレイラは依然アンナが危機的状況にあると思い込んでおり、主人の異常を確かめるべく服を剥ごうとする。
「それはまずいです!!」
抵抗しようとするが体はレイラの方が圧倒的に大きくアンナの腕力ではとても止めることはできなかった。
あっという間に部屋着のワンピースが脱がされ、ドロワーズのみの姿にされてしまう。
「レ……レイラ! もう大丈夫ですから!!」
アンナは必死に抵抗した。
(こ……こんなタイミングで知られるなんて絶対いやです!)
自分から話すならまだしも、男の子の証を見られて発覚では体裁が悪すぎる。
それだけは避けようと必死にドロワーズを手で押さえ、やめてやめてと貞操を守る処女のように懇願するアンナ。
しかし、必死なレイラにアンナの声は届かず遂に最終防衛ラインを突破されてしまい――世界が停止した。
「――――」
レイラの視線はアンナの股間に固定されている。
あるはずのないのもが、何故かあるように見える。
これは目の錯覚だろうか?
ただでさえ混乱していたレイラは更に錯乱し、逆に冷静になり目を閉じて深呼吸をした。
そしてゆっくりと目を開き、再びアンナの股間についているものを確認して――
「……失礼しました」
何事も無かったかのように部屋を退室していった。
「誤解なんですレイラアアアアアアアアア」
アンナの慟哭が部屋に空しく響いた。
その後自分の身の上について嘘偽りなく話したのだが、しばらくの間レイラとまともに顔を合わせられなかったアンナであった。