第3話 売れ残りには獣耳がある
人族最大の信者数を誇るシュトレア教会。
その影響力はアンナの住むエルヴァー王国においても絶大で、ある程度の規模の町になれば必ず教会が建てられている。
アンナたち家族は購入したばかりの奴隷を引き連れ、港町ハベルドの教会に来ていた。
「おやおやヨハン、お久しぶりですな。本日はどのようなご用ですか?」
教会内に足を踏み入れると真っ白な祭服を来た老人が一行を迎えてくれた。
(想像していたより質素ですね)
アンナは煌びやかなステンドグラスや豪華な祭壇のあるものを想像していたのだが、そんなことはなく、例えるなら昔の木造の学校といった感じだった。
「ご無沙汰しております、キリア神父。健康チェックをお願いしにきました。お時間の方は大丈夫でしょうか?」
「ええ、ちょうど人が途切れたところですよ。お嬢さんが風邪でも引かれましたかな?」
「いえ、先ほど奴隷を購入いたしまして、少し訳ありのようですので念のためにと思いまして」
教会がここまで勢力を伸ばしているのには理由がある。
この世界で使われる魔法には 火・水・土・風・雷・光・闇・無の8つの属性があるのだが、その中で治癒や浄化の魔法の多い聖属性を使えるのは教会関係者だけなのである。
自然現象である火・水・土・風・雷とは違い、聖・魔属性は特殊な過程を経ないと習得できないと言われているのだが、悪い言い方をすれば教会はその方法を知っていて独占しているのだ。
そのため信徒でない聖属性を使える魔法使いを教会は暗殺して回っているなどという黒い噂も絶えないのだが、現実問題として治療をしてくれる場所が教会しかなく、治療費も貧しい人でも払える良心的な値段設定なので一般の人々でそのことに不満を持っている人はいない。
かく言うヨハンも幼い頃からキリア神父にはお世話になった経験があり信頼を寄せていた。
「なるほど。それでは診ましょう」
ヨハンが心配したのは購入した奴隷が妙な病気を持っていないかということだった。
売りつけてきた男が特に気にしていなかったのですぐにうつるような病気は持っていないのだろうが用心は必要である。
それに奴隷商に買ってもらえず、ローブで顔を隠しているということは火傷などを負って見せられない顔になっている可能性もある。
そこまでの怪我となると少々値は張るが治療してあげるつもりでいた。せっかく娘が欲しがった子なのだから。
「なんと……これは……」
怪我をしていた場合アンナやエーリカに見せるべきではないと考えたキリア神父は自分の体で奴隷の子供の姿を遮るような格好でローブを脱がせたのだが、素顔をみた瞬間困惑した声を出した。
「どうしました神父」
「……この子は獣人ですな」
「えっ!?」
獣人という単語に機敏に反応するアンナ。
まだ見ぬ他種族の存在に心を躍らせるが、ヨハンの反応は違っていた。
「なるほど、どうりで普通には売れないわけだね」
エルヴァー王国では他種族の奴隷を販売することは禁じられている。
人族の奴隷と違って他種族の場合は無理矢理攫われてくるケースがほとんどだからだ。
事によれば国際問題にまで発展してしまう。
いくら人族の国力が他種族に比べて強大とは言え無用な火種を抱えたくないというのが国王の考えであった。
もっとも隣国のヴィードバッハ帝国ではそんなもの屁でもないとばかりに堂々と他種族の奴隷を売っていたりするのだが。
「残念だけどアンナ、この子はこの子がいた国に返さなくてはいけない。国のきまりだからね」
「そうですか……。いえ、その子がより安全な場所にいけるならそれがいいと思います」
「偉いわアンナ! 替わりの奴隷を10人買ってあげるわね」
「いえ……ですから別に奴隷が欲しかったわけじゃないんですお母様」
話はまとまりかけたのだが、キリア神父はまだ難しい顔をしていた。
「獣人の奴隷は確かに違反なのですが、この子の場合は問題ありません。なぜならこの子は――忌み子なのですから」
「忌み子?」
聞き慣れない単語にアンナは頭に疑問符を浮かべるが、ヨハンとエーリカが身を固くしたのを感じた。
キリア神父がそっと奴隷の子を3人の前に立たせる。
「かっ――可愛い!」
奴隷の素顔を見てアンナは思わず声を上げてしまった。
とても粗末な扱いを受けていたとは思えないほど艶のある黒髪を肩口の辺りまで伸ばした少女がそこにいた。
褐色の肌と真っ赤な燃えるようなの瞳という特徴的な見た目の少女は奴隷商館にいた少女たちとは比べものにならないほど顔立ちが整っている。切れ長の目はまだ幼い年齢であるにも関わらずクールな印象を与えるのだが最大の特徴である犬耳のお陰で可愛さと美しさが絶妙なバランスを保っていた。
自分の方が二回りほど小さいにも関わらずアンナは今すぐ抱きしめたい衝動に駆られた。
「だめよアンナ!! その子に近づいちゃ!!」
だがアンナと両親の認識には大きな隔たりがあった。
「どうしたのですか、お母様?」
普段のエーリカからは想像も出来ない険しい表情を見てアンナは戸惑った。
(い……犬耳がそんなに気に入らないんでしょうか? お母様はネコ原理主義者?)
戸惑っているせいなのだが、アンナの推測はとても呑気だった。
「アンナ、その子はね……忌み子なんだよ」
エーリカよりは幾分落ち着いた、しかしいつもより険しい表情でヨハンが説明を始めた。
一般的に魔法を行使する時に体内の『魔力』を必要とするのだが、その魔力は空気中にある『魔素』を体内に取り込むことで生成される。
通常体内に取り込める魔素の限界量は個人によって決まっており容量以上に魔素を取り込んでしまうことはないのだが、生まれつき魔素を取り込める限界量が無い者たちがいる。
――それが『忌み子』という存在である。
その症状は種族を問わず発現しするのだが、彼らは必ず褐色の肌と赤眼という身体的特徴を持っている。
そして彼らは成人となる15歳前後に魔素の吸収力が莫大に跳ね上がり、莫大な魔力を体内に宿す爆弾となり、その反動で理性を失い魔力を暴発させる生ける災害となるのだ。
その被害は凄まじく、実際に忌み子の暴走により国が滅んだこともあると言われている。
そのため忌み子は恐怖の対象として恐れられており、種族を問わずすべての国で徹底的な管理が行われているのである。
「じゃあこの子は……?」
「国に引き渡そう。それが一番だよ」
「そうじゃなくて! この子はどうなるんですか?」
ヨハンが敢えて明言しなかった部分をアンナは問い詰める。
「それは……仕方ないんだ。危険なんだから」
本人の目の前なのでやはり明言はしなかったが苦り切った顔から明らかだった。
つまり目の前の少女は殺されてしまうのだ。
「……なんとかならないんですか?」
「ごめんなさいアンナ。それだけは許してあげられないわ」
「アンナを危険な目に遭わせるわけにはいかないんだ」
少女を買って貰ったときと同じく縋るような目を向けるが、今度は全く逆の答えが返ってくる。
二人の反応は至極まっとうなものなのだろう。
単なる同情で少女を助けてしまえば自分たちはおろか、回りの大勢の人々まで巻き込みかねない悲劇が起きる可能性があるのだから。
何の解決策も持たず、ただ感情だけで反対するのは単なる我が儘だ。
それでも……やはり納得することはできない。
「いけませんよヨハン。あなたは昔から大事なもののことになるとすぐ冷静さを忘れてしまう。奥様もね」
助けは意外なところからやってきた。
子供を諫めるような口調でヨハンに語りかけたあと、キリア神父はアンナに向き合う。
「確かに忌み子は危険な存在です。ですが現在では暴走の仕組みは解明されていていましてね。忌み子が暴走するのは本人の魔力容量の10倍の魔素を取り込んだときなのです」
「じゃあ10倍の魔素が体内に溜まる前に魔力を吸い取ったり魔法を使って消費することができれば助かるということですか?」
「学術都市ではそのような研究も進められていると聞いていますが、残念ながら実現はしていませんね。暴走時の魔素の吸収力を上回ることができないのです。ですので我々教会は考えたのです。暴走が食い止められないのなら、せめて暴走の直前までは生きていても安全だといえるような状態にできないものかと」
「できたんですか!?」
「ええ。奴隷紋の制約を利用したものです。奴隷紋の中に自分の魔力容量と実際に体内にある魔力量を計測する術式を組み込んでおいて体内魔力量が魔力限界量の9倍になった場合に命を絶つよう制約を与えるのです。単純ですがとても効果的なものです」
命を絶つ制約というのは残酷ではあるが、確かにそれならばいつくるかわからぬ暴走のために早めに殺しておくということをしなくても済む。
「我々はこの方法を各国に周知し、忌み子の保護を求めています。幸いこの国は我々の提案を受け入れて頂いており、適切な処置を施した後ならば奴隷としてという制限付きですが忌み子を生かしておくことが許されているのです。そして忌み子に限って他種族であっても奴隷とすることを認めていただいております。ただし安全をより完全なものにするため、主人から一定距離を離れたたり、奴隷紋を解除しようとしたりした場合も死の制約が発動するよう奴隷紋に組み込まなくてはいけませんがね」
確かに厳しい制約である。
だが、少女が死ななくて良い方法があるのならそれに縋りたい。
「改めてお願いします。お父様、お母様どうかこの子をボクの奴隷として側に置かせてください」
決して一時の感情に流されたわけではない、確固たる決意を持っていることを示すために真っ直ぐ二人の目を見る。
「それでも駄目だ。認められない」
絶対に安全だと言われていても爆弾を子供に持たせる親はいない。
苦悩を浮かべながらもヨハンははっきりと否定した。
「よいではないですかヨハン。それとも我々の技術が信用できませんか?」
「そんなことは――、でもそれとこれとは話が別です!」
「確かにあなたの娘がただ我が儘をいう子供だったならこんなことは言わなかったでしょう。ですがあなたの娘はとても聡明に見えます。すべてを理解した上でそれでも少女に手を差し伸べたいと言っているのではないですか?」
「ですが……」
「娘と言えど価値観を違えることもありましょう。それが間違っているならば否定してあげるのが父の仕事です。ですが正しいことを主張しているならば、そこは認めてあげるべきではないですか?」
ヨハンはしばらく黙り込んだ。
エーリカはヨハンに判断を委ねているようで、苦悩するヨハンを心配そうに見ている。
安全を優先してアンナの意思をねじ曲げるのか、それともアンナの意思を尊重して危険を抱え込むのか。
「……わかった。その子を奴隷として引き取ろう。でも少しでもボクが危険だと判断したらすぐにでも国に引き渡すからね」
結局ヨハンはアンナの意思を尊重する道を選んだ。
危険だと心配するのはあくまで親の側の都合である。
自分が安心するためにアンナの意思を曲げることはヨハンにはできなかった。
「ありがとうございますお父様! それに神父様も」
「いえいえ、私としても嬉しい限りです。国の許しを得たとは言え、忌み子を保護しようとする方は現れませんでしたから」
アンナとキリア神父は微笑みあった。
ヨハンとエーリカは苦笑いをしているが、二人ともどこかほっとした顔をしている。
忌み子に対する恐怖はあっても優しい二人は少女を死に追いやることに罪悪感を感じていたのだろう。
「……本当にいいのですか?」
そんな中4人の誰のものでも無い声が響いた。
それは今の今まで一言もしゃべらなかった忌み子の少女のものだった。
「ごっ、ごめんなさい! 本人の意思を聞きもしないで」
勝手に外野だけで盛り上がっていたことに今更気づいたアンナが慌てて謝罪する。
生き延びるためとは言え、厳しい制約を背負うことになるのだ。
それならば潔く死んだ方がいいと考えることもあるかもしれない。
「あの……勝手なことを言ってしまいましたが、あなたが望まないのであればボクは……」
「……私は忌み子です。生きているだけで他人を不幸にしてしまいます」
少女は表情の無い顔でそう言った。
それは拒絶の言葉なのだろうか。
アンナは胸を締め付けられるような思いに駆られた。
だがよく見ると少女の赤い瞳の奥底には何か恐れのようなものがあるような気がした。
(この子は……そっか……)
この少女はかつての自分と同じなのだ。
そうアンナは思った。
「あなたが不幸だとすれば、それは重い症状の病気に罹っていることだけです。その褐色の肌も赤い瞳も、病気に罹っているあなた自身も誰かを不幸にしてしまうなんてことはありません」
前世の母はいつも謝っていた。それゆえにアンナは病気の自分が母を不幸にしているのではないかという思いにずっと苦しめられてきた。
そしてその後悔は今も残っている。
病気になったのはあなたの罪では無いと、あなたがいてくれて幸せなのだと一言でも母から言われていれば救われていたのかもしれないが彼女は謝ることしかしなかった。
だから同じような境遇にある目の前の少女には言ってあげたかった。
「少なくともボクは、あなたが生きてくれてた方が嬉しいです」
アンナは両手で、そっと少女の手を包み込んだ。
自分の思いが最大限伝わるようにと。
「私には帰る場所がありません。叶うなら……あなたの側にいたいです」
「……はい! これからよろしくお願いします。ボクはアンナ。アンナ・ブリュームです」
思いが通じてアンナは満面の笑みで少女を迎える。
「……レイラです。黒狼族の獣人です」
少女の方は一貫して無表情だったが、ローブからはみ出ている尻尾がぶんぶん揺れているのをアンナは見逃さなかった。
(これから仲良くなればあの尻尾も撫で放題ですね。うへへへへ)
キリア神父と共に奴隷商館に赴き奴隷紋の契約を済ませる間、アンナは邪な目を少女に向けていた。
奇しくもその表情はアンナを溺愛する際に両親が見せている顔そのものであった。
++++++
「それでは今日はお世話になりました」
すべての契約を完了し一家はキリア神父に別れを告げる。
「いえいえ、私にとっても今日は良き日となりました。その子を大切にしてあげてください」
「はい。ありがとうございました神父様!」
今日の出来事でアンナの教会に対する見方はかなり変わっていた。
治療行為の独占をしたり他種族を差別したりという話を聞いて最初はかなり印象が悪かったのだが……。
(あれ?)
そこまで考えてアンナは一つの違和感を覚えた。
「あの、神父様。シュトレア教は他種族を……その、あまりよく思っていないと聞きました。でもこの子……レイラは――」
もしかしたらこんなことを聞くこと自体信徒を怒らせてしまうことなのかもしれない。
だが目の前の人物ならばちゃんとした答えを返してくれるだろという確信があった。
「そうですね。確かに教会では他種族を亜人と呼び蔑む傾向にあります。忌み子を救おうとする活動は広がっていますが、初めのうちはあくまで人族の忌み子に対してのものでした。ですが他種族に対しても友好的に接しようと考える者も中にはいるのです。私もその一人ということです」
あまり数は多くありませんがね、と神父は加える。
やはり彼は例外だったようだ。
たまたま巡り会ったのがこの優しい老人であることにアンナは感謝した。
「覚えて置いてください。組織というものは、その中にいる一人一人の人格を容易く見えなくしてしまいます。矛盾を感じたなら肩書きでは無くその人個人を見つめることです」
「はい」
「ヨハンと奥様もですよ。忌み子だからといって別に本人が危害を加えたいと望んでいるわけではないのです」
「はい……。これからは娘を見習いたいと思います。それでは失礼します」
少し説教臭くなってきたところでヨハンはさっさと話を切り上げることにした。
「ああ、そうだ。君たちなら大丈夫だとは思いますが、家に帰るまではお嬢さんから目を離さないようにしてくださいね。最近この町でも人攫いが起きていますから」
「預言の神子の影響……ですか」
「はい。あの日生まれた子供たちは男女問わず裏ルートで相当な高値で取引されていると聞きます。お嬢さんがあの日の生まれでなくとも、年齢さえ近ければ売る側としてはその辺の偽装くらい容易く行いますから。お嬢さんだけではなく、村の子供たちにも注意してあげてください」
「ご忠告痛み入ります」
神父の忠告に気を張りながら帰路を行く一家であったが、特にトラブルに巻き込まれること無く無事村に帰り着くことができた。
こうしてブリューム家に新たな家族が加わったのである。