第2話 聖女様はとても聖女です
森を抜けると微かに潮の香りが漂ってきた。その匂いに導かれるように視線を遠くへ向けていくと町並みが飛び込んでくる。
既に時は夕刻。町の更に向こうに見える水平線の彼方に真っ赤な太陽が沈もうとしている。昼間に見れば白壁の建物が並ぶ清涼感溢れる町並みも今は真っ赤に染まり、まるで燃えているようだ。
「み……見えましたよレイラ。きっとあそこがカーネルです……」
「やっとご飯にありつけるのですね……」
更に歩みを進めれば人のざわめき。
聖都への玄関口として栄えるこの町は、多いときには何百人単位で巡礼者が訪れることもあり、とても賑わっている。
これが観光でやってきたのならばアンナもレイラも大いにはしゃいで町を駆け回ったであろう。
だが悲しいことにそんなお気楽な訪問ではない。
二日間も野宿をして疲労困憊の状態で辿り着いたのだ。
二日目には村人から貰った食べ物も底を尽き、かといって無闇に野生植物を食べるわけにもいかず水のみで凌いできた。
おまけに、
「お風呂……まずはお風呂にはいらなければいけません。一刻も早く体を清めないと……」
この世界に転生してさえ、一度も欠かしたことの無かったお風呂に二日も入れていないのだ。
しかも気温が温かいため汗もそれなりにかいている。今だって服が肌に張り付いてとても気持ち悪い。
(ただでさえ鼻の利くレイラなのに。きっと臭うと思われてますよ……うぅ)
実際のところ森を抜ける間も、基礎魔法『アクア』で水を出してこまめに汗を洗い流していたので本人が思っているほど酷いことにはなっていないのだが、どうしても気になってしまうようだ。
意識的にレイラとの距離を空けている。
一方でレイラもアンナの臭いはまったく気にならないのだが、自分の臭いを嗅がれることは恥ずかしいらしくアンナとの間にある空間を詰めようとはしていない。
だがその悩みとももうすぐおさらばだ。通りを歩けばいくつも宿が建ち並んでいる。
入り口の立て看板にはちゃんと料金も表示されている。
「お風呂のある宿は割高ですね……。でも背に腹は替えられません。ここは無理してでもお金を…………おか……ね?」
そこでアンナはとても大切なことに気がついた。
そうだ、自分たちは今一文無しなのだ。
「も……もう駄目ですレイラ。ボクたちはここで終わりなんです」
「……かくなる上はその辺の弱そうなごろつきを見つけて喝上げを……」
アンナはその場に泣き崩れ、レイラは黒いオーラを漂わせながら物騒な言葉を呟き始める。
二人とも温室育ちが長かったため逆境耐性が極端に下がっていた。
――と、そんなアンナたちの近くを一台の馬車が通り過ぎる。
馬車自体は一般人も使うような幌馬車なのだが、その四方を馬に乗った騎士たちが固めている。
恐らく中にはそれなりの身分の人が乗っているのだろう。
なんとなく嫌な予感を感じたアンナは我に返り、いまだショックから立ち直れていないレイラを引っ張ってその場を去ろうとする。
だが一足遅かったようだ。
「お待ち下さいエスティアナ様! こんな往来でお姿を晒してしまわれては危険です――」
「大丈夫だよ。この町の人はいい人たちばかりだよ」
馬車の中から鈴の鳴るような軽やかな声が聞こえてきたかと思えば、回りがざわめきだした。
「おい、あれ……聖女様じゃないか?」
「本当だ、聖女様だ! なんとお美しい」
「ああ……目が癒やされる~」
「あぁ――、ワシも目がしょぼしょぼするんじゃ~」
「じいさん、それはただの寝不足だろ?」
通行人たちが揃って足を止め馬車から降りてきた人物に向かってひれ伏し始める。
「え? えっ?」
突然の事でどうすればいいかわからず立ち尽くしてしまい、結果回りから浮いてしまうアンナ。
しかも民衆にひれ伏されているその対象が真っ直ぐ自分の方に向かってくるものだから、ますます狼狽えてしまう。
白と青を基調とした法衣を纏った少女。少し青みがかったセミロングの銀髪。大きくぱっちりとした目は子供っぽさを感じさせるが、その視線からは他者を無条件で慈しむことができるような大きく広い心を感じさせる。年の頃は14,5歳くらいだろうか。この世界で言うなら成人を迎えていてもおかしくないくらいの年齢、しかしまだ少女と呼んだほうがしっくりくるあどけなさも残している。
周りの人々が騒ぐようにその容姿は美しく、セフィーネが夜に佇む荘厳な月とするならば、こちらは世界を包み込む温かな太陽といった印象を与える。
「どうしたの? 小さな天使ちゃん。もしかしてお母さんとはぐれちゃったのかな?」
清らかな少女は目の前までくると、かがんで視線を同じ高さにして語りかけてくる。
男の自分からすれば無防備だと思えるほど顔の距離が近い。
「いっ、いえ! なんでもないんです」
「でもさっき泣いてたよね? 服もぼろぼろだし、顔もちょっとやつれてるし、何かあったんでしょ?」
「それは……」
なんと言うべきかアンナは迷った。
聖女と呼ばれたこの少女は恐らく教会関係者なのだろう。みなからの慕われ方をみるにかなり有名な。
となればもしかしたら教会の中枢に位置する人物かもしれない。
もしコルト村での一連の事件の裏に教会が関わっていたとしたら素直に話すのは危険を伴う。
「まあいっか。まずは温かいご飯を食べないと元気でないよね。ほら、おいで。お姉ちゃんがお腹いっぱい食べさせてあげるよ♪」
アンナが言いよどんだのを気遣ったのか、それとも元々細かいことは気にしない性格なのか、少女はアンナの手を引き馬車に連れて行こうとする。
だがそこに強引さは感じない。手を握る力はそんなに込められておらず、振りほどこうと思えば簡単に振るほどけるくらいの力加減だ。
(もしかして本当にご飯を食べさせようとしてくれてるだけなんでしょうか? そ……それならこのままお呼ばれしても……)
空腹で判断力が鈍っていたアンナはついそんなことを思ってしまう。
「だ、大丈夫です! もうすぐお父様が迎えにきてくれるんです!」
だが、ギリギリのところで誘惑に打ち勝ったアンナは咄嗟に嘘をついて少女の申し出を断った。
「じゃあお姉ちゃんも一緒に待っててあげるよ。どこで待ち合わせなのかな?」
「え? あ……うぅ……」
あまりに下手な嘘はすぐ見抜かれてしまった。
それ以上の言い訳が思いつかずアンナは口ごもる。
「だめだよ。嘘なんてついちゃ。それに――」
握っていた手がほどかれたかと思うと、再び少女はかがんで顔を近づけてきてスンスンと臭いを嗅いだ。
「だ――駄目です!!」
全力で後ろに跳び、距離を開ける。
少女が何を言いたいのかわかってしまい顔が真っ赤になった。
「あはは、ごめんね。小さくても女の子だもん。気になるよね」
男の子でも気になるんです! とは言えず、更に顔を真っ赤にして自分を抱きしめ臭いを防ごうとするアンナ。
その姿はどう見ても羞恥に悶える女の子だった。
「そんなに気にしてるんだったらお風呂にも入れてあげるよ? だからほら、お姉ちゃんと一緒に行こうよ」
「お……お風呂……?」
少女の言葉は抗いがたい、とても甘美な響きをしていた。
(ご飯を食べさせてくれる上にお風呂にまで入らせてくれるというんですか!? この人はもしかして本物の聖女なんですか?)
いや、その考えは危険だ。外面を取り繕うことくらい誰にでもできるのだから。
そんなことはわかっているはずなのに……、お風呂という言葉がどうしても頭から離れない。
妄想の中ではすでに湯船に浸かる幸せな自分が描かれている。
少女を拒絶して、この幸せな未来を手放すことが正しい選択と言えるのだろうか?
自分は今、正常な判断力を失っている。ならば聖女様の言うことの方が正しい可能性が高いのではないだろうか?
(きっとそうです。これだけみんなに慕われている聖女様が間違ったことを言うわけがありません。だから……ボクは……)
理性が欲望に侵食されていく。
もはやそれに抗う力は残されていなかった。
「お風呂……はいりたいです」
「うん♪ それじゃあ行こっか。連れの子も一緒にね」
アンナとレイラは馬車へと吸い込まれていく。
護衛と思われる騎士たちは鋭い視線を二人に向けていたが、既にアンナの意識はまだ見ぬお風呂へと旅だっており、気づくことはなかった。
++++++
10分ほど馬車に揺られると、町の外れにある大きな建物が見えてきた。
地球で言えばバロック建築というべきだろうか。華美な装飾と大きなステンドグラスが特徴のそれは、何も知らなくても教会関係のものなのだとわかる。
ステンドグラスには女性の姿が描かれている。恐らくそれが女神シュトレアなのだろう。
そこがこの街の教会なのだと少女は教えてくれたが、そこには入らず裏手にある回廊を抜けて居住区らしき場所に案内された。
聞けばここは教会関係者が寝泊まりしたり、治療に訪れた人々が一時滞在するための、言ってみれば病院と修道院が合体したような場所のようである。
「はい、たーんと召し上がれ!」
「わぁ……」
テーブルに並べられた料理を見て思わず感嘆が漏れる。
港町ということもあり、魚介類が中心だ。
家で食べていたものと比べると幾分質素なのは否めないのだがこの国に来てからまともな食事にありつけていないためとびきりのご馳走に見えてしまう。
レイラも口を開けて涎を垂らさんばかりに見入っている。
「それじゃあ私も一緒に♪」
どうやら少女も同じ卓に着くようだ。態度といい、しゃべり方といい、聖女と呼ばれている割には気安いなぁ、などと思うアンナだったが少女はその更に上の行動に出た。
「アンナちゃんには私が食べさしてあげるね~」
「うえ!? 聖女様!?」
ひょいとアンナを持ち上げ自分の膝の上に乗せる。
馬車の中で既に自己紹介は済ませていたため、少女は気安くアンナの名を呼ぶ。
ちなみに少女の名はエスティアナというらしいが回りに習って聖女様と呼ぶようにしている。
「はっ、離してください! まだお風呂に入ってなにのに――」
慌ててエスティアナから逃れようとする。お風呂の準備には時間がかかるということで先に夕飯をいただくことになっていた。
つまりまだ自分は汗臭いままなのだ。
「ごめんごめん。さっき通りで言いかけたのはアンナちゃんが逃げようとしたからだよ。実際は気になるほどの臭いなんてしないよ」
そういってぬいぐるみを抱きしめるようにぎゅーっとアンナをホールドした。
後頭部にとても柔らかで重量感溢れる感触が伝わってくる。聖女様は母性も聖女並のようだ。
この上ない幸福感に包まれてアンナは抵抗の意思を失った。
「胸なら私の方が大きいですアンナ様……」
その様子をレイラは恨めしげに見ていた。いつものレイラならばこの場でアンナを取り返すくらいするところなのだがご飯を恵んで貰っている立場ゆえに我慢しているようだ。
それにレイラは認識阻害の首飾りを付けている。そのお陰で何のトラブルも無く町に入れて、今もこうやって食卓に座らせて貰えているが、あまり目立ち過ぎて強烈な印象を持たれると首飾りの効果を超えてしまうこともあるため大人しくしていないといけないのである。
ただ、こうしている間にもどんどん嫉妬ポイントは上がっているので二人きりになったら猛烈に拗ねられることだろう。
「それでアンナちゃんはどうしてあんなところで泣いてたの?」
「泣いてなんて――……いましたけど……」
話していいのだろうか?
ご飯まで食べさせて貰って今更警戒も何もあったものではないが……。
既に目の前の少女に対して疑念は持っていない。
甘い考えなのかもしれないが、彼女は人を陥れるとかそういうものからは遠くに位置する人間のように思えるし、信用しても大丈夫だと思う。
――彼女に関しては。
「実は事故で海に落ちてしまって……、偶然この国に流されたんです。それでお金がないのでご飯も泊まる場所も確保できなくて……」
結局必要最低限の事実だけ伝えることにした。
「そっか……大変だったんだね。あっ、ってことはアンナちゃんはこの国の人間ではないんだ」
「あ……はい」
「どこの国なの?」
(いきなりなんてクリティカルな質問を……)
自分が知っている国なんてエルヴァー王国とヴィードバッハ帝国くらいであり、しかも地理的な位置関係を把握していない。
「えっと……エルヴァー王国から来ました……」
結局こう答えるしかなかった。
こうも簡単に情報を引き出されてしまうとは……。
どうやら自分は嘘や隠し事が壊滅的に苦手らしい。
「へ~、エルヴァー王国か。あそこは美味しい紅茶で有名だよね。あっ、だからアンナちゃんは紅茶みたいな髪の色なんだね」
「そ……そうなんでしょうか?」
出身国はバレてしまったものの、すぐに関係ない話となりアンナはそっと胸をなで下ろした。
単なる興味で聞いただけのようだ。
その後は他愛も無い話をしながら夕食を満喫させてもらった。
「エスティアナ様」
ちょうどご飯を食べ終わったタイミングで声をかけてくるものがいた。
馬車に乗っていた時からずっとエスティアナに付き添っていた護衛の青年。
ダークブラウンの長髪を後ろにまとめた西洋風のイケメンで名前は確かロディと言ったはずだ。
「そろそろ風呂の準備が整うかと思います。お手数ですが他の女性方にも知らせて頂けますか? 男の私からですといろいろ支障もございますので」
「あっ、そうだね。ちょっと待っててねアンナちゃん」
そう言うとエスティアナはアンナを膝から下ろし、軽やか足取りで部屋を出て行った。
彼女の明るい性格と言葉遣いから、もっと活発そうな印象を持つのだが動きは洗練されていてとても優雅だ。
そんな彼女の姿を尊敬と憧憬の籠もった眼差しで見つめるロディ。
だがアンナはそんな彼に警戒心を抱き、身構えた。
「それで、お前はガザレスの差し金か?」
エスティアナの姿が見えなくなると途端に厳しい表情になりアンナを睨み付けた。
実は先ほどからずっとこうなのだ。
出会ったときはご飯とお風呂のことで気の回らなかったアンナだが、お腹が満たされてくると流石にロディの遠慮の無い視線に気づいていた。
エスティアナは信じられても、いまいち真実を話す気になれなかったのは彼の存在のためだ。
「なんのことかわかりませんし、ガザレスさんという人に知り合いはいませんよ?」
もしかしたらキリア神父の姓がガザレスなのかもしれないと思いつつも、精一杯のポーカーフェイスを心がける。
流石にここでボロを出すわけにはいかない。
「とぼけるな。お前の存在は都合がよすぎる」
「何の都合なのかボクにはまったく心当たりがありません」
「そこまでエスティアナ様のタイプドストライクな童女を演じておきながら、まだ白を切るつもりか!?」
「ですから白を切ってなんて――ってタイプって何の話しですか?」
急に俗っぽい話しになってアンナのポーカーフェイスはあっさり崩れてしまった。
「そう、その顔だ! わざとらしく首を傾げるあざとさ! 無垢な存在なのだと猛烈にアピールしてくる、そのきょとんとした表情! 自分の可愛さを確信していなければ絶対に出せないあざとさだ!」
「なっ――なんて酷い言いがかりを!! あなたにボクの何がわかるって言うんですか!!」
まるでぶりっ子を糾弾するかのような言い方。
そんなことしようと思ったことは無いし、今後一生するつもりもない。
何の話しをしているのかはさっぱりわからなくなってしまったが、不名誉な評価にアンナは猛烈に遺憾の意を示した。
「お前はそうやってエスティアナに取り入るつもりなんだろ!? 俺だけは騙されないぞ!!」
事情はわからないが、きっと彼は疑心暗鬼になって目が曇っているに違いない。
憎い相手はどうやっても悪く見えてしまうのだ。
あざといと言われてしまったショックを和らげるため、アンナは合理的な理由を作り上げる。
同意を求めるようにレイラに視線を合わせると、すべてを理解した顔でこくりと頷いた。
「アンナ様のそれは天然です。決して計算などではありません」
「あざといってところは否定してくれないんですか!?」
身内にまで裏切られてアンナは心に深い傷を負った。
「うぅ……仮にそうだったとしてもボクはガザレスという人とは関係ないんです……」
よよよと泣き伏しながらもアンナは無実を主張した。
ただ、言葉の暴力(?)は浴びせられたが少なくともコルト村での出来事について探りを入れられているわけではないようだ。
というかこちらが何かを仕掛けようとしているのではないかと相手は疑っているらしい。
「ああ――!! アンナちゃんを泣かせたのは誰!?」
ちょうどいいタイミングでエスティアナが戻ってくる。
ロディはギクリと体を強ばらせた。
「ロディ……またあなたなのね」
ジトーっとした目をロディに向ける。
二人の様子を見るに、これは日常の出来事のようだ。
「……これが私の仕事です。エスティアナ様は警戒心がなさ過ぎますから」
誤魔化せないと踏んだのかロディは開き直った。
エスティアナはそれを見てため息をつく。
「ごめんねアンナちゃん。この人はいつもこうなの。ちょっと仕事熱心なだけだから許してあげて」
「あ……はい。ちなみにガザレスっていうのは……」
「そんなことまで言っちゃったの、ロディ?」
「そ……その点に関しては申し訳ございません」
開き直ったはずのロディが焦り顔で謝罪した。
どうやら迂闊に言ってはいけない名前だったらしい。
「ちょっとした内輪もめの話だから気にしないで」
「……はい。忘れることにします」
どうやらエスティアナもロディもあの事件とは本当に無関係のようだ。
ロディと同じく自分も疑心暗鬼になりすぎていたのかもしれない。
何やら別の事では後ろ暗いことは抱えているのかもしれないが自分とは関係無いみたいだし、あえて聞くことはしなかった。
(あ~よかった。これで心置きなくお風呂を堪能できます)
心配事が消えたお陰で心も軽くなった。
この気分のまま湯船に浸かればさぞ気持ちいいことだろう。
――だがアンナはもっとも重大なことを見逃していた。
「さ、それじゃあ気分を変えて、お姉ちゃんと一緒にお風呂はいりましょうね♪」
「………………へ? 一緒……に?」
「うん。大きいんだよ。ここのお風呂。その分お湯を沸かすのが大変だから一度にみんなで入っちゃうの」
アンナの顔がさっと青ざめた。
その可能性をまったく考えていなかったのだ。
他の女性に声をかけたという辺りで気づくべきだった。
「あ……その……」
あれだけ猛烈にお風呂に入りたいアピールをしておいて、今更やっぱりいいですとは言えない。
かと言って後から入りますなどと我が儘を言える立場でもない。
「一緒にお風呂……アンナ様と……初めての……」
助けを求めてレイラに視線を向けるが、とても役に立ちそうに無い。
「ん? もしかしてアンナちゃん、みんなとお風呂入るの恥ずかしいの?」
エスティアナが気遣わしげに声をかけてくる。
にっちもさっちも行かずもじもじしているアンナ見て、恥ずかしがっていると思ったらしい。
だがその誤解は渡りに船だった。
「そっ――そうなんです! いつもお風呂は一人で入っていたから!」
「うんうん。私もあったよそういう時期」
一人で入っているなど大嘘もいいところなのだが、エスティアナは自分の言葉を信じて理解を示し笑いかけてくれた。
(ああ……やっぱり聖女様です。なんと慈悲深い笑顔なのでしょう)
このまま恥ずかしがりを押し出せば一人で入らせてもらえそうだ。
ちょっと迷惑をかけてしまうがエスティアナならば許してくれるだろう。
「だから今日は私にアンナちゃんのすべてを見せて、羞恥心を克服しちゃおうね♪」
(全然助かってないじゃないですか――!!)
エスティアナが見せたのは決して慈悲の微笑みなどではなかった。
むしろちょっと頬が上気して赤くなっている。
(そういえばさっき、ロディさんがボクのこと聖女様のタイプだって……。あれってそういう意味だったんですか!?)
アンナは身の危険を感じて逃げだそうとした。
「あ――! 逃がさないよアンナちゃん」
しかしアンナの運動能力は年齢相応であり、容易く捕まり大浴場へと連行されていく。
「うわああああ、待って下さい! まだ心の準備が――」
「隅々まで綺麗にしてあげるからね~♪」
まさに絶体絶命。
アンナの社会的地位が崩壊しようとしたその時、奇跡は起こった。
「大変です聖女様!!」
息を切らしながら法衣に身を包んだ女性が脱衣所に駆け込んでくる。
そのまま用件を言いそうになったが、アンナの存在に気づいた女性ははっとなって言葉を止めた。
どうやら部外者には聞かせられない内容らしい。
エスティアナはきょとんとした顔をしていたが、女性が近づき耳元で何かを呟くと途端に顔色を変えた。
「ごめんねアンナちゃん! ちょっと用事ができちゃった!」
「い、いえ! 用ができたなら仕方ないです!」
「お風呂は入っていいからね。着替えも用意しとくから。あっ、あと寝るときはここを出て右奥の部屋が空いているから。それじゃあね!」
せわしなく必要事項を伝えるとエスティアナをはじめ、同じくお風呂に入ろうとしていた女性たちは脱衣所から去って行った。
次回更新も一週間後2月10日あたりの予定です。




