第11話 みんなそれぞれ事情を抱えているようです
アドルフやセフィーネと出会ってからはや数日、その日アンナはいつもより早起きしてお菓子を作っていた。
以前にアドルフとレイラで取り合いになった紅茶風味の例のクッキーなのだが、今度はそこにセフィーネも加わることになるのでかなりの量が生産されている。
出来上がる側から懐に隠そうとするレイラを諫めつつアンナは二人の訪れを待った。
「ん~、二人とも遅いですね。昨日はこれくらいの時間に来ていたんですが……」
ここ数日は毎朝二人がやって来ていて、一時期はどちらが先にアンナの家に来るか競争になっていたのだが、競争が激化して夜明け前に二人が押しかけるという事態にまで発展したため、さすがにその時間は眠いというアンナのもっともな意見により10時の鐘が鳴る頃に集合という取り決めになっていた。
それでも若干早めに来るのが日常の風景になっていたのだが、先ほど朝10時を告げる鐘が鳴ったというのに二人がやってくる気配は感じられなかった。
「毎日遊ぶ約束をしていたわけではありませんが……今日は来ないんでしょうか?」
「そうですね……或いは午後から来るのかもしれません」
少し不安そうなアンナを気遣うような言葉をかけるレイラだったが、よく見ると尻尾が嬉しそうに揺れていた。
レイラとしては二人きりの方が嬉しいようだ。
だがちょうどそのタイミングで、玄関のドアがノックされレイラの尻尾がシュンとなる。
「あれ? エリアさん?」
ドアを開けると、そこに立っていたのはエリアただ1人だった。
「セフィーネ様は……もしかして風邪でもひかれましたか?」
「いえいえ、いつも通り健康ですよ~。ただ実は先ほどヴィードバッハ帝国の貴族がこの村にやって来て少々揉め事を起こしてまして」
「攻めてきたんですか!?」
「いえ、帝国と我が国は和平条約を結んでいますので行き来する分には問題ないのです。ですが少々礼儀を弁えない連中でして」
「もしかして村の中で戦闘に?」
他国の貴族が来たということは自分の両親も対応しているはずである。
もし荒事になっていたらと思うとアンナは今すぐ家を飛び出したい衝動に駆られた。
「いえ、それなりの手練れを護衛に付けているようですが、ドミニクさんがいれば瞬殺ですね~。村の人々には間違っても被害が及ぶことはありません」
「そうですか。よかった……」
「ただ相手は侯爵家の子息でして、止めるとなるとセフィーネ様が出るしかなくてですね」
帝国とこの国では大きな国力差があり、属国とはいわないまでもそれに近い認識を帝国側はしている。
条約を結んでいるとは言え、強気で出られたら村長程度では相手の要求を跳ね返すのは難しい。
「ええ!? 出来るんですか、対応!?」
失礼な反応ではあるが、村人の前に顔を出すのを恥ずかしがって替え玉を使ったセフィーネが他国の要人との交渉などできるのだろうか。
「できますよ、少なくとも表面上は。それも含めてセフィーネ様は天才です。……ですが心の方はまだまだ子供ですから」
だからきっと疲れて戻ってくるであろうセフィーネを元気づけるため、近くで待機していて欲しいのだとエリアは頼んだ。
もちろんアンナは二つ返事で了承し、交渉が行われているという村の入り口へ向かった。
++++++
「だから我が国から賊が逃げ出した恐れがあるため、この私が討伐に来たのだと言っておろうが!!」
村の入り口に近づいたところで男の怒声が響いてくる。
一緒に付いてきたレイラは両手で耳を塞いでいる。
獣人であるレイラは聴覚が鋭いため、よりうるさく聞こえるのだろう。耳を押さえる姿が愛らしい。
そのまま歩みを進めていくとセフィーネと対峙し、護衛と思われる10人ほどの騎士を連れた中年の小太りな男が立っているのが見えた。
騒ぎになっているのか、そこには人だかりが出来ていてその中に母エーリカの姿もあった。
父ヨハンは人だかりの中心部、セフィーネと彼女に付き従う騎士たちに混ざって来訪者に対峙しているのだが一番の矢面に立っているにも関わらず毅然としたセフィーネとは対照的に彼の膝は笑っていた。
(お父様……これは見なかったことにしますね)
少女との対比でより情けなさが際立っているヨハンのお父さんとしてのプライドを傷つけないためにアンナは身を隠そうとした。
「あっ、アンナ! どうして来ちゃったの!?」
と思ったらエーリカのアンナレーダーに引っかかってしまった。
エーリカの声は喧噪にかき消される程度の声量だったがヨハンにはしっかり届いていたらしく、ビクっと反応した後、必死で膝の震えを押さえていた。
「今日はセフィーネ様に遊んで頂く予定だったので……」
「ああ……、そうなの。最近は毎日遊んでもらっているものね。でもアンナ危険だからママの側にいましょうね」
エーリカも王女の名前を出されてしまってはそれ以上強く言うこともできず、この場に止まるならばと自分たちの側に寄せた。
「どういう状況なんですか?」
「そうね……、セフィーネ様は帰れって言ってるのにあのおじさ……帝国貴族のハザン様が用事があるから帰らないって言って動かないの」
エーリカの説明はあまりに簡略化し過ぎていまいち状況は掴めなかった。
アンナが聡明なことは誰よりも理解しているつもりの彼女であったが、やはり子供だという意識は抜けていないようだ。
だが、セフィーネとその相手の話を聞いて少しずつ状況がわかってくる。
「ですからここは我が領土である以上賊の対処はわたくしたちで行うと言っているのです」
「それでは不足なのだ! 賊の危険性は我々がもっとも理解している。犠牲を出さないためにも我々が動くのが一番なのだ!!」
「では情報提供をお願いいたします。ハザン様の情報を精査したのち、わたくしたちで対処いたします」
「ならん! お前のような小娘に任せておけるものか!!」
「今のお言葉は、エルヴァー王国第四王女セフィーネ・ドロテーア・フォン・エルヴァーに対するものと受け取ってよろしいでしょうか?」
「ぐっ……そうではない。我々は国から逃げ出した賊を討つために来たのだ!」
エーリカのした説明でだいたいあってたことをアンナは理解した。
セフィーネの論理的な言い分に対してハザンはただひたすら自分たちに賊を討たせろの一点張りで、ほぼ会話になっていない。
それどころか子供だからとなめているのか、立場が上のはずのセフィーネに敬語すら使っていない始末。
いっそのことつまみ出せばいいのではと思ってしまうが、帝国貴族相手ということで余り軽はずみな行動には出られないようだ。
相手もそれがわかっているようで声を張り上げ、横柄な態度は取っているものの、あくまで善意の提案だという体を崩さず、無理に村に押し入るような行動には出ていない。
(すごいですセフィーネ様。本当に大人と対等に話せてます)
対するセフィ-ネは相手の男よりずっと大人な対応をしている。
素のセフィーネを知っているアンナとしては別人かと思える程の隙の無さだ。
ただ今の彼女はどこか冷たい、他人を拒絶するような雰囲気を纏っておりアンナとしては普段のセフィーネの方が素敵だなと感じた。
そんな感想を抱いている間にもセフィーネとハザンの間では同じような会話がループしていた。
(いつ終わるんでしょうか……。これを見せられ続けるのはとても心苦しいです……)
セフィーネの護衛騎士たちは相手の動きに警戒してはいるようで、その中にはドミニクの姿もあったが口を挟む素振りは見えない。
身分の関係上そうできないのはわかるのだが、セフィーネのような少女がいい大人から怒声を浴びせられている姿を見るのは気分の良いものではなかった。
――助けてあげたい、アンナは純粋にそう思った。
だがどうやって?
お付きの騎士でさえ口出しできないこの状況で平民の自分にできることなどあるのだろうか。
それにこんなことに首を突っ込めば、また両親を心配させてしまうことになるだろう。
それにセフィーネに助けを求められているわけではないのだから、このまま見守っていれば案外丸く収めてくれるかもしれないが……。
(でも……やっぱり助けてあげたいです)
見た目は子供でも中身は立派な青年男子なのだ。
思い上がりかもしれないが、やはり男としては女の子を守ってあげたい。
それに一つ思いついたこともある。
(やり方としてはまったく男らしくありませんけどね……)
アンナは決意を固めレイラに『待て』の命令を与えた後、肩に添えられていたエーリカの手をスルリとすり抜けて――
「せふぃ~ねさま~」
まるで幼い子供のような舌っ足らずなしゃべり方でセフィーネの名を呼びながら戦場に身を投じた。
「えっ? アンナ!?」
それにもっとも反応したのは名前を呼ばれたセフィーネ本人だった。一瞬素の彼女に戻る。
他の者も敵味方問わず突然の侵入者に唖然としており、ヨハンとエーリカに至っては卒倒していた。
「誰だ! こんなガキを入れた奴は!! 今は大事な話の最中だぞ!!」
「ふぇっ!? だ……だって、せふぃーねさまとあそぶやくそくしてたのに……こないから……」
大げさに驚いたあと、泣く一歩手前を思わせる震え声で健気に答えるアンナ。
しかしアンナの態度はハザンの怒りをヒートアップさせてしまう。
「ここはガキの遊び場じゃない!! さっさと消えろ!!!」
ともすればアンナに掴みかかり兼ねないほど顔を近づけて大声でアンナを怒鳴った。
それを受けてアンナは――
「ふわああああああああん!! ――せふぃ~ねさまあああああああああああああ!!!!」
ハザンの怒声さえも掻き消すほどの大音量で泣きだし、セフィーネに縋り付いた。
声変わりがまだきていないアンナの声はかなりの高音域で辺りに響き渡る。
(ああ……(精神的には)いい大人が一体何をしているのでしょうか……。というか10才の女の子の演技ってこれで合ってるのでしょうか?)
内心アンナは素に戻っていた。自分でやったこととは言えなかなかに精神が削られる。
アンナの演技は10才の少女としては幼すぎるのだが身長が小さいのとセフィーネの大人な雰囲気との対比で誰も違和感を感じていないようである。
男である自分からここまで高い声が出ることにバリバリの違和感を感じながらアンナは泣き真似を続けた。
「このガキが!!」
苛立ったハザンがアンナに掴みかかろうとする。
だが彼の蛮行はいつの間にか間に現れたドミニクによって止められていた。
「怒りをお納め下さい。いくら帝国貴族と言えど、我が国の国民に手を上げれば犯罪となります」
「貴様、賊のためにわざわざこんな辺鄙な田舎にまで出向いてやったこの俺を犯罪者だと言うのか!!」
「我が国民を思ってのハザン様の行為、非常に痛み入ります。ですが今の状況ではせっかくのお心遣いも十分に村の方々に伝わっているとは言い難いでしょう。ここはハザン様の寛大な心を見せつけて理解させるのがよろしいかと」
(ど……ドミニクさんがちゃんと働いてる……)
掴みかかられそうになり内心ドキドキのアンナだったが、それ以上にドミニクがテキパキ仕事をこなしている光景の方が驚きであった。
「だが、もたもたしていては村人に危険がだな……」
「ご安心ください。今あなたの目の前にいるのは『直立不動』のドミニクです。賊ごときに後れを取ることなど絶対にあり得ません。そうですね、ドミニク?」
「我が身命を賭して」
「だが賊はもっと危険な相手なのだ!」
「ではあなたの手の者の中で『直立不動』に敵う者はいらっしゃいますか?」
「それは……」
「それにいつまでもわたくしどもがここで話していては村人たちの仕事にも影響が出るでしょう。我が民のために駆けつけてくださったあなたにとっても本望ではないはずです」
「くっ……」
どうやらドミニクの強さは帝国にまで響き渡っているようだ。
口実として使っていた村人の安全のためという言い訳を潰され、さらにはその言い訳を逆手に取られて男は言葉に詰まった。
「ハザン様も長旅でお疲れでしょう。今日の所はこの村最高級の宿にて疲れを癒やして頂ければと思います。賊の問題に関しては後日話し合いの場を設けますので」
セフィーネはその隙に妥協案を滑り込ませる。
柔らかい笑顔を浮かべているが、断定口調で有無を言わせぬ迫力があった。
それでもハザンはまだぐちぐちと文句を言っていたが、アンナの乱入により流れを変えられた彼はそれ以上強引な手段に訴えることはなかった。
++++++
「はぁ~、疲れたわ~」
部屋に戻るなりセフィーネはボフッとベッドにダイブした。
「お疲れ様です~」
「お疲れ様です、セフィーネ様」
「……お疲れ様です」
「あ~……一年分の働きをしました」
エリア、アンナ、レイラがセフィーネを労う。
ドミニクだけは自分の働きを主張していた。
「くふふ、あなたもお疲れ様、アンナ。なかなかの名演技だったわ」
「そ……そこは触れない方向で。それにあんまり役に立てたとは思えませんし……」
なんとも情けないアシストだったため、感謝されると逆に恥ずかしい。
それに自分の登場が相手の説得によい効果を及ぼしたのかいまいち自信がない。
「相手に手を出させたのはアンナの功績よ。おかげで相手を悪者にして会話の主導権を奪えたもの」
「えっ? それは……はい」
実際の所、駆け引きの通じない小さな子供が乱入すれば相手も強く出られなくなるだろうというくらいの考えだったのだが結果オーライである。
一応、『村人のため』などと言っているのだから安易に自分を攻撃すれば立場が悪くなるだろうという考えもあるにはあったし。
「そっ……そんなことよりアンナ。あなたには何かご褒美をあげないとね」
「いっ、いえ! そこまでしていただくほどのことでは――」
「いいから、あげるの!」
「あ……はい」
アンナが断ろうとするとセフィーネは不機嫌そうな顔でそれを遮り強引に頷かせた。
ついでに「では代わりに私に休日を」というドミニクの言葉もスルーする。
「ならアンナには希望を聞かないとね。悪いけど他の人は席を外してちょうだい」
「え? 二人きりになる必要はあるんですか?」
「いっ……言いにくいお願いとかもあるでしょ?」
「いえ、人様に聞かれてまずいようなお願いは――」
「あるの!」
今日のセフィーネはなぜか強引だった。
結局アンナとセフィーネを残し、3人は別の部屋へと移っていった。
レイラが恨めしそうな顔をしていたので、家に帰ったらまた拗ねられるかもしれない。
「ア~ンナ!」
二人きりになった途端セフィーネは正面から抱きついてきてアンナのお胸に顔を埋めた。
「くふふ、アンナはいい匂いがするわね」
しかも何故か猫なで声でグリグリ頭を押しつけてくる。
(え!? えっ、えっ!?)
セフィーネの豹変にアンナの頭は大混乱した。
なぜいきなりこんなデレデレになっているのか。
別に普段ツンツンされていたわけではないが、セフィーネはこういった類いの行為に恥ずかしさを覚える人種のはずである。
それがどうしてこうなったのか。
思い当たる節などさっき助けに入ったことくらいであるが、それだけでここまで劇的に好感度があがるものなのだろうか?
(もしかしてこれがご褒美なのでしょうか? 自らの恥ずかしい姿を見せることで、ボクの恥ずかしい泣き真似と相殺しようとしてくれてるとか?)
だがセフィーネの姿はとても演技をしているようには見えない。
これが演技ならアカデミー賞ものである。
(じゃあ何故?)
考えてもそれらしい答えは浮かばなかった。
ならば本人に聞くしかない。
「あの……セフィーネ様。これはどういうことなのでしょうか?」
「ん~? ただ抱きついてるだけよ?」
アンナの胸に埋めていた顔をちょっとだけ離して上目遣いでセフィーネは答えた。
(なっ――なんですかこの可愛い生き物は――)
さっきは凜々しいセフィーネを見ていただけにギャップが激しい。
アンナの理性は崩壊寸前だった。
ただ幸いだったのがセフィーネの体は年齢相応のもので情欲の類いは全く湧かなかったことだ。
アンナにロリコンの気はない。
硬い生地のスカートをはいているので平常時の我が分身ならば感触で気づかれるということもないだろう。
もしこれがレイラのように成長した体だったなら大変なことになっていたかもしれない。
「……わたくしの回りには今までアンナのような子はいなかったの」
ひとしきり甘えて落ち着いたのか、ニャンニャンモードからいつものお澄ましモードに切り替わったセフィーネが話し始めた。
「本来なら政略結婚の程度で終わるはずだったわたくしは幸か不幸か預言の日に生まれ、そして驚くべき才能を持っていたの。魔法はこの通り最高峰の素質を持っているし、学問に対する理解力も飛び抜けていたわ。だからみんながわたくしに期待したの。本来男性にしか与えられないはずの王位継承権を女のわたくしにまで与えようとする一派が出てくるほどに。だから最初はわたくしも舞い上がっていたの。みんながちやほやしてくれるんだもの」
そこで一旦言葉を句切るとセフィーネは自嘲的な笑みを浮かべた。
「でもわたくしは他の子よりも頭が回ってしまったの。寄ってくる大人たちと接するうちに、彼らはただわたくしがもたらす権力を求めているだけなのだとわかってしまったわ。それだけならまだよかったのだけど、わたくしに期待する人たちと同じくらいわたくしを嫉む人たちがいたの。でもわたくしには権力があったから表だって何かを言われたりされることはなかったから嫌われてるかどうかなんてわからなくて……。ある日偶然聞いてしまったの。仲がいいと思っていた子が裏でわたくしの悪口を言っているのを」
そんなことが何度ものあり、やがて回りすべてが信じられなくなったセフィーネは王都から逃げるようにここへやって来たのだと言う。
「わたくしが心から信頼できるのはエリアと…………ドミニクくらいだったわ」
ドミニクの名を呼ぶまえに間があったのは彼女の性格のせいだろう。
悪い人ではないし、セフィーネのことも助けてはくれるが彼女はあくまで自分の欲求に忠実である。
少々ビジネスライクな関係に見えるがそういうところも含めて信頼しているのだろう。
「だからね……わたくしは嬉しかったの。助けても得の無い……それどころか助けに入れば自分の身だって危なくなるかもしれないあの状況でわたくしのために動いてくれたことが」
それはセフィーネが初めて同年代の子供から受けた厚意だったのだろう。
その厚意をちゃんと受け止めてくれて喜んでもらえたことはアンナとしても嬉しい。
「当然ですよ。ボクたちは友達なんですから」
その日アンナはより一層セフィーネに近づけた気がした。
++++++
「アンナ、ちょっとそこに座りなさい」
ほわほわと温かい気持ちで帰宅したアンナを待ち受けていたのは、少しピリッとした空気を纏った両親だった。
話があると言われ、食卓に着かされる。
既に夕飯は作ってあるようだが並べられてはいなかった。
それはすなわち、食事をしながら話すような和やかな内容ではないということだろう。
はて、自分は何をしてしまったのだろうかと考えたところでヨハンが口を開いた。
「昼間はどうしてあんなことをしたんだい?」
昼間、つまりセフィーネを助けるために貴族との話し合いの場に乱入してたことを言われているのだと思い至る。
デレデレセフィーネのインパクトで自分がやらかしたことの重大性を忘れてしまっていた。
「ごめんなさい……」
両親に心配をかけることを承知でやったことだったのでアンナにはただ謝ることしかできなかった。
「もしかしたら問答無用で切り捨てられていたかもしれないんだよ?」
「はい……。軽率でした。今後は今日みたいな無茶なことはしません」
もちろんアンナとてその可能性を考えなかったわけではない。
襲われたら防御できるよう意識していたし、帝国貴族の連れていた従者たちの実力がドミニクやアドルフの従者グレゴールに遠く及ばないことも立ち姿から何となくわかっていた。
もし斬りかかられてもなんとかする自信はあった。
だがそれは両親の心配を晴らす材料にはならない。
あくまで二人にとってアンナは10歳の少女であり、守るべき存在なのだ。
当の本人が進んで危険に飛び込んでいく姿を見せられては気が気でないだろう。
アンナはもう一度ごめんなさいと言って頭を下げた。
「わかってくれればいいんだ。アンナはボクたちのたった一つの宝物だからね」
「はい……お父様」
「怒ったりしてごめんなさいねアンナ。さ、ご飯にしましょ!」
「いえ、心配してもらえて嬉しいですお母様」
結局アンナへの説教はものの数分で終わった。
もともと二人はこういうことができる性格ではないのだ。
その後は和やかに夕食を食べながら、いつも通りアンナの今日の出来事が語られた。
嬉しそうに語るアンナを両親は眩しそうに目を細めていた。
夕食を終え、アンナとレイラのいなくなった食卓でヨハンとエーリカは葡萄酒飲み交わしていた。
「最近のアンナは本当に楽しそうね」
「ああ、あの子の笑顔を見るだけで毎日救われた気分になるよ」
二人の声色にはアンナへの慈しみが溢れていた。
しかし、そこに普段の陽気な表情は無く、どこかアンニュイで自虐的な雰囲気が漂っていた。
「アンナを家に閉じ込めていたのはエゴだったのかもしれないって、最近そう思うよ」
「――でも! もしアンナを男の子として産んでいたら国に差し出さなくちゃいけなかった。今ここにあの子はいなかったわ」
「うん、そのことに関しては後悔していないよ。でも……このまま続けるわけにもいかないのかもしれないね」
我が子を守るためならば、どれだけ過保護だと笑われようともかまわない。二人はそう思っていた。
その考えが揺らぐようになったのはアドルフとの一件からだ。
自然災害のごとく突然現れた彼はアンナを二人の保護無しに外の世界に触れさせる切っ掛けとなった。
最初はそれを脅威に思い、何としてでも遠ざけようと思った二人だったが、アドルフとの外出から帰ってきた時の我が子の顔を見て唖然とした。
全身泥だらけであちこちひっかき傷のあるアンナだったが、その顔は今まで見たこともないほどの笑顔だったのだ。
それからセフィーネが現れ、アンナの回りがさらに活気づいていくに従いアンナの笑顔も輝きを増していった。
アンナの安全を本気で考えるならば彼らと付き合うことを禁じるべきだったのかもしれない。
しかし二人にはできなかった。
もちろんそれはヨハンとエーリカ、それにレイラを含めた四人で過ごしていた日々が不幸だったというわけではない。
だが二人は気づいてしまったのだ。
安全と引き替えに、自分たちはアンナがより幸せになる可能性をも潰してしまっていたことに。
「でも……アンナは私たちの子よ。私たちの側にいるべきだわ!」
だが理解していても納得はできなかった。
エーリカは苦しそうに胸を押さえる。
「だって……あの子は神様がくれた奇跡の子供なんですもの……。だって本当なら私は……子供が産めないはずだったんだから……」
アンナが産まれてから既に10年が過ぎているというのになぜ、兄弟が増えなかったのか。
アンナが兄弟を欲したとき何故奴隷を買うに至ったのか。
その理由はエーリカにあった。
彼女はもうすぐ30に届くかという年齢にも関わらず未だに初潮が来ていない。
教会での治療も効果が出ず当時のエーリカは既に子供を諦めてしまっていた。
それどころかヨハンとの結婚さえも断ろうとしていた彼女だったが、ヨハンは子供が出来なくともエーリカと共に生きることを選んだ。
そんな折に授かったのがアンナだった。
2人にとってアンナはまさに奇跡の産物であり、何ものにも換えられない宝物なのである。
「その気持ちは僕も同じさ。でもいつかは……あの子があの子の意思で僕たちの元を離れる時が来るかもしれない。その時になってもまだ僕たちがアンナを束縛してしまったなら、もう親を名乗る資格なんてなくなってしまうんだ」
「でも……」
「辛いのはわかるよ。でも心の準備はしておかないと」
「準備なんて……したくないわ」
エーリカは震える声でヨハンに縋り付いた。
我が子に劣らぬほど愛している妻を今すぐにでも安心させてあげたいヨハンだが、自分の発言を取り下げることもしない。
彼の顔には親としての苦悩が浮かんでいた。
「まぁ、アンナはまだ10才だからそこまで深刻に考えることはないさ。あと20年は一緒にお風呂に入ってもいい年齢だ」
「そうよね……、まだ10才だもの。あと20年は一緒のベッドで寝てくれるわよね……」
やはり二人の感覚はかなりズレていた。
++++++
室内に小石ほどの小さな5つの火の玉が浮き、優しい赤色に染まっていた。
その内火の玉のうちに二つが合わさり一回り大きな火の玉ができる。
次の瞬間にはその大きめの火の玉に他の火の玉が一つ、また一つとくっついき次第にこぶし大の炎となる――と思いきや、再び五つの火の玉に分裂し消えていった。
「やっぱりまだ第五階梯は無理ですね……」
「第四階梯と第五階梯では必要とする熟練度が格段に上がると言われています。焦らず修練を続けましょう」
「はい」
アンナは気を取り直して再び五つの『フレイム』を発動させ、同じ作業を繰り返した。
二人が何をしているのかと言うと魔法の練習だった。
ごく少量の魔力を込めた基本魔法を取得したい階梯の数だけ発動して一つずつ重ね合わせていき、魔法が合成されている状態というのを感覚的に掴むのだ。
今は第五階梯の練習をしているので『フレイム』五つで練習しているのだ。
現在アンナは三階梯までを無詠唱・無宣言で、第四階梯を詠唱ありで発動でき、第五階梯を練習中という段階にある。
これは単純な数値だけで見るならばエルヴァー王国の魔法使いの中でも中の上という強さであり、更にアンナは第六階梯まで使える素質があるので将来は間違いなく上位に入れるほどの才能を秘めている。
もちろん実戦となれば、経験の浅いアンナは場合によっては第三階梯の魔法使いにさえ負ける可能性はあるが、10才の子供として見れば化け物であった。
「では今日はこれくらいにしますか」
ふぅ、と息を吐いて炎を消すアンナ。
お風呂に入ってから寝るまでの時間にこの練習をするのが日課なのだ。
「旦那様と奥様は遅くまで飲むそうなので、今日は先に寝てて欲しいとのことです」
「そうなんですか。珍しいですね」
いつもは3人仲良く一緒に寝るのだが、今日は久しぶりに一人で寝りに就くことになるようだ。
「……寂しいようでしたら私が一緒に寝ます」
ちなみにレイラも寝る部屋は一緒なのだがベッドは別だった。
それは奴隷ゆえの待遇というよりは4人もいっぺんに寝られるベッドがないことと、無理に寝たとしてもアンナの両脇はエーリカとヨハンの指定席であるためレイラに何のメリットもないという理由によるものである。
「だ……大丈夫ですよ! 流石に二人以外と一緒に寝るのは恥ずかしいですし」
だが一番の理由はいろんなところが順調に育ち過ぎているレイラが横にいてはアンナが眠れない夜を過ごすことになってしまうからであった。
絶好のチャンスを掴み、果敢に攻め込むレイラであったが、アンナの鉄の意志で退けられてしまう。
耳がしゅんと下がって落ち込んでいるのは承知のアンナだったがこればかりは首を縦に振るわけにはいかなかった。
「そ……そういえばアドルフ君は結局来ませんでしたね」
このまま寝てしまうのも気まずいと思い、アンナは適当な話題を振ることにした。
「そうですね。今日は彼がいなくて平和でした」
「レ……レイラはアドルフ君嫌いですね。ボクは裏表の無い良い子だと思うんですが」
「アンナ様、男をなめてはいけません。そんな警戒心のなさでは明日にでも妊娠してしまいます」
「またセフィーネ様みたいなことを。ボクは男ですよ……」
本当の性別を知っているはずのレイラにまでそんなことを言われるのはとても心外である。
「だとしても求婚などされたらまた面倒ごとになります」
「そういうのを考えるような年齢になったら気をつけますけど、その年まで女装を続けてるかわかりませんし、続けてたとしても求婚されるような容姿ではないですよ、きっと」
今自分が女の子としてやっていけてるのはきっと幼さゆえのものだろうとアンナは思っている。
「ボクはお父様の子ですからね。将来はきっとお父様みたいなキリッとしたイケメンになります。そうなれば例え女装を続けていたとしても溢れ出るイケメンオーラで自然と興味は持たれなくなりますよ」
だから気にしなくて大丈夫です、とアンナは自身満々の笑顔をレイラに向ける。
反面、レイラには狼の群れに無警戒で近寄っていく哀れな羊の幻が見えていた。
「それはさておき、アドルフ君が来なかったのは帝国貴族の人と関係があるんでしょうか……?」
「アドルフというのは帝国に多い名前だと聞きます。身分を隠しているところから見てもその可能性が高いかもしれません」
『帝国の追っ手から逃げてきた』と考えれば王女であるセフィーネとの接触を警戒したことも納得できる。
「ということは、もしかしたらこのまま……」
その予測から導き出される望まぬ未来を口にしようとしたところで、木窓に何かがコツンと当たる音を聞きアンナは言葉を中断した。
二人の視線が窓へと向けられる。
その間にもコツン、コツンと音は続いた。
「虫でしょうか?」
「その割には規則正しいですね。私が確認しますのでアンナ様はお下がりください」
レイラは音の合間を縫って窓をばっと開いた。
もちろんすぐに身をさらすような事はせず、開いた窓から少しだけ顔を覗かせ様子を見る。
すると何かを確認したらしく、警戒のためピンと立っていたレイラの耳が不機嫌そうに垂れた。
「アドルフ君ですね」
その反応でアンナは誰がいるのか理解し、窓から身を乗り出した。
「良かった! まだ起きてたんだな」
アンナの姿を確認してアドルフは安堵のため息を吐いた。
彼の隣にはグレゴールもいる。
「こんな時間に悪いけど、どうしても話したかったんだ」
――ああ、やっぱり。
彼の言葉を聞くまでも無くアンナはわかってしまった。
前世であれほど望んだものなのに。
今世でやっと手に入れたものなのに。
たった数日でそれは自分の手からこぼれ落ちてしまうのだ。
「俺は今すぐこの村を去らなきゃならない。お別れだアンナ」




