其の五
パンとジュースは、袋に入れて口を結んでから鞄にしまった。カサカサ音を立てる鞄を右肩に掛け歩き出す。
「病院。」小さく呟いたら喉の奥がきゅっと痛んだ。
一体いつから私はこんなに惨めったらしい生き物になったのか。
ふと、足元に気配を感じた。先程の子猫だ。
私は猫を抱き上げて病院に向かった。信号待ちのたびに頭を撫でながら歩いていると猫は一度だけ鳴いて、その後静かに腕の中で眠った。
病院に着くと中庭にあるベンチの下に猫を隠した。
小さな体を転がして不思議そうにしていたが、そのうちまた眠ってしまった。私はしばらく猫を眺めてから院内へ向かった。
診察ではいつものようにあれこれ話したし、大事なことは話さなかった。白い服を着た人が一言二言私を労った。私の左手をとって治療を施したあと、綺麗な包み紙の飴をくれた。その包みをじっと見つめながら薬を受け取り外に出た。ベンチの方に視線をやると、猫と例の女性がいた。にゃーにゃーと猫より饒舌に猫語を話し、嬉しそうに猫の体を撫でている。
「みてこれ、可愛いねぇ」
私がベンチに腰を降ろすと話しかけてきたが、私は返事をせずにその様子を眺めていた。中庭に植わった木から柔らかい陽の光が溢れている。猫は女性の指先に戯れついて芝の上を転がる。
「それどうしたの、腕 」
「転びました」
「あぁ、なるほど」
女性は猫を抱き上げ私の隣に座って、猫を膝にのせた。
「向こうにね、公園あるの知ってる?」
「公園、大理石の滑り台のある」
「この子連れて遊びに行こうか、今から」
私の返事を待たずに女性は立ち上がり、私の腕を引いた。
私は女性の腕に抱かれた猫を見つめたまま、何を考えるでもなくだらだらと女性の後ろに続く。小さく腕を捻ると女性の手は離れた。
「ちゃんとついでおいでよ」
向かい風にさらさら揺れる長い髪、甘い香りがこちらまで届いて私は急に不安になった。何故この人は私を誘うのか。
「佳乃さん」
思わず呼び止めたが、話すことは何もない。
彼女は驚いたように振り返ると、私の顔を覗きこんで眉をひそめた。
「体調悪い?」
私は首を横に振った。
「もう着くから、そこで休もう」
鈴のような綺麗な声で彼女が言うと、
それに返事をするように猫が鳴いた。私達は思わず顔を見合わせて笑った。