其の三
風呂場に一人、タイルの冷たさが足裏からじんじん上がってくる。ついさっきの間の抜けた自分の姿、あまりに情けなくて涙が止まらなかった。
死のうとした、死ねずに朝を迎える。死にたがりから、死に損ないへと格下げとなった。
唇は荒れ、舌も爛れている。息をするたびに、不快になるほど口の中には漂白剤のにおいが残っている。ぼろぼろの手首、もう血も止まってしまった。
朝の決意を忘れないうちにと、私は実行した。しかし、漂白剤を口にふくんだときその異様な感覚に怖気づいた。粘膜の薄い皮の中をザラリと砂が撫でていくような、歯の隙間を溶かされるような、それに耐えられなかった。死にたいのなら、飲み込めるはずの液体を躊躇いなく吐き出した。口をゆすぎ、タイルに何度も吐いた。
何故やめた、なぜ飲まなかった。
「あれでは足りない、飲んだって意味が無い。」
飲んでみなければ分からない。
「否、喉を焼くだけだ、声を失くすだけだ。」
死にたいのならば、構わない。
「死ねないで声を失くすのは、ただの失敗だ。」
お前に声は必要か。
「必要だ。」
命は要らぬくせに声は必要か。
「必要だ。」
失敗を想像するのは助かりたいからでは無いのか。死にたがりはポーズでは無いのか。生きたくて執着しているのではないのか。くだらない、屑が、絶望を偽造してまで誰に何を知らしめたい。お前のような存在は要らん。生きようと生きている人間に失礼だ。もう一度やれ、死ね、死んでしまえ、詫びろ、死んで詫びろ。
「やめて」
壁も窓も蛇口も何もかも一斉に私を罵り、責め立てた。
「許して」
ちらちらと小窓からさす朝日。時間に何を求めても、あるのはこの身体だけ。進むも退くも無いような人間には、もはや精神など病の種でしかないのだろう。
私のいう毎日とはつまりこれの繰り返し。
死に損なって生きてもいない、ぽろぽろと落ちる涙。
嗚呼、殺して。