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第六話 記憶のない少女

 幼い小妖精(エルフ)を家に連れ帰った叶梅は、まず、少女に玄関で待ってもらい、制服を脱いで私服に着替えた後、手早く服やタオルなどの一通りの物を揃えて、脱衣所の棚にセットし、給湯器のスイッチを入れ、その後、小妖精(エルフ)の少女の待つ玄関へと戻った。

 そこでは、小妖精(エルフ)の少女が、玄関までやって来た白雪と見つめ合っていた。

 緊張気味の少女に対し、白雪は警戒する事もなく、しなやかな尻尾を揺らし、興味津々といった様子で、ビー玉のような瞳で少女を見つめている。

「ただいま、ゆき、後でこの子を紹介するから、ちょっと待っててね」

白雪に声をかけてから、少女を風呂場へと案内した。

 着ている服―――と、言っても殆どボロ布のそれを脱いでもらうと、小さく華奢な裸体が露になった。

 その瞬間、叶梅はぎょっと目を見開き、息を呑んだ。

肋が青黒く浮き出た身体に、大小の痣と細かな擦り傷が、あちこち刻まれていたのである。

 痣の位置から転んだりぶつけたりして、出来た傷ではない。

 少女は何も言わない。

しかし、傷跡からは、明らかに何者かの悪意を感じさせた。

 叶梅は、内心の痛みと怒りを抑えつつ、少女を風呂場へ招き入れる。

 首のチョーカーは外し方が解らず、仕方なく付けたまま、風呂場に入ってもらう事になった。

 栓をひねって、シャワーからお湯を出すと、少女は蒼い瞳を大きく見開いた。

 シャワーを見るのは、初めてなのかもしれないと思いつつ、手でお湯を触って適温になったのを確認してから、風呂椅子にお湯をかけて少女を座らせ、そのまま、小妖精(エルフ)の少女の後ろに回ると、汚れた髪が、視界いっぱいに広がった。

「流すよ、目を閉じていて」

 声をかけてから、慎重にシャワーでお湯をかけ、髪全体を濡らしてからシャンプー液を、両手でこすって泡立て、髪につけて引っ張らない様に加減しながら洗っていく。

「うわ…」

少女の髪の汚れは想像以上で、細かいゴミや塵が沢山付着して、それが所々集まって塊となり、指通りが悪く、瞬く間に泡は真っ黒になり、思わず声が漏れる。

 それをシャワーで洗い流し、叶梅は再びシャンプーを泡立てて、丁寧に根気よく長い時間をかけ、髪を洗っていった。

四、五回程それを繰り返すと、ようやく全ての汚れを洗い流すことが出来た。

 髪を洗い終わると、次は身体を洗いにかかる。

同性で幼いという事もあり、身体に触れること関しては抵抗はない。

 しかし、少女の身体に刻まれた痣と傷が、触れる事を躊躇わせていた。

「…これから、身体を洗うけど、痛かったら、ごめんね。遠慮無く、言ってくれて良いから」

スポンジにボディーソープをかけ、揉んで泡立てながら、叶梅は少女にそう言った。

 それから、なるべくスポンジが、身体に触れないよう、泡をつけて、慎重に身体を洗っていった。

 勝手の違う耳に少し苦戦したが、何とか洗い終え、最後にシャワーで全身の泡を洗い流した。

「わあ…」

シャワーを止めた叶梅は、無意識に声を漏らした。

 全身の汚れを洗い流した事で、少女は生まれ変わったように、綺麗になった。

 春の風に舞う花びらを、集めて編み込んだかのような、淡い桃色の髪は、光の弾いて細かな金色の粒子を周囲に放っている。

その髪に映える、澄み渡る蒼穹をそのまま閉じ込めたのような深く澄んだ蒼い瞳。

 その小さく整った顔立ちは、童話の挿し絵から、そのまま抜け出してきたように愛らしい。

だが、叶梅は直ぐに表情を曇らせた。

 綺麗になった分、白くなった肌に先程より痣が濃く浮かび上がり、愛らしい容姿も相まって、余計に痛々しく見えた。

「…っくしゅ」

少女のくしゃみで、はっと、叶梅は我に返り、急いで風呂場から少女を脱衣所へ移し、丁寧に濡れた髪と身体を拭いて、用意していた自分の白いパーカーを渡した。

「ごめんね、家に小さい子の服がなくて…私のだけど、とりあえずこれを着て」

少女は小さく頷くと、辿々しい手付きで、パーカーに袖を通す。

 少女が着ると、パーカーの裾が、ワンピースのように太ももをの半分を隠し、袖も指先まですっぽりと覆う長さで、オーバーサイズっぷりが叶梅にはとても可愛らしく見えた。

 ドライヤーで、少女の髪を乾かし、ブラシで少女の髪を梳いて整えると、少女の髪はまるで絹を束ねたかのようにサラサラにまとまった。

 自室へ、小妖精(エルフ)の少女を連れていき、室内で待ってもらっている間、リビングで二人分の紅茶を準備しながら、叶梅は大きく息を吐いた。

 人生は小説より奇なり…という言葉があるが、その言葉を作った人物でさえも、創作上の存在である小妖精(エルフ)が実在して目の前に現れるなんて、想像もさていなかっただろう。

 放っておけず、突発的に連れて帰ってしまったが、問題はこの後、あの小さな小妖精(エルフ)をどうするかである。

普通の迷子なら、交番に送り届ける所だが、小妖精(エルフ)のようなファンタジーな存在を保護してくれる機関など、叶梅は当然知らない。 

 両親(ふたり)が帰ってきたら、どのように説明したら…小妖精(エルフ)の子を拾ってきたなどと言ったら、どんな反応をするか…という様々な不安や悩みが脳裏をミルクとコーヒーの様に脳裏をぐるぐると混ざり合い、渦巻いていた。

 叶梅が頭を抱えていると、不意に、踝辺りにふわりと柔らかな温もりを感じた。

 見下ろすと、白雪がぐるぐると喉を鳴らしながら、叶梅の足に頭をこすりつけていた。

 叶梅を見上げ「にゃあ」と甘えた鳴き声をあげる。

「ゆき…」

気遣っているのか、それとも単に甘えたいだけなのか、解らないが、愛猫の仕草に少しだけ叶梅の心が軽くなり、叶梅は白雪に微笑みかける。

 ふと、脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。

(…あの子、何処から来たんだろう…)

それは、彼女が一体何処からやって来たのかという謎だった。

 実は小妖精(エルフ)は、人間社会に溶け込んで細々と暮らしていて、その一人があの子…というのは、考えにくかった。

 上手くは言えないが、あの子の纏っている雰囲気は、この世界の誰とも『違う』気がした。

 まさか、ラノベによく出てくる、地球(ここ)とは異なる異世界から来たとでもいうのか。

 だとしたら、何故あの公園にいたのだろう。

あんなボロボロの格好で。

たった独りで―――――………。

(…独り、か)

自分の言葉に、胸がチクリと針で刺された様に痛んだ。

『独り』なのは、自分もある意味、同じと言えるかもしれない。

 幼少期の記憶が脳裏に浮かびかけ、頭を振ってそれを払う。

 生半可な気持ちで、聞くべきでは無いかも知れない。

理由を聞いた所で、自分では何も出来ないかも知れない。

 だが、何も知らないままでは、何をしたら良いのかも解らないままだ。

そもそも、少女の名前すら知らなかった事に、今更ながら気付く。

 とりあえず、まずはそこから聞いてみようと結論付け、お盆に二人分の紅茶を入れたマグカップと、煎餅とビスケット、バナナを入れた器をお盆に乗せた。

 客に出す茶菓子としては、微妙なラインナップになってしまったが、緊急なので仕方ない

 お盆を両手で持って、リビングを出ると、シナモンが足元にくっついて、一緒に出てきた。

「…ゆきも、来るの?」

「にゃあ」

叶梅を見上げ、肯定するような鳴き声を上げる。

 大人しい白雪なら、少女に危害を加える事は無いだろうと思い、そのまま叶梅は階段をのぼった。

 少し前を、白雪が尻尾を立てて、階段を駆け登っていく。

「…入るよ」

自室の前にたどり着いた叶梅は、軽くノックをし、声を掛けてから、ドアを開け、白雪を連れて一緒に部屋に入る。

 部屋では、先程とは、見違える程綺麗になった小妖精(エルフ)の少女が、窓際の壁に背中をくっ付け、膝を抱えて座っていた。

 叶梅と目が合うと、ビクリと肩を震わせて、顔を膝に埋める。

明らかに、警戒されている…というより、怯えられている。

 見知らぬ人間に、全く知らない場所に連れてこられたのだ。

 まして、相手は自分より小さな子供である。

怖がるな、という方が、無理な話だろ。

あのまま、放っておく事など出来なかったとはいえ、ここまで怯えられると、気の毒なことをしてし

まったような気持ちになる。

「あの…お腹空いてない?お菓子持ってきたけど、食べる?」

そう声をかけつつ、テーブルの上に、マグカップとお菓子の入った器を置く。

 叶梅は、少女の痩せ細った身体を思い出す。

お腹が空いてないようには見えないが、少女は膝に顔を埋めたまま、見向きもしない。

 叶梅は、困り果てた。

話を聞こうにも、これではまともな会話すら成り立たない。

 何か、少しでも小妖精(エルフ)の少女の心を開く方法は無いかと考えていると…。

「にゃあ」

 下のリビングから、叶梅と一緒に着いてきた白雪が、とてとてと少女に近づいていった。

「ちょっ、ゆき…」

叶梅が止める前に、白雪は少女の前にたどり着く。

 ビー玉のような水色と金の瞳で、少女をじっと見上げる。

「……」

少女は膝から少しだけ顔を上げ、伏せ目がちに白雪と見つめ合う。

 ごろごろ、と機嫌良く喉を鳴らしながら、白雪は少女の膝に、すりっと全身を擦り寄せた。

 少女はびくっと身を震わせ、全身を固く強ばらせるが、すぐに身体から力が抜け、恐る恐ると、しかし好奇心を抑えきれないといった様子で、顔を上げて白雪を見つめ続けた。

 叶梅は、小妖精(エルフ)の少女に、穏やかに話しかけた。

「可愛いでしょ?その子は白雪。うちで飼っている猫で、女の子なの」

そこで初めて、小妖精(エルフ)の少女が叶梅を、真っ直ぐ見つめた。

 その頬には、まだ怯えが残るが、白雪に触れたおかげか、先程よりは和らいで見えた。








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