第五話 少女との出会い
日葵と叶梅を乗せたバスが、叶梅が降りるバス停で停車する。
日葵の隣に座っていた叶梅は、席を立つと、日葵に声をかけた
「じゃあ、日葵ちゃん、また明日」
「ああ、また明日な」
日葵と別れ、定期券を精算機にかざして、バスを降りる。
走り出したバスを見送ってから、叶梅も自宅へ向かって歩きだした。
歩道をまっすぐ歩き、小さな公園の入り口を通過したその時だった。
「おい、黙ってないで、何とか言ったらどうなんだよ」
「俺らの遊び場に、勝手に入ってきやがって」
何やら悪意を感じる言葉が耳を掠め、不穏なものを感じた叶梅は足を止めた。
公園の方を振り返ると、滑り台複数の男子小学生が、小さな影を取り囲んでいるのが見えた。
影の正体は、少年達より一、二回り小柄な少女だった。
俯いている為、顔が見えず、男か女か分からない。
ただ、怯えているのか、遠目からでも解るほど震えていた。
「きったねーし、くせぇし、さっさと出てけよ、お前っ」
少年のうち一人が、いきなり腕を伸ばして、少女を突き飛ばす。
あっけなく少女は地面に押し倒され、それを見ていた突き飛ばした少年が「なにコイツ、弱っ」という嘲笑混じりの声を上げ、それを皮切りに周りで見ていた少年達も、ゲラゲラと意地の悪い笑い声を上げた。
次の瞬間、叶梅の頭に、かっと熱い血が一気に上った。
「―――止めなさいっ!」
自分でも驚く程大きな声を上げると、少年達がびくりと肩を震わせて、一斉に振り向く。
「な、何だよお前……」
少年の一人が、どもりながら問いかけるが、叶梅は答えず、ずんずんと気迫のこもった足取りで公園の中に入り、少年達の輪に近づいた。
叶梅の鋭い視線に圧されたように、少年達がさっと左右に道をあけた。
「あなた達、こんな小さな子を寄って集って、恥ずかしくないの?」
吐き捨てるような言葉と共に、叶梅は地面に踞って、震える少女の前に立ち塞がった。
地面に踞っていた少女は顔を上げ、髪の間から覗く涙に濡れた蒼い瞳で、叶梅を見上げた。
「う、うるせぇ!お前には関係ないだろっ」
少年の一人が、強がるように声を上げるが、叶梅は毅然とした態度で、一歩も引かない。
「関係なくないよ。こんな小さな子が苛められているのに、見過ごすことなんて出来ない」
静かだが、怒りを押し殺した声は更に迫力を増し、それに圧されるように、少年達は顔を引きつらせてたじろぎ、二、三歩後退した。
「…な、何だよ、うぜぇーな」
「もう行こうぜ」
少年達は、そそくさと踵を返し、一人が負け惜しみか、去り際に叶梅に向かってあっかんべーをしてきた。
当然、そんなものは、叶梅に響かない。
少年達が去り、静まり返った公園内で、叶梅はふぅと、息を吐くと、振り返りながら、少女に向かって優しく柔らかい声をかけた。
「怖かったよね、もうだいじょう…」
すぐ後ろで、地面に座り込んだ少女の姿を見た叶梅は、絶句した。
(え…何、この子痩せすぎ…それに格好も…)
歳は五、六歳程だろうか。
乱れて黒みがかった、くすんだ桃色の長い髪は光を失い、所々こびりついた汚れで固まっている。
全身から漂うのは、獣臭に似た、湿ってべたついた不快な臭い。
黒いチョーカーネックレスが覆う首は、装飾の鈴が重く見える程、細く頼りない。
整った顔立ちが、かえって痛々しい。
真っ黒に汚れた頬に、涙の跡が混じり、まるで―――ゴミ捨て場に捨てられた人形のようだ。
華奢で小柄な身体に、薄汚れて、灰色とも茶色ともつかないボロ布一枚を身に纏い、その間から覗く手足は、まるで枯れ枝のように細い。
―――――奴隷
叶梅の脳裏に、この二文字が浮かび上がる。
少女の纏う悲壮な雰囲気も相まって、その姿はファンタジー小説や漫画に登場する奴隷そのものだった。
只の迷子では無いことは、明らかだ。
一体、この子は…思考が渦巻く中、叶梅は気付く。
俯いた少女の肩が、微かに震えていた。
「…ひっ…ふっ…うう…」
嗚咽混じりの泣き声が、静かな公園に滲む。
震える小さな手が、布の端をぎゅっと握りしめる。
(怯えてる…)
その瞬間、頭の中の疑問はどうでも良くなった。
叶梅は、ゆっくりと膝を折り、そっと距離を詰める。
出来る限り、穏やかな声で、静かに語りかけた。
「泣かないで、私は貴女を苛めたりなんてしないから」
ただ、安心させてあげたかった。
それだけの気持ちで、叶梅は優しく微笑む。
その想いが伝わったのか、少女がゆっくりと顔を上げた。
髪の隙間から覗いた、涙に濡れた蒼い瞳が―――叶梅を映した。
(…このまま、放っておけないし、交番に連れていった方が…)
そう考えた瞬間、一陣の風が、公園内を駆け抜ける。
叶梅は咄嗟に、風で乱れた髪を抑えた。
同時に、少女の髪がふわりと舞い上がる。
―――――その瞬間、あるものが露になった。
「―――っえ…」
その時、世界が止まった。
叶梅の視線を釘付けにしたのは、乱れた髪の隙間から現れた、少女の耳だった。
柳の葉のように細く、先端が美しく尖っている。
それは、明らかに人間のものではなかった。
整った容姿に、尖った耳。
その組み合わせが示す存在を、叶梅はすぐに思い浮かべる。
―――――他種族と一線を画す優れた美貌。
―――――長い寿命と、森を愛する気高き心。
―――――優れた魔力と叡知を備え、人間とは交わらぬ幻想の民。
自然と、一つの言葉が唇から零れ落ちる。
「…エル、フ?」
それは、現代の誰もが漫画やゲーム、アニメや映画で一度はその姿を目にした事がある――――架空の種族の名だった。
飾りかと思った耳は、作り物のような無機物さがまるでなく、皮膚と同じ柔らかで温かな質感をしている。
よく見ると、微かに上下に動いていた。
まるで、周囲の音を探すように。
叶梅は息を呑んだ。
――――間違いない、本物の小妖精だ。
(…あれ、この子、何処かで…)
かつてない衝撃で、思考が停止寸前の叶梅の脳裏に、不意に過る既視感。
しかし、それが何なのかは、どうしても思い出せずにいた。
「………っ」
叶梅の反応が、幼い小妖精の不安を煽ったのかもしれない。
小妖精の表情が歪み、サファイアを想わせる澄んだ蒼の瞳が、不安そうに揺れる。
「あっ、違うの…ちょっと、色々びっくりしただけで…」
咄嗟に言い繕うが、心臓は痛いほど、ドクドクと早鐘を打っていた。
目の前の現実に思考が追い付かず、叶梅はただ戸惑うばかりだった。
それも当然だろう。
助けた子供が、実は人間ではなく小妖精でした、なんてそんな何処かのラノベみたいな展開、誰が予想出来るだろうか。
故に、どう対処したら良いのか、全く解らない。
だからと言って、関わった以上、幼い彼女をこのままここに独り、置き去りにするのは心苦しい。
叶梅は、小さな小妖精をじっと見つめた。
ボロボロの布に、薄汚れ、ほつれの目立つ桃色の髪。
青白い頬に、微かに震える引き結んだ唇。
伏せられた蒼い瞳は、不安の影に濁っている。
捨てられた犬の方が、まだマシという程悲惨な風貌に、叶梅の胸の奥がズキリと痛んだ。
気がつけば、考えるより先に、身体が動いていた。
再び、膝を折って幼い小妖精と目線を合わせた叶梅は、出来るだけ穏やかに声をかけた。
「…行く所が無いんだったら、うちに来る?」
叶梅の提案に、小妖精の蒼い瞳が僅かに見開かれる。
戸惑う様に視線をさ迷わせた後、深くうつ向いて、動かなくなる。
(どうしよう…怖がらせちゃったかな…?)
いくら助けられたと言っても、見ず知らずの相手にいきなり家においでと招かれたら、警戒の念を抱くに決まっている。
沈黙が、叶梅をちくちくと焦らす。
「………」
やがて、小妖精が微かに顔を上に上げ、上目遣いで叶梅を見上げた後、小さく首を縦に振った。
躊躇いはあるようだが、一緒に行きたいという、紛れもない意思表示だった。
叶梅はほっと息を吐き、優しい笑みを浮かべて頷くと、手を差しのべる。
「…解った、じゃあ、ちょっと歩くけど行こう」
小妖精の少女は、じっと叶梅の手を見つめた後、恐る恐る手を伸ばし、そっと握った。
手の平越しに伝わってくるのは、人と同じ柔らかさと温もり。
それに安堵に似た感情を抱きながら、叶梅はその小さな手を柔らかく握り返し、小さな小妖精の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩きだした。




