第二話 親友と登校
不意に、テレビの画面が、切り替わり、朝の報道キャスターが、次のニュースを読み上げた。
『昨夜未明、長野県安曇野東雲町三丁目の路地裏で、市内に住む渡辺美咲さん(二十二歳)が遺体で発見されました。遺体は胸部を切り裂かれ、心臓が抜き取られており、警察は一連の事件の関連性を含めて、捜査を続けており…』
朝の爽やかな空気に似合わない、不穏なニュースに、叶梅は思わず箸を止め、テレビ画面を見つめた。
「また、人が殺されたのか…」
誠治が険しい表情で、テレビ画面を見ながら、低く呟いた。
この付近では最近、若い男女が殺されて心臓を抜かれるという事件が、相次いで起きていた。
警察は通り魔の可能性を視野に、捜査を続けているが、何の手がかりも得られず、犯人も今だ捕まっていない。
「叶梅、絶対寄り道しないで、真っ直ぐ帰ってくるのよ。暗くなるまえにね」
快活な桜凪が、普段の笑みを消して叶梅に告げた。
誠治も茶碗を置き、娘と向き合う。
「桜凪の言う通りだ。人通りの少ない道は避けろ。何かあったら、周りの大人を直ぐ頼りなさい」
「...わかった」
二人の静かだが、真剣な言葉に押され、小さく頷く。
桜凪は、娘の手を取った。
「約束だからね、あんたに何かあったら、母さん、本気で泣いちゃうから」
言葉は茶化しているが、その表情は何処か固い。
「解っているから、そんなに心配しないで」
母を安心させようと、叶梅は努めて明るい笑顔を浮かべた。
叶梅は再び、テレビ画面へ視線を向けた。
画面には、被害者の生前の写真が写し出されていた。
優しそうなは若い女性が、はにかんだ笑みを浮かべてこちらを見つめている、
見ず知らずの他人であっても、未来ある若い女性が命を奪われたという事実に、胸が痛む。
一日でも早く、犯人が捕まって事件が解決するようにと、叶梅は内心祈りを捧げた。
「行ってくる」
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
朝食を食べ終えた後、身支度を整え、両腕にアームカバーを装着し、通学カバンを肩にかけた叶梅は、スーツに着替えた両親と一緒に玄関から外に出て、桜凪と共に会社へ向かう父を見送った。
「じゃあ、お母さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい、頑張ってね」
父の乗った車が、敷地外を出た後、叶梅も母に挨拶をしてから、通学鞄を肩に掛け、歩き出した。
左右を見渡してから車道に出ると、昨夜降った雨が舗道や路地のあちこちに大小の水溜まりを作っているのが目に入った。
朝日を反射して、鏡のように光る水面が、家々の壁や電柱を淡い黄金色に映しこみ、町全体を絵本の挿し絵のように柔らかな風景へと変えていた。
その中を歩いていると、連日世間を賑わせている不穏なニュースなど、全て悪い夢の中の出来事だったように感じる。
胸の奥のもやもやとした不安も、朝日の柔らかな光の中に溶けていくような気がした。
やがて、近所の小さな公園の前に差し掛かる。
砂場やブランコ、カラフルに塗られた玩具のような滑り台やジャングルジムなどの遊具が並ぶ公園は、早朝ということもあって、誰もいない。
雨に濡れた鉄棒からは、水滴が垂れ、朝日に反射してキラキラと輝いている。
雀のさえずりが耳に届き、日常の穏やかさを添える。
それらを横目に通りすぎると、目的のバス停が見えてきた。
叶梅がたどり着くと同時に、前方から走ってきたバスが静かに停車する。
車体の横腹を照らす朝日が、一瞬眩しく反射して、叶梅は目を細める。
扉が開き、乗り込んだ叶梅は定期券を精算機にかざす。
軽やかな電子音が鳴ると同時に、扉が閉まり、バスが緩やかに発車する。
空いた席を探して車内を見回していると、ふと、斜め右前方の席に座っている、一人の少女が目に留まった。
同じ中学の生徒らしく、叶梅と同じデザインの制服を身に纏っている。
短く切り揃えられた栗色の髪と、凛とした背筋で、すぐに少女が誰か解った。
叶梅は、浅く息を吸うと、少女に向かって声をかけた。
「日葵ちゃん」
叶梅が名前を呼ぶと、少女がこちらを振り返った。
つり上がった琥珀色の瞳が、意思の強さを感じさせ、整った栗色のベリーショートが、その印象をより鮮やかに引き立てている。
「叶梅、おはよう」
叶梅の姿を認めると、少女の表情がふっと和らぐ。
さっきまで鋭い光を帯びていた目元が柔らかな光を宿して緩み、頬にも穏やかな笑みが浮かんだ。
少女の名は仙石日葵。
叶梅のクラスメイトであり、小学校低学年から付き合いのある幼なじみだ。
鋭くつり上がった目付きと、一文字に引き結んだ唇から、一見いつも怒っているように見えて、近寄りがたいと思う者もいるかもしれないが、本当は温かく優しい心の持ち主なのだと、叶梅は知っている。
叶梅は、彼女に肉親にも近い、信頼と情愛を寄せていた。
それは、日葵の方も、同じであると心から信じている。
「昨日はよく眠れたか?」
日葵の隣に座り、周囲の乗客の迷惑にならないよう、声を抑えながら、学校に向かう道中、親友との談笑に花を咲かせた。
「うん、日葵ちゃんは?」
「私は、普通だな。そうだ、聞いてくれよ。うちの兄様達がさ、朝食の卵焼きを取り合って…ほんと幾つになっても子供みたいなんだから」
「ふふ、相変わらず、にぎやかだね」
いつもの、気心知れた友人と過ごす、穏やかな日常のやり取りに、叶梅は温かな湯に浸かるような幸福を、噛み締めていた。
それは、いつもと変わらない日常の風景で、だからこそ、叶梅は知らなかった。
この先に待つ、小さな『出会い』と、自分が手にする、強大な『力』を
そして、同時に背負う事となる過酷な『運命』を…
二人は何時もの時刻に、市立東雲中学校前へ到着した。
入学当初は、満開の花達で迎えてくれた桜の木も盛りを過ぎ、瑞々しい新緑の葉に、春の名残を思わせる薄紅色の花びらが覗いている。
他の生徒達に混ざってバスを降り、表門を通り抜けた叶梅達は、二人並んで玄関に向かって歩き出した。
「叶梅、日葵、おはようっ」
「おはよう、日葵ちゃん、叶梅ちゃん」
「あ、舞菜ちゃん、心菜ちゃん、おはよう」
「おはよう」
玄関に向かう途中、二人に話しかけてきたのは、クラスメイトの竹下舞菜と、その双子の妹の心菜だった。
心菜は、黒髪を三つ編みにしているのに対し、、姉である舞菜は、ビビットカラーに染めた髪を、頭頂部付近でお団子に纏めて隠している。
髪型を覗けば、顔立ちや背格好はそっくり同じで、まさに瓜二つという言葉がピッタリ当てはまる。
同じ小学校出身という事もあり、叶梅達とは、お互い親しい間柄だった。
「相変わらず、仲いいねー、二人とも」
「ま、付き合いが長いからな…」
舞菜の言葉に、気恥ずかしそうに頭をかきながら答える日葵。
そんな日葵を見て、叶梅は微笑む。
「でも、うちらだって、負けてないんだからね、近所のオバチャン達から、昔から仲良し姉妹って有名なんだから!」
「ちょ、お姉ちゃん…」
舞菜に唐突に抱き寄せられ、赤面する心菜。
そんな二人を見て、日葵は半目になる。
「いや、お前は何を張り合っているんだ…」
「はは…」
その後、雑談を交わしながら、五人は玄関を通って校舎の中に入り、下駄箱で靴を履き替え、二階にある一年生の教室へ向かった。




