悲鳴
俺は図星を突かれて顔を真っ赤にする。
「ギャァ――――」
突然、断末魔の叫び声が車から轟いた。おそらく酔い潰れて意識を失っていた女性が目を覚まして悲鳴を上げたのだろう。断末魔の叫び声がエロい妄想に浸っていた俺を現実世界に連れ戻す。
「あぁぁぁあ……」
このままでは警察に捕まってしまうという恐怖心が俺の心臓を握り潰す。またしても俺は女性の心配ではなく自分自身のことを心配する。
「……」
牛院が俺に何か伝えようと声をかけるが、恐怖に支配された俺はしゃがみ込んで縮こまる。
「……」
牛院は俺に何かを呟いて走り出した。しかし、俺には何も聞こえない。いや、何も聞こえないように耳を塞いで現実世界を拒絶していた。俺がうずくまってどれくらい経過したのだろうか。いくら現実世界を拒絶しても時はとまらない。俺は観念して、塞いでいた耳を現実世界に傾ける。するとそこは風で揺らめく木々の声も聞こえない静寂の世界だった。まるで怪獣が過ぎ去って全てを破壊された虚無の世界だ。俺は恐る恐る車の方へ目を向けた。
「……」
俺は悲鳴を上げることができずに絶句した。車の後方には河鹿と宇久井がうつぶせになって倒れていた。
「何がおきているのだ」
想像していたこととは違う光景を目にした俺は震え声で呟く。
「アイツら寝ているのか」
駐車場の地面で寝ているはずがないが、俺は自分の都合の良い現実を選択する。
「柊たちはどこだ」
怯えている俺はロボットのように機械的な動きで周囲を見渡す。しかし、牛院の車以外の車もなければ俺達以外の人もいない。
「車の中か……」
もう悲鳴は聞こえない。性行為が済んだので、柊と牛院そして女性は、車の中で休んでいるのだろうと安易な答えを導いた。しかし、異様な静けさが、そうではないと反論しているが、俺は拒絶する。車の中を確認すれば全てが明らかになるが、そんな度胸は俺にはない。もしも、河鹿と宇久井が死んでいるとすれば、車の中はもっと恐ろしい出来事が待ち受けているはずだからだ。柊と牛院はどうなっているのか?車に連れ込んだ女性はどうなっているのか?俺はその場から一歩も動けずにうじうじと躊躇っていた。
「警察だ。警察に連絡しよう……」
俺はズボンのポケットに手を伸ばしてスマホを握りしめる。しかし、俺はスマホをポケットから抜き出すことができずにフリーズした。ここで警察に連絡すれば女性を車で拉致したことがバレてしまう。女性は酒に酔いつぶれていたので、車で展望台に連れて来られた経緯は知らないだろう。牛院は女性が同意したていで車に乗せて性行為をしたと証言すれば良いと言っていたが、どこまで警察に信じてもらえるだろうか。酔った女性を車に乗せて、人気のない山頂の展望台に連れて行き、複数人で性行為をすれば、不同意性交と疑われる可能性は高い。そもそも裁判沙汰になることが一番の問題だ。俺の額から冷たい汗が零れ落ち、俺はスマホから手を離した。
「もう……帰りたい……」
これが俺の素直な言葉だ。いつものように誘いを断っていれば、いつものような平穏な生活を送ることができていたはずなのに……。俺は自分の愚かな行動に悔いた。自分を変えようなんて無理なことだったのだ。自分の身の丈に合った行動をしていれば良かった。いくら後悔しても現実は変わらないが、俺はうじうじと後悔の念に囚われて立ち尽くしていた。
危機的状況な時、即座に判断して動ける人間なら、この時どのような行動をすれば正解だったのだろうか?気弱で臆病な俺は、危機的状況に直面した時、ビビッて何も出来ずに動けない。他に誰かが居れば、俺以外の誰かが行動をしてくれるのだろう。だが今は俺しかいない。俺が動かない限り何も変わらない。
「くそ!」
俺はか細く小さな声で呟く。危機的状況に立ち向かう根性など持ち合わせていない俺には逃げる以外の方法は選びたくない。しかし、ここは山頂の展望台、逃げる場所がない行き止まりだ。助けが来るのを望んでも、誰も助けてくれないので、進むしか道は用意されていなかった。
俺は牛歩の如く一歩一歩進む。一歩進むにつれて俺の顔はどんどん青くなる。河鹿と宇久井の元へたどり着いた頃には俺の顔は死人のように真っ青になっていた。ここで俺は考える。河鹿と宇久井が生きているのかを確認するか、車の中の状況を確認するのかの二択を選ばなければならない。はっきり言ってどちらも嫌だ。俺は牛歩の次はまたしても現実から逃げ出してフリーズして、選択を放棄する。
『バタン』
俺がフリーズして1分程が経過した時、唐突に車の後方の扉が開いた。
「……」
俺は絶句する。車の後部には下半身をむき出しにした柊の姿があった。そして、柊の側には銀髪ショートカットの真っ赤な大きな瞳の女性が、魅惑的な笑みを浮かべて俺を見つめていた。