7.
「オレとしては、その魔法石を対価としてもらってもいいくらいだったんだけど」
「テオのプリンじゃ不服だって?」
「そんなこと一言も言ってないじゃない」
ウィルは3枚のコインをメッセンジャーバックの中の小さな袋に入れ、それから僕の方に体ごと向いた。その視線は僕の手の中の小さな魔晶石に注がれている。
テオもカウンターの向こうでプリンを用意しながら、こちらに注意を向けている。もうちょっとプリンの方に集中してほしいところなんだけどな。
僕は魔晶石に力を込める。指先で魔晶石にぶつかった魔力が、火花のように散る。隣に座るウィルが歓声を上げた。光は次第に強くなり、魔力がぶつかってできた風が髪を揺らしていく。
耐えきれず、魔晶石が割れると同時に、一層強い光が一瞬、店内を照らし上げた。
「——問おう。汝は如何なるものか」
烈しい光が集まって、僕の手の中に小さな人型のものが構築される。それは声の方に、つまりは僕の方に手を差し伸ばし、そうして応えた。
『——愛の女神』
光が割れた。より正確には、光の殻が割れ、飛び散って、ちょうど花火の火が燃え尽きるように霧散した。
僕の両手は熱く、光に眩んだ目は灼けそうだったけれど、何度か瞬きをするうちに慣れた。
手の内には、一見すれば人形とも思うような、小さい人——、そう、人に近しいものが、ちょこんと座っている。
細い金糸の髪は光を帯び、魔晶石と同じ淡桃の、ワンピースと言うには少々お粗末な布を纏うそれは、幼子のように僕を見上げている。
「愛の女神——。ならば君は、『アミス』だ」
『アミス、それがわたしの名』
「そう。どうかな?」
『悪くないわ』
光が強まる。広まった光があかあかと、けれども先ほどよりは優しく店内を照らした。
僕の手を離れ、彼女自身の力でその姿が形作られていく。増幅した魔力が蔦のように広がり、そうして集まり、蕾となる。
僕たちはその様子を静かに見守った。音はなかった。発することすらも許されないようだった。僕の隣に座るウィルは、瞬きすらするのを忘れて、その光景に見入っていた。
薄暗い地下のバーカウンターが、このときばかりは昼よりよっぽど明るく照らされ、一つの存在の誕生を粛々と見守っている。
分かたれ、そして一つになって統合されようとするそれを見ながら、僕はその名に思いを馳せた。
名前というものには力がある。名前自体にもそりゃあ力はあるけれど、それよりも、名を与えるという行為にこそ、力がある。
人は、知らないものは怖いんだ。それが人であれ、生き物であれ、現象であれ、何であれ、とにかく知らないものというのは怖い。だから、名を与える。そのものの存在を定義する。定義されたものは、ようやくその姿形をこの世に表す。むしろ、名によって定義されないものは、姿形すらわからないから怖いのかもしれない。
定義されて、ようやく人はそれを認識できるようになる。ようやくそれへの無自覚な恐怖心が少しだけ和らぐ。だから人は名前を与える。そうして与えられた名が、言葉になる。だから名を与えるということには、力がある。その存在をこの世に生み出し、僕たちが認識できる形にすることだから。
反対に、或いは当然のこととして、名前を与えられたものもまた、力を得る。名前というものに縛られて初めて、境界線が生まれる。そのものと、他のものとの境界線だ。その境界で分たれて、それだけになったとき、そのものは僕たちに認識される。僕には僕の名が、君には君の名があることで、僕たちは独立した存在でいられる。呼び方の差は境界線の引き方の差に他ならない。それ以上でもそれ以下でもない。
例えば一匹の犬を「犬」と呼ぶか、「動物」と呼ぶか、それともその犬種で呼ぶか、飼い主の名づけた名前で呼ぶかは、何と比較してそれを呼ぶかという違いによってのみ変化する。猫と比較するなら犬と呼べばいいし、植物と比較するなら動物と呼べばいい。犬種を較べようというならその犬種を呼べばいいし、他の犬と較べようというなら、それに付けられた名を呼べばいい。それだけの話だ。以上も以下もない。
そうして独立したそれは、特にそれが神であるならば、実体を持たない存在であるときには、名そのものが実体となる。名を知られなければ、神は存在できない。忘れ去られた神は神足り得ない。信仰がなければ、存在し得ない。魔法と同じように。
もしかしたら、だから神は、信じなければ使えなくなるように、魔法を作ったのかもしれないね。
そして、神というのはその名を知られれば知られるほど、その力が増す。その存在が知られるほど、その力が増す。だって、いるかどうかもわからない神に祈りを捧げようなんて人、滅多にいないでしょう? 信じられている神ほど強く、存在が知られている神ほど強い。どの世界の神もそういうものだ。
もうすっかり信仰なんてものは薄くなってきているけれど、この国で信じられている、或いはいた、神たちがいる。同様に他国には他国の神がいる。それらは相反するものか。いいや、そんなことはない。僕の持論では、同じものを守護する神が複数いるなんてことは当たり前のことだ。ただ、全知全能の神だけは存在しない。し得ないと言った方が妥当かもしれない。全知全能は矛盾を含むからだ。もしそう定義づけられた存在があったとしても、それは信仰するものたちの思想の上で、そのものたちの知る限りの全知全能であるだけであり、そのもの自体が全てを知っているというわけではない。この世界は無知にも寛容だ。
そうして、人々の思いによって生まれた神たちは、人々に愛され、信仰され、そうして繁栄し、ある時その名を奪われた。
決して、名を奪うことが目的だったわけではない。けれども結果として彼らの名は奪われた。
まだ魔法が貴族庶民を問わず、当たり前に使われていた時代。より簡便に魔法を使おうと、魔力を結晶化した石、魔法石を生み出し、それを道具にはめ込むことで作り出されたのが古代聖遺物だ。魔法石に魔力を流しこむことで、通常よりも少ない魔力で同様の効果を生み出せる。そういう補助具として開発された。
けれども人というのは欲深いもので、簡便になればなるほど、より楽を求めようとする。より強い効果を求めようとする。
そうして古代の技術者たちは、自らの魔力によって魔法石を生み出すことを辞め、代わりに神様の力を頼った。より正しく表現するならば、下地となる魔法石は作っていた。けれど、それを依代として、神を招き、アーティファクトの力の源は招かれた神の力によるものとなった。
楽を手に入れれば、それはさらに加速していく。技術者たちによる生産の簡易化は、神を神と見做さぬものとなり、そうして神々はアーティファクトに閉じ込められるに至った。人々が神という存在から力を与えられたということを忘れていくに従って。
神の力が使えなくなったらどうなったか。わざわざ言う必要もないかもしれない。その技術は魔法を離れ、機械化へと移っていって、そうして今に繋がっている。
そうして忘れられた神々は、古い文献の中にどうにか名を残すのみとなり、その文献は各国の王家に伝えられた。
今となっては、それも失われてしまったものが大半だろうけれど。
その姿を知る者はおらず、その名さえ忘れられてしまった神々はどうなったか。人が忘れれば神は消える。消えずに残ったのはただ、アーティファクトに埋め込まれた、便利であれという願いだけ。だから神はアーティファクトに閉じ込められた。人を豊かにするためのものと定義されて、それ以上の力を持ち得なくなった。
僕は、僕の役目の一つはその神々を解放することだと思っている。
名前は役割だ。名は境界を作り出し、そうしてそのものに役割を与える。
そうであるということに、人と神とで違いはない。他のものでも同様だ。
僕がジェイデン家のロンを名乗るのも、テオがグレイスフォード家の庶子を名乗るのも、僕たちがそういう役割を演じるための役名でしかない。マスターと呼ばれればマスターという役を演じ、郵便配達人と呼ばれれば郵便配達人を演じる。僕らはそうやって生きている。
同様に、神々もそうやって存在している。
花ひらくように、愛の女神はアミスという名を纏って、この世界に現れた。
「僕はロン・ジェイデン。よろしく」
腰まで伸びた金糸の髪は柔らかくうねり、精巧に作られた人形のようなそのひとは、愛の女神と名乗った通りに愛しい風貌でそこにいた。
僕は彼女に手を差し出す。おもむろに僕を見上げる彼女は柔らかく微笑んだかと思うと、閉じていた瞳をカッと見開いて、僕の横を通り過ぎた。
椅子に腰掛けたままのウィルは、突然のことに反応しきれないまま、アミスにぎゅうと抱きつかれている。
ややあって、ようやくどこかへやっていた意識を取り戻したらしいウィルが、どうにか右手を動かしてアミスを指した。
「ロン、これは?」
「愛の女神だね」
「そうみたいだね。そうじゃなくて!」
一体何をそんなに怒ることがあるのだろう。僕に一瞥もくれないまま、ウィルの体臭をスンスンと鼻を鳴らして嗅ぎ回っている女神様の様子は、そりゃあ普通ではないかもしれないけれど。
ウィルはアミスから逃げようとして、けれども力負けして、なされるがままの状態で、べそをかきながらに僕に訴えた。
「なんでオレは抱きつかれて匂いをめちゃくちゃ嗅がれてるの!」
「知らないよ。本人に聞いてよ」
「なんでオレに抱きついて匂いをめちゃくちゃ嗅いでるの!?」
「男だからよ」
「どういうこと!?」
混乱のさなかにいるウィルを肴に、僕はテオが冷蔵庫から出したばかりのプリンにスプーンを刺した。
少し硬めのプリンは、カラメルの苦みが合わさって程よく甘みと苦みが広がって美味しい。
「腕を上げたね」
「お褒めに預かり光栄です」
「談笑してないでオレのこと助けてよ」
「第二次性徴期を迎えてもなお幼さの残る風貌はその元来の気質によるものかしら、しかしながらその体躯は思いの外がっしりとしていて、適度に鍛えられた体からは街を駆け抜けていたのであろう塵の匂いと共に爽やかな汗が……」
「なんか品評し始めたんだけど!」
流石の僕もウィルが可哀想になってきた。美しい女神に抱きつかれるところまではいいとしても、キマりきった目で息継ぎなく品評をするのは流石に初対面の行為ではない。僕にだって流石にそれくらいの常識はある。
仕方ない、助けてあげよう。
「ねえ、アミス。それくらいにしておいてあげてよ。それでも一応、僕の大切な友人でね」
「ロン……!」
ウィルが感動した様子で僕を呼ぶ。けれど、どうやらアミスには僕の声は届いていないようだった。まるで聞く耳を持たない。懐かない猫のようだ。
僕はもちろん猫も好きだけれど、猫の扱いなら僕よりも適任がいる。
「テオ」
「はい。美しいレディー、よろしければこちらで、おもてなしを」
テオが声をかければ、アミスはようやく顔を上げた。解放されたウィルは疲れた様子で、すっかり薄くなったオレンジジュースに口をつけた。
「あら、いい男じゃない。その身を偽っていなければ余計に」
テオの案内した席に座るなり、アミスはテオの顎を撫で、舐め回すような視線で品定めを始めた。
「マスターが口説かれてるけどいいの?」
「テオがそこんじょそこらの女性に靡くわけないだろう」
「それもそっか」
ウィルはそれで納得したらしい。テオが出していったプリンをスプーンでつつき、そのプルプルさを味わってから、スプーンで欠いた一片を頬張った。一通り幸せそうに頬を緩ませてから、テオとアミスの方へ視線を向ける。
「それにしても酷い目に遭った」
深いため息とともにそんな言葉を吐き出して、ウィルは向こうをスプーンの先で指しながら僕に問うた。
「で、何をやったの」
「神様の実体化だよ」
「それはなんとなくわかったけどさ」
お行儀が悪いなんて、そんな考えはここにはない。うちのギルドにいる品行方正な人間なんて僕くらいなものだ。
僕が品行方正かどうかは議論の余地がある? そんなわけないだろう。議論したいなら勝手にやっていればいいさ。
僕はテーブルの上に残った結晶の残滓に触れる。チカッと小さく発光して、すぐに消えてしまう。
ウィルは僕の回答では不十分だったようで、じっとりねっとり僕を見つめてくる。男に見つめられる趣味は僕にはない。僕は答えをあげようと口を開いた。
「より正しく言うなら、魔晶石の神化かな。閉じ込められていた神をこの世に招いた形になるね」
「ましょうせき? 魔法石とは違うの?」
「違う。ウィルは見たことなかったっけ?」
ウィルはうん、と頷いて、スプーンを口に咥えて、指先を魔晶石の残滓へと伸ばした。触れても特に何も起こらない。なんなら、触れている感覚すらないのかもしれない。
「魔法石なら闇市で高値で売られているのを見るけど」
「今は魔法を使えるモノが少ないからね。魔法石すら貴重になる」
「すらってことは、それより高価なの?」
「まあ、僕なら魔法石よりは魔晶石の方に高い価値をつけるかな。そこいらのお貴族様はそんなこともないかもしれないけど」
「じゃあ高値では売れないのか」
「流通している魔法石と同じくらいかもう少し高い値は張るよ」
「十分高価じゃんか!」
ウィルは握った両手で机を叩いた。スプーンの柄の先が表面を削る。あんまりぞんざいに扱って欲しくないんだけどな。店の備品だし。
「そりゃあね、僕が作ったものだから」
僕はカラメルを掬いながら言った。
「ロンが作ると高価になるの? うっそだー」
ウィルもプリンを掬って言う。
「僕のこと何だと思ってるの」
「マスターの飼い猫」
「僕は猫じゃないし、テオに飼われてもいない」
「いやあ? そんなことないと思うけどなあ」
「そんなこと言ってると、セブレチカに言いつけるよ。もっとこき使っていいよって」
「ちょっ、それはズルいって!」
セブレチカ・ハンドゥーはウィルの上司に当たる。このギルドにも所属しているし、僕の古い友人でもある。テオほどではないけれど、僕の言うことは大体聞いてくれるし、ことウィルをこき使うことについては、十中八九喜んで引き受けるだろう。
ウィルは頬を膨らませながら、それで、と続きを急かしてくる。仕方ないなあ、まったく。
「魔法石と魔晶石には、一応区分の仕方は定められていたんだけれどね。今じゃもうその話も忘れられてしまっている。魔法石はより大きな分類として呼ばれることが多くなってしまった」
「前は違ったんだ」
「魔法石っていうのは、魔力を結晶化したものでね。昔の人々がどうやっていたのかは知らないけれど、こう、掌に魔力を集めて結晶化してやると作れる」
掌に出した魔法石をウィルの近くへ置いてやる。ウィルは目の色を変えて、魔法石を手に取った。
「ちなみに、これ、貰っても?」
「いいよ。でも、市場には出さない方がいい」
「なんでさ。それじゃ貰っても意味がないじゃない。オレは魔法は使えないし」
「市場が荒れるからだよ。言っただろ、僕が作ったものなんだよ。魔力の質が他とは違うの。お貴族様ってのは結構暇らしくてね、魔法石を誰が作ったかっていうのも研究され尽くされてるんだ。だから、僕の魔力が検出されたら困るの」
「へえ」
「宝石としても身につけないほうがいいね。目をつけられかねない」
「だったら貰わないほうがよっぽどいいじゃん」
「そうだよ」
自慢じゃないけど、魔法使いなら喉から手が出るほどの品だと思う。それでも、今の世にあって魔法なんてものを信じているのはお貴族様だけ。貴族が平民のものを取り上げるなんてことがよくあるってのもまた事実だ。
「で、ましょうせきっていうのは?」
「魔晶石は魔法石に神様の力を混ぜ込んだものだよ」
「神様?」
ウィルは向こうでテオと戯れている神様の方へ顔を向けた。僕はウィルの背後から、同様に向こうに視線をやる。
アミスは存外、テオの躰が気に入ったらしい。テオが助けを求めてきていないから、まあしばらくはこのまま放っておいてもいいかな。
「昔は魔招石と呼ばれて、神を招くものと考えられていたらしいんだけどね。今じゃ神様の力を使える者なんて少なくなってしまったし、神様を閉じ込めた結晶ということで、魔晶石と呼ばれている。闇市でも魔法石は高いだろう? 魔晶石はその数十倍は高くつくよ」
「まじかよ!」
「マジだよ」
すっかり掬い終わったプリンの皿に、収まったスプーンが、机を叩いた衝撃でカランと音をたてた。




