6.
暗闇の中に浮かび上がる、ワインレッドの光。それが狭い地下室をぼんやりと照らしている。
帝都のとある路地裏から入るこの地下室は、とても簡潔に言うと闇ギルドの総本部だ。
「お、マスター。帰ってたんですか?」
カランとドアについたベルを鳴らして入ってきたのは、僕と似たような服装の青年。赤茶けた硬い髪を細い布で一つ結びにして、くりくりとしたネオンブルーの瞳。そばかすさえも愛らしさを強調する彼は、僕の知人でもある。
「ウィル」
テオがバーカウンターの向こうからグラスに氷を入れながら、短く呼んだ。メッセンジャーバッグを下ろしながらカウンターまで近づいてきたウィルは、足の長い椅子に座って頬杖をつく僕に気づくと、わざわざ近寄って隣に座る。
「なんだ、ロンも来てたんだ」
「ねえ、どうしてこれだけスカスカなのに隣に来るのかな?」
「いいじゃない。いい加減その男嫌い直した方がいいよ」
ウィリアム・ドラトー。愛称はウィル。普段は見た目通り郵便配達をしている、僕より2つばかり年上の青年だ。それだけで年下扱いしてくるから、僕としてはたまったものじゃないんだけど、なんだかんだと仕事はできるタイプなので侮れない。
表向きバーとして運営しているこの店は、主にギルド構成員の溜まり場として機能している。もちろん一般のお客様も来るには来るから、そういう用途で使うのは店の奥にあるほとんど梯子といって差し支えない急階段を登った先でだけれど、今日は店としては休業日だから、僕たちがカウンターでだらけていても問題ないってわけ。
「マスター、オレにも何か作ってくださいよ」
「何かって言われても」
「ロンと同じのでいいですから」
ウィルはいつもの調子で気安くテオに強請る。とはいえ、僕が飲んでいるものと同じなので、出されるのはちょっと薄めのオレンジジュースだ。
足をぶらつかせながらストローを咥えるウィルの、グラスの橙の面積が減っていく。
僕は同様にテーブルに並ぶグラスのストローの先を摘んで、くるりと回す。カランと氷が音を立てる。かわいらしい音を立てるグラスの横では、すっかり色を失ったものを片手に、ズズズと限界までほとんど空気と言って差し支えないものを飲もうとしているウィルの姿が。
「それで? そっちこそ、何か用事?」
仕方なしに僕が問いかければ、ウィルはようやくグラスの底に残ったほんの少しの橙色から興味を失ったらしい。
僕の方に椅子ごとぐるりと身体を向けて、唇を突き出して抗議する。
「なんだよ、用事がなきゃギルドにも立ち寄っちゃダメだって?」
「まあ、そうだね。邪魔だし。うるさいし」
「酷いな〜。ね、マスター。酷いと思いません?」
「……ははは」
答えに窮したのだろう、テオは下手な愛想笑いをしながら、ウィルのグラスを下げる。いくらテオに心酔しているウィルでも、流石にその態度には思うところがあるらしい。ぶすくりと頬を膨らませて拗ねてみせる。
「マスターはいっつもロンの味方ばっかりだ」
「嫌なら帰りなよ」
「でもそういうマスターもカッコよくて好きー」
「気色悪いな」
僕の言葉はどうやら左耳から右耳にすり抜けるようだ。
テオが再びオレンジジュースをウィルの前に置いた。それだけでもうすっかり機嫌は直ったらしい。ストローに口をつけて、いくらか吸い込んでから、ウィルが続けた。
「用ってほどの用じゃないけどさ。面白い話を聞いたから報告に」
「面白い話?」
カウンターの向こうで、テオもグラスを拭きながら耳を傾けている。どれだけウィルが変な奴でも、その情報収集能力は、このギルド内でも一目置かれている。
僕に「うん」と返してから、ウィルは手の甲を胸の前で僕に見せるようにして、怖い顔をして言った。
「出たんだって、亡霊が」
「……亡霊?」
「そ。よりにもよって祭りの日に」
僕の反応が悪かったからか、おかしな格好をやめて、また少し拗ねた様子でウィルは答えた。
革命祭は当然、夜も続く。そんな噂が出回っているなら、外の喧騒ももう少しばかり和らぐだろう。けれどそんな様子はない。
僕とテオは視線を交わす。どうやらテオもそんな噂話は聞かなかったらしい。なら、随分限られたコミュニティ内での話なのか。
「それで、亡霊って? なんの?」
僕が内容を急かせば、ウィルはあっけらかんとして答えた。
「決まってるじゃない。赤い騎士様のだよ」
「……は?」
思いがけず低い声が出た。
この国で「赤い騎士」が指すものは2つある。1つは、前トラメナス朝における王国騎士団「赤き騎士団」。白地に赤を基調としたその隊服からそう呼ばれた。元帝ダミアン・パトラスを中心に、王国の平和を守っていたものの、国王陛下の護衛もせず、安々とくだらない噂に惑わされ、第三位王位継承権を持っていたダミアンを祭り上げたかと思えばそれを討ち取り革命を起こし、そうしてこの国を建てた集団だ。
そしてもう1つは、赤い髪の騎士……もとい護衛兵士、ジャック・サルバトワ。例の忠臣ジャックだ。
ウィルが赤き騎士団に良い印象を持っているわけもないし、彼の言う「赤い騎士様」とは、ジャックのことだろう。ということは。
「ジャックの亡霊だって?」
僕が問えば、ウィルはうん、と頷く。
「市井の噂だから、どうかは知らないけどね。どこから広まったものかも分からなかったし。付け加えて言うなら、騎士様の噂とは別に王女様の噂もあった」
「別に?」
「王女様の噂?」
テオもその話に食いついた。悲劇の王女セレスティアの噂なら、そうあり得ないものではないと思うけど。それよりも僕としては、ジャックの噂とセレスティアの噂が別々に存在している方が気になる。
少しでもジャック・サルバトワを知っている人なら、例え亡霊と言えど、彼が王女セレスティアの元を離れることはないと思うだろう。ジャックが忠義を尽くすのはセレスティアに対してだけ。訓練はサボるし、仕事もしないし、怠けてばかりの護衛騎士が、それでも悲劇の王女と最期を遂げた、っていうのが物語の筋書きだから。
それはそれとして、ウィルはテオが話に食いついたのが嬉しかったらしい。頬を緩ませながらも、「マスターは相変わらず王女様が大好きですねぇ〜?」と茶化している。
残念ながらテオはそんなくだらない揶揄いには乗らず、それで、とウィルに問いただす姿勢を見せる。
「そんなに大層な話じゃないですよ。特に、王女様の方は、帝都の市民がってよりかは区外の噂が流れてきたって感じだったし。オレが聞き及んだ限りじゃあ、夜更けに王女様のようなひとが帝都の方へ向かって歩いていたって話でしたけど、帝都を出たら夜なんてほとんど真っ暗だし、それを見たっていうのも酔っ払いみたいだったし、どうせ何か見間違えただけだと思うんですよね」
「そうか」
ウィルの話にテオはすぐに引き下がった。ウィルに限ったことではなく、このギルドの構成員がこの手の話を持ってくるのはままあることだ。とはいえ、その中で本当に例の王女様やら騎士様やらの亡霊が出たことはないし、それを騙る何者かだったこともない。
この国では王女様とその護衛騎士の話が有名になりすぎて、たった10年前の話が、一種伝説と化しているところがあるから、そういう噂ができるのも少なくないのだけれど。けれども流石にこの国国民たちも、多少の分別はあるから、わざとそれらに扮して何かをしようなんて輩はいないし、いたとしてもものの数日のうちにはその存在ごと排除される。
そういうことになっているってわけ。深掘りしちゃあダメだよ。
「革命祭に、騎士と王女の亡霊ねぇ」
「まあ、ありがちな話ではあるけどね」
ウィルはどこかつまらなさそうに、ストローに口をつけながら言った。
「この時期に酒場で出るような話は大体いつだってそんなもんさ。今年はちょっと面白い話も聞いたけどね」
「面白い話って?」
僕が問い返せば、ウィルは間髪を容れずに答えた。
「金髪の少年が警備隊サマを侍らせてたって話」
ウィルがニヤニヤしながら、僕の方へ視線を向ける。一拍置いて、なんだか肌寒いようなドロドロした感覚がカウンターの向こうから向けられる。誰のものかは言う必要もないだろう。
昼間のあの路地裏と、警備隊の2人が頭をよぎる。腹違いの弟とはいえ、僕と仲良くしている噂が立つのはどうやら気に食わないものらしい。
「しかもあのグレイスフォードの貴公子サマ」
「……不可抗力だったんだよ」
「ベリル伯爵の顔に泥を塗ったんじゃない?」
「かまやしないさ。もう関係ないからね」
「エッ、それは知らなかった。クビ? この祭の日に?」
身を乗り出して詰めようとしてきたかと思えば、一転して慰めるように肩を叩いてくるウィルの手を払い落とす。慰めてもらいたいほど、僕は消沈してはいない。
そりゃあ、普通の市民にとっては、祭の日にクビを宣告されて家から追い出されるだなんて、そりゃあ不幸なことに相違ないんだろうけれど、僕にとってはいつだって関係ないし、そも、放り出されたって不幸というほど不幸ではない。もちろん、次の働き口を見つけるのにはちょいと苦労はしそうだなと思っているけれどね。
「まあ、気にすることないよ。ベリル伯爵に追い出されたんじゃあ、しばらくは困りそうだけど。どうせマスターが食わせてはくれるんだろ」
「そもそもそんなに気にしていないんだよ」
「気にしなよ。温情深いベリル伯爵だぞ?」
気にするなと言ったり気にしろと言ったり、まったくどちらかにしてほしいよね。
確かに、この帝都ケールテープにあって、ベリル伯爵より破格の条件で雇ってくれるようなところなんて、僕を路上で勧誘してきた警備隊様くらいしか思い至らないけれど。
それにしても、「グレイスフォードの貴公子様」だなんて呼ばれるようなやつだったんだね。あのチャラ男。僕にはまるで良さがわからないけれど、最近のご婦人方の趣味は確かに、ああいう優男なのかもしれない。
「他にはないの?」
「欲しがるねえ」
ウィルはグラスをくるくると回す。グラスに刺さったストローが一回り大きく円を描く。ウィルはうーんと唸ってみせるけれど、特に思い出すには至らなかったらしい。
「どこもかしこも皇帝陛下がかっこいいだなんだって話しかなかったからなあ。そういうのはもう聞き飽きちゃったんでしょ?」
「そりゃあね」
「じゃあ、めぼしい話はこれっきりだよ。でもちゃんと面白かったでしょ?」
「今回はね」
「それじゃあ、いつもはつまらないみたいじゃないか」
「そうだって言ってるだろう?」
「酷いな〜。ねえ、マスター、酷いと思いますよね。オレはちゃんと頼まれた通りに仕事してるってのに」
「……ははは」
酷いと言うなら、毎度ちゃんとした情報を持ってきてもらいたいところなんだけれどね。それでも、ウィルの勘は割と当たるから、無碍にはできない。
それにしても、僕の話は置いておくにしても、ジャックと王女の亡霊か。確かに面白い話ではある。よっぽど広まっていない噂話であるということだけは確かだ。だって、そんな話が公になっていたら、皇帝陛下様が何をするかわかったものじゃない。あの人はあの2人を盲信しているきらいがある。
「とりあえず、噂については覚えてはおこう。くだらないと切り捨てるには、少し気掛かりなところがある」
「はいよー。オレの方でもなんか面白い話聞いたらまた持ってくるよ。ところで、さっきから気になってたんだけどさ」
ウィルが僕のパンツのポケットを指す。そういえば、朝方にジェニファさんに渡された3ジェニーの手切金と、骨董品店で作った魔晶石を入れっぱなしだった。
「光ってるってことは、なんか持ってんでしょ。それ何よ?」
「相変わらず目がいいね」
僕はポケットから硬貨3枚と石を取り出す。薄桃の石はほのかに光を発しているが、温度はない。ウィルは触ってもいいものかとそわそわしている。テオもどうやら興味があるらしい。
「魔法石? またアンティークを仕入れてきたの?」
「仕入れたといえばそうだけど、どちらかと言うと抜き取ったという方が正しいかな」
「いくらオレたちが闇ギルドの所属だって、盗みはダメでしょ」
「盗んでないよ。人聞きの悪い」
全く。失礼しちゃうね。どこをどう見たら僕が盗みなんて働くように見えるのかな?
テオがカウンターの向こうから手を伸ばして、テーブルの上に置かれたコインを手にとる。手の平の上で転がしているのをウィルが興味深そうに見つめている。
口を開いたのはテオだった。
「これ、主が女将に投げつけられていたものですよね?」
「女将っていうと、ジェニファさん?」
「投げつけられてはいないよ。あれは愛のムチ——ってそんなことはどうでもいいんだよ。っていうかどこから見てたの」
「俺はあなたのことならなんでも知っています」
「さっすがマスター!」
ウィルはなぜか煽てているけれど、それでいいのかな?
しかし、流石は僕の犬。どうせどこかから覗いているんだろうとは思っていたけれど、本当に覗いていたなんて。まあ、僕が愛おしすぎるあまりに、つい見張ってしまったのだろうね。仕方ないね。
「そうだ。そういえば、ウィル。爆弾魔の話って知ってる?」
「爆弾魔? ああ、朝刊に載ってたやつ?」
ウィルは叩いていた手を止めて、テオと顔を見合わせる。
「珍しいな。ロンが新聞の話をするなんて。寝坊してそういうのは見逃すタイプだと思ってた」
「よくわかっているじゃない。僕が新聞なんて読むわけないだろう」
「だよね。ってことは何? どこ情報? 骨董品屋の店主?」
「残念。例の貴公子様からだよ」
「警備隊の? じゃあ何だ、警備隊があんなゴシップネタを追っているって? ちょっとー、オレより面白い情報仕入れてこないでよ〜」
ウィルはカウンターに両手を置いて、「だからマスターはロンを甘やかしてるんですか?」とか何とか聞いている。残念だけど、テオが僕を甘やかすのは通常運転だ。
「騎士団が襲撃されたって話は聞いた。それで爆弾魔からの犯行声明を危険視しているとも」
「あったね。そんな事件。随分前の話じゃない?」
「3ヶ月前って言っていたかな」
レインハルトが言うには、3ヶ月前に帝国騎士団の馬車が燃え、1ヶ月前から警備隊にお鉢が回ってきた、と。ベリル家に缶詰の僕がそんな話を知るわけはないけど、普段から配達物の新聞を覗き見しているようなウィルなら知っているだろう。
ウィルは少し考えてから、ん、と僕に手を差し出して見せた。
「報酬を出させるほどの商材があるって?」
「ないこともない。ロンがどれくらい出してくれるかによるよ」
自信ありげな態度に、ふうんと一瞥をくれてから、テオを指差す。正しくは、テオの持っているものだ。
ウィルもそれを察して呆れ顔を返してくる。
「3ジェニーじゃパンの1個も買えないじゃない」
「奇遇だね。僕もそう思った」
テオからコインを受け取って、指先で軽く弾く。宙に舞ったコインがくるくると回って、手の中へ返ってくる。
それをウィルの前に置いた。
「これと合わせてカラメルプリン」
「よし、乗った!」
安いやつだと思ったね? 僕も思った。
テオはこれくらいは想定内だったようで、もう既に用意を始めている。僕が言うのもなんだけれど、テオの作るスイーツは帝都でも群を抜いて美味しい。加えてウィルはテオのことを敬愛しているから、まあ、そういうこと。
テオを待っている間、ウィルは頬杖をついて、片手で机の上に置かれたコインをいじっている。
「ロンが意味ありげに渡してくるってことは、ただのコインじゃないんでしょ?」
「おそらくはね。そこを調べてほしいんだ」
「思いの外面倒な頼まれごとだった」
「何もなければそれでいい。でも、ベリル伯爵殿がたった3ジェニーを僕に渡したっきりで屋敷を追い出すなんてことはありえないだろう? ジェニファさんの独断ならともかく」
「そーね」
親指に弾かれて、コインがくるくると舞い上がる。落ちてきたコインを捕まえて、ウィルがへえ、と呟いた。
「そういえば、そっちの魔法石はどうするの? まさか売りつけるわけでもないだろ?」
「これはちょっと、別の使い道があるね」
僕は近くに置いてあった魔晶石を手に取った。キラキラと光る石に遠慮するように、店内の照明が一瞬暗くなる。より強く、ここから出せとばかりに輝く石に、僕は少しだけ力を込めた。




