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2.

 陽の光に輝く金糸の髪。翡翠のような瞳。やわらかい頬は淡く色づいて……、うんうん。僕ってば今日も美しいね!


「鏡じゃなくて、俺に夢中になってくれていいんだけど?」

「丁重にお断りさせていただきます」

「酷いなぁ」


 僕は今、帝国警備隊殿の警邏に同行させられている。ここは帝都でもそれなりに有名な骨董品屋で、僕に軽口を叩くこの男はレインハルト。警備隊第3小隊所属のチャラ男である。

 彼のバディのロナウドは、店主への聞き込みに精を出しているっていうのに、この男はどうして僕に構うんだろう。僕が構いたくなってしまうほど尊いからかな。

 全く、美しいっていうのも困ったものだね!


「はぁ、僕ってば罪つくり⭐︎」

「楽しそうだね」

「そりゃあ、僕の存在を感じて楽しくもならないような人なんて、心の貧しい人だけでしょう?」

「うんうん。確かに俺も楽しくはあるね」


 レインハルトはにこにこと笑いながら僕同様鏡を覗き込む。

 赤茶けた髪にエメラルドグリーンの切れ長の瞳。頬に縦に並んだ2つの黒子。軽薄な表情の割に思慮深そうなその目の奥に、なんだか見知った人の面影を感じる。


「レインハルトさん、誰かに似てるって言われたことありません?」

「やっぱり君もそう思う? よく言われるんだよね。忠臣ジャックに似てるって」


 僕がなんとなく訊いてみれば、そんな答えが返ってきた。なるほど、ジャックか。

 ジャックという名で有名なのは、この国には2人しかいない。トラメナス王家の初代、ジャック=クリストフ=ローンベルトと、忠臣ジャックの異名で知られる、ジャック・サルバトワだ。

 中でも忠臣ジャックの名が帝都に轟いたのは、現皇帝ダミアン・パトラスが、前トラメナス朝及びその国王、王女両陛下の権威の回復に努めたためである。その中で、王女セレスティア腹心の騎士として彼女の最期を看取り、かつまたその死後の道中までも伴をしたと伝わるのが、ジャック・サルバトワ。いわゆる忠臣ジャックだ。

 戦乱が明け、5年の節目に皇帝の手で権威の回復がされてからというもの、その忠誠心を尊び、人々はジャックを崇めるようになった。元王女宮跡地に建てられた、王女とそれに仕えるジャックの銅像やら、帝国警備隊の訓練所の肖像画やらは、その頃にどっと作られた作品の名残だ。

 彼らはそれをよくよく兵舎で教わるらしいし、市民教育として設立された市民学校でもその話は度々出てくる。神殿でも話を聞くし、こういう祭りの日の出し物の演目にもなるくらいだ。僕も前にベリル家が神殿に参拝に行くときに連れて行かれたけど、小1時間くらい延々と同じような話を聞かされて、とにかく退屈だったのを覚えている。

 ご婦人たちの話を小耳に挟んだところによれば、伝えられるジャックはとにかくイケメンという話だし、女性たちがイケメンとハンサムに目がないことは僕だってよく知っているから、そういうところで人気取りしていい気になってんじゃねぇぞと思わないでもないけれど、うん。とにかく有名になる理由くらいは多少はわかる。

 レインハルトは僕の後ろから鏡を覗き込んだまま、髪の先をくるくるといじって、苦笑まじりに言った。


「まあ兄弟だからね、似もするよねぇ」

「はあ、兄弟……兄弟!?」


 なんだって? あのジャック・サルバトワと兄弟?

 僕は思わず振り返った。おや、とでも言いたそうに鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔をするレインハルトは、確かに噂に聞くところのジャックとよく似ているけれど。


「まさか血縁者だったなんて」

「兄弟って言っても、母親は違うんだけどね。異母兄弟ってやつだよ。俺が本妻の子で、向こうが愛人の子。私生子ってやつだね」


 レインハルトはあっさりと言ってのける。ユーズパトラ朝になってから、一夫一妻制が本格的に導入されたから、10年以上前なら、愛人を何人作ろうが、それは貴族としての力の象徴にしかならなかった。一夫多妻どころか、多夫一妻も多夫多妻まで認められていたというから、ちょっとどうなってんだと思わないでもないけれど、まあ、美しい女性をたくさん侍らせたくなる気持ちは僕もわからないではないよ。

 だから、私生子として生まれた子もたくさんいたし、愛人としてでも寵愛を受けることで生きていた人たちもたくさんいた。そういう世の中だったんだ。良いも悪いも、当時の世が決めることだからね。

 レインハルトは目を細めて、懐かしむように鏡を見つめていた。その眉がやや下がり気味なのは、僕の気のせいかな。うん、当然そうだよね!


「兄は……」

「うん。その話は後にしましょう。僕は他人の身の上話には興味がないんです。美しい女性のものならいくらだって聞きたいけれど」


 僕がストップをかければ、レインハルトは口を噤んだ。それから、「そうだね」と元の顔に戻って、それはそうと、と前置きして、鏡に手を伸ばした。


「君がそんなに注意深く見るなんて、この鏡は何かあるのかい?」

「触らないほうがいいですよ。そう危ないものではないけれど」


 警備隊の黒い手袋に包まれた手が引っ込められる。

 鏡というよりはドレッサーだけれど、まあそういうのには興味もないのかもしれない。豪華というほどではないけれど、繊細な意匠で装飾された鏡は、ピンクゴールドの台座に支えられている。華奢なデザインから察するに、元はどこかのご令嬢の持ち物だったんじゃないかな。

 どうして、と言いたげなレインハルトに、僕は肩を少しだけ上げて言ってやる。


「一応、店の商品ですから。何かあったら怖いでしょう?」

「それはそうだ」


 納得した様子を見せているけれど、それでもまだ何かあるんじゃないかという目を送ってくるからには、応えてやらないといつまでも付き纏われそうだ。

 僕はため息まじりに肩をすくめてみせる。大袈裟な態度を取らないと、こういう男はわかってくれないからね。

 

「僕を買い被りすぎだとは思いますけど。やっぱり気づかないものですかね? ダメですよ、ちゃんと見分けられないと。『これだから殿方は』って、ご婦人から愛想を尽かされてしまう」

「それで、何があるんだ?」

「無視しないでくれます? まあいいや。ここ、よく見てください。小さいし周りの装飾とうまく溶け込んでいるからわかりにくいけれど」


 僕が指差したところを、レインハルトはまじまじと見つめた。近くまで顔を寄せているけれど、じっと30秒くらい見つめてから、顎からパッと手を離して、降参を示した。


「これがなんだっていうんだい? よくある装飾にしか見えないけど」

「全く。それじゃあ紳士には程遠いですよ。ここです、ここ」


 君には言われたくない、なんて呟きは聞かなかったことにしてあげるから、この機会に目を養ってごらんよ。

 再び顔を近づけたレインハルトは、少ししてから、ようやく「あっ」と声を上げた。


「カメラですね。防犯のためか、それとも盗撮のためかは知らないけれど」

「これだけ巧妙に隠して、防犯のためです、とは信じ難いな」


 僕もそう思う。魔法が信じられなくなってから、人々は機械生産の道へと踏み出した。以来生活は便利になるばかりだけれど、こういう悪意ある使われ方をする場合もある。


「しかし、よく気づいたね?」

「紳士の嗜みですよ」


 僕は鏡から離れながら言った。これ以上鏡を覗き込んでいる意味もない。

 見たいものは見た。見たくないものもやや映ったけれど。

 こういう類のものが、屋敷から出されて市場に回るだなんて、困ったものだと思う。ある意味では、平和になったと喜ぶべきなのかもしれない。ある意味では、不用心になったと恐れるべきなのかもしれない。もしくは、平和だから困ると嘆くべきなのかもしれない。

 僕は思う。ユーズパトラ帝国は、この束の間の平和を以て、以降腐っていくだろう。人間なんて、底にあるのは真っ黒な闇でしかない。それを映す鏡さえ、嘘をつくための道具にすぎない。

 それなのに、知られたくない真実まで映す鏡なんて、作成者はどんな神経をしているんだろう。


「確かに、わかっていてずっと鏡の前にいるなんて、紳士じゃなきゃできないか」


 わかっていてカメラにどアップになるように仕向けたから怒っているんだろうか。いやいや、甘ちゃんのレインハルトがそんなことを気にするはずもない。付き合いが短くたってわかる。彼らは結構、詰めが甘いタイプだ。

 ふと気になって、僕は振り返って彼を見つめた。

 ーーレインハルト、君は一体何を見たんだい?

 そう問いかけてしまえれば楽だったのだけれど。


「どうかしたかい?」

「いいえ、ちょっと。そういえば色々と大切なことを聞き忘れていたことを思い出しただけで」


 この骨董品屋は、それなりに帝都で有名なだけあって、僕も前に来たことがある。その時はベリル伯爵殿のお遣いだったけれど、以来ここの親父さんとは仲良くさせてもらっている。

 その親父さんが買い取ったにしては、つまらない品だと思った。

 あのドレッサー自体は、大層なものじゃない。問題はあのカメラでもない。鏡本体だ。

 帝都のどれくらいの人が知っているのかは知らないけれど、この骨董品屋は、骨董品屋とは名ばかりの、古代聖遺物(アーティファクト)の集積所だ。今の帝都に暮らす人々は、基本的に魔法なんて信じていないから、アーティファクトを得たところで、使いようもないけれど。

 ただ、たまにいる魔力持ちが、価値がないと売り出された品を買っていく。例えば僕とか。

 そしてあの鏡は、そういう魔力持ちに反応するアーティファクトだ。魔力の総量によって見え方は違いそうだけれど、鏡に映ったものの本来の姿を見せる。そういう特性がある。隠したいものを無理矢理見ようとするなんて、いけすかないやつのすることだろう? そういうのはダメ。紳士的じゃないからね。だから、あの鏡は、この一件が終わったら処分させてもらおう。この世界が本当に腐って、見られたものじゃなくなる前に。

 僕はそう決心して、レインハルトに笑いかける。


「ほら、その予告状っていうのが何なのかとか、報酬ってどのくらいもらえるのかとか」

「ああ。そういえば話してなかったね。でもその前に、ここを出ようか。ロナウドも話が終わったようだし」


 レインハルトが視線を向けた方に、僕も視線をやってみる。骨董品屋の親父さんが、顔に見合わず僕に軽く手を振っていた。 


「よう、伯爵んとこの坊主。今日は警備隊サマの追っかけか?」

「いやだなぁ。ちょっとスカウトされて、手伝いをしてるだけですよ。用が済んだら、また来ます。親父さんとは積もる話もあるし」

「ほう? そりゃあ楽しみにして待ってようかね」


 ほら、警備隊サマが呼んでるぞ、と親父さんが入り口を指し示す。後の話は移動しながらするらしい。僕は彼らの元へと向かった。

 ドアを閉めれば、レインハルトが「それで、」と前置きしてロナウドを向いた。


「めぼしい証言はあったかい?」


 レインハルトの質問に、ロナウドは首を横に振る。まあ、新聞に大々的に宣伝してまで爆弾騒ぎを起こそうとするようなやつなんて、見つかったら即座にしょっ引かれるに決まってるんだから、そう簡単に見つかるわけないよね。見つかるわけがないから、大々的に喧伝しているんだろうし。

 ただ、とロナウドは口を開いて、僕を一瞥した。


「お前によく似た若者が、今朝方この辺りを彷徨っていたと」

「なんだって!?」


 これには僕も声を上げざるを得ない。

 僕によく似た若者だって? それはちょっと問題発言だよ。僕のように美しい存在がこの世に二人といるわけないじゃないか!


「君、そういえば朝は何をしていたの? 朝刊の内容を知らないなんて、帝都の市民にしては珍しいけど。文字が読めないわけじゃないんだろう?」

「下っ端使用人に新聞を読む暇なんかあるわけないでしょう」

「下っ端使用人だったんだ」


 そう。下っ端使用人だった。住み込みでこき使われながら、たまーにご当主の命令で街へ繰り出して品入れをするような、下っ端使用人。そこんじょそこらの下っ端使用人よりも圧倒的に待遇は良かったけれど、昨日も今日も、明日も明後日も来月も、下っ端としてこき使われながら、平穏な生活を送る予定だった。

 ジェニファさんに文字通り首根っこ掴まれて、屋敷の外へ放り出されるまでは。


「絶対にこいつではない、と断言していたが」


 ロナウドが腕を組んだまま言った。親父さんとはそれなりに付き合いがあるし、そりゃあ一目で僕かどうかくらいの判別はつくだろう。


「まあ確かに、こんな子を早朝から帝都に放ちたくないよね」


 ねえ、レインハルト? ちょっと失礼じゃない?

 僕の非難の目をものともせず、レインハルトはロナウドに「行こう」と一声かけて歩き出す。微かに頷いてレインハルトと肩を並べるロナウドに、僕も続いた。


「ここで良い情報が得られないとなると、もう闇雲に探すしかないかなぁ」


 前を行くレインハルトが手を頭の後ろで組んで言った。ロナウドもそうだな、と同調を示す。

 闇雲に探すだって? いくらお金のためって言ったって、そんなことのために僕の貴重な時間を浪費していいと思っているのかな?


「その前に、さっきの話を聞かせてもらいましょうか」

「そうだった」


 僕が二人の間に割って入れば、レインハルトはこちらを見下ろして、わざとらしく手を打った。それから、でも、と通りの向こうへと視線を誘導してくる。

 お嬢さんが連れ立って歩いてくるのが見える。革命祭のために華やかなドレスに身を包んだ彼女たちが、僕たちに気づいて頬を赤らめる。僕がここにいるんだから、舞い上がってしまうのも仕方ないね。


「見て! あれって、帝国警備隊のレインハルト様じゃない!?」

「隣にいらっしゃるのはバディのロナウド様だわ! こんなところでお目にかかれるなんて!!」


 沸き立つお嬢さんたちの黄色い声が、僕の耳にも届けられる。まるで僕の姿なんか見えていないとでもいうように、彼女たちはレインハルトとロナウドにその瞳を蕩けさせる。


「面倒な」


 ロナウドが心底厭そうに呟いた。なんだって? あんな美しいお嬢さんたちに黄色い声をあげられて、面倒だって? 君、ちょっとこの世界舐めてるんじゃない?

 レインハルトはまあまあ、とロナウドを宥めて、お嬢さんたちに軽く手を振った。お嬢さんたちが悲鳴をあげる。

 レインハルト、僕は君がそんなやつだとは思わなかったよ。

 くらりと目眩に襲われているお嬢さんAをもう一人のお嬢さんBが支えている間に、僕たちは細い路地裏に身を隠した。

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