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0.プロローグ

 王城の窓には、惨憺たる光景が広がっている。城下のあちこちに火の手があがり、青く澄んでいたはずの空は立ち上った煙で覆われ、焼けた人間の屍が用水路をせき止めている。

 もうこの国に安全な場所なんてない。

 セレスティアは窓からその光景を冷めた目で見つめていた。今にも城門は破られ、この城も彼らに奪われるだろう。


「王女様! こちらにいらしたのですね!」


 開かれた扉から叫んだのは、護衛兵士のジャック。この男、数年前にセレスティアが拾ってきた男で、趣味は居眠り、特技は怠慢。金のためでも命は惜しい。それでも困っている人がいれば、ついつい手を差し伸べてしまう程度のお人よし。それがもとになって借金取りに追われた挙句、たまたま出会ったセレスティアに救われて、専属の護衛兵士として雇われた。

 燃えるような赤い長髪にエメラルドグリーンの切れ長の瞳、左目の泣き黒子に、一時期王宮の女性たちが沸き立ったが、とはいえ訓練には参加しないわ、仕事はしないわ、セレスティアの命令には従うものの、他の者が仕事の話をしようとすれば姿を消すわで、あっという間に「あいつはダメだ」と見放されたような男でもある。

 セレスティアはそれを一瞥して、椅子から降りる。あそこで焼け死んだ庶民たちには触れられないような椅子を踏み台にできることこそ、王家に生まれた者の力の一つだ。その力を人は権力とか財力とか呼ぶ。


「ジャック、まだこんなところにいたの」

「それは俺の台詞です! 早くお逃げください!」

「あら。あなたがまともに仕事をしているなんて、明日は雪が降るわね」

「もう外じゃ弓やら槍やらが降ってるんですよ」

「あら。それはまた面白い余興だわ」


 セレスティアはクツクツと笑った。ジャックはその様子に頭を抱える。従者に一癖も二癖もあるなら、その主人にはそれ以上があるとは推して知るべし。

 齢7歳の第1王女・セレスティア=ローンベルト・ヴィ・レシピアム・トラメナスは、黒いドレスに身を包んで、自身がどういう状況に置かれているのかをよくよく知りながらも、いつもの調子でソファにもたれかかる。


「ちょっとー、王女様? 王女様が逃げてくれないと、俺も逃げられないんですけど」

「どうして私が逃げなくてはいけないの?」

「そりゃ、王女様が王女様だからでしょ」


 外の喧騒など気にも留めない様子で、セレスティアは優雅にティーカップに口をつけた。


「冷めてるわね」

「メイドたちはもうとっくに逃げ出してますからね」

「忠誠心って言葉を教えてあげた方がいいわよ。ジャック」

「俺の話を聞くやつなんか、この王宮じゃ王女様だけですよ」

「そういう振舞いをしたのが悪いわ」

「そういう振舞いをさせたのは王女様なんですけど」

「そうだったかしら?」

「そうですよ」


 使用人たちのいなくなった王宮に残っているのは、セレスティアとジャック、それから王宮騎士たちくらいのものだ。

 外から爆音がした。城門が破られたらしい。飛んできた石が、窓を割る。先ほどまでセレスティアがいたところは、すっかりガラスの破片が散らばっている。


「もったいないわ」

「そりゃそうですけど。俺の給料3年分の椅子を足蹴にしてた人の台詞ですかそれ」

「やるならちゃんと乗っ取りでもすればいいじゃない。城を破壊するなんて、国の再建に余計なお金がかかるだけでしょう」

「あ、もうこの国諦めてはいるんですね」

「それはそうよ」


 セレスティアはさも当然といった様子で、冷めた紅茶を啜る。


「国王の席が空いている間に攻め込むなんて。あちらも少しは考えたと言っていいでしょう?」

「後世にはこれは、王位争いとして伝えられるはずなんですが」

「争うようなものではないわ。私以外トラメナスの国王にはなり得ないもの」

「そうですけど」


 この攻撃の音頭をとっているのは、セレスティアの従兄弟、ダリアン。王位継承権第3位の王子である。

 トラメナス王国第12代国王・バスティアが崩御したとの報せが届いたのは、つい2日前のことだった。父の訃報に涙している暇もなく、セレスティアは戴冠を急いだが、残念ながらそれは叶わず、こうして戦いの幕は切って落とされた。

 とはいえ。


「お父様の訃報も誤情報でしょうに」

「それでもこうしてダリアン王子の元に人が集うというのは、王女様も十分に敵を作っていたということでは」

「うるさいわね。あんなの、扱いやすい馬鹿をけしかけたらたまたま上手くいっちゃっただけでしょ」

「それはそうでしょうけど」

「それに、この一連の争いが終われば、ダリアン兄様も処刑されることでしょう。本当に馬鹿よね」

「まあ、俺ならこんな無謀な真似はしませんけど」

「でしょう?」


 城内に喧騒が広がる。今にもセレスティアたちは見つかり、処刑台に連れていかれるだろう。そうでなければ、出会い頭に首を落とされるかもしれない。

 ジャックはそんな未来を想像して、身を震わせた。


「王女様、やっぱり逃げませんか?」

「逃げてどうしようって言うの。私はこの国と運命を共にすることを義務付けられているのに。それにもう遅いでしょう?」

「一応、隠し通路を使えばまだなんとか」

「そう。それは朗報ね」

「そんなどっしり構えて言う台詞じゃないですよ」


 王城を駆け巡る人々の探し物は、ここにいる。ため息をつくジャックに、セレスティアは淡々と言った。


「逃げればいいじゃない」

「王女様を置いて逃げられるわけないじゃないですか」

「意外と忠誠心だけはあるのよね」

「俺をなんだと思ってるんですか」

「私の犬」

「そうですよ。そうですけどね!?」


 思い返せば、出会って以来こういう扱いしかされてこなかった。ジャックがセレスティアと出会って数年。どんな無茶難題にも応えてきたのは、その恩が故のことだ。

 焦げた空気が無理やり開かれた窓から風にのってやってくる。


「本当にもったいないわね」


 セレスティアは傍らの小さなテーブルにティーカップを置いて、ようやくソファから立ち上がった。とはいえ、逃げるつもりがあるわけではない。

 向かう先は扉一つ隔てた隣の部屋だ。


「ついてくるの?」

「ついていきますとも。俺は王女様の犬なので」

「いいのよ、逃げても。私が許すわ」

「ここで逃げたら未来の俺が俺を許しませんよ」

「隠し通路を使えば、まだ間に合うんでしょう?」

「そうですとも」


 扉を開ければ、すぐに敵に見つかるだろう。市民も兵士も貴族も、誰もかもが、血眼になってセレスティアを探している。ジャックの力では、切り抜けることは叶わない。


「俺一人で逃げるなんてかっこ悪い真似、させないでくださいよ」

「あなたの死に場所はここじゃないわ」

「王女様の死に場所もここではありません」

「大丈夫よ。私、死なないもの」

「知ってます」

「でしょう?」


 セレスティアはようやく微笑んだ。それから、その扉の前に立った。ジャックは観念した様子で、その扉を開く。

 謁見の間と呼ばれていたその広間は、広く冷たく、まだ誰の足跡もついてはいないようだった。セレスティアが足を踏み入れれば、壁にかけられた魔法燈に光が灯っていく。

 王の資質。

 青白い明かりに照らされて、セレスティアの銀糸の髪が煌めく。タンザナイトのように煌めく紫の瞳が、その広間を焼き付けるように開かれる。

 たった数段の階段を上った先、玉座の前に立ったセレスティアは、満足そうにジャックを見下ろした。


「お父様が見たら驚くかしら?」


 ジャックはセレスティアの正面に跪いた。


「ええ、きっと」


 セレスティアは右手を前に差し出す。光が集まって、その手に王冠が現れる。


「この国と運命を共にするなら、黒いドレスじゃ似合わないわね」


 セレスティアは真っ直ぐ階段を降りてくる。ジャックは立ち上がり、セレスティアの手からその王冠を受け取る。


「俺でいいんですか?」

「仕方ないわ。他に人がいないもの」

「そんな消去法ですってあからさまに言ってくれなくていいんですよ」


 セレスティアはパチリと瞬いて、ジャックを見上げた。


「あなたしか信用できる人はいないもの」


 ジャックもまた瞬いて、少しだけ視線をそらした。そうですか、と言う声に嬉しさが滲んでいる。少しだけ耳が赤い。セレスティアは優しく微笑む。

 セレスティアの魔法によって生み出された王冠は、シンプルなデザインのものだが、銀と青を基調として、セレスティアによく似合うものだ。

 ジャックは一つ咳払いをして、では――と前置きしてから告げた。


「セレスティア=ローンベルト・ヴィ・レシピアム・トラメナス。第13代トラメナス王国国王として、ここに戴冠の儀を執り行う」

「そんなだったかしら?」

「仕方ないでしょう。俺は詳しいことは知らないんですから」


 セレスティアはくつくつと笑って、片膝をついた。その頭にジャックが冠を載せる。

 黒いドレスが光に彩られていく。結われていた髪はほどけ、腰まである白銀の髪は輝きを増す。白と青を基調としたドレスが、青い床に映る。


「どうかしら?」

「お美しいです。女王殿下」

「それはよかった」


 再び跪いたジャックに、セレスティアは魔力で生み出した青い薔薇を一輪、差し出した。


「これは?」

「ねえ、ジャック。あなたはどこまで私についてきてくれる?」

「女王殿下のためならば、どこまででも」

「嘘つき。今にも逃げ出したいって顔をしているくせに」

「そりゃあそうですよ。誰だって自分の命は惜しいもんです。それでも、為すべき忠義ってのが時にあるんです」

「どうだか」


 外の喧騒は、この広間には届かない。とはいえ、いつまでも篭城はしていられない。ここが二人の墓場となる時間は、刻々と近づいてはきている。

 銀糸の髪も、紫の瞳も、澄んだその色は強い魔力を持つ者の特徴だ。王家に属する以上は少なからず持つ魔力。その強さこそが王の資質である。

 その昔、世界は戦火に包まれていた。血で血を洗う争いに終止符を打ったその者こそが、トラメナス王家の初代、ジャック=クリストフ=ローンベルト。セレスティアの先祖である。以来平穏が続いた後、王家は倒され、再び世は争いに満ちた。再びその争いを治めた者が、現トラメナス王国の初代国王である。歴史は繰り返す。トラメナスの歴史は、統治と簒奪の歴史である。

 だからこそ、その力はトラメナス王国の王の資質と言われるのだ。何が起こっても必ず民を治め、導く力として。


「もう伝承を信じる人も少なくなってしまったのね」

「魔法なんて眉唾物だと、彼らは思っているのでしょうね」

「そう。だから私を殺せるだなんて簡単に言える」


 その力は、聖なる力と敬われ、また恐れられてきた力だ。傷ついたものを癒すことも、全てを破壊し蹂躙することもできる。何かを生み出すことも、消すこともできる。その力によって、セレスティアは死ぬことはない。同様に、その父である第12代国王も、簡単に死ぬわけがないのだ。


「でも、残念ながら俺は死ぬんですよ。結構簡単に」

「私が守ってあげるわ」

「そりゃあ心強いや」


 ジャックはセレスティアの手から青い薔薇を受け取って言った。

 万能の力によって、このクーデターも治めることはできたはずだった。それをしなかったのは、セレスティアが守るべきほどのものではないと判断したからに他ならない。


「女の子に守られるのは、かっこ悪くないの?」

「いいんですよ。女王殿下なら。他の女の子だったらちょっと考えますけど」

「そう」


 ジャックは薔薇を胸ポケットに差し込んで、セレスティアの手を取った。


「暴君の女王殿下に仕えた忠臣として、俺も語り継がれるでしょう」

「あら、どうかしら。意気地なしで怠惰な護衛兵士として伝えられるかも」

「それはちょっと困るなぁ」


 ジャックはその手に軽く口づける。


「女王殿下に、永遠の忠誠を」


 セレスティアは軽く頷いた。


「剣を」

「重いですよ」

「平気よ」


 ジャックは剣を抜き、セレスティアに渡し、片膝をついて頭を垂れた。


「サルバトワ卿。卿のこれまでの忠信に感謝します。これでこの国はおしまい。『セレスティア=ローンベルト・ヴィ・レシピアム・トラメナス』もここで眠りにつくことでしょう。第13代トラメナス国王として命じます。あなたは『セレスティア』と共に、ここで眠りにつきなさい」

「女王殿下の仰せのままに」


 セレスティアは錫杖の代わりに剣を床につき、そうしてしゃがんだ。ジャックも顔をあげ、視線が交差する。


「それでは、これは『セレスティア』ではない私から。あなたに『テオドア』の名を返します。一緒に来てくれますか」

「ええ。もちろん。貴女の終わりと始まりを見届けるのが、俺の仕事ですから」


 差し出した手に手が重ねられる。広間の扉は開かれた。そしてその熱は炎の中に消えた。

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