婚約解消は断固拒否
私、ルナセレア・セヤーダは腐っている。
あぁいえ、勘違いをしないように付け加えておくと、別に性根が、というわけではない。いわゆる、殿方同士が仲良くするのを眺めるのが好きな、わかる貴腐人にはわかる腐り方だ。
私は国の第二王女として生まれ、特に不自由なく生きてきた。不自由はないけれど、自由もない。適齢期になれば、そこらの王族や貴族との繋がりを強固にするため、どうせ嫁がされる。
ならばせめて、その時が来るまで、自分の好きなように生きよう。そう決めた結果が、結婚適齢期である十八歳になってもまだ独り身というわけ。
別に後悔はしていない。でもそんな縛られた中での自由も、もうすぐ終わりを告げる。
※※※
隣国の第三王子、ゼクノア・へプシー・シウファロス様。
太陽の光を反射して煌めく銀の髪。あどけない顔立ちに、無垢そうな真っ白い目。男性だけど中性的で線が細い彼は、どう見ても“ネコ”だと思う。
て、違う違う。今日はゼクノア様から話があると、二人だけでとお茶会に誘われたのだ。ついに結婚の話でもするのかな、なんてぼーっと考える。
「ルナセレア王女。どうか僕と婚約解消して頂けませんか?」
けれどそれは、あまりにも予想とはかけ離れた言葉から始まった。
「えぇと、私、何か粗相をしてしまいましたか?」
私は口をつけていたカップをテーブルに戻して、とりあえずなぜその考えに至ったのかを問うた。ゼクノア様は「違うのです」と前置きした上で言葉を続ける。
「その、これはルナセレア王女が悪いわけではないのです。僕自身の問題なのです……」
そう言って、私より年上の、二十三才第三王子様は目線を下へと向けた。
私、ルナセレア・セヤーダは、自分で言うのもなんだけれど、見た目も性格も悪くはないと思う。
緩くハーフアップにした若草色のミディアムヘアー。茶色の瞳は、草花の合間から見える地面みたいだと皮肉を言われるけれど、別に気にしたことはない。ゼクノア様に対して、横暴な態度だって取ったことはない。
なのに、なぜ?
「とりあえず、理由を聞かないことには私もおいそれとは頷けません。今は二人のお茶の時間です。だからこそ、ゼクノア様もこの話を持ち出したのではないですか?」
さっきも言ったが、私も十八歳。ここで理由なく婚約解消なんてされれば、行き遅れどころの話ではない。
自慢じゃないが、私は体力と腕っぷしには自信がある。
それはある日、他のご令嬢たちとお茶会をしてい時のことだ。見回り中の騎士たちが仲良くお喋りをしているのを見て、ついカップを持つ手に力が入って割ってしまった。
それから私は『ゴリラ王女』なんて不名誉な称号を拝命した。自国の貴族にこれは知れ渡っている。なら他国の王族貴族しかいない。だからこそ、ここで婚約破棄は非常にマズい。
「実は……」
ゼクノア様はそう言い、下げていた目線をゆっくりと上げた。その先には私、ではなく、離れた場所で待機している私の近衛兵、フォガス・ルヴァサイドがいる。
身長一七三センチ。どっかの貴族の御子息で、若干二十二才という若さで国随一の剣舞の才を持っている。空色の髪に隠れた真っ黒な瞳はミステリアスだけど、無口なことも相まって、周囲からは誤解されがちな人だ。
ちなみにだが、私は彼を“タチ”だと勝手に解釈している。
「フォガス様が、どうかしましたか……?」
愛想の悪い彼のことだ。もしかしてゼクノア様に何か粗相でもしたんじゃ……と悪い予感が膨らんでいく。
けれども私の心配を他所に、ゼクノア様は「好き、なのです」と蚊の消え入るような声で呟いた。
「………………は?」
この間、たっぷりと十秒はあったと思う。
「あ、あの、ゼクノア様、私の聞き間違いでしょうか? 今、なんと……」
聞き間違いか? いや、私としては聞き間違いでないほうが有り難い、いやいや、焦るのはまだ早い。
「僕は、その、フォガス殿のことが、好き、なのです……」
「ちょっと詳しく」
嘘だろ。
だってだって、まさかまさかの、自分の許婚が近衛兵に恋心を抱いてたとか、一体誰が予想出来たっていうんだ。妄想の中では二人でイチャコラを楽しんでたけど。
つか、ま? 何それ尊い、尊すぎて死ぬ。
「あの、ルナセレア王女……?」
「はっ」
しまった。尊すぎて前のめりになってしまった。
私は口を引き結んで「そう、ですか」と動揺を出さないように取り繕いながら、残りの紅茶をぐいと飲み干した。行儀が悪いとか言われるかもしれないけど、今はどうでもいい。
「すみません、王女を傷つける形になってしまって」
「いや全然。あ、いえ、私は気にしません。むしろ、人を心から愛せるというのは素晴らしいことだと思います」
「王女、貴女という人は……」
胸の内を吐露して肩の荷が降りたのか、ゼクノア様が安心したように顔を綻ばせた。けれどもすぐに口を引き結んで真剣な顔に戻ると「王女」と真っ直ぐに私を見つめてきた。
「勝手を言っているのは承知の上です。けれども、僕は貴女を騙して、この国に来ているのが心苦しい。まるでこれでは、貴女を利用しているようだ」
なるほど。
真面目なゼクノア様の考えそうなことだ。
「そうは言いますがゼクノア様。フォガス様に会えなくなるのも、承知の上だと?」
「……はい」
なーにが“はい”だ。本当は嫌なくせに。
つか、まずい。このままじゃ二人のイチャコラ脳内妄想、もとい二人のイチャラブ(リアル)が見れなくなるではないか。
「ゼクノア様」
彼が二重の大きな目をそっと上げる。
「どうか私を利用してくださいませ」
「し、しかしそれだと……」
「ゼクノア様には幸せになって頂きたいのです」
よし。
これで表面上は素敵な王女様を装えたはず。
「だから私のことを、どうか利用してくださいませ」
両手を組んで、小首を傾げる仕草をする。今の私は、自己を犠牲にして王子の幸せを祈るいい王女だ。民衆が聞けば敬い称えるかもしれない。
「……ルナセレア王女は、それでよいのですか?」
「そう言っておりますわ」
ゼクノア様が頭を下げる。
「本当に、申し訳ありません……っ」
勝った。あとは私の要望を押し通すだけ。
「その代わりと言ってはなんですが、お二人の時間をこれからも作るため、ひいては擦り合わせのためにも、情報の共有をお願いしたいのです」
「共有、ですか」
「はい。まずはお二人の馴れ初めからお伺いしても?」
こうして私は、私の最推しである王子、いや近衛兵と王子の純愛物語を、目の前で楽しむ、いやいや応援する特等席を手に入れた。