表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

江島の推し変

江島は長局(ながつぼね)の自室で

贔屓(ひいき)の役者の団十郎が着ていた衣装を

潤んだ瞳で眺め

団十郎を思いながら衣装を頬にあてた。


明日は待ちに待った

先代将軍家宣の月命日。

月光院の代参で増上寺に行く日。


代参の後は

暗黙の了解の芝居見物がお約束。


芝居好きの江島にとって

羽を伸ばせる貴重で楽しみな一日。


 やっと贔屓の団十郎に会えるのね

 早く明日になればいいのに


江島は(はや)る心を抑えながら

団十郎の衣装を仕舞い

明日の準備に取り掛かった。




翌日

滞りなく代参を終えた大名格の行列が

山村座に着くと

豪華な駕籠から

月光院付御年寄 江島が降り立った。


江島は

ようやく訪れた嬉しさに

芝居小屋の(のぼり)を見上げるが

贔屓の団十郎の名前はなく(いぶか)しむ。


江島はなにも聞かされていない。


若く色香漂う座元の長太夫が

いつものように迎え

弁当や酒が用意してある二階の桟敷に

江島一行を案内し挨拶をする。


「江島様、本日も私共に

 お越しいただき光栄に存じまする」


江島は怪訝さを隠しもせず問いかける。


「大事ない。

 今日は演目が違うようだが

 団十郎は病にでもなったのか?」


長太夫が色っぽい上目遣いで

申し訳なさそうに江島に説明する。


「誠にお恥ずかしいことながら

 私共と団十郎は揉めておりまして。

 代わりにと申しては

 なんでございますが

 団十郎の師匠筋の生島新五郎(いくしましんごろう)

 本日の舞台を

 務めさせていただきまする」


「それは難儀(なんぎ)な」


江島はぶっきらぼうに言うと

不機嫌になった。

折角、この日を

指折り数えて待ったというのに。


先に来て待っていた取り巻きの

江島の義理の兄である白井平右衛門(しらいへいえもん)

江島の機嫌をとる。


「江島様

 そうがっかりなさることはありませんよ。

 生島新五郎は団十郎の師匠。

 きっと江島様のお気に召すと存ずる」


平右衛門の親友で

水戸藩士 奥山喜内(おくやまきない)も合いの手を打つ。


「左様にござる。

 (たま)には他の役者も良いものかと」


江島は仕方ないと溜息をつき

幕が上がるのを待った。


新五郎の舞台は

江島が若い頃に観たきりで

記憶は(おぼろ)


だが

舞台の上の生島新五郎は

江島が想像していたよりずっと良く

いつしか芝居に夢中になっていた。


新五郎も

団十郎が不在で申し訳なく思ったのか

何度も舞台から江島に流し目をする。


 あら、気が利くじゃないの

 兄上の言う通り、悪くないわ


この持て成しに

江島の機嫌は良くなった。



やがて新五郎の出番が終わると

江島は長太夫に

いつもの隠れ家の茶屋に案内された。


風流な庭の奥にある離れの座敷は

粋な凝った作りの保養地(リゾート)風で

堅苦しい大奥勤めの疲れを癒してくれる。


長太夫に酌をされながら

江島は新五郎を待つ。


 どんな風に

 わらわをもてなしてくれるのか

 楽しみなこと


盃に口をつけながら

江島はぼんやりと思いを巡らす。


お目当ての団十郎がいなくて

がっかりしている筈なのに

早くも新五郎に興味を持っていることに

自分でも驚いていた。


ほどなく

粋な柄の襖が開くと

化粧を落とした着流しの新五郎が

鯔背(いなせ)に部屋に入ってきた。


背も高く大人の色気が漂っている。

団十郎に引けを取らない美男。


新五郎は深々と頭を下げ

朗々とした声で

江島に挨拶をする。


「江島様

 この度はお運びいただきまして

 誠に光栄にございまする。

 生島新五郎にございまする」


「苦しゅうない。

 近うよって酌をせよ」


ほろ酔いの江島は

上機嫌で新五郎に声を掛けた。


新五郎は美しい長い指で

膳に置いてある御銚子を取ると

優雅な仕草で江島の盃に酌をした。


江島は微笑みを湛え

盃を口にする。


朱塗りの盃は

江島のほろ酔いの顔を

艶めかしく彩った。


長太夫は

二人の様子を満足そうに見ながら

ホッとした声で話しかけた。


「江島様

 新五郎は大層気立てが良うございまして

 団十郎を弟のように可愛がり

 芸を教えているのでございます。

 どうぞ新五郎も御贔屓(ごひいき)に。

 それでは私はこれで。

 新五郎、あとは頼んだよ」


「へえ、かしこまりやした」


新五郎は粋に頷く。


「長太夫、大儀であった」


江島も酔いながらも

朗らかな声で長太夫を労う。


長太夫は江島の上機嫌に安心して

にこやかに襖を閉めた。

 


二人きりになり

酔いも回り気も緩んだのか

江島は新五郎に

しな垂れかかった。


「さぁ、もう一献(いっこん)注いでおくれ」


新五郎はゆっくりと酒を注ぐ。


「大奥勤めとございましては

 大層、御気疲れもなさいましょう。

 どうぞ、ごゆるりとなさってくださいまし」


「優しいのね」


二人は微笑み合った。


新五郎は江島より十歳ほど年上。


団十郎の若さも魅力的だが

新五郎の大人の包容力は

江島にとって新鮮だった。


月光院の部屋では

江島は女中筆頭の立場にあり

誰にも頼れず気を張り詰めた毎日。


大人の男の頼りがいとは

こんなに魅力的なのかと

江島は思い知らされた。


江島は大奥に一生奉公の身の上。

結婚して夫を持つことはない。


世間の妻達は

こんな風に頼れる夫に守られて

一生を送るのかと羨ましくなった。


新五郎に(もた)れながら

江島は束の間の夢を見る。


江島の推し変の日だった。

江島は里帰りの時に兄の平右衛門達と

舟遊びや吉原で遊女遊びをしたそうです。

大奥女中が吉原で遊女を侍らせて遊ぶなんて

ちょっと驚きました。

平右衛門は止めたようですが

結局遊んだようです。


ちなみに

平右衛門が芝居見物に同席したのかは不明ですが

喜内とは同席したようです。

舟遊びのエピソードを入れると長くなるので

芝居見物にしてみました。

平右衛門と喜内は仲が良かったそうなので。


月光院も晩年に女中の琴や三味線で

踊ることがあったそうですから

月光院と江島は気が合ったのだと思います。


舟遊びといえば家宣ですが

御浜御殿や中奥の池に船を浮かべ

囃しをさせて遊び

御浜御殿には度々熙子を連れて行ったそうです。

夫婦仲がいいですね。


九代将軍 家重も新婚の正室比宮と

隅田川で舟遊びをしています。

世継時代の家重と熙子は

西の丸で数年間同居してたので

家宣との舟遊びの思い出話を聞いて

家重は比宮とのデートの着想を得たのかなと

推測してます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ