表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/22

江島の推し活

月光院付き御年寄 江島とは


甲府家臣の疋田彦四郎の娘

実父亡き後

母は江島を連れて旗本の白井久俊に再嫁


成長した江島は

先々代将軍綱吉の娘で

紀州藩主の綱教に嫁いだ鶴姫付き女中となる


綱吉は娘婿の綱教を

将軍に迎えたい意向だったが

鶴姫が亡くなり断念


やむなく甥の家宣を世継ぎに迎えた


綱吉生母の桂昌院は

綱吉側室で鶴姫の生母の瑞春院と仲が良く

主を亡くした江島と

側室候補の月光院を

世継ぎに内定した家宣の元に送り込む


やがて家宣は将軍となり

家宣亡き後家継が将軍となると

月光院は将軍生母に


そして江島も

月光院付御年寄の地位を得た

増上寺の代参を終えた

大名格の行列が

(のぼり)はためく芝居小屋の

山村座の前で止まった。


格式ある豪華な女物の駕籠から

月光院付御年寄(げっこういんつきおとしより) 江島(えじま)が降り立つ。


江島の年は三十二

将軍生母 月光院の信任厚い

きりりとした美人で

黒く華やかな打掛がよく似合っている。


奥女中の代参後の芝居見物は

表向きは禁止されているが

先々代将軍の頃から

事実上黙認されていた。



華やかに飾られた

山村座の入り口では

座元の長太夫他数名が並び出迎える。


役者でもある長太夫は

九歳から座長を務めているせいか

二十五歳の若さ美しさに加え

凄みのある色気で

芝居小屋の入口から夢の空間を作り出す。


「江島様

 ようこそ御出でくださいました。

 ささ、どうぞこちらへ」


切れ長の目から流れ出る色気に

江島は捕らわれるが

時めいた心を隠し応じる。


「長太夫

 本日も世話になるゆえ宜しゅうに」


美しい男たちが集う芝居小屋(パラダイス)

女ばかりの大奥勤めの江島の心を癒す。


長太夫は愛想良く色っぽく

二階の桟敷(さじき)席に

一行を案内した。


桟敷席には

随行の女中や侍達の

弁当や酒も用意されていた。


その莫大な芝居見物の費用は

江島に取り入りたい商人達が

払っている。


賄賂である。


先代将軍家宣が禁止した賄賂を

江島は平然と受けているのだ。


この事だけでも

江島も

それを許している月光院も

家宣や家継への忠義などないとわかる。


江島は桟敷席に着くと

下げてあった簾を

鬱陶しいと上げさせた。


長太夫の気遣いで

奥女中達の顔が

客席から知られないようにとの

気遣いだったのだが。


江島にしてみれば

贔屓(ひいき)の団十郎の芝居を

指折り数えて

心弾ませて待っていたのに

簾越しの見物など

(きょう)()ぐというもの。


江島にとって芝居見物は

窮屈な御城勤(おしろづと)めの

束の間の気分転換(リフレッシュ)


二代目団十郎は

当代一の色男の人気役者(トップスター)

江島は夢中。


舞台の上の団十郎は

何時にも増して美しく

しっとりと(つや)やかで

江島がうっとりと魅入っていると

団十郎が桟敷の江島を見上げ

色っぽい視線を投げかけた。


江島の胸から淡い桃色の思いが溢れ

天にも昇る心地。


これこそ太客の醍醐味。


やがて団十郎の見せ場が終わると

長太夫が江島の耳元で何か囁き

二人は静かに桟敷を去った。


江島は

長太夫の案内で

渡り廊下で繋がった

隠れ家な茶屋の座敷に移動する。



洒落て落ち着いた座敷には

料理の膳と酒が用意されていた。


長太夫が美しい顔に

色香溢れる笑みを浮かべて

江島に酒を勧める。


「江島様には

 本日もお運びいただき

 誠に光栄にございまする。

 お陰様でこの山村座にも箔が付くというもの。

 ささ、どうぞ御酒(ごしゅ)を」


長太夫も色男だから

江島もいい気分には違いないけれど

早く贔屓の団十郎に会いたい。


美しい長太夫に酌をされながらも

江島は今か今かと

団十郎が座敷に現れるのを待っていた。


役者買いである。


当時は、酌だけで終わろうが

枕を共にしようが

同じ意味に取られた行為。


武家の女にとって

不義密通に問われる重罪。


元禄を花開かせた

先々代将軍の綱吉時代なら不問だっただろう。


だが当代の家継には

厳格で堅物の先代将軍家宣に仕えた

忠臣の御側用人(おそばようにん)越前守(えちぜんのかみ)

儒学者白石が引き続きその意思を継いで

仕えているのである。


江島は

時代の変化を読めていない。



舞台を終え化粧を落として

着流しに着替えた団十郎が

ようやく

江島がもてなされている部屋に入ってきた。


「江島様

 本日も御贔屓(ごひいき)に預かりまして

 誠に有難く存じまする」



団十郎がうっすらと白粉(おしろい)を施した

綺麗な手を畳について挨拶を述べる。


江島は一日千秋の思いで待ち焦がれ

やっと会えた嬉しさを(こら)え切れない。


既に酔いも回って上機嫌。


「堅苦しい挨拶は抜きにして

 早くこちらへ来て

 酌をしてたもれ」


団十郎は江島に色っぽく微笑むと側に寄り

江島のしなやかな手に持たれた盃に

酒を注ぐ。


江島は晴れやかな笑みを浮かべ

盃の酒を飲み干すと

膳の上にことりと盃を置く。


そして

傍に置いていた風呂敷包みから

小袖を取り出した。


「団十郎に珍しい贈り物があるのよ」


小袖には近衛の紋である

杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)の紋が入っていた。


団十郎は

ずっしりと重く滑らかで深みのある紫色の

極上の絹の着物を手にして

その美しさに驚いている。


「こりゃあ、見事なお品じゃござんせんか。

 それにこの御紋

 辰ノ口の大御所さんの御紋では?」


「そうよ。

 太閤様からいただいたの。

 お前の喜ぶ顔が見たくてね」


月光院が江戸滞在中の

熙子の父 太閤近衛基煕から

賜った小袖だった。


家継は熙子の御養いだからと

生母の月光院に特別に下賜した小袖。


家継は公的に

近衛太閤の外孫の扱いを受けている。


通常、家宝として

門外不出になるはずの

貴重品(レアもの)の小袖である。


京嫌いの月光院は

その小袖を貰ってすぐに江島に下げ渡した。


このような品は

悪用されないように

格式と信用のある者にしか贈らない。


その政治的な品をこともあろうに

江島は近衛とは無関係の

役者に与えてしまった。


小袖は贔屓の団十郎の気を引けるし

他の仕事もしてくれるだろう。


団十郎を買う

大名家や大店(おおだな)の女達とは

私は格が違うのよと匂わせもできる。


そして

代わりに団十郎が着ている衣装をねだる。


衣装の交換は

役者と贔屓の流行の遊び。


団十郎は

笑顔で江島の相手をしてはいたが

心の中では呆れていた。


 へぇ、御殿女中ってのは

 案外軽々しくて興醒(きょうざ)めだぜ。

 江島様に(はべ)るのはそろそろ潮時か… 


先々代の公方様の頃ならいざ知らず

先代と当代の将軍は風紀に厳しいと評判。


公式には

大奥女中の芝居見物や接待は御法度。


なにより、団十郎は接待より

芸を磨く方が好きだった。



この勘働きと

偶然の揉め事が

後に団十郎を救うこととなる。


息抜きを楽しんだ江島一行は

山村座を立ち

江戸城への帰路に就いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ