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高遠へ

江島は後ろで纏めた下げ髪に浅黄色の小袖姿で

竹で編まれた駕籠に乗せられ

信州高遠に向けて

内藤家の江戸下屋敷を出立した。


三月半ばの麗らかな光の中

道沿いの大名屋敷に咲く桜が

ひらひらと舞い散り

駕籠の中の江島の膝に落ちて

浅黄色の小袖に薄紅色の桜の花片が

友禅のように美しく江島を彩る。


江島の手のひらにも

桜の花片が一枚二枚と落ち

その花片が色々な思いを誘う。


高遠は山奥の寒い(ひな)びた土地だという。

まだ桜は咲いていないだろう。


月光院の御殿の

庭の桜も咲いただろうか。


大奥御殿向には

将軍生母の専用の部屋はない。


通常、将軍生母は二の丸大奥に住む。


将軍の家継が幼く

非常処置で本丸大奥に留まっているので

月光院は家継が使っていた

子供部屋に仮住まい。


子供用の部屋だから

庭も広くはないし風情もない。


綱吉の側室達と比べると

いつも、月光院は不憫な境遇に思えた。


江島は傍で仕えながら

気の毒で堪らなかった。


今は、右腕だった江島の支えも失い

どれほど寂しく不便だろうと心痛む。


主の月光院に

命を助けて貰った礼も言えないまま

江戸を離れなければならない。


身分高く人脈を誇る

女人(にょにん)達が集う大奥にあって

江島と月光院が抜きん出るためには

部下達の機嫌を取り

幕臣と商人の間を取り持ち

見返りの金子(キックバック)を得て

力をつけるより(すべ)は無かった。


江島は月光院を

五代将軍生母の桂昌院のように

大奥の頂点に君臨させたかった。

その野心のどこがいけないの?

誰しも見る夢では?


竹駕籠の中から

流れる景色をぼんやりと眺めながら

止めどない考えが浮かんでは消えていく。


江島は自分が可笑しくなって

ふ、と笑った。


 やり過ぎたのね…何もかも


大奥御年寄になって

役者の団十郎や新五郎と懇意になれて

彼らに夢中になり恋をした。


束の間、大奥から解き放たれて

仮初めでも愛されたかった。

一時の夢の中

新五郎は心と体の渇きを癒やしてくれた。


可哀相に新五郎は三宅島に遠島と聞いた。

江戸から海を渡り、遥か南の島。

芝居も出来ずに長い年月を

無為に過ごさなければならない。

巻き込んでしまった申し訳なさに苛まれる。


兄の平右衛門と、その親友の喜内は

武士としての名誉ある切腹も

許されなかったという。

その最後を聞いて江島は身を切られる思い。


そして主の月光院はどうなるのだろう?


息子が将軍とはいえ

市井の親子のような濃い繋がりはなく

老中達のような重鎮には

見向きもされていない。


江島と月光院は

性格も生い立ちも似ていたからこそ

江島は、自分を月光院に重ね入れ込んだ。


江島の父は甲府藩士だったが

放蕩で身を持ち崩し亡くなり

母が再婚した義父は

間もなく年の離れた義兄に跡目を譲り

義兄は嫁を迎えた。

実家に居場所が無くなり

江島は十代で大名家に奉公に出た。


月光院も似たようなもので

父の元哲は加賀藩に馴染めず僧侶に。

父親の果たせなかった夢を託され

月光院は少女の頃から踊り子として

大名家を渡り歩いた。


二人ともただ一人と愛してくれる

男性にも巡り会えなかった。


月光院ほどの美しさでも

家宣にとっては仮腹の側室の一人に過ぎず

妻というより家臣として扱われていた。

月光院は愛に飢え苦しんでいる。


愛に飢えていたのは江島も同じ。


それに引き換え

父親や夫に溺愛される女性に

江島は二人も出会った。


生まれながらに

すべてを持っている女の愛らしさは

江島には眩しすぎた。

その天性の愛らしさに

夫は魅せられ夢中になるのだろう。


一人は江島が月光院の前に仕えた

五代将軍 綱吉の娘で

紀州藩主の正室 鶴姫。


綱吉は鶴姫を溺愛する余り

鶴の字や絵を使う事を禁じたほど。

井原西鶴が西鵬と改めたのは鶴姫のため。


鶴姫は十も年上の

夫の紀州藩主 綱教(つなのり)

まるで年の離れた妹のように

慈しまれ愛されていた。

綱教は側室も持たず

鶴姫が若くして亡くなると

綱教も後を追うように亡くなった。


もう一人は

六代将軍 家宣の御台所 熙子。


熙子も父 近衛太閤に深く愛され

太閤は娘婿の将軍家宣に招かれて

江戸に二年も滞在し

三日に明けず大奥を訪れていた。


夫の家宣は熙子を溺愛し

忙しい時間を縫うように

吹上御庭に誘い熙子の部屋に通った。


花が好きな熙子のために

吹上御庭や御濱御殿を大改修するほど

桁外れな愛し方。


将軍である夫に溺愛される御台所。


その夫の側室や子供達に

心を込めて気を配る御台所。


江島にとって高貴な生まれの女の内面は

理解出来なかった。


嫉妬しないの?

不安にならないの?

何故そんなに親切にできるの?


月光院の女としての

苦しみや悲しさや劣等感は

痛いほどわかるのに。


江島は生まれ持ったやるせなさを

権力や恋に求め

月光院の成功に賭けたが失脚。


結局、江島と月光院は父親達と同じなのだと

遠い目をして思うのだった。


そんな物思いに耽りながら

来る日も山を越え

江島はようやく高遠に着いた。


人里離れた山間(やまあい)

簡素な一軒家が江島の住まい。


「江島様、

 ようこそ高遠にお越しなされました」


江島は

優しそうな中年の世話係の女に迎えられ

家の中を案内された。


家の周りには塀が張り巡らされ

縁側には嵌め殺しの格子が

取り付けてある。


江島は、無意識に格子の側に寄った。


「あぁ」


格子から臨む高遠の山々の美しさに

思わず感嘆の声が漏れる。


何もかも失ったけれど

解き放たれたと悟った。


江島と月光院達の

大奥での必死の権力争いは

最初から無意味な

虚しい独りよがりだったのだと。


家宣と熙子が夫婦である以上

幕府にとって邪魔者だったのは

月光院と江島達。


江島と月光院を排除したのは

白石越前と老中達だろう。

でなければ、これほど短期間で

手際よく事が運ぶ筈がない。


江島は寂しい笑みを浮かべた。


 きっとこれで良かったのね。

 もう、渇望に苦しまなくていい。


思い出を胸にこの美しい高遠で

生きることを許されたのだから。


もう直ぐ高遠の桜も咲く。


江島は、縁側の格子から離れると

静かに、薄暗い質素な部屋の奥に消えた。



江島は高遠で

残りの人生を送った。


朝夕一汁一菜で、菓子や酒

読書や書き物も許されなかったが

法華経に帰依し静かな日々を送るうち

内藤家に認められ高遠城で奥女中達に

立振舞の指導をすることもあったという。

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