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第93話:未来のこと <翔サイド>

見直しました。


その時、自分のウェアラブル端末から聞こえてきたのは、高校時代の剣道部の同期、山口沙希(さき)の声だった。


『こらあ、翔っ。あんた、かおるのこと裏切るって、どういうつもりなのよっ』


藤田(かける)は、その迫力ある怒鳴り声に顔をしかめつつ、再び通話が長引くことを見越して左手首に装着していると、今度は水瀬美緒みなせみおなまめかしい声が聞こえてきた。


『藤田くん、ごめんなさーい。うちで沙希が珍しく酔っ払っちゃってて、ずーっとこんな調子なのよ。私もちょっと困っちゃって……』

『仕方ないだろ。悪いのは、翔なんだから』

『……と、まあ、こんな感じなのよ。それでなんだけど、今からうち来ない? あたし一人でこの酔っぱらいの相手するのって、しんどいんだよね。分かるでしょう?』


この二人には貸しがある。今夜中に会って、直接文句が言えるのは、非常に好都合だ。

翔は、その誘いに半分は乗り掛かったものの、それでも冷静に「今、何時だよ?」と言いながら、左手首のウェアラブル端末を素早く操作して、時刻を表示させる。午後十時三分。週末の飲み会で二次会に行くなら妥当な時間だろうが、日曜の夜に改めて飲みに行く時間ではない。

沙希なんかに捕まって深酒したりして、朝まで酒が残ったりしたら最悪だ。月曜の朝から酒の臭いがしたのでは、莉子りこにだって軽蔑されてしまう。


「やっぱり、止めとく。明日、会社だし」

『そう、残念』


美緒は、意外とすんなり諦めてくれた。翔を誘ったのは、ダメ元って感じだったのだろう。


「それより、昼間のことだよ」

『昼間の? ああ、莉子りこちゃんのことね。えーと、あの子の名字、なんだったかしら……』

「桜木」

『ああ、そうそう、桜木莉子ちゃん。藤田が怒ってるのって、あの子がトイレから出た所で、あたしが拉致らちっちゃったからでしょう?』

「ちゃんと自覚はしてるんだ」

『もちろん……じゃなくて、ごめんなさーい。可愛い子だったから、つい連れて行きたくなっちゃったの』

「ちぇっ。可愛いから拉致ったって、犯罪かよ」

『相手は未成年じゃないから、犯罪じゃないわね。別に脅迫はしてないもの。単に別の喫茶店に連れ込んだだけよ』

「似たようなもんじゃないかよ」

『いやいや、監禁したわけじゃないし、いかがわしいこともしてないし、虐めてもないわよ。お姉さんとして、優し-くお話してあげただけ。で、莉子ちゃんとは、もう話したの?』

「ああ。聞いたぞ、俺のこと、いろいろ喋ったんだろ?」

『だってえ、莉子ちゃんが聞きたいって言うんだもの』

「だからって、薫のことまで話すことないだろうが」


ここまでは幾分、甘えた口調で話していた美緒に翔が強く当たっていたことで、美緒の口調が急に普段に戻った。


『もう、何いってんだい。莉子ちゃんの立場だったら、それが一番知りたいことでしょうが』

「だからって、あること無いこと片っ端から莉子に吹き込まなくたって良いだろうが。彼女、薫のスペックが高すぎて自分じゃ適わないって、落ち込んでたんだぞ」

『それ、本当かい。あの子、そんなに弱い子じゃないと思うけど』

「いや、最初は落ち込んだって言ってた」

『まあ、それはそうだろうね。薫のスペックが高いのは事実だから』


それは、その通りなのだが、翔は何となく納得できないものを感じていた。



★★★



「あ、そう言えば、思い出した。薫の中学時代の話を沙希がしたんだってな。薫が生徒会やってたって、本当なのか?」

『ふふっ、確かに、沙希がそんなこと言ってたっけねえ。事実だよ。川田中かわたちゅうじゃあ、一年の時から薫もあたしと一緒に生徒会に入っててね。二年の秋からは、あたしが生徒会長で薫が副会長。で、あたしは北高でも生徒会長やったんだけど、薫の方は天高てんこうでは生徒会に誘われても、頑なに断ったんだってさ』

「そうなのか」


翔は今度、倉橋沙也加(さやか)に聞いてみることにした。沙也加は、天高てんこうで翔たちの代の生徒会長である。何事も裏を取ることは大事だ。


「それじゃあ、薫が『影の番長』とか呼ばれてたってのは?」

『ははは、その話すると薫は、すっごく嫌がるんだけどね。薫が川田中の荒っぽい連中を束ねてたのは、事実だよ。あの頃、あの子の舎弟は百人を超えててね、近隣の中学じゃ、誰からも一目置かれる存在だったんだ。その手の連中なら、だいたい知ってる話だと思うけどね』

『そうそう。陽輝はるきだって知ってたしね。まあ、まさか影の番長が薫だったってのは、知らないだろうけど』

『ちょっと沙希、いきなり元気な声出して、何なんだい?』

『だって、あんたらが面白そうな話、してるんだもの』

「それより沙希、その話って本当なのかよ?」

『嘘じゃないよ。私は高校の時、薫本人から聞いてるし、南中の連中からも聞いてるもの。そうだね、翔が知ってる中で詳しい奴だと、やっぱり、矢野かなあ。 あいつだったら、私なんかより詳しく知ってると思うよ』


矢野純一やのじゅんいちは翔の幼馴染で、同じ天王南中学から天王高校に進み、一年の時は一緒のクラスだった。話し好きな彼は交友関係が広くて情報通。そこそこ役立つ存在なのだが、翔は彼の「面白けりゃ何でもいい」という部分が好きではなく、友人ではあっても一線を引いた付き合いをしている。

尚、同じ天王南中出身の沙希も矢野とは交流があるらしく、昔から彼女との会話に矢野の名前が出ることは、それなりにあった。


「矢野かあ。あいつ、高校一年の時に薫の変な噂、流してたもんな」

『それ、知ってる。まあ、七月頃になったら、ピタッと言わなくなったけどね』

「そういや、そうだったよな。沙希、お前が脅したのか?」

『違う違う。矢野の妹が美沢工業の不良に絡まれてるとこ、薫が助けたんだってさ』

「えっ、それ本当かよ?」


自分の知らない薫のエピソードが更に追加されてしまい、翔は思わず声を張り上げた。


『もう、大声出さないでよ』

「お前が、それ言うんかよ」

『別に良いじゃない……。私は、矢野から聞いたんだけど』

『あたしは、その不良三人が逃げてくとこ見てたよ。で、無茶するなって、説教はしたんだけど、全く聞いてないって感じでね』

『あはは、まあ、薫だからね』


何故か、彼女達の間で語られる薫は、翔にとって別人のように思えた。


『だったら、翔。タコ焼き事件は知ってる?』

おれらが中学三年の春だっけ? 俺は、榊原さかきばらから直接、聞いてたんだけど、さっき、莉子から聞いたのとは、だいぶ違うんだよな。薫が関わってたんだって?」


榊原芳樹(よしき)というのは、天王南中学での翔や沙希との同級生で、当時は南中の番長を気取ってた奴だ。


『ふーん。あの子から聞いたんだ。だったら、もう一度、言う必要はないね。何でタコ焼き事件かってのは知ってんの?』

「いや、タコ焼きに絡むいざこざだったとしか知らないけど」

『じゃあ、教えたげるよ。うちらが中学三年の四月の終わり頃、天王池公園で川田中かわたちゅう一年の男子三人がタコ焼きを立ち食いしててね、そこに南中の一年坊主四人が通り掛かったの。そん時、川田中の一人に肩がぶつかって、そいつが持ってたタコ焼きを下に落としちゃって、喧嘩けんかになったってのが発端』

「なんだ、そのくだらない話」

『中学男子の喧嘩けんかなんて、そんなもんじゃないの? で、そん時の喧嘩けんか川田中かわたちゅうが勝ったんだけど、負けた一年坊主達が榊原に泣き付いて、あのアホが川田中に決闘を申し込んだわけ。場所は天王池公園で人数制限なし。分かる? そんなのまともにやったら、即座に警察沙汰じゃない』

「まあ、そうだな」

『で、川田中の方は薫の所に話が行ったんだってさ』

『そこからは、あたしが話すよ。うちら川田中かわたちゅうの粋がった連中は、すぐにでも南中に殴り込みを掛ける勢いだったんだけど、薫はそれを許さなかった。で、薫の発案で人数は五人対五人、場所は大河の河原でやろうって申し入れたんだ。それが通って、薫たちが指定した河原に行ったんだけど、南中の方は十四人いてね、しかも全員男子。なのに、薫の方は正直に五人だけで、しかも女子が三人だよ』

『美緒は行かなかったんだよね?』

『あたしは生徒会長だから、そういうことには関わらないんだよ。万が一、警察とかに話が行ったりしたら、それこそマスコミに騒がれかねないだろ。だから、そういったヤバいのは全部、薫がやってくれてたんだ』

「でも、何で川田中の方は五人のうち、女子が三人だったんだ?」

『ああ、それかい。まあ、最初の頃に薫の舎弟になったケントとセイヤってのが、相当に強いってのがあったんだけど、薫自身も、そこそこ強いんだよ。それと、もう一人の女子に、古川麻友(まゆ)ってのがいてね。そいつも並みの男子ぐらいには強かったね。まあ、最後の一人は、オマケみたいなもんだったんだけど……』

『ほら、天高てんこうの一年下だった中野美香(みか)のことだよ。うちの剣道部の真野桃香まのももかとも仲が良かったじゃない』

「ああ、バスケ部の背の高い女子だな」

『そうそう。その美香のことだよ。美香は、うちらと同じ中州なかすの出身でね、薫の妹分だったんだ。あの子は、まあ、ケンカとかは戦力外なんだけど、見てくれだけは、迫力があるからね』

「まあ、そうだな。でも、中学の時の薫が、本当にそんんなに強かったのか?」

『私は薫から中学の時、空手をやってたって聞いてるよ』

「そういや、それも莉子から聞いたな。俺は、初耳だったんだけど」

『本当のことだよ。水草みずくさの使用人の娘さんで、空手道場に嫁いだ人がいてね。薫はマンツーマンで指導を受けてたんだ。最初は護身術だったんだけど、だんだんと、本格的な空手になってたみたいだね』

「マジかよ」

『あのタコ焼き事件の河原での果し合いの時なんだけどね、さっき、あたしが言った五人でも、たぶん、薫には勝算があったんだと思うよ』

『薫って、そういう時、無鉄砲に見えても計算高いていうか、妙に冷静になるもんね。で、結果的に榊原逹がビビっちゃって、喧嘩けんかにすらならなかったって訳だ』

「榊原の方が、引き揚げたんだろ。あいつは俺に、『弱っちい女子が三人もいたんじゃ、あほらしくて勝負にならん』って言ってたけどな」

『私も、それ聞いたよ。でも、私、他の奴らからは、そん時の薫が如何いかに怖かったか聞いてるからね。榊原の奴、間違いなくビビッてたんだよ』

『ははは、それは、そうだろうね。無表情の薫が、つかつかと寄って来て、例の不気味な笑顔で「嗤い」掛けたんだろ?』

『ああ、想像するだけで怖いわ。初めて見たんだったら、尚更だと思うよ』

「確かに、沙希が言う通りだよな」

『翔でも、やっぱ、怖いんだ。まあ、例の薫の不気味な笑顔、「悪魔の笑み」って言われてたもんね』

『でも、それを薫に言うと、凄く怒るんだよ。あの子、その顔でいろいろと嫌な目に遭って来た訳だから』

『美緒が言うの、良く分かるわ。でも、ああいう場面での薫って、本当に強いよね。恐ろしい程に肝が据わってるていうか、動じないんだよね』

『それもあるけど、昔から薫は、本気で怒ると凄く怖いんだよ。たぶん、あの時も本気で怒ってたんだと思うよ』

『それって、普段の薫が手を抜いてるからなんじゃないの? で、薫って怒ると却って冷静になって、隠してた力を表に出すんだ。そうなった時の薫は、無敵なんだよ』

『沙希でも敵わないってことかい?』

『当然だよ。ああ、でも、その決闘の時の薫、見たかったなあ。実は私、榊原から「一緒に来てくれ」って言われて、断ったんだよね。凄くもったいないことしたと思うわ』

『ふーん。そうだったんだね……。もし、そん時に沙希がいれば、違ったかもしれないねえ』

『いや、中学の時の私が薫と対峙してたら、たぶん、榊原みたいにビビってた気がする』

「そうかなあ。案外……」


しばらく黙っていた翔が、そこで口を挟んでしまったのだが……。


『翔、あんた、私にどういうイメージ持ってるわけ?』

「どういうって、そりゃ、鬼の……じゃなかった、えーと、美少女剣士とか」

『嘘つけっての、鬼って言い出しただろうがっ』

『まあ、鬼ってのは妥当なんじゃないかい。で、薫の方は悪魔だからね。となると、鬼と悪魔の対決があったかもしれないってことかね』

「それって、勝負の結果が見えてるだろう。沙希は怖いの駄目だからさ」

『だね。絶対に泣き出してたんじゃないかい』

「鬼の目にも涙か。なんか懐かしいなあ、あれ?」


珍しく沙希の反応が無い。眠ったんだろうか?


それはそうと、これまでの話で中学時代に薫が当いろいろとやらかしてたことは、どうやら事実だったようだ。

翔は、自分の知らない薫のあれこれに、尚も翻弄され続けるのだった。



★★★



「あのさ、今更なんだけど、こないだのバイトの子、えーと真凛ちゃんだっけ、今日はいないんだよな?」

『ああ、今日はお休みだよ。今、ここにいるのは、あたしと沙希だけ』

「分かった。じゃあ、次だけどさ、何も薫が軍に入ることまで言うことはないじゃないかよ」

『もう、そんなに怖い声、出さないでよ。それ言ったのは、あたしじゃないからね。ほら、沙希。あんたから、ちゃんと謝んなさいよ』

『うーん、嫌だよ』

『やだじゃないでしょう……てか、ちょっと。いつの間に、そんなとこに突っ伏して寝てんだい。もう、さっきは普通に話してたじゃないのさ。こら、沙希。起きな。もう、あんたがこんなに酔っ払うなんて、初めて見たわ』

「確かに、初めてかもな」


沙希の悪酔いは、確かに珍しい。どんなに飲んだって、いつもは顔ひとつ変えない奴なのに。体調でも悪いんだろうか?

翔は通話越しに沙希の様子が、少し気になった。


『……まあ、こっちの酔っぱらいのことは、放っておくしかないね。まずは莉子ちゃんのことだけど、あたしは、あの子、気に入ったわよ。最初は正直、「ちょっと虐めちゃおっかな」って連れ出したんだけど、あの子、あたしと沙希の前だってのに、にこにこしてて全然ビビッてないんだもの』

「ちぇっ。やっぱり、虐めようと思ったんじゃないかよ」

『それは、気に食わない奴だった場合のことよ。なのに、あの子ったら、あたしが少し上から目線で話してやっても、きちんと受け答えしてくるのよ。「さすが、良いとこのお嬢様は違うわ」って思っちゃった。しかも、あたしがスナックで働いてるって言っても全然、態度とか変わんないし、あたしをちゃんと立ててくれるんだよ。それで、可愛い笑顔で質問とかされちゃったら、「何だってしてあげたい」って思っちゃうじゃない』

「で、ぺらぺらと何でもかんでも喋っちゃったって訳だ」

『だから、ごめんってば。あたし、普通はこれでも口が堅い方なんだけどね。こっちの酔っ払いとは違ってさ』

『う、うるっさーい。私だって、口は堅いってばあ』

『あんまり、説得力無いね。でも、藤田にしては、良い子を見付けてきたね。ただし、気を抜くとと尻に敷かれるから、気を付けな。あの子、可愛い顔してるけど、相当にしたたかで芯は強いからね』

「ああ、知ってる」


それは昨日、母の恵美と会話してる様子からも分かったし、さっきの通話でも実感したことだ。


美緒は、翔の返事を聞くと『そう、分かってるなら、良いけど』と呟き、少し考え込んだ後で唐突に言った。


『それで薫とは、いったい何を話したんだい?』



★★★



それは、翔が一番触れて欲しくない話題だった。だけど、薫の親友の水瀬美緒にしてみれば、逆に一番知りたかったことに違いない。つまり、今までの長々とした会話の全部が前置きに過ぎなかったという訳だ。

そう分かっていながらも、翔は思わず顔をしかめてしまった。


「ちぇっ、聞きたいのは、やっぱりそっちかよ」

『そりゃ、そうだろうよ。せっかく、薫と二人っきりにしてあげたんだからねえ』

「それ、全然、嬉しくないから」

『そうだね。別に藤田の為に二人っきりにした訳じゃないし』

「ちぇっ、確信犯かよ。それに、いつの間にか俺のこと、呼び捨てだもんな」

『いいじゃないの。あたし達の仲なんだしさ。松永だって呼び捨てだよ。有難いって思いなよ』

「全然、有難くはないから。まあ、良いけどさ」

『で、薫と何を話したんだい?』

「別に。ほとんど薫が一方的に喋ってただけだし」

『ふーん。また例の卑屈な調子で、ぐだぐだ言ったんだ。変わんないねえ、あの子は』

「……だな」

『で、藤田はどうするんだい?』

「どうするって、何がだよ」

『それ、私も聞きたーい』

『沙希は黙ってなって。じゃないとスピーカーホン、切るよ』

『……分かった』:

『それで、どうすんのさ? 莉子ちゃんと別れて、薫とやり直すつもりかい?』

「……いや」

『翔、てめえ』

『こらっ、沙希』

「あのな、沙希。先週の日曜のことを報告した時、お前だって、「仕方ないね」って言っただろう?」

『あん時は翔が、こんなに早く別の子との結婚話を持って来るとか、思ってなかったから……』

『あのね、沙希。それって、時間とかは関係ないと思うんだけどね?』

『関係、大ありでしょうがっ。薫とのことが、まだごちゃごちゃしてるってんのに、こいつは並行して別の女といちゃいちゃしてたんだよ。それって、裏切りだろうがっ。なっ、そうだろ? 何とか言えよ、翔っ』

「だって、たまたま……」

『藤田は、黙ってな!』


何故か、美緒にまで怒鳴られてしまった。ところが、その後で彼女の口から吐き出された言葉の方が、より深く彼の心を抉った。


『あたしもね、今回のことは、仕方が無いと思ってる。あの莉子ちゃんに言い寄られて、この優柔不断な藤田が断れる筈がないだろ』

『み、美緒、あんた、何言ってんの……』

『だから、こうなって当然ってことだよ。そもそも藤田は、本気で薫の面倒を見ようなんて甲斐性かいしょうを持ち合わせてないんだ。それがあったら、薫が今みたいな状態になってないだろうからね』

「……っ」


翔は、彼の携帯ウェアラブル端末の向こうで語られた美緒の言葉に、完全に打ちのめされていた。それは、さっき母の恵美に言われたことと、ほぼ同じだったからだ。

もし、翔が大学を卒業する迄の間に薫の全てを受け入れる覚悟があれば、恵美が薫だけじゃなく、彼女の家にも援助を行う用意があったという。その機会を翔は、みすみす逃してしまった訳だ。

しかし、そんな翔の胸中とは関係なく、美緒と沙希の会話は続いて行った。


『沙希だって、ほんとは仕方が無いと思ってんだろ。だったら、時間がどうのこうのはどうだっていいんじゃないかい。沙希がどう思おうと、翔と藤田の関係は、もうとっくに終わってるんだよ。薫が藤田と付き合っていられたのは、学生の時までなんだ。それを薫は分かってて、大学を卒業した時、自分で藤田に見切りを付けたんだ。まあ、実際は、その後もずるずると引き摺って、三年も東京にいた訳なんだけどね……。とにかく、そんな二人の関係を今さら修復するなんて、できっこないんだよ。それよりは、お互い新しい道を探した方がずーっと建設的なんじゃないかい?』

『な、何だよ、それ』


美緒は諭すように言っていたのだが、沙希は尚も激昂していた。


『薫は高校の時から、ずーっと翔のことが好きなんだよ。今だって、薫は……』

『だから、それが良くないってんの。高校の時だったらまだしも、うちらの歳になって男の前でうじうじ悩んでるなんてのは、あたしは嫌だね』

『美緒が嫌だからって、それを人に押し付けないでよ。薫は純情なんだから』

『純情? 純情な女の純愛って言いたいのかい? ふっ、所詮は、ちんけな片思いじゃないのさ』

『美緒に何が分かるのよ』

『分かるね。あたしはね、物心付いた時から、ずーっと薫を見てきたんだよ』

『……ごめん』

『許す』

『ありがと』

『でね、そろそろ薫も自分の足で前に進むべきなんだよ。薫には、そんだけの力があるんだ。薫にはもう藤田は、必要ないね』

「……っ」

『だから、藤田は、さっさと莉子ちゃんと結婚しちまいな』

「……ああ」


突然、名前を呼ばれた翔は、取り敢えず頷いておく。

二人の激しいやり取りを聞いているうちに、正直な所、翔は自分が彼女達の会話の当事者である意識が薄れつつあった。それは夜が更けて眠気に襲われたこともあるが、自分に不都合なことから単に目を逸らしてしまいたい気持ちの表れでもある。

しかし、そんな翔の状態とは関係なく、二人の女の会話は続いて行く。


『……って、翔、お前。美緒が許したって、私は許さないんだからね。何で翔だけ幸せになって、薫が不幸になんなきゃなんないわけ。もう、わけ分かんない……』

『だから、沙希には分かんなくても良いの。これは、薫と藤田のことなんだから』

『だって、薫が可愛そう……』

『何いってんだよ。薫は馬鹿だけど、可哀そうなんかじゃないよ』

『だって、翔に捨てられたんじゃない』

『あんた、いつの時代の人間よ。昭和の時代の価値観だと、確かにそうだろうけど、今は令和なんだよ。男に捨てられて可哀そう? ちゃんちゃらおかしいね。今の時代、男も女も恋愛じゃ、対等。そりゃー、フィジカルな面での性差はあるだろうけど、それ以外は関係ないね』

『捨てられたんじゃなきゃ、何なのよ』

『それは、こっちが聞きたいね。薫には、もう藤田が必要なくなったから、別れただけでしょうがっ』

『で、でも、薫はこれから……』

『これから何よ。未来は自分の手で掴み取るもんじゃないの』

『あのね、美緒。今の社会には、自分の未来を思い描けない子がいっぱいいるの』

『また、あんたの教え子の話?』

『違う。薫のこと』

『薫は子供じゃなくて、ちゃんとした大人の女だよ。まあ、見た目、子供みたいなとこあるけどさ』

『それは分かるけど……』

『何よ。薫には、未来が無いとでも言いたいわけ?』

『だって、薫は軍に入ろうとしてんだよ。軍なんかに入ったら、死んじゃうじゃない。いや、むしろ、薫は死ぬつもりだよ。自分が死んで、それで家の借金を……』

『沙希ねえ、それって、薫本人から聞いたこと? 違うんじゃないかい? あの子、そこまで馬鹿でも間抜けでもないからね』

『でも、戦場なんか行っちゃったら、普通に死んじゃうでしょうが』

『だからさあ、その考えがおかしいって言ってんの。何で軍に入ったら、死ぬって決め付けるわけ?』

『……っ』

『薫は、死なないよ。薫は、あたしの親友だからね。絶対に死なない……あ、藤田のこと忘れてた。おーい、藤田、まだ起きてる?』

「……眠い」

『こら、翔。起きなよ。まだ、私の話は終わってないんだからねっ』

「だって……」

『だってもヘチマも無いっ、起きろっ、翔!』



★★★



翔は本格的に眠かった。思えば、今日は朝から莉子とのデートのことで気が張っていたのだ。いや、今日だけじゃない。昨日だって一日中そうだった。たぶん、疲れが出たんだろう。眠くなって当然だ。


「悪い、眠いから、もう切るわ」


翔がそう言って、通話を切ろうとした時だった。


『おいこら、翔、切るなー。まだ、言いたいことがあるんだってば……』

「うるっさいなあ。沙希、何だよ」

『おっ、やっと起きたか』

「だから、何なんだよ、沙希」

『翔、あんたって今、会社にどうやってかよってんの? セルフのタクシー?』

「いや、朝だけは、名鉄と地下鉄の方、使ってる」

『確か、地下鉄はにしき駅で降りるんだよね』

「そうだけど」

『翔、あんた、お金持ちなのに、何で電車なんかで通ってるわけ。セルフのタクシーとかシェアカーくらい使いなよ』

「そんなの、俺の勝手だろ。俺、昔から電車に乗るの、好きなんだよ」

『うっわー、ひょっとして翔、隠れ鉄オタ(鉄道オタク)だった?』

「違うわ。俺は、純粋に電車に乗るの好きなの」

『分かった。お子ちゃまなんだ』

「うるっせーなあ。別にいいだろ。だいたい、何で急にそんなこと言い出したんだよ」

『……だって、電車なんて、ぶっそうじゃない』

「日本の鉄道は、世界一安全じゃなかったのかよ」

『昔はそうだったかもしれないけど、今は違うでしょうが。車内での犯罪は増える一方だし、それにテロの温床にもなりかねないでしょう』

「犯罪って、痴漢のことか? 俺は男だぞ」

『痴漢だけじゃなくて、スリもそうだし、最近は車中で口論になって殺人事件に発展する事件が良くあるじゃない』

「それは特殊なケースだろ……まあ、分かったよ。一応、気を付けるからさ」

『ねえ、明日だけでも、車を使いなよ。今どきエリートサラリーマンが電車通勤だなんて、おかしいでしょう』

「ちぇっ、またかよ。別におかしくはないだろうけど、確かに、車を使ってる人の方が多いとは思うけどな」

『でしょう。約束だよ。明日は車を使って。お願いだから』

「な、何だよ。いきなりそんな優しい声出したりして。気持ち悪いっての。鬼の……しまった」

『ちゃんと聞こえてたよ。もう。とにかく明日は、会社に車で行ってよ、お願いだから。良い? ちゃんと車を使うのよ』

「……?」

『それじゃあね。美緒ももう良いね。じゃあ、仕事がんばってね』

「ああ、お前もな」

『うん。頑張る。頑張るよ。だから、さようなら、翔……』


美緒と沙希からの通話は、そこで途切れた。


この時、最後に沙希が言った「さようなら」の意味を翔が知ることになるのは、翌朝に起きる事件の後、しばらく経ってからのことだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

ようやく本編の三分の一が終わった感じです。ここで8/2の日曜日は尾張。次話は、月曜日の朝、翔視点になります。事件発生です。


お忙しい所、恐縮ですが、できましたら、ブックマークだけでもして頂けると大変嬉しいです。

ツイッター:https://mobile.twitter.com/taramiro0

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