第82話:神社参り <翔サイド>
再度、見直しました。
◆8月1日(土)
この日、藤田翔と桜木莉子の二人は、昼前に名駅、つまり名古屋駅で待ち合わせをしていた。この二人にとって昼間のデートは、これが初めてである。
駅前ロータリーの隅の方の日陰で待っていた翔は、黒塗りの高級車がゆっくりと入って来るのを視界の隅に捉えた。何となく気になって寄ってみると、その車は翔の前で静かに停まった。その車から颯爽と降り立ったのは、ノースリーブの上品なクリーム色のワンピを纏い、つば広の白い帽子を頭に乗せた、一見してお嬢様風のいでたちの若い女性だった。
彼女が顔を上げ、翔に気付いてにっこりと笑う。天使のようなその笑顔に、翔は思わずドキッと胸を弾ませた。
もちろん、その彼女は翔が待ち合わせている女性、桜木莉子である。
「翔さん、お待たせ」
「あ、いや、今来たとこだから」
「そうなんだ。あ、あの、翔さん。やっぱり、オフの日の格好も素敵ね」
会っていきなりそんなことを言われた翔は、年甲斐もなく動揺してしまった。
今日の翔は、いつもの白いポロシャツとチノパン姿。これだけ暑いと、上にジャケットを羽織る気にもならない。
彼女の後ろでは、車のドアが自然に閉まって、ゆっくりと去って行く。運転手は乗っていないようなので、一人で来たのだろう。
しばらく無言でいる翔に、莉子が身体を寄せて来た。その彼女からは、爽やかな柑橘系の匂いが漂ってくる。
「あれ、どうしました? 翔さん」
「あ、ごめん。えーと、その……、君だって……、可愛いよ」
最後の方は小声だったけど、それでも充分に伝わったようだ。莉子が急に顔を真っ赤に染めて下を向いてしまったからだ。
そんな仕草がいじらしくて、内心で翔は更にドギマキした。
「もう、翔さん、急にそんなこと言うなんて、意地悪ね」
再び顔を上げた莉子は、少し怒った素振りを見せる。
『先に言ったのは莉子の方なのに』と思った翔だったが、黙っておいた。
「でも、嬉しいわ。あの、翔さんの匂い……」
「えっ、汗っぽかった?」
さっきまで日陰にはいたけど、今は炎天下だ。気付かないうちに汗が出ていたのかもしれない。そう思って焦った翔だったが、違っていた。
「ううん。私があげた香水、ちゃんと付けてきてくれたのね。すごく良い匂い」
そう言って、また素直な笑顔を向けてくる。
「じゃあ、行こっか」
翔が移動を促すと、莉子は「はい」と言って付いて来てくれた。
彼女は約束どおり、小さな白いポシェットを肩に掛けている以外は手ぶらだった。
「そう言えば、手土産とか……」
「ああ、あれは、地下のお店で受け取るだけになってるの。後で寄らせて頂きますね」
確かに、その方が楽なのだろう。
二人は、取り敢えず駅ビルの高層階にあるレストラン街に向った。入ったのは和食のお店で、ランチメニューの中から手頃な定食を選び、ゆっくりと食事をしながらおしゃべりを楽しむ。
その後はエレベータで地下まで降りた。お目当ての高級和菓子屋には、長蛇の列ができていたけど、莉子はさっと列の脇を通って前まで行って、お店の人に声を掛けると、すぐに紙袋を渡してくれた。
莉子は、軽く頭を下げてそれを受け取ると、小走りに翔の所へ戻って来る。中の菓子は、ちゃんと保冷パックに入っているようだ。
翔は、「俺が持つよ」と言って、その紙袋を莉子から受け取った。結構、重かった。もちろん、中身は菓子なので、気になる程ではないが……。
そして、いよいよ二人は、名鉄の改札口へと向かったのだった。
★★★
名鉄名古屋駅のホームは、地下にある。その独特な空間は、もう半世紀以上も変わっておらず、地下迷宮のような不気味な雰囲気を漂わせている。翔には空気が淀んで重たく感じられるのだが、莉子にとっては違うようだ。
「うわあ、まるでテーマパークのアトラクションみたい」
莉子が上げた小さな歓声が思いのほか響いたせいで、周囲の人達の注目を集めてしまった。いかにもお嬢様な莉子がこの場にいること自体、不自然なのだが、テンションの高い莉子は全く気付いていない。翔だけが落ち着かない気持ちで電車が来るのを待っていた。
天王駅方面の電車の時刻は、一応、調べてはあるのだが、少し余裕を持ったが為に、まだ七分もある。
莉子は、電車が入って来る度に歓声を上げるので、翔は気が気じゃない。近くにいた何かの職人っぽい男が、『何だ、こいつ』といった目でこっちを見ている。『ここはお前達が来る場所じゃない』とでも言われているような気がしてしまう。
そんな風におどおどしながら別の方面に行く電車を何本かやり過ごした後、ようやく天王駅方面の急行電車の番になった。
くぐもった声のアナウンスが入った。
『まもなく、天王駅方面の急行がホームに入ります。危ないですので黄色い線の内側に……』
途中でアナウンスは、轟音によって掻き消されてしまった。すると、レトロな雰囲気満載の車両がゆっくりとホームに入って来る。やがて空気が抜けたような音がして、一斉にドアが開いた。
既に降車客は反対側のドアから降りてしまっているので、中にはほとんど客がいない。昼間のこの時間には、乗車する客もまばらだった。
くすんだ臙脂色のソファー席に翔と莉子が並んで腰を降ろすと、電車は小さくガタンと揺れた。
「あ、動いた」
莉子が可愛い歓声を上げた後、電車はどんどんとスピードを上げて暗闇の中に向かって行く。
「うわあ、昼間なのに、夜中みたい。猫バスに乗ったって感じかなあ。……いや、これは電車だから、銀河鉄道かしら」
「そんなロマンチックなもんじゃないと思うけど……」
「だってえ……」
莉子は、まるで小さな子供みたいなはしゃぎぶりだった。翔は、そんな莉子のハイテンションに付いて行けない。この古臭い車両の何処に彼女の好奇心を刺激する要素があるんだろうと思ってしまう。
もちろん、翔とて電車に乗るのが好きなので、莉子の思いも分からなくも無いのだが、今の莉子の状態は共感を覚える以前に気恥ずかしくなってしまうのだ。
それに、相変わらず周囲の刺すような視線が気になって仕方が無い。
そうこうするうちに車両は地上に出て、車窓の外がパッと明るくなった。即座に莉子は「うわあ」と歓声を上げる。
それから莉子の視線は、車窓を流れる風景に釘付けになった。車での移動よりも視線が高い所にある分、見える景色が違うらしい。
「莉子ってさあ、本当に電車に乗ったこと無いんだな」
「そんなことないよ。先月だって、リニア新幹線に乗ったもの」
「あ、それなら聞いたよ。千春さんと一緒だったんだろ?」
「うん。でも、トンネルばっかで、つまんなかった」
ちなみにリニア中央新幹線はネットの評判だと、金持ちしか乗れない電車だと言われている。運賃が高過ぎて、庶民は高速バスか、せいぜい従来の新幹線を使うからだ。
実際に乗った人のコメントだと、ビジネス客主体だったそうだ。それも、普通の会社員ではなくて、一流会社の部長クラス以上だという。
とはいえ、ここでは莉子に話しを合わせておく。
「でも、リニア新幹線に乗ったってのは、貴重な体験だったんじゃないか?」
「うん。千春先輩、そういう新しいの大好きだから。だけど、あれはお勧めしないわ。ほんと、すぐ着いちゃって面白くも何ともないもの」
「でも、飛行機よりは良くない?」
「あ、それは言えるかも」
そんなことを話しながらも、莉子の視線は車窓の外に釘付けだった。
やがて電車は天王駅に到着し、蒸しっとする暑さに辟易しながら翔にとって見慣れたホームに降り立ったのだが、莉子はとても楽しげで軽やかな足取りだった。彼女は、そんな無邪気な状態のまま、改札へと向かう階段をテンポ良く下りて行く。
そして、改札を出てコンコースを歩き、駅ビルを出ようとした時、莉子は一際大きな歓声を上げた。
「うわあ、素敵な街」
★★★
正直な所、翔は莉子をこんな田舎の駅前なんかに連れて来たくは無かった。莉子は都会育ちのお嬢様で、こんな古臭い街は退屈だろうと思っていたからだ。
もちろん、莉子と結婚する気がある以上、一度は実家に来てもらう必要がある。でも、タクシーで家の前まで運んでしまえば、そこが田舎であるといった印象は減らすことができる。
今の時点で、こんなみすぼらしい場所を見せてしまっては、碌なことにならないという気がする。。たぶん大丈夫だとは思うけど、わざわざ自分のマイナス要素を曝け出す必要なんてないのだ。
つまり、天王市がどういう所かを莉子が知るのは、お互いが結婚に対する意思を固めた後でも良いだろうと翔は考えていた。
ところが、そんなのは翔の勝手な思い込みでしかなかったのだ。
莉子は、この街を素敵だと言った。昭和のレトロな佇まいが未だに感じられて、ロマンチックな所だと評価してくれた。それには、身内を褒められたような気恥ずかしさがあった。
そうした目で改めて馴染みの街を見てみると、古ぼけた商店街の入口のゲートだとか、所々錆び付いた果物屋の看板、和菓子屋の黒い瓦屋根など、通りで見掛けるちょっとしたものが、観光地のシンボルやモニュメントのように思えてくるから不思議だ。
もうひとつ気になっていたのは、治安の問題である。最近の天王通りは昔と違ってスリや恐喝などの犯罪が多発している。つい先日、翔自身もスリの被害に遭い掛けたばかりだ。
そう思って交番の方に目をやると、普段は中年の警官が一人しかいないのに、今日は大勢が集まっている。
こうした祭りとかのイベントがある時は、夜遅くまで多くの人が出歩く訳だから、喧嘩等のトラブルや女性が襲われるといった事件が起こり易い。治安の良し悪しは街の評価に直結するから、市の幹部だって気にしている筈だ。特に、天王夏祭りのような大規模イベントで大きな事件が起こると、街のイメージは一気に下がるし、一度下がると元に戻すのが大変なのだ。
更に、大きな問題は、暑さである。今は、一日で一番暑い時間なのだ。しかも、空は雲ひとつない晴天で、いわゆるピーカンだ。
こんな時に街歩きだなんて、翔にとっては苦行以外の何物でもない。
実際、こうして駅前のロータリーを眺めてみても、ほとんど人がいなくて閑散としている。夏祭りということで、それなりの飾り付けはしてあるものの、今日が祭りの当日だとは思えない静けさだ。
日中は電車の本数が少ないこともあるんだろうけど、それ以上に誰もが暑さを嫌って、外出を控えているように思われた。
「翔さん、どうしたの? 早く行きましょうよ」
駅ビルの軒先から出るのをためらっていた翔に、莉子が声を掛けてきた。
「暑そうだけど、大丈夫?」
「全然、へーきよ。だから、こうして涼しい格好してきたんだし。さあ、行きましょう」
そう言って、莉子が先に飛び出して行ってしまう。翔もしぶしぶと彼女を追った。
★★★
駅前のコンビニ・マルエムがあった所は、既に更地になっていた。そこにマルエムのロゴの入った大きな立て看板があって、それによると近々同じコンビニがオープンするみたいだ。駅前だし、高校生とかが集まることから、それなりに需要があると判断されたんだろう。
「こんなとこに、コンビニができるのね」
「いや、元々ここにあったんだよ」
翔は、こっちに戻った最初の日、ここで爆破事件があったことを莉子に説明した。
「へぇ、凄いね、そんなの目撃するなんて」
「えっ、怖くないの?」
「うーん、実際に見たら怖いんだろうけど、見た事ないから分かんないのかも」
そんな物騒な事件ですら、今のハイテンションな莉子としては、アトラクションのひとつに思えてしまうみたいだ。
「でも、コンビニなんて、この街には似合わないんじゃない?」
「だけど、無いと不便だしなあ。ネットで注文すりゃ良いっていや良いんだけど、コンビニだと、その場で手に入るし、やっぱり、あった方が便利だと思うよ」
「そっか。私、あんまりコンビニとか行かないから、分かんないんだね。でも、せめて外観とか変えて欲しいな。この街のイメージに合わせるとか……」
翔は、『コスト高になるから、無理じゃないかな』と思ったけど、言わないでおいた。
二人は、並んで天王通りをそぞろ歩く。歩道にある街灯には飾りがしてあって、至る所に「天王夏祭り」の表示がされていた。
普段は人通りが少なくてシャッターを下ろしている店が目立つ天王通りだが、今日は夏祭りの日だけあって開いてる店が多い。そうした店にも登りや提灯、造花などの飾り付けがしてあって、お祭り気分を盛り上げている。
もっとも、客が来るのはもっと先だろうから、飲食店とかは準備中にしてある店が大半だった。
莉子は、街角で見付けた何でもない街灯や郵便ポスト、立て看板とかにも「かわいい」を連発して、スマホで写真を撮りまくっている。それだけじゃなくて、今度は翔も一緒に撮り始め、終いには、「ねえ、翔さん。一緒に入りましょうよ」と言って、莉子と頬をくっ付けた自撮り写真まで撮らされる始末。普段の恥ずかしがり屋の莉子だったら、絶対に言い出さないことだろう。
そんな莉子が、大きな赤い字で「氷」と書かれたのぼりの前で急に足を止めた。何だろうと思って隣に立つと、翔のポロシャツの裾をくいくいと引っ張る。
「翔さん、これ食べたい」
上目遣いでおねだりされれば、買わないわけにはいかない。
紙製のカップに入ったかき氷をプラスチックのスプーンで掬いながら、レンガを敷き詰めた広い歩道を二人並んで歩く。最初に莉子の分だけ買ってあげたら、「私だけだと、恥ずかしいじゃない」と口を尖らせるので、仕方なく自分の分も買ったのだ。『こんな歳で、かき氷かよ』と思った翔だったが、並んで歩く莉子は嬉しそうだ。
まだまだ一番暑い時間帯で、強烈な日差しに晒されているせいだろうか、冷たい氷は心地よく喉を通って行く。
そうして、ふと翔が隣を見ると、莉子がいない。慌てて振り返ると、歩道の真ん中で立ち止まり、眉間を押さえて顔を顰めている。
駆け寄った翔が「慌てて食べるからだよ」と言って笑うと、「ひっどーい」と拗ねられてしまった。
それでも治った途端に機嫌も直って、今度は少なめに氷を掬っては、小さな口に運んで行く。
「もう、そうな風に見られてると、食べにくいんですけど」
「あっ、ごめん、ごめん」
軽く謝ってから、再び並んで歩き出す。暑さのせいで、翔の分はすぐに溶けて無くなってしまった。最後はカップに直接口を付けてグイッと飲んで隣を見ると、莉子もちょうど食べ終えたようだ。
「ああ、おいしかった」
そう言って伸びをする彼女から空のカップを受け取って、自分の分と合わせて近くにあった自販機の脇のゴミ箱に放り投げる。
「うわあ、猫だあ。かっわいい」
もう何度目か数え切れない莉子の歓声だ。翔が『今度は猫かよ』と思って莉子に目をやると、彼女はいきなり車道を横切って、酒屋の軒下でしゃがみ込む。
あまり車が通らない道とはいえ、急に飛び出したら危ないだろう。
翔は、そう思いながら左右を見て、しっかり安全を確保した上で、ゆっくりと莉子に近付いて行く。
しゃがんだ莉子の前にいたのは、小さな黒猫だった。その子猫は人に慣れているのか、彼女に背中を撫でられて気持ちよさそうにしていた。
「あらまあ、誰かと思ったら、藤田さんとこの息子さんじゃないかい」
店のガラス戸を空けて現れたのは、顔見知りのエプロン姿のおばさんだった。
すると、黒猫がさっと莉子の手元を離れて、店の中に入って行く。どうやらこの店の飼い猫のようだ。
「最近、見なかったけど、こっちに戻って来たんだね……あら、彼女さんなの?」
「ええ、まあ」
「可愛い子じゃないの。夏祭りに来たのね。じゃあ、ラムネあげるから、飲んできなさいよ」
この店は、翔が通った天王南中学の時の友人、佐野雄太の実家だ。彼は今もここに住んでいて、店を手伝っている筈だが、今は配達にでも出ているのだろう。
佐野のおばさんが店の奥の冷蔵庫から持ってきてくれたのは、昔ながらのビー玉が入ったラムネ。翔はすぐに空けられたのだが、莉子には難しかったようだ。翔が代わりに勢いよくビー玉を押し込んでやると、莉子から尊敬の眼差しを向けられてしまった。
莉子がラムネをちびちびと飲んでいる間に、翔はおばさんから街の様子を聞かされていた。
「最近は天王市も人が減る一方で、特に若い人がどんどん少なくなっててね。年寄りだと、あんまりお酒は飲めないでしょう? うちも結構、大変なのよ。それにね……」
人が減っているのもあるけど、昔ほど酒を飲まなくなったこともあるみたいだ。最近は若者を中心に晩酌をする人が減り、お祝い事など特別な時しか飲まない人が増えたのだという。
その背景にあるのは、それだけ庶民の財布が固くなったこと、つまり所得が減ったということだ。「酒はぜいたく品」という意識が、既に庶民の間では定着しつつあるらしい。
もちろん酒屋とはいえ、酒以外のものだって売ってはいるのだが……。
「若い人は、ほんと、たまにしか来ないねえ。皆スーパーに行っちゃうみたいだし……」
ここら辺りでも、こうした個人商店で生き残っている店は数える程しかないという。確かにコンビニですら、大きく数が減っているのだ。
この店も固定客からはネットで注文が入るから、店に来る客はほとんど無いらしい。地域密着で「ネット通販よりも早く届く」だけを強みにして、何とか凌いでいるそうだ。
ちなみに配送を請け負っているのは、翔の友人の佐野雄太である。なので彼は、ほとんど店にはいない訳だ。
莉子が飲み終わったようなので、翔はおばさんにラムネのお礼を言って、雄太に宜しく伝えてくれるように頼むと、その懐かしい店を後にしたのだった。
★★★
神社に近づくに連れて、お土産屋や甘味処、きしめん屋等の食事処が立ち並ぶようになった。それと合わせて人通りも徐々に増えてきた。浴衣姿の人達が、古い風情の街並みにすっかり溶け込んで見える。
そうこうするうちに、大きな赤い鳥居が見えてきた。それに歓声を上げたのは、莉子だった。
「うわあ、大きな鳥居だあ。思ったより立派な神社なのね」
「ああ、かなり昔からあるし、戦国時代は織田家の氏神だったんだよ」
「織田家って、信長のこと?」
「そういうこと。さあ、もうすぐだよ」
昨夜も神社に行きたいと言っていた莉子は、軽い足取りで鳥居の下を潜って、石畳の参道を進んで行く。石段を上ると、国の文化財級の表門がある。それを過ぎると、立派なお社が現れた。
初詣の時は大勢の人でごった返す境内も、今はそれほど混んではいない。
玉砂利の上をそぞろ歩き、まずは手水舎に向かう。長い柄杓を使ってお互いに水を掛け合って手を清めるのだ。
「うわあ、冷たくて気持ちいい」
そんなことにも、いちいち莉子は、はしゃいだ声を上げる。
いよいよ次は本殿へと進み、二人並んで拝殿の前に立つ。一緒に柏手を打って、頭を下げて手を合わせる。
お参りを済ませた翔が、ふと隣に目をやると、莉子はまだ真剣な表情でお祈りをしていた。胸元から何か光るものが垂れている。何だろうと思って良く見ると、彼女が時々付けている十字架のペンダントだった。
ようやくお参りを終えた莉子に翔が、「十字架付けて神社でお参りされても、神様は困っちゃうんじゃないかなあ」と言うと、「もう、翔さんったら、意地悪なんだからあ」と言って拗ねたフリをした後で、今度は急に声を落として、「そんなこと無いと思うんだけど……」と反論を始めた。
「日本の神様って、もっと寛容ですよーだ。だって、日本に来るガイジンさんだって、普通にお参りはしてるじゃないの」
「うーん、そうかなあ」
「そうです」
翔にはイマイチ説得力が無いように思えるのだが、それ以上は追及しないことにする。それより、翔には気になったことがあったのだ。
「なあ、莉子は何をお参りしてたんだ?」
ところが、彼女は「内緒でーす」と言って、なかなか教えてくれようとしない。何度もしつこく訊いているうちに、「二人の未来のことよ」と言い放ち、その場から逃げて行ってしまった。
一瞬、焦った翔だったけど、境内は玉砂利が敷いてあって走り難いのか莉子の動きは鈍い。すぐに捕まえて、白くて柔らかい手をギュッと強めに掴んでやる。翔は、そのまま彼女を引っ張って、おみくじ売り場の前に連れて行った。
「だったらさあ、その未来、占ってみようよ」
おみくじは、莉子が大吉で翔が小吉だった。大げさにはしゃぐ莉子に翔が「羨ましいなあ」と呟くと、「私の幸運を分けてあげるから、大丈夫だよ」と励まされてしまった。
「ずっと一緒に、いられるならだけどね」
その後で莉子が、そんな風に小声で呟いたのだが、翔の耳に届いたかどうかは定かでない。
「なんか、心配になってきたから、お守りでも買おっかな」
「そうね。案外、アメリカにいる人へのお土産に良いかも」
「うーん、流石にそれは、ちょっと……」
ガイジンにお守りの意味を説明するのが面倒だと思った翔は、安全祈願のお守りを二つだけ購入した。最初は、ひとつだけ買うつもりだったけど、ついつい余分に買ってしまった。
ところが、翔が買った後で莉子は、こんなことを言い出すのだ。
「でも、日本の神様って、アメリカに行っても御利益あるのかなあ?」
「ええーっ、国内限定の御利益ってこと?」
「だって、神様にも縄張りとか、ありそうじゃない」
「そんなことは、無いんじゃないかなあ」
そう言いながらも、翔は少し不安になってきた。
その隣で莉子は、ニコニコと笑っている。
二人の間に、生暖かい風が通り過ぎて行った。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
次話は、いよいよ莉子が翔の実家を訪問し、将来の姑である恵美と対峙します。
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