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第81話:串焼きの店 <翔サイド>

見直しました。

◆7月31日(金)


この金曜日、藤田(かける)は、ある得意先の人と昼食のアポを取り付けていた。翔の本音では桜木莉子(りこ)の手作り弁当の方がありがたいのだが、これも大事な仕事なので仕方がない。

できれば十時半くらいには支社を出たい。その前にメールの処理を終えて、取引先に説明する資料の最終確認をしておく必要がある。それに加えて、できれば朝のうちに莉子との週末のことを話しておきたかった。天王夏祭りに誘ってはみたものの、待ち合わせの時間も場所もまだ決めていないからだ。


それに昨夜、母の恵美と話したこともある。彼女には、普通の服で来てもらわないといけないのだ。細かいことは今夜の夕食の時に話すとして、浴衣ゆかたのことは早めに話しておいた方が良い気がする。

つまり、恵美の指示は莉子を藤田家に連れて来ることで、そうなると莉子の方にも準備と心構えの時間が必要だろう。彼女自身が動けなくても、母親や家政婦の人に手伝ってもらえば良い訳だし……。


とにかく、翔は忙しいのだ。それで普段よりも早く出社して、パソコンの画面を睨みながらメールのチェックをしていたのだが、その時、翔の社用スマホに着信があった。

待ち受け画面に目をやると、支社長秘書の犬飼葉月いぬかいはづきからだ。


『藤田さん、お手数ですが、今すぐ支社長室までご足労頂けませんか?』


とんだ横槍が入ったものだと思いながらも、中山支社長からの呼び出しとなれば行かざるを得ない。

最近の翔は毎日のように支社長室へ通っているのだが、これまで仕事の話をされたことがない。さすがに、そうしたことにも慣れっこになりつつある翔だったが、それでも念の為、ノートパソコンを小脇に抱えて早足で十二階の支社長室に向かった。

ところが……。


「おはようございます。藤田さん」

「おっはよう、藤田くん」


何故か部屋に支社長がいない。代わりに支社長の椅子には、やや小柄な鈴村千春すずむらちはるがちょこんと座っていた。


「あれ、支社長は?」

「昨日の夕方から、東京の方に出張で不在ですが」

「えっ、じゃあ、何で?」


翔が葉月に疑問をぶつけると、支社長のデスクの向こうから、ふんぞり返った千春が翔をクイクイと手招きする。

呆れた顔で翔が近付いて行くと、千春は翔のスーツの袖を引っ張って、自分の鼻に近付けた。


「莉子ちゃんの香水、ちゃんと付けてるね。よろしい。合格だ。それでは藤田くんに褒美として、これをやろう」


態度は偉そうなのに、例の甲高いアニメ声では滑稽でしかない。

その千春が差し出したのは、小さなメモ用紙だった。


「何ですか、これ?」

「あたしからの業務指示だよ」

「だから、何なんですか、この住所……。えーと、串焼きサブローですか?」

「うん。美味しい串焼きのお店だよーん」

「今夜のお店だそうです。もちろん藤田さんと桜木さんのデートの場所ですよ。千春の選択なので、一抹の不安はありますが、まあ、今のお二人だったら、どこでも大丈夫だろうと判断しました」


そこで翔は、莉子が昨日、夕食の場所を千春が考えていると言っていたのを思い出した。


「では、千春さん、これはありがたく頂いておきます。では……」

「ええーっ、もう帰っちゃうの?」

「今日は忙しいんですよ。お客さんの所に行かなきゃいけないですから」

「何時から?」

「十一時ですから、十時半には出ないと……」

「じゃあ、まだたっぷり時間あるじゃん」

「そうですね。せっかくだから、お話ししましょう」

「お話しですか?」

「はい。実は昨夜、沙也加さやか先輩から藤田さんのこと、頼まれまして。『うちの愚弟を助けて』だそうです」


沙也加とは、翔と同じ歳で幼馴染の倉橋沙也加のことだ。彼女は葉月と同じ地元の国立大学出身で同じゼミ。葉月の方が一年後輩なのだ。


「あいつ、何が愚弟だ。俺より三日早く生まれただけのくせに」

「ふふっ、『うちの愚弟は、超ヘタレだから』ともおっしゃってました」

「あのやろう」

「まあ、良いじゃないですか。沙也加先輩もおっしゃってましたが、今週末は山場ですからね。確実にプロポーズまで持ち込みませんと、この後のスケジュールが大変タイトになってしまいます。幸い、藤田さんもそのつもりだと、沙也加先輩から伺ってはおりますが、できるだけアドバイスさせて頂きたいと思っております」


「あいつ、そんなことまで言いやがったのかよ……」


翔が小声で悪態を吐いた所で、千春が支社長の椅子から下りて、翔の前に出て来た。


「藤田くん、プロポーズの段取りは、ちゃんと考えとるんかね。まあ、あれだな。この週末は、どこでも花火大会だからな。そのうちのどっかに連れて行ってやると良いぞ。二人並んで花火を見ながらだな……」


千春がへたな支社長の真似をして話すのにイラっとした翔だったが、千春も疲れたのか、すぐに普通の口調に戻った。ただ、内容の方は非常にアレである。


「……そんでね。莉子ちゃんが花火のことを『きれい』と言って、藤田くんが『君の方が綺麗だよ』と返すでしょう。そんでもって二人が見つめ合っちゃって、チューをするの。で、唇が離れた所で、すかさず藤田くんが、『結婚しよう』って言うわけ。で、莉子ちゃんが『はい』って頷いて、それから、また烈々なチューを……痛っ、なんで叩くのよ、この犬」

「あんたがやると、キモい」

「もう、酷いなあ……あ、呼び出しだ。げっ、朝一でミーティングだったわ。葉月、できるだけ早く戻って来るから、それまで藤田くんを引き留めといてね」


千春が、慌ただしく出て行った。

バタンと強く閉められたドアを見ながら、葉月が小さく溜め息を吐いた。


「ふう……。では、藤田さん、この後は、うるさい千春抜きで話しましょう」

「はあ」

「隣の応接室にコーヒーをお持ちしますので、先に行っててもらえますか?」


翔には抵抗する気力など、もはや無かった。

素直に葉月の言葉に従って隣の部屋に移動した彼は、黒い牛革のソファーに腰を下ろして背もたれに身を預けたのだった。



★★★



やがて、コーヒーを載せたトレイを運んだ葉月がやって来て、カップを置いてから、自分は反対側に座った。


「しかし、千春も相変わらず困ったもんですね。藤田さんには、ご迷惑をお掛けしてすいません」

「いや、犬飼さんに謝られるようなことではないですから」

「まあ、そうなんですけど……、あの子、どうしても医者以外の人と結婚したいらしくて、何とか出会いを求めて必死なんですよ」

「えっ、どうしてですか?」


葉月は、一瞬だけ躊躇ためら素振そぶりを見せたのだが、「わたくしが話すこと、千春には内緒にしておいて下さいね」と前置きした上で、教えてくれた。


千春の父親は、結婚する前に務めていた病院の看護師ナースと付き合っていて、その女性に子供ができたことで別れたのだそうだ。その際、今の鈴村総合病院に移ったのだという。その時点で、千春の母親とは既に婚約していたので、彼は二股を掛けていたことになる。

その後、別れた看護師は、女の子を産んだそうだ。つまり千春の姉になる訳だが、千春は会ったことがないらしい。


「千春が言うには、その女の子の養育費とか、全く払ってないそうなんです。『別れた女が俺への当てつけで産んだ子なんだから、養育費なんか払えるか』ってことみたいです」

「それは、酷いですね」

「そうなんです。その父親、実は養子なんですよ。人当たりの良い人で、優秀ではあるんですけど、人としては最低の部類ですよね。少なくとも千春は、人間のクズだって言ってます」

「なるほど」

「千春は、その父親から何度も縁談をもらってまして、どの人も優秀な医者なんだそうですが、全て断ってます。でも、いつまでも断り続けている訳にも行かないらしくて、焦ってるって訳です。だったら、わたくしのつてで弁護士と結婚すれば良いと思うんですけど、そっちはそっちで、一癖も二癖もある男しかいなくて……、まあ、長話をしてる場合じゃありませんね。本題に入りましょうか」


そこで葉月は、自分のコーヒーを一気に飲み干すと、翔の方に向き直った。


「これは、沙也加先輩とも話したことですが、今週末が重要であることは分かりますよね?」


その問いには、翔も「はい」と頷かざるを得なかった。


「わたくしと千春が桜木さんに接して色々と話した感触ですと、この後、藤田さんが余程、彼女の好感度を下げる行いをしない限り、藤田さんからのプロポーズは受け入れられる筈です。ですが、女性にとってプロポーズは大切ですからね。単なる儀式のように思われるかもしれませんが、男としてのけじめとして、しっかりとイベントを完了して下さいね」


翔には葉月の言い方が、かなりあけすけなものに思えたのだが、行っていること自体は正論なので黙っておく。


「で、その後、日曜日にもう一度会って頂いて、藤田さんから桜木さんに婚約指輪を渡して頂きます。指輪の方は、既に沙也加先輩の方で手配されていますので、藤田さんは、それをお持ちするだけで大丈夫です。指のサイズはもちろん、桜木さんの好みの情報も本人から聞き出して沙也加先輩に伝えてありますので、間違いは無いかと」


本当に至れり尽くせりだ。


「その次のイベントですが、今度は藤田さんが桜木さんのご両親にお会いする番ですね。これもできるだけ早い方が良いのですが、さすがに今からアポを取る訳には行きませんので、今の段階では、ここまでです」


葉月は、そこで翔の目をまっすぐに見た上で先を続けた。


「藤田さん。この週末を終えたら、残された時間は二週間。つまり、この週末が折り返し地点です。藤田さんが本気で桜木さんを結婚相手として考えていらっしゃるのであれば、そのことをしっかりと彼女に伝えてあげて下さい。そして彼女の協力を得た上で、残りの二週間、もろもろのことを急ピッチで進めて行く必要があります。藤田さんがこっちにおられる前にこの縁談をまとめるとなると、今度の週末は本当に重要ですからね」


そう言われても、正直な所、翔には急すぎて心が着いて行かない。思わず「はあ」とため息が漏れてしまうのだが、そんな翔に対して、葉月は厳しい目を向けてきた。


「藤田さんっ!」

「はい」

「何ですか、その気の抜けたような態度は。本気で桜木さんと結婚する気があるんですかっ!」

「……あります」

「だったら、もっと真剣になってくださいっ!」

「……はあ」

「良いですか、これは支社長の指示ですからね。ちゃんとした業務命令ですよ。分かってますか?」

「は、はい」

「お待たせー」


葉月の思いがけなく強い口調に翔がたじたじになった所で、静かにドアが開いて、ひょっこりと千春が顔を覗かせたのだった。



★★★



再び葉月が入れてくれたコーヒーの香ばしい匂いが、部屋中に漂っている。翔の前には葉月と千春が座っていて、翔に対して鋭い視線を向けていた。


「それでは、まず藤田さんの方から、この週末、桜木さんをどのように攻略されるかの計画をお聞かせ頂けますか?」

「こ、攻略ですか?」

「攻略ってのはね、莉子ちゃんの心を攻めて攻めて、藤田くんだけのものにしちゃうことだよ」


千春のふざけた発言を無視スルーした葉月は、翔の顔を見詰めたまま「では、お聞かせ下さい」と説明を促してきた。

翔が「その件は、沙也加から聞いてはいないんですか?」と問い掛けると、「土曜日に具体的な話は、愚弟から聞いて頂戴」と言われまして」と返されてしまった。それで翔は観念して、昨夜、母の恵美や亜里沙、沙也加と話した作戦を披露することにした。


翔の話を聞き終えると、さっきまで厳しかった二人の表情が若干なごんだ。


「なるほど、明日は天王夏祭りの日ですか」

「そこそこ人気だよね。最近のトレンドにもなってるみたいだし。行ったこと無いけど」

「浴衣に着替えるってことで、藤田家に呼んでしまうのは良い作戦ですね。さすが、沙也加先輩です」

「うーん、莉子ちゃんは緊張するだろうけど、自然に結婚への心構えができるもんね」

「藤田の物を身に付けることで、桜木さんも他家に嫁ぐことを意識せざるを得なくなりますからね」

「だよね。特別なシチュエーションをお膳立てする訳だもん。まず、藤田家に着く前に、神社でお参りしてぇ、藤田家では着てる物をぜーんぶ脱いじゃってぇ、でもってシャワーで身体からだを清めるの。それがみそぎになるんだね。それから、新しい浴衣に着替えてぇ、髪を結ってもらうの……痛っ」

「もう、千春が言うと、何か嫌らしく聞こえるんだけど」

「そんなことないじゃん。あくまで神聖な儀式としての段取りだよ。そうやって手順を踏むことで、莉子ちゃんの方も、藤田くんのプロポーズを聞く心構えができてくるんじゃないの」

「まあ、それはそうかもしれないけど……」あれ、藤田さん、どうされました?」

「やる気がない態度は、お姉さん、プンプンだよ」


千春の言葉は相変わらずふざけているのだが、二人の視線は限りなく厳しい。翔は、改めて背筋をピシッと伸ばして、二人に向き合った。


「あとは、プロポーズの段取りですね」

「やっぱ、花火を見ながら、チューだよね。他の人は花火の方だけ見てるから、チューがやり易いんだよ」

「お祭りですからね。多少はハメを外しても、周りの人は大目に見てくれるでしょうし」

「チューの後の言葉は、何でも良いんだよ。普通に『結婚しよう』でも女の子はジーンと来るもんだからね」

「あの、チューは余計なんじゃ……」

「確かに平凡だけど、まあ良しとしておきましょう」

「えっ、スルーですかっ?」

「では、土曜日はそれで良いとして、次は日曜日のことです。先程、お話ししましたように、まずは婚約指輪を渡して頂きます」

「その次は、ホテルかなあ」

「な、何ですか、その急展開っ!」

「速攻で押し倒しちゃえっ!」

「ご両親に挨拶に行く前に、既成事実を作ってしまわれるのも、確かに『有り』なのですが……」

「えっ、『有り』なんですかーっ?」

「はい。ただ、藤田さんが『そういうことは、結婚式の後で』とおっしゃられるのでしたら……」

「それって、単なるヘタレだと思うんだけど」

「……その場合は、お二人の将来のことを少し話し合われてはいかがですか? 来週になりますと、お二人とも忙しくなるでしょうし、そうしたことを話す時間が取れなくなってしまうかもしれません」

「できたら子供は三人欲しいとか、最初は女の子が良いなあとか、そういう奴だね」

「それと、これからの二週間のスケジュールについても、ちゃんと話し合われた方が宜しいかと……あ、着信がありました。失礼します」


そこで、葉月の方に中山支社長から着信があったようだ。

その葉月の通話は込み入った内容であるらしく、なかなか終わりそうになかった。焦り出した翔は、時間が無い旨を千春に伝えて、そっと部屋を出たのだった。



★★★



自席に戻った翔は、大急ぎで得意先に説明する資料の最終確認に取り掛かった。それが終わると、目の前の莉子に外出することを伝えた。


「できるだけ早く戻るつもりだけど、戻ったら少し話があるんだ」

「今夜のことでしょう? 千春先輩から聞きました」

「なんだ、そうなの……。じゃあ、ついでに言うけど、明日、夏祭りに行く前に、うちに寄ってもらいたいんだ。それと、帯や草履、小物とかも含めて浴衣一式をうちで用意するから、うちで着替えてもらって、夏祭りに行きたい。あ、髪の毛とかもプロがセッティングするから……あの、莉子?」


話の途中で、ふと莉子の方を見ると、彼女は完全に固まってしまっていた。

しかし、時刻は既に十時半を過ぎてしまっている。


「ごめん。心配なことがあったら、メールしてくれる? それと、詳しいことは、今夜に話そう。じゃあ、行って来るよ」


翔は早口でそう言い残すと、尚も固まっている莉子を残して、さっさとエレベータの方に急いだ。本当は、もっと丁寧に話してあげたいけど、とにかく時間が無いのだ。

一階でエレベータから下りると、翔は小走りに玄関ホールを通り過ぎて、予約してあった運転手のいない無人送迎ハイヤーに飛び乗ったのだった。



★★★



翔は何とか約束の午前十一時までに、得意先のオフィースがあるビルの前に到着することができた。

すぐに受付に向かうと、そのまま応接室に通される。そこで相手側の担当者と軽く打ち合わせを行い、十一時半頃に担当の上司が部屋にやって来て挨拶し合った後、三人で会食の会場となる懐石料理のお店へと向かった。

そこは歩いて五分程度の所だったのだが、その上司の方は小太りだったせいか、額に汗が浮かんでしまっていた。


「いやあ、こんなに暑いと、まずはビールと行きたい所ですけどね」

「課長、仕事中じゃ、無理ですよ」

「ヨーロッパだと、結構アリなんだがな、あ、藤田さん、アメリカの方はどうなんですか?」

「アメリカはダメですね。アルコールに関しては、日本より厳しいと思います」

「そうなんですか。それは残念……あ、須田さん、こっちこっち」


今日の会食は三人だけだと思っていたら、遅れてアラサーくらいの女性が現れた。短めの髪を茶色に染めた割と小柄な女性だ。


「藤田さん、紹介させて下さい。こちらは、須田主任です」

「あの、須田愛理すだあいりとお申します。宜しくお願いします」

「彼女は中途でして、先月うちに入ったんだけど、前は軍にいたんです」

「えっ、そうなんですか?」

「はい……あ、でも軍とは言いましても内地だけでして、やってたのは、事務みたいなもんです。だから戦場とかは全然、行ったことないんです」

「でも、こないだ拳銃を撃ったことがあるって、言ってませんでした?」

「ええ、まあ、それくらいはありますけど、大したことないです」

「そうですか」

「えーと、最近、うちは軍との取引が増えてましてね。それで、彼女にも来て貰った訳なんですよ」

「えっ、兵器とか?」

「まさか、そんな訳ないじゃないですか。うちが扱っているのは、戦場でも使える日用品です。ほら、最近、女性の兵士が増えてるでしょう。彼女達は、戦場に居ても綺麗でありたいとか思うみたいなんです。それに、少しでも快適に生活できるようにって……」


要は、軍に日曜雑貨や化粧品等を降ろしているようだ。その過程で、軍の要望に応じて、できる範囲で特別な仕様の製品を開発したりもしているらしい。


「でも、軍って結構、カッコ良い男性が多いんですよ。特に戦場に行った経験のある人は、やっぱり違って見えますね」

「女性の隊員は、どうなんです?」

「確かに、最近は、前線に出される女性も、それなりに増えてますね。中には、結構、活躍してる人もいますよ。けど、そういう人って、むしろ、女性の方にモテる感じかも」

「ぷっ、何ですか、それ」

「まあ、いろいろですね」

「戦場って、やっぱり、大変なんですよね?」

「中には、楽しんでやってるような人もいますけど……ほら、今はゲーム感覚で人が殺せちゃうみたいなとこ、ありますから」

「そうなんですか?」

「はい。却って、罪悪感とか持ってうと駄目みたいですね。それで精神的にやられちゃったりするみたいです。私の場合は、海外に出されそうになったんで、逃げて来たクチなんです……と言っても、所詮は事務やなんで、全然に放り込まれる可能性はほぼ皆無ではあったんですけど……」


話は、どうしても徐々に生々しいものになって行った。


「やっぱ、軍でも大卒の方が有利ですね。大半は、将校になれますから。けど、私みたいな事務屋はともかく、前線で隊を任される立場になると、将校も大変みたいですよ。部下の命を預かる訳ですから」

「なるほどね」

「まあ、我々でも上司は部下の生活を預かってる訳だけど、命となるとやっぱ、シビアだわなあ」

「そうでしょうねえ」

「人の死と直面するのも辛いそうですけど、それ以上に、地雷とかで身体の一部が欠損するケガを負ったりするのも辛いみたいですね。本人は当然でしょうけど、周りの人にとってもトラウマになるって、よく聞きますよ」

「そっか……あ、そう言えば、軍から戻った元軍人がテロを起こすケースがあるって記事、ネットで見たことありますけど」

「いやあ、それは特殊なケースっていうか、軍人の数がこれだけ増えると、おかしな人がいたりするとは思いますけど……」

「そういう人はテロなんか起こさずに、もう一度戦場に行けば良いんじゃないかな」


須田愛理すだあいりも戦場に行ったことは無いようだが、情報はいろいろと持っているようだった。雑談程度の話ではあっても以前のように聞き流すことができないのは、服部圭介や水草(かおる)のことがあるからだろう。


「あれ、どうしました、藤田さん?」

「あ、いや……、実は最近、高校の時の友人が大ケガして中東から戻って来たんで、色々と思い出してしまいまして……」


翔が何げなく圭介のことを話すと、須田愛理以外の二人は、露骨に嫌な顔をした。「しまった」と思った時には、遅かった。

若者を中心に日本でも軍に入る人が増えてはいるのだが、軍の本当の話はタブーなようだ。須田のように一般論として話すのが、きっと限界なのだろう。

翔は須田と目配せし合ったことで、そのことを実感したのだった。



★★★



会食後も客先のオフィースに行って打ち合わせを続けたせいで、翔が支社に戻ったのは夕方の定時後になってしまった。

莉子には先に行ってもらい、翔は素早く緊急のメールだけ処理して、足早に千春が予約してくれた「串燒きサブロー」という店に向かった。


莉子とは店の前で待ち合わせて、一緒に中に入る。決して綺麗とは言えない小さな店で、中は既にほとんどの席が埋まってしまっていた。

それでも千春が予約を入れておいてくれたお陰で、カウンター席の端が二席分空けてあって、すぐに座ることができた。


「結構、けむたいな」

「こないだの焼肉の時と同じね」


小声でそんな会話を交わす二人の前では、若い店員が串に刺した様々な素材を炭で焼いている。お肉と野菜だけじゃなくて、海老にイカ、ホタテといった海の幸も豊富だ。

目の前で焼いてくれるのは風情があって有難いのだが、如何いかんせん煙い。あらかじめ千春に言われていたのか、今日の莉子はラフな格好。だから、そっちは気にしなくて良いのが幸いだ。だけど、とにかく煙い。


「ごめんね、お嬢ちゃん。うち、換気が悪くてさ」


目の前の店員はそう言ってくれたけど、奥から年配の人が「うるせえ、煙いのは昔からの流儀なんだよ。小奇麗な店が良いんだったら、他に行ってくんな」としゃがれ声で怒鳴られてしまった。

それで翔が苦笑していると、目の前の店員に「すんません。うちのオヤジ、頑固者でして」と謝ってもらえた。

莉子が「大丈夫ですよ、気にしてませんから」と言うと、「味の方は自信ありますので、どんどん食べて下さい」と返してくれる。確かに素材が新鮮でタレの味も絶品だ。ビールにとても良く合う。


莉子のむき出しの肩が、さっきから翔に当たっている。席と席との間隔がやたらと狭いからだ。翔のもう一方の肩には、アラサーの女性がやはりぴったりとへばり付いて座っている。店自体が相当に狭くて、そこに二十名ばかりの客がぎっしりと蠢いている感じだ。そして誰もが大声でしゃべっているものだから、やたらとうるさい。

ひと昔前だったら、確実に全員がコロナに罹ってクラスターになってしまいそうな三密状態だった。


その為、翔と莉子は必然的に顔を寄せ合って会話することになってしまう。でも、若い二人にとっては、それが却って良かったようで、いつにも増して親密に言葉を交わすことができた。

もちろん、土日のスケジュールのことも細かく打ち合わせたし、オフィースで話した時は莉子も固まってしまっていた翔の実家に来てもらう話も、二つ返事で何とか了承してくれた。


「それじゃあ、翔さんさえ良ければ、早めに待ち合わせしましょうよ。……そうだ。できたらお昼、一緒に食べない? 名駅あたりでどうかしら?」

「え、何で名駅?」

「私、一度、電車に乗ってみたいの」

「そう言えば、前にそんなこと言ってたね」

「うん、いつも車なんだもの。でも、一人だと怖いし……翔さんと一緒だったら、楽しいかもって思ったの」

「分かったよ。じゃあ、名駅から一緒に名鉄に乗ろうか。でも、天王線の電車、ぼろいよ」

「大丈夫。私、そういうの好きなんだ」


昼食の後、夕方まで時間が空くので「映画でも観ないか」と誘ったのだが、それよりも「翔が生まれた街を散歩したい」と言われたのは意外だった。火曜に食事した際、天王市の歴史だとか古い家並のこととかを少しだけ話したことに、莉子は興味を持ってくれたようだ。


「楽しみだなあ。私、歴史を感じさせるものって、小さい頃から大好きなの」


翔は莉子のそんな反応が嬉しかった反面、少し心配でもあった。実際は古臭いだけの田舎町なので、却って失望させてしまわないかと思ったからだ。


「あ、そうだ。翔さんの家の近くに、大きな神社があるって言ってたでしょう? 私、そこも行ってみたいな。お参りしてから、おみくじを引くの」

「えっ、おみくじ? クリスチャンなのに?」

「だから、クリスチャンは形だけだってば。私、初詣でとかも行くよ」


神社には、元々連れて行こうと思っていたのだが、莉子から言われるとは思っていなかった。


それから、浴衣をプレゼントすることも話したのだが、そっちは遠慮してか、なかなか首を縦には振ってくれなかった。大学に入った頃に買ったのがあるから、大丈夫だと言う。

それでも、香水のお礼だからと何とか押し通した。

更に翔は、「帯や草履、小物とかもこっちで用意するから、本当に手ぶらで良いからね」と伝えておいた。そう言っておくようにと、今朝も母の恵美に念押しされたからだ。


「髪の毛も着付けもこっちでやるから、莉子は何も考えなくて大丈夫だよ」

「えっ、髪の毛までお母さん、できちゃうの?」

「うーん、できなくはないと思うけど、亜里沙さんがやってくれることになってるんだ。亜里沙さんってのは、美容師なんだけど、うちの使用人みたいなものだから大丈夫だよ」

「へぇ、そんな人がいるんだ」

「うちにいつもいてくれる訳ではないんだけど、何かあれば来てくれる人とかはいるんだよ。代々藤田の番頭を務めてきた家系なんだけどね」

「ふーん、そうなんだ。うちは、割と新しい家だから、そういうのも憧れるかも。あ、それと翔さんの実家って、日本家屋なんでしょう? うちは洋館だから、古い日本家屋にも興味あるんだよね」

「うちなんか、古臭いだけの家だよ。それと、うちの父親が昔、一部を洋風にリフォームしたから、リビングとか台所は、わりかし新しいんだ。あ、俺の部屋も洋風。まあ、継ぎはぎだらけの家ってわけ」


それからも、翔は自分の家のことや近所のことを莉子にあれこれ説明して、莉子はそれらを熱心に聞いてくれた。


「でも、本当に手ぶらってわけにも行かないので、何か手土産だけは持って行くわね」

「あ、それだったら、明日、名駅のデパ地下でも寄ってく?」

「ううん。今日の午前中に智花さんに言ってあるから、たぶん、準備してくれてると思う」


やはり、午前中に実家に寄って欲しいという話をした時、莉子はすぐに家と連絡を取ったようだ。改めて翔は、早めに話しておいて良かったと安堵したのだった。



★★★



この日は翌日の準備があるからと莉子が言うので、串焼きの店を出るとすぐに翔は莉子を家まで送って行った。

手土産はともかく、後は手ぶらで良いとしても、着て行く洋服のこととか、それなりに準備することがあるのだろう。それとも、両親に明日のことを事前に報告しておくのかもしれない。むしろ、そちらの方の可能性が高そうだ。


こないだと同じように、莉子の家の前で彼女を下ろした。もちろん、千春が言ったようなチューなんかしない。「じゃあ、明日、よろしく。おやすみ」と言っただけだ。

それでも翔は、天王市の実家へと向かうセルフのタクシーの中で、明日の莉子の浴衣姿を思い描いて、一人でニヤニヤと口元を緩ませていたのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次は、いよいよ土曜日。翔視点で、莉子を連れて天王市をそぞろ歩きます。


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