第79話:名残惜しい日常 <薫サイド>
見直しました。
◆7月31日(金)
その日、水草薫は、すっきりとした気分で朝を迎えた。
たぶん、昨日は運動をしたから、良く眠れたんだろう。朝早く射撃訓練に出かけて、その後、トレーニングルームでしっかり汗をかいたのだ。
外は、相変わらず良く晴れている。枕元に置いたスマホの時刻表示を見ると、午前六時二十分。昨日は早く寝たから、早く目が覚めたに違いない。
薫は、ゆっくりと起き上がって、浴室に向かって行く。そして、ぬるめのシャワーを長めに浴びてから、バスタオルで髪と身体を拭きながら、何となく古い黒革のソファーに腰を下ろした。そして、ぼんやりと考える。
軍に入る日は、一日、一日と近付いているのだが、まだ薫には実感がない。軍に入って自分が役に立つんだろうかという不安は相変わらずあるのだが、とまどいや焦りなどは、もはや感じていなかった。
昨日の守谷駐屯地でもそうだったが、これまでに接してきた軍人に対して、薫にはあまり悪い印象が無い。案外、自分は軍に合っているのかもしれないとさえ考えてしまう。
何故か最近は、穏やかな日々が続いているように思う。
先週、思いがけなく元カレと再会して、いろいろと心を掻き回される思いはしたのだけど、それだって、こっちに戻って来てからの出来事を思うと、大したことじゃなかったように感じてしまう。
どのみち彼とのことは、もう終わっていたんだ。だから、全ては今更なのだ。
思い返せば、五月の終わりに、名駅西口のリクルートセンターを訪れる直前辺りが一番、精神的に追い詰められていたんじゃないだろうか?
今、思い出しても、あの頃は辛かった。家に大きな借金があって、貸金業者の荒くれ者達が何度もアパートに押し掛ける。一度なんかは中に土足で上がり込んで来て、「誠意を見せろ」だの、「風俗店で働いて返せ」といった罵声を浴びせられもした。
そんな借金地獄から救い出してくれたのだから、軍に悪い印象などあろう筈がない。特に北島亜紀と星野菜々には、どんなに感謝しても感謝しきれない恩がある。
だけど、辛かったのは、あの頃だけじゃなかった気がする。元カレの藤田翔と別れた後の東京での日々。それまで張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまって、完全に目的を見失った状態で、ただ生きているだけの毎日だった。
それに、彼と別れる前だって楽しくはあったけど、その裏で焦ってもいたのだ。自分が彼と釣り合わないのは明らかで、別れるしかないと分かっていながらも、どうしても言い出せないでいた毎日だった。
結局、それを彼に伝えられたのは、彼が入社する前日のことで、あれは二人にとって最悪の別れになってしまった。私は、彼の負担になりたくなかっただけなのに、結果として彼を怒らせてしまったのだ。
でも、それは仕方がないことだったと思う。元々、彼とは住む世界が違っていたもの。本音で話したりすれば、話が噛み合わないに決ってるじゃない。最初から、分かり合える筈のない二人だったんだ。
これまでは、本当に心が張り詰めた毎日だったと思う。高校を卒業してからは、ずっとそうだった。私にとっては、それがデフォルトの状態で、今のように穏やかな日々は、むしろ異常……。
そんな風に考えると、今のこの穏やかな毎日が、とても貴重に思えてしまう。
だけど、こんな毎日も、たぶん、残りは僅か二週間。
名残り惜しいけど、一日、一日を大切にして行こう。
「あれ、お姉ちゃん、もう起きたの? てか、ハダカのままで何ぼけーっとしてんのよ」
ああ、もう、うるさいのが起きて来てしまった。
「だって、このソファー、ハダカで座ると気持ち良いんだよ」
「あのさあ、変だよ、それ。……まあ、お姉ちゃんの場合、素材が良いから、絵になってると思わなくもないけど」
「何それ、どうゆうこと?」
「だから、早く服を着なってことだよ……てか、スマホで撮っとこかな。ほれ」
パシャ。
「えっ、あんた、何やってんの?
「別に、良いじゃん。これぞ、朝陽の中に浮かび上がるハダカの女神……。うわあ、我ながら、素晴らしい出来あがりだわあ」
「こ、こら、楓、見せなさい、ていうか、消しなさいってば」
「嫌だよ。宝物にするんだから。あ、愛衣にも送ってあげよかな。ね、愛衣なら良いでしょう?」
「ぜーったいに、駄目っ!」
結局、薫は妹の楓と散々やり合ったにも関わらず、写真を破棄させることは叶わなかった。
それで薫は、せっかくすっきりした気分で起きたというのに、もやもやした思いを抱えながらコンビニEマートへと向かったのだった。
★★★
パぴパぴ……。
「いらっしゃいませー……あれ、水草さん、おはようございまーす」
元気良く迎えてくれたのは、浅野里奈だった。今日も天王北高の制服が似合っていて、とても可愛く見える。
それとは逆に疲れた顔を向けてきたのは、日比野店長と大島だった。
薫は、大島の所に寄って行って、そっと尋ねた。
「大島くん、何かあったの?」
「いや、その、一昨日のことですよ」
「えっ、また来たってこと?」
「はい。あ、いや、来たのは警察ですけど」
「警察?」
「そうなんです。監視カメラの映像、もっと寄越せとか言われて、それから、店の運営について根掘り葉掘り聞かれて……」
「なんか、大変だったんだね。あ、でも、あの日、私をアパートまで送ってってくれた警官は、優しくて良い人だったけどね」
「いやあ、なんか優しいとかいう感じじゃなかったですよ。二人共横柄で、『お前んとこは、コーヒーも出さねえのか』って怒鳴るんですよ」
薫は、あの時、自分にしつこく絡んで来た若い警官のことを思い出した。確か名前は、縄田とか言ったっけ?
「ふーん。そういう連中は、原田くんがいる時に来てくれたらよかったのにね」
「本当にそうです。でも、いない時を狙ったんじゃないですかね。水草さんも気を付けて下さいよ」
「分かった。そうする……あ、店長、お疲れの所、申し訳ないんですけど、ちょっとシフトのことでお話しがあって……」
薫はバックヤードに向かおうとしていた日比野店長を呼び止めて、カウンター奥のPC端末に座ってもらった。そしてディスプレイにシフト表を表示させた上で、日曜のシフトを正午までにして欲しいとお願いする。
「すいません。例のことがあるんで、友達との食事とかのお誘いは、できるだけ断りたくなくて……」
「うん、分かるけどね、でも……うーん、日曜は夏祭りの次の日だから、そんなにお客さんは多く無いと思うんだけど、お昼は三人、置いておきたいんだよね。午後一時までにならないかなあ?」
日比野店長にそう言われてしまい、ちょっと考えて薫は受けることにした。たぶん、沙希も美緒も大丈夫だろう。
一方、月曜のシフトを午後三時からにする件は、問題が無さそうでほっとした。
「でも、今まで水草さんからシフトの変更依頼なんてほとんど無かったのに、こうしてちょくちょく要求されると、嫌でも本気で考えざるを得ないよね」
「何をですか?」
「水草さんがいない明日だよ」
「その言い方、大げさ過ぎません?」
「いやいや、僕にとっては一大事っていうか……」
「だったら有能な人材補充の件、今すぐ本気で考えて下さいよ。あまり時間が無いんですからね」
「うん。それは分かってるんだけどね……あ、そうだ。大島君から警察のこと聞いた?」
「はい。大丈夫だったんですか?」
「うん、あれは、たぶん嫌がらせだね。僕が思うに、あのチンピラ達って、昨日きた警官達と懇意にしてたんじゃないかな?」
日比野店長が意外なことを言い出した。
「天王警察署長、四月に替わったばかりなんだよ。と言っても、昔の椙村って署長が戻って来たんだけど、それって、どう見ても、前の署長が何かやらかして更迭されたってことなんだよね。その人、元から最悪の評判でさ。いろんな噂があったんだよ」
「まあ、そうでしょうね」
「あれ、水草さん、知ってたの?」
「少しですけどね……。前の和田署長と会ったこともありますし……」
「えっ?」
「同じタイミングで市の助役が失脚したじゃないですか。和田署長の更迭も、その関係ですよね。旧助役派の人達は、何かと大変だと思いますよ」
「失脚した助役って、黒宮さんのことだよね。うちの親父も何度か会ったことあるみたいなんだけど、プライドの高い人で気を遣うって言ってたなあ。それと比べると、今度の助役は親しみ易い人だって言うし、それで、その旧助役派に目を付けられたのかも」
「なるほど。店長のご実家も、この辺りの名家ですもんね。そういう政治的な対応って、難しいんだろうなあ」
「そうなんだよ。こっちを立てればあっちが立たずって感じでさあ。親父も最近は、僕に愚痴ばかり言うんだ……あ、でも、何で水草さんがそんなこと知ってんの?」
「えーと、前に色々とありまして……。まあ、良いじゃないですか。それより、その二人の警官、また来ますかね?」
「さあ、どうだろう。名刺のコピー、原田くんに渡そうかとは思ってるんだけど」
「それは、そうされた方が良いと思います」
旧助役派というのは、中州を乗っ取った外資系企業に協力した一派だ。そのボスである前助役の黒宮が三月一杯で引退し、四月からは新しい助役が就任している。
ただし、それで旧助役派が衰退したとは言えないのである。というのは、山本天王市長が、まだ健在だからだ。
それに対して中州元住民はというと、結局、何もできないでいるのが実情だ。薫も親方衆と話してみたことはあるのだが、実際にできることは何もないという結論だった。
未だ新助役派の力は未知数。こっちから新助役派の方に擦り寄ったとしても、旧助役派がいつ復活するか分からない。そうなった場合に中州元住民は、今以上に酷い迫害を受ける恐れだってある。迂闊な動きはできないという訳だ。
こんな悲惨な状態に追い込んだ元凶の旧助役派に対し、何とかして一矢を報いたい思いは当然、誰にだってある。しかし、今の中州元住民は、あまりにも無力だ。まして、もうすぐ薫は、ここを離れる身であり、どんなに心苦しくても、何かを言える立場ではないのだ。水草家直系の長女として、本当に情けないことこの上ない。
まあ、こんな小娘にできることなんて、元々ある筈も無いのだけれど……。
そんなことを考えながら、薫は着替えを済ませて店の方へ出て行く。
浅野里奈に「遅くなって、ごめんね」と声を掛けると、彼女は明るい笑顔で、「店長とのお話があったからですよね。大丈夫ですよ」と言ってくれた。
この里奈と一緒に働けるのも、もう何度も無いことを思うと、薫は淋しく感じてしまう。
いや、本当に中東に行くとなると、いろんなものにお別れをしていかないといけないのだ。
私は、その心構えができているんだろうか?
薫は、その問いに即答できない自分が、どうにも情けなく感じてしまうのだった。
★★★
午前中は、特に何もなく過ぎて行った。
そして、気が付くと店に牧野愛衣が入って来て、薫に一枚の紙を渡してくれた。愛衣の母親、由利の書名がされた離婚届だ。
「あれ、早くない?」
「ええ。今朝、仕事から帰って来たお母さんを捕まえて、その場でさサッと書かせちゃいました」
「えっ、そうなの? 大丈夫だったの?」
「全然、『問題なし』ですよ。あとは、いつお父さんが来てくれるかですね」
「そだね。あ、でも来週は、あまり夜のシフト、入れて無いからなあ」
最悪は街中で捕まえるか、こっちから出向いて行くしかないかもしれない。
薫は、『もっと早く準備しておけば良かった』と、内心で後悔してしまうのだった。
お昼の間は、いつものように忙しくて、今日は浅野里奈が一時まで残ってくれた。
その里奈に「お疲れ様」を言って送り出してしばらくすると、店内にお客さんがいなくなる。これから夕方までは、比較的お客さんが少ない時間が続くのだ。
そして順番に休憩を取った後に愛衣が話し掛けて来るのも、最近のお決まりになっていた。
「あの、離婚届の件ですけど、さっきは私、『問題なし』って言っちゃいましたけど、本当はうちの母親、『ちょっと考えさせて欲しい』って言ったんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。今まで散々、『離婚したい』って言ってたのに、いざ離婚届の用紙を前にすると、やっぱり思う所があったみたいです。不思議ですよね」
「そうなんだ」
「ふふっ、もちろん、強引に書かせちゃいましたけどね。だって、お父さんの署名はまだなんだし、この段階で悩んでるなんて馬鹿げてるじゃないですか?」
「それは、そうかもね」
愛衣の母親の由利が結婚した牧野秀樹は、調理師学校の時のひとつ上の先輩だった。元々、母子家庭で育った由利は、考え無しの結婚が招く結果について、経験者の母親から事あるごとに聞かされて育ったのだという。だからこそ、自分の伴侶となる男は慎重に選んだつもりだった。
それなのに、結果は最悪……。
その理由を由利は、「若過ぎた過ち」と言ったそうだ。
その時は、「絶対に、この人しかいないから良いんだ」と思ったとしても、この世に絶対なんてものはない。
若者は、一般的に視野が狭い。誰だって、歳を取ればそれなりに人を見る目は養われる。
女性の場合、その分、若さを失うことのデメリットはある訳だけど、それでも十代での結婚は早急すぎた。
愛衣は、そんなことを由利から聞かされたそうだ。
『最初の頃のあの人は、素晴らしい夫だったし父親だったの。その頃は、あたしも本当に幸せだったわ』
そう言って由利は、遠くを見たまま固まってしまっていたらしい。
「薫さん。私ね、たぶん、結婚はしない気がする」
愛衣は薫の前で、そんなことをぽつんと呟くのだが、それはそれで極端だろう。
ただ実際に、結婚の失敗が二代に渡って続いた訳で、三代目の愛衣が身長になってしまうのは、分からないでもない。
「だけど、何となく思うことがあるんだ。私、人の為になって、人に感謝される仕事に就けたらいいなって思うの」
その例として、愛衣は「看護師さんのような」と言った。
「大学受験には、もうあまり時間はないけど、仕事を選ぶには、まだ少し時間があると思う。ゆっくり考えて決めればいいよ」
「そうですね。それに、希望した職業に就けるかどうかだって、まだ分からないし……。私、できれば看護学部を受験するつもりなんです」
「そっか。そう言えば、楓も似たようなこと言ってたけど……」
「はい。私達、よく進路のこと、話してますから」
「なるほど。そうだね」
お客さんがいない時を見計らって、愛衣とそんな会話を交わしているうちに、今日も時間は過ぎて行く。
「今日、私は先に帰って楓や智也くんと一緒にごはん食べるけど、愛衣ちゃんと颯太の分も用意しとくから、帰る前にうちに寄ってね」
「えっ、ご迷惑じゃないですか?」
「大丈夫。と言っても、ご馳走は出ないからね。私も楓も料理のレパートリーなんて、あんまり無いし、贅沢品を買うお金も無いしね。だから、本当に簡単なものだけだよ」
「充分です。ありがとうございます」
由利が夜の仕事をするようになったので、アパートに帰っても愛衣には食事など無いのだ。どうせ破棄品のおにぎりを食べるだけなんだろうから、時々は温かい食事をご馳走してあげたい。
★★★
いつもは午後四時に来る斉藤美月が、今日は何故か三時に店に入って来た。理由を聞くと、「最近は忙しいから、来られるなら午後三時から来て欲しい」と日比野店長に言われたらしい。案外、薫が来週、午後三時迄のシフトを入れたことと関係しているのかもしれない。
いつもは薫がやっている外回りの仕事を愛衣が代わってくれて、薫が美月と二人だけになった時のことだった。美月の様子が、どうもぎこちない。何処か薫に対して、よそよそしく感じてしまうのだ。
最近は仲良くなれたと思っていたので、薫は少し心配になった。
「あの、斉藤さん、どうかしましたか?」
「あ、いや、ちょっと……」
彼女は、そう言って陳列棚の整理を始めてしまう。
そうかと思うと、何かを決心したかのような表情で、薫の所につかつかとやって来て言った。
「あの、水草さん。私、謝らなきゃならないことがあって……あ」
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
入って来たのは、部活帰りの女子高生達だった。制服からすると薫の後輩の天高生だ。
その彼女達は結構、長い間、店に居座っていて、途中で主婦の一段がやって来てしまった。
そうこうするうちに愛衣が戻って来て、「薫さん、今日のお昼、ほとんど休憩取ってなかったし、今日は斉藤さんが早く来てくださったから、少し休んだらどうです?」と言ってくれた。
薫は「そんなの、別に良いよ」と言い掛けた所で、ふと思い付いて休ませてもらうことにした。
薫が休憩室に入って持参した水筒のお茶を一杯飲んだ所で、思った通りノックの音がした。
「どうぞ」
「あの、すいません、水草さん。少しだけ良いですか?」
美月の口調は、何故か丁寧な敬語だった。
「私、昨日、初めて知ったんですけど、水草さんって、天高の先輩なんですってね。私、すっかり年下だって思ってて……あの、凄く失礼なんですけど、高校も辞めちゃってるとか勝手に想像しちゃってて……本当にごめんなさい」
美月は、立ったまま深々と頭を下げてくれた。
薫は立ち上がって、彼女の肩をポンと叩く。
「あのね、斉藤さん。そんなの、ぜーんぜん、気にして無いから」
「だって、水草さん、私より五つも年上で、東京のすっごい大学出てて……」
「私はね、就職に失敗したの。だから、こんなとこでバイトしてんだけど……あ、そうだ。斉藤さんには言っとこうかな。店長と大島くんには、言ってあるんだけど、愛衣ちゃんにはまだなの。私の方から話すから、黙ってて欲しいんだけど……、えーとね、私、ここのバイト、もう少しで辞めることになりそうなの」
「えっ、就職先が決まったとか?」
「うーん、だいたい当たってなくもないんだけど……えーとね。私、軍に入るの」
「えっ、軍にですか?」
「うん。私、軍の奨学金を借りててね、それに、斉藤さんも知ってると思うけど、家にも借金があるの。で、軍に入ると追加融資が受けられるってことで、話が付いたんだよ」
「えーと、それは……」
「私にとっては、すっごくラッキーなことなんだ。はっきりとした金額は言えないんだけど、かなりの大金が借りられることになったしね」
「そうですか」
「うん。まだ、いつまでってのは決まってなくて、取り敢えず来週はいるけど、勤務時間は短くしよっかなって思ってる」
「なるほど」
「それでね。私、思うんだけど、これからのここのバイトって、柱になってくれそうなのは、斉藤さんと原田くんだと思うんだ。大島くんもだけど、彼って来年の春から社会人でしょう? あとは、愛衣ちゃんも戦力ではあるんだけど、彼女、受験じゃない?」
「……そうですね」
薫は、美月の顔を見ながら淡々と語って行く。
「だからね、斉藤さん、大学の方が大変だとは思うけど、少しシフトの方、増やしてもらえると店長が助かるかなーって。まあ、夜はムリだから、そっちは原田くんか、もう一人、使えそうな男の子を見付けて欲しいんだけど……あ、そうだ。斉藤さんもさ、できるだけバイトの面接には出てあげてよ。店長、すぐに顔とかで選んじゃうんだもん」
「そうなんですよねえ」
「だよねえ。本当に、困ったもんだよ。それ、大島くんにも言ったんだけどね……」
結局、美月とは二十分くらい話し、スマホで愛衣から呼び出しが掛かってから、慌てて店の方に戻ったのだった。
★★★
そうこうするうちに夕方が近付いてきて、そろそろ上がろうかという頃のことだ。店に小柄な若い男の子が入って来た。彼は茶髪で、顔にサングラスをしているのだが、それでも分かる美形だった。
その時、店内には天王北高校の女子が五、六人いて、彼が店に入って来た時から、一斉に彼の方に視線を投げたのが分かった。しかも、そのうちの何人かが、割と大きな声で彼の話を始めたのだ。
「ねえねえ、あの子、カッコ良くない?」
「うーん、カッコ良いって言うよか、可愛いって感じかなあ」
「何処の高校かなあ?」
「私服じゃん。案外、年上かもしんないよ。髪の毛、あんなに明るい色に染めてたら、さすがに先生が何か言うでしょう」
「いやいや、美沢工業とかだったら、ああいう子もいるよ」
「でも、あの子、そこまで頭、悪そうに見えないんだけど……」
「そんなの、どうでも良いじゃん。ねえ、誰か、声かけなよ」
「もう、ミホリったら、自分で行けば良いじゃん」
一応、ひそひそ声で囁き合う彼女達だが、この狭い店内だ。たぶん、彼には聞こえている。でも、その彼は気にしていないようだから、別に良いんだろうか?
そんなことを薫が思っていると、再びベルが「パぴパぴ」と鳴って、今度は若い女性が入って来た。とは言っても、さっきの男の子よりは、だいぶ年上で、薫と同世代だと思えた。
Tシャツにジーンズ姿。髪は後ろで無造作に束ねてある。やや小柄だが、目を引くのはTシャツを押し上げる大きな胸……。
あれ?
そこで薫は、彼女が自分の知っている人物であることに気が付いた。
一応は天王高校の同級生なんだけど、こないだの土曜に会っまでは知らなかった子だ。
土曜日、剣道部の仲間だった服部圭介のお見舞いで天王市民病院に行った時、そこで看護師として働いている彼女とバッタリ会ったのだ。
確か名前は、堀田詩織さん……。
薫が近付いて行くと彼女の方も気付いたようで、お互いに「こんにちは」と挨拶を交す。更に薫が話し掛けようとした所で、彼女が手にしていた籠にペットボトルのお茶が二本、放り込まれた。さっきの若い男の子だ。彼は薫の存在には気付かずに、詩織に「このお茶で良いんだよね」と訊いている。
詩織は薫にペコリと頭を下げた後、男の子に「うん」と頷いてから、彼の方に温かい視線を向けた。
その二人がいるのは、カップ麺の棚の前。ラーメンを物色する彼に向かって、詩織が親し気に話し掛けた。
「あのさ、引っ越しと言ったら、お蕎麦でしょう?」
「別にラーメンでもよくね? ほら、ラーメンって中華そばとも言うじゃん」
「だったら、あんたはラーメンにしなよ。あたしは絶対、蕎麦だからね」
薫は内心、「どうでも良いのに」と思いながら、商品を陳列棚に並べていく。それから、その場をそっと離れて、バックヤードに向かったのだが、何となく詩織が口にした「引っ越し」という言葉が気になっていた。
どっかに行くんだろうか? それとも、単に住むところを変えるだけなのか?
更衣室で制服から私服に着替えながら、更に薫は考える。
二人は付き合っているんだろうか? でも、それにしては彼の方が若過ぎる。どう見ても、高校生だ。だったら、弟なんだろうか?
そこまで考えた所で、薫は着替えを終えてしまった。
店に戻ると、既に二人はいなくなっていた。
薫は、今日も夜の九時まで働く牧野愛衣に「アパートで待ってるから、頑張ってね」と声を掛ける。それから斉藤美月に、「お先に失礼しまーす」と元気良く言って、店を出て行ったのだった。"
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
次話は、今日の続きです。薫がアパートに帰ってからの話になります。
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