第73話:中学卒業 <薫サイド>
見直しました。
川田中学校での水草薫の日々は、その後も平穏に過ぎて行った。
翌年の三月、川田中ツートップの河村正人と川合光流が卒業。それぞれ天王高校と天王北高校に無事合格した。
中州の残りの女子二人は、富田さんが名古屋の方の商業高校、大宮さんが天王市南部の田園地帯にある県立下田商業高校に進学することになった。二人とも中州を離れ、親戚の人の家から通うことになるそうだ。
卒業式の日、薫の幼馴染で親友の水瀬美緒は珍しく大泣きだった。彼女は光流の第二ボタンを左手でぎゅっと握り締めながら、彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。
当然、光流の方は困惑顔だ。
美緒がようやく落ち着きを取り戻した時、水野碧衣が美緒の肩をポンと軽く叩いて言った。
「気が済んだ、美緒?」
美緒は光流の胸から顔を話したものの、無言のままだった。そんな美緒に碧衣はそっとハンカチを差し出した。
「でもさ、これからだって、光流先輩と美緒は学校の行き帰り、一緒なんじゃ無いの?」
確かにそうだ。これからだって、毎日のように顔を合わせていられる。
それで少しだけ美緒の表情が和らいだ所で、光流が碧衣に言った。
「碧衣、お前、来年は北高で待ってるからな」
光流の言葉に、碧衣は「ひっどーい」と言って口を尖らせる。碧衣は、まだ天王高校を諦めてはいないのだ。
「まあ、碧衣は諦めが悪いからな。適当に見切りを付けて北高に来いよ。美緒は、二年後だな」
「うん」
そこで正人が舞香と薫の方を向いて言った。
「お前らも、天高で待ってるからな」
正人の言葉に舞香は少しはにかみながら、薫は無表情のまま「はい」と答えたのだった。
★★★
そして四月、薫は二年生に進学した。背も少し伸びて、親友の美緒に追い付いてしまった。
嬉しかったのは、一年の時の委員長、花田美里と同じクラスになれたことだ。もう一人の友達、松川穂香とは一緒になれなかったけど、文芸部で会えるので問題はない。
それと、三人目の舎弟、古川麻友とも同じクラスになった。彼女は未だに薫を襲った時のヤンキー少女達と付き合いがあるのだが、実はその子達も今では完全に薫の舎弟扱いだったりする。
中州組は正人や光流達四人が卒業してしまったが、代わりに同じく四人が入学してくれた。この新入生の四人は、薫が中州分校の時に一緒にバスケの3x3で遊んだ仲間である。
中でも八木瑛太は、運動神経が良くて成績もまあまあだ。リーダーシップもあるので、次の番長候補だろう。
その瑛太よりも大柄なのが唯一の女子、中野美香だ。彼女も運動神経はそこそこ良くて、しかも意外と頭が良い。それでも薫としては、今ひとつ不安だ。相変わらず美香は薫にとって、「残念な妹分」の位置づけなのだ。
残りの男子、生田くんと寺本くんに関しても、そこそこ運動ができるので、これら四人がいれば中州組は安泰に違いない。
そして、新入生が多少は中学に慣れてきた四月の後半、美緒が四人を生徒会室に召集した。彼らに生徒会のことを説明し、今後の校内パトロールを引き継ぐ為である。
「ええーっ、美緒姉も薫さんも部活がバスケじゃないって、マジですかあ。だいたい、演劇部と文芸部って何なんですか。似合わねえ」
四人に簡単な生徒会業務の説明をした際、美香が発した第一声がこれである。薫もすぐに「うるっさーい」と叫んだのだが、その前に美緒の右手が美香の頭を思いっ切り叩いていた。
「痛ってえってば、美緒姉」
「あたしは、今や川田中のマドンナなんだよ」
「見えねえ……痛っ」
ここで薫が口を挟んだ。
「しかし、美香も懲りないよね」
「へへっ、そこがあたしの長所だもんね」
「全然、褒めてないから」
「薫さんも文芸部ってキャラじゃないですよねえ。それに、あたし、去年の夏休みからずーっと言いたかったんだけど、何ですか、その変な三つ編み?」
「変って何よ、変って……。どうせ私は……」
「こらっ、美香。あんた、そういうこと言うと薫がいじけちゃうの、知ってて言ったんじゃないの?」
「てへっ……痛っ。何度も叩かないでよっ、美緒姉」
「あんたねえ……」
「あ、そうだ。バスケ部の先輩から聞いたんだけど、薫さん、去年の夏も秋も凄い活躍だったんだってね」
薫は、夏の大会で活躍してしまったせいで、秋の試合でもまた出なきゃなんないハメになってしまったのだ。もちろん美緒も一緒で、他にはバレー部の子を調達してきていた。
試合は土曜日だったので本当は嫌だったけど、生徒会役員として部活動をサポートする役割もあるので、受けざるを得なかった。それに、美緒とセットで中州まで送り迎えすると女子バスケ部顧問の先生が言ってくれて、部員総出で頼み込んで来たから断り難かったのもある。
この時の試合で薫は、スリーポイントシュート六発の大活躍をしたのだけど、相手が強過ぎて一回戦で敗退したのだから役に立ったかは微妙だ。
「あたしは、薫さんみたいに浮気なんかしないもんね。バスケに専念するんだから……痛っ」
今度、美香の頭を叩いたのは、吉田舞香だった。
「もう、舞香ちゃんまで、ぶたないでよ」
「うるっさーい。この脳筋娘がっ。ていうか、私のことは舞香先輩って呼びなさい。美緒と薫を呼ぶ時も、ちゃんと先輩を付けること」
「ええーっ、めんどくさ……」
「だったら、あんただけ吉田商店出入り禁止っ!」
「それって、パワハラじゃん。てか、中州で吉田商店に出入りできなかったら、生きて行けないんだけど……」
「そう思うんなら、先輩って呼ぶこと。それから、あんたは最低でも週二回は生徒会を手伝うこと。バスケ部に専念なんて駄目に決まってるでしょうがっ!」
「ええ-っ、何で何でぇ?」
「中州組は全員、そういう決まりなの。諦めなさい。あんただけ特例は無しよ。ちなみに私が番長で生徒会長だからね。それと、ついでに言っとくと、次期番長は美緒、薫は影の番長……」
「あはは、何その陰の番長っての、あはは……痛ってえ」
最後に叩いたのは、薫の舎弟、古川麻友だった。
「水草の姉御は、川田中の全ての猛者を舎弟とする真の番長にして最強の女なのっ。いくら幼馴染だって、馴れ馴れしく呼ぶんじゃなーいっ!」
「し、真の番長?」
「まっ、そうとも呼ぶわね」
「美緒、そんな風に呼ぶのは、麻友ちゃんだけだから」
「違いますっ。舎弟一同、水草の姉御こそが、真の番長だと……」
「はいはい。分かったから……」
頭にクエッションマークをいくつも乗っけている美香の後ろで、八木瑛太他、男子三人が呆れた顔でこっちを見ていた。
「あのさあ、瑛太。あんただって、他人事じゃないんだからね。正人兄と光流兄ちゃんだって、バスケ部と生徒会を両立させてたのよ」
「生田くんと寺本くんもだよ」
「美緒と薫が言ったとおりよ。とにかく中州組は、うちらのルールに従ってもらう。ずーっと昔から、中州組はそうしてきたの。分かった?」
「わ、分かりました」「分かりましたっ」「了解です」
一応、男子三人も了解してくれたのだが、揃って浮かない顔だった。
考えてみれば、今の生徒会役員は全員が女子。今年の瑛太達から見れば、武闘派のケントとセイヤを除けば、先輩が女子だらけ。ちょっと可哀そうかなと思いながらも、薫は溜まってる生徒会の仕事に取り掛かったのだった。
★★★
生徒会活動について、その後も美香だけは時々ブー垂れていたのだが、瑛太たち男子三人は意外と素直にバスケと生徒会の掛け持ちを受け入れてくれた。
その代わりに薫は、美香に乞われて時々女子バスケ部にも顔を出すようになった。生徒会、文芸部と合わせて三つ目の掛け持ちである。そのことも功を奏してか、薫の背丈が次第に伸び始めたのには驚いた。今までは断然、チビの部類だったのに、二年の秋頃にはクラスの女子で真ん中より後ろになってしまったのだ。
それと、二年の春から美緒に代わってバスケ部のサポートに加わった古川麻友も、意外とバスケの才能があったようで、夏の地区大会では薫と同様に活躍し、その後、正式なレギュラー選手になってしまったのである。
更に、川田中学女子バスケ部は秋の新人戦以降、美香を中心に県大会進出の常連にまで躍進するのだが、そこには薫と麻友も多少なりとも貢献していた。
ちなみに男子の方は正人や光流がいたこともあって、元から県大会進出の常連だった。そして、その彼らが引退した後はケントとセイヤが加わり、更に瑛太以下三名のメンバーが入ったことで、万全の体制を堅持していたのだった。
こんな風に薫の日常は多忙を極め、気が付くと秋になっていた。二度目の生徒会役員選挙で、薫は予定どおり副会長になった。当然、生徒会長は水瀬美緒である。
意外だったのは、書記が瑛太で、会計に美香が就いたことだった。一見、大雑把な性格に見える美香は理系科目が得意で、特に数字にはすこぶる強いのだ。成績も瑛太より良くて、頑張れば天王高校も狙えると生徒会顧問の加藤律花先生に発破を掛けられていた。
美香は、煽ててやれば伸びるのだ。良く言えば素直な性格なのである。
一方、生徒会長に収まった美緒は、昔の腕力主導から女らしさを前面に押し出した真のマドンナへと、華麗な変身を遂げた。
理由は思ったよりも背が伸びず、代わりに体形がすっかり女らしくなってしまい、力では男に敵わなくなったからのようだ。
「あたし、これからは、しおらしい女子の路線で行くから、争い事とかは薫に任せるよ」
「ええーっ、なんで?」
「だから、薫って、そういうの得意じゃん」
確かに薫は、安倍紗理奈から護身術と空手を習っており、この頃になると、普通の中学生相手なら軽く無双できるレベルになっていた。
もちろん薫は、自分の強さをひけらかすことなんかしない。それに、薫自身が誰かとやり合うことだって、ほとんど無かったのだが、何故か薫の舎弟は全員、薫の強さを知っていた。それも当たり前のことで、当時の薫は、どんな相手と対峙しようと顔色ひとつ変えなかったのだ。
そして、この頃になると、薫の舎弟は百人に迫ろうという勢いだった。少しでも腕に覚えのある生徒は全員、薫の傘下にあると言っても過言ではなく、他校との戦争にでもなれば、それら百人の兵隊が薫の一声で自由に動かせる体制ができあがっていたのだ。
もっとも、そのことは近隣の中学に幅広く知れ渡っており、川田中学に楯突こうとする連中は、たまにしか現れず、それらの大半が薫の知らないうちに片付けられてしまっていた。
その為、他校と大きな戦争になるようなことは、薫の在学中には起こらなかったのだが、一度だけ小競り合いから戦争になり掛かったことがある。相手は地域で最大の生徒数を誇る天王南中学校だった。
★★★
それは、薫が中学三年生の四月の終わりのことだった。
事の発端は、川田中学一年の血気盛んで喧嘩っ早い男子三人が自転車で天王池公園に遊びに行き、そこにいた天王南中学のやはり一年坊主四人と小競り合いを起こしたことによる。
川田中学の三人は、タコ焼きを買って食べながら歩いていた。そのうちの一人が最後の一個を食べようと爪楊枝で口に運んだ時、ちょうどそこを通り掛かった天王南中学一年が接触、タコ焼きが地面に落ちてしまった。落とされた川田中学一年は、天王南中学一年に殴り掛かった。そこに両校の残りのメンバーが加わって乱戦になってしまったのだ。
結果は、一人少ない川田中学側の勝利。逃げ帰った天王南中学一年が上級生に泣き付いた。
そして翌日、喧嘩をした川田中学一年生三人のスマホに、天王南中学の番長を名乗る男からメールが入った。彼らがどうやって三人のアドレスを知ったのかは謎だ。
その三人は、すぐに生徒会室に飛び込んで来た。そして、ケントとセイヤが対応し、三人は二人の前に跪いて、「お願いします。助けて下さい」と頭を下げたのだった。
そのメールの宛先は一年生坊主三人ではなく、「影の番長」宛だったことから、ケントとセイヤは薫に報告せざるを得なかった。しかも、その文面は、明らかに川田中学に対する果たし状だった。
指定された時刻は、五月三日午後一時、場所は天王池公園。人数は問わない。もし断れば、「川田中学の生徒全員をぶっ殺してやる」と記されていたのだった。
「どうします、姉御。たぶん、皆で行ったら勝てるでしょうけど、まずいことになっちゃいますよね。下手すりゃ警察沙汰ですよ」
「かといって、これをそのまま先生とか警察とかにチクったんじゃ、俺らの面目丸潰れでしょうし、結構、難しい問題っス」
常日頃冷静なケントはともかく、普段、ふざけていることが多いセイヤが、眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。
彼らの言うことは、もっともだ。彼らも生徒会に長くいて、そこら辺の常識を理解できるようになっていた。そして薫もまた、こうした争い事には慣れ始めている。
ただ、今回の件は少々規模が大きい。
「まだ時間もあることだし、まずは相手側の情報をできるだけ集めることだよ。相手側の番長がどういう人かは、分かってるの?」
「はい。三年の榊原芳樹です。成績は中の下。ケンカはそこそこ強いですが、まあ俺らの相手は無理ですね」
「そいつ、見た目は割と普通って感じで、女にモテたいのか、いつも小奇麗にしてるらしいっス。不良っていうより、『良いとこのおぼっちゃま』って感じの奴っス」
「そっか。天王南中には、『お屋敷街』があるから、そこの子なのかもね」
「はい、そうかもしれません。セイヤも言ってましたが、カッコつけて粋がってる感じの奴です。舎弟の数も三十人程度ですが、奴は運動部に知り合いが多くて、万が一そいつらが加わると少々やっかいですね。あっちの中学には剣道部がありまして、そこに強いのがいます」
「そうなの?」
「天王南中の剣道部っていやぁ、県大会の常連っス」
「ふーん。そこに知り合いはいないの?」
「残念ながら……」
「自分にもいないっス」
「そっか。一番良いのは、その剣道部と話を付けて、その番長くんを説得してもらうことだったんだけど……。まあ、駄目なら仕方ないね。じゃあ、うちから代案を出すことにするかな」
「代案ですか?」
「うん。例えば、人数を五人ずつに絞って、場所を目立たないとこにするとかって感じかな?」
「なるほど。ただ、相手がちゃんとルールを守りますかね?」
「その時はその時だよ。少なくとも天王南中の評判は、地に堕ちるんじゃない?」
「そうっスね……。でも、危なくねえっスか?」
「姉御がおっしゃられた通り、そん時は腹を括るしかねえだろ」
「そうっスね。で、場所は?」
「ベストは中州だけど、それだとうちらが親バレしそうだし、川田村側の大河の河原かな」
「了解。あとは人選ですが、俺らは当然として……、これは言いたくないことですが、今回は姉御にも出て頂く必要があります」
「当然でしょう」
「そうですか……」
「あの、姉御。あたしも行きます」
手を挙げたのは、麻友だった。
そこに、たまたま居合わせて、何を勘違いしたのか「面白そうじゃないですかあ」と言って名乗りを上げた女子がいる。中野美香である。
「あんたは駄目。瑛太にするから」
「ええーっ、なんでー。連れてってよ、薫さん」
「だって、美香が来ると縁起悪いっていうか……」
「ひっどーい。あたし、疫病神かよ」
「似たようなもんじゃない」
「むぅ」
珍しく美香が拗ねてしまい、麻友のとりなしで結局、美香もメンバーに加えることになってしまった。
こうなったのは、その場に瑛太がいなかったことが大きい。たぶん、彼がいたら止めてくれただろう。薫の本音は、妹分の美香を危ない目に遭わせたくなかったからだが、決まってしまったものはしょうがない。
「例の一年坊主三人は、どうします?」
「放っておくと来ちゃう気がするから、それよか、バレないように近くで待機させといた方が良いかな。『草むらに身を隠して、絶対に出て来ないで』って言っといてくれる?」
「了解っス、姉御」
薫たちが引き受けた以上、もはや一年坊主達には関係がない。むしろ、のこのこ出て来られた方が面倒だ。
「五月三日ってことは、美緒の誕生日が五日だからさ。終わったら誕生日会ってことで、何か食べに出も行こっか?」
「良いっスねえ。せっかくだから一杯やりますか」
「こら、セイヤ。お酒はダメ」
「誰も酒だなんて言ってませんってば……あ、そうだ。タコ焼きが発端だから、皆でタコ焼きでも食べに行きましょうよ」
「そだね。それが良いかも。だったら、私が奢るよ」
家に借金があるとはいえ、当時の薫の家は、まだまだ裕福である。『学校の仲間達に奢ってあげたい』と祖母の幸子か父の武に言えば、追加のお小遣いくらい快く出してくれるという訳だ。
結局、この時の会話の通り、「場所は大河の河原、人数は五人ずつ」の代案を「影の番長」の名前で送り返し、天王南中側はそれを受け入れた。
そして指定された当日、川田中学側は、ケント、セイヤ、麻友、美香、そして薫の五人で向かうことになったのだった。
★★★
まさに五月晴れといった、空に雲ひとつ無い晴天だった。薫たちが土手に上がると、爽やかな風が清々しい気分にさせてくれる。
決闘ということで、薫以外の四人はジャージ姿だった。しかも、四人共バスケ部にも所属している為、バスケ部お揃いの紺のジャージである。
ところが、薫だけは制服を着ていた。ちゃんと青緑のブレザーまで羽織っていて、スカート丈は、校則に準じて膝小僧が隠れる長さ。白の靴下は、三つ折りにしてある。靴は学校指定が無いので、ちょっと古びたスニーカーだ。
髪は、薫のトレードマークの長い三つ編みおさげだった。
「姉御、さすがにその格好は無いと思いますよ」
「だって私、この方が落ち着くんだもん。別に良いじゃない。どうせ私なんか、戦力になんないんだから」
「いやいや、そんなことはないですって……あ、そうだ。これしてって下さいよ」
麻友が腰に巻いたウエストポーチから取り出したのは、いかにも安物といった感じの黒いサングラスだった。薫は少し考えて、そのサングラスを受け取って顔に掛けてみた。
ところが、小顔の薫には明らかに大き過ぎる。かろうじて鼻に引っ掛かってる感じで、何かの拍子にズレ落ちてしまいそうだ。
それでも薫は、一応訊いてみた。
「どう、かな?」
「まあまあ、ですかね」
薫が『まあまあって何なの?』と思いながら河原の方に目をやると、何だか様子がおかしい。
「あれ、向こうって十人以上いない?」
「あいつら、数も数えられなかったんじゃないっスか?」
「いやー、セイヤ。さすがにそれは無いと思うけど」
「しかも、全員男子ですね」
「どうします、姉御?」
「行こう」
ここまで来て、逃げる訳にはいかない。
薫たちは、取り敢えず河原に下りて、天王南中学の連中と向かい合った。
相手側は十四名で、やはり全員が男子。少し小柄なのが四人いるから、そいつらが事件を起こした一年坊主なんだろう。
そいつらも服装はジャージ姿で、その中に学ランを着た奴が一人だけいた。期せずして、薫たちと同じパターンだ。となれば、恐らく彼が番長の榊原芳樹なんだろう。
敵は、その学ラン男子を真ん中にして、左右横一線にずらりと男達が並ぶ。中央の奴と一年坊主以外は、いずれも長身でなかなかの体格だ。そいつらが一斉に威圧を込めて睨んでいる様子は、中学生とはいっても相当な迫力があった。
薫たち五人も、横に少し間隔を空けて並んでみる。もちろん、中央は薫だ。
相手との距離は、まだ二十メートル程度ある。
ふと、彼らの斜め後ろの草むらに目をやると、そこに川田中学の制服を着た男子三人の姿が目に入った。問題の発端となった一年生坊主達だろう。薫は、彼らが大胆にも近い距離にいたことに内心で驚くと同時に、そいつらが出て来ないように願った。こっちに不利かもしれないケンカに、巻き込みたくないからだ。
薫が、『そのことを彼らにどう伝えようか?』と思っていると、右隣のケントが話し掛けてきた。
「さて、どうします、姉御?」
一年坊主達のことはケントも気付いてる筈だけど、無視することにしたようだ。
薫は、短く答えた。
「私が行く」
「えっ?」
小さく叫んだのは、左隣の麻友だった。
「俺らも……」
「来なくて良い。後ろで待ってて」
薫は、少し怒っていた。
スカートの裾と三つ編みおさげを軽く揺らしながら、サングラスを掛けた薫はつかつかと前に出て行く。
中央の学ラン男子との距離が五メートル程になった時、薫は立ち止まった。
涼しい風が頬を撫で、制服のスカートの裾を靡かせる。
「あんたらさあ、数も数えらんないわけ?」
薫にしては、大きい声だった。そして、良く響く鈴の音のような声。
薫は、両手を腰に添えて、中央の男子を睨み付けていた。とは言っても、大きめの黒いサングラスをしているので、相手は目元が見えない。それどころか、少し……というか、かなり滑稽でもある。
そもそも、この場面に彼女のセーラー服と三つ編みおさげが、全くもって場違いな感じなのだ。
「あんた、お返事は?」
薫の声は、風が吹く中でも良く通る。彼女は、完全な無表情のまま、平然と男達に向き合っていた。
対する十四人の男達は最初こそ威圧的な態度でいたものの、その緊張感も今は失せ、こっちを見下す様子が目立っていた。大半はしまりのない顔に薄ら笑いを浮かべており、中にはニヤニヤといやらしい目付きの奴らもいる。
そいつらの全ての視線が、揃って薫に注がれていた。
中央の学ラン男子が、おもむろに話し出した。
「俺らは、わざわざ川田村まで来てやったんだ。いわば、アウェーな訳だ。このくらいのハンディーがあって当然だろう。それより、お前、顔くらい見せろや。どうぜ、すっげえブサイクなんだろうけどよ……。えっ?」
薫は、彼の話の途中でニヤッと笑った。そして、笑ったまま、サングラスを外す。
現れたのは白い肌の素顔で、それは人形のように整っていた。そして、その美しい顔に浮かんでいたのは、当然、例の不気味な笑顔で……。
「ふふふ……」
まさに、「悪魔の笑み」だった。
「な、なんだよ」
「別に、どうだって良いよ。始めよっか?」
薫の合図で、ケントとセイヤが彼女の右翼に着いた。コンマ五秒遅れて、麻友が薫の左に着くと、最後に美香が少しためらいがちに麻友の左に並んだ。
「待て!」
薫が軽く腰を落として右足を右前に出した所で、声が掛かった。その言葉を放ったのは、学ラン男子の天王南中学番長、榊原芳樹だった。
彼は、怯えていた。薫の正面で「悪魔の笑み」をまともに見てしまったのだから、当然だろう。
「確かに、男二人、女三人の川田中に、男十四人で勝っても自慢にはならねえわな。今回は、見逃してやる」
相手側の他の連中からも、不思議と反対は無い。そして、薫たちがあっけに取られて見ている中、彼らは足早に去って行ってしまった。
薫にしてみれば狐につままれた気分だったけど、心の中で『まあ、いいや』と呟いて、大きく息を吐いた。すると、近くの草むらに隠れていた川田中学の一年坊主三人が薫たちの下へやって来た。
その彼らは、何故か一様に顔色が悪い。そして、震える声で薫へのお礼を述べた後、足早に去って行ってしまった。まるで、さっきの相手側の連中と同じだ。
薫が首を傾げていると、ケントとセイヤが声を掛けてきた。
「姉御、お疲れ様です」「お疲れ様っス」
「ケントトセイヤもお疲れ。何だか、拍子抜けだったね」
「そうですね」
「けど、分からんでもないっス。姉御の顔って、迫力ありますもんね……痛っ」
セイヤの頭を叩いたのは、薫でなくて麻友の方だ。
「あ、麻友もお疲れ」
「姉御、お疲れ様でーす……。セイヤったら、女子に『顔が怖い』とか言っちゃダメでしょうが」
「女子って、ひょっとして姉御のことですか……痛っ。もう、姉御まで、酷いっス」
「私だって、女子でしょうがっ!」
「あ、姉御が怒った。セイヤのせいよ」
「あ、姉御は、特別っス。性別を超越した存在っていうか……。それよか、さっきの一年坊主達、あのまま帰らせて良かったんスか?」
「えっ?」
「あいつら、今日のことをそっこら中で言いふすんじゃないスかね」
「そっかなあ?」
「当然です。けど、どっちにしろ、今日のことは誰かから洩れちゃうと思いますよ-。この手の話って、誰もが大好きな奴ですもん」
「俺は『誰も』ってことはないと思うが、麻友の言うことには一理ありますね」
「ケントまでそう言うなら、そうなんだろうけど……、もう逃がしちゃったんだからしょうがないよね。南中の方は自分達の恥だから大丈夫だとは思うけど、絶対ってことは無いし……、あれ、美香ったら、どしたの?」
ずっと黙り込んでいる美香が気になって見てみると、未だに固まっている。そうかと思うと、しがみ付いてきた。
「薫さーん、怖かったあ……」
どうやら、ずっと怯えていたらしい。
『だったら、来なきゃ良いのに』と思いながらも、薫は自分よりも大きくなった妹分の頭をそっと撫でてやりながら、「じゃあ、約束どおり、タコ焼きでも食べに行こっか?」と言ってやる。美香は、その「タコ焼き」という言葉で一気に復活して、ガバっと身体を起こした。
すると、薫の横で麻友がスマホを取り出して、生徒会長の美緒に連絡を取り始めた。
「姉御、会長の方は、『スーパーのフードコートで待ってる』とのことです」
「了解。じゃあ、行こっか?」
それから、薫たち五人は自転車に乗って、タコ焼き屋のある川田村役場の近くのスーパーマーケットの方へと向かったのだった。
★★★
この時の天王南中学とのいざこざの顛末は、予想通り急速に拡散されて行った。しかも川田中学のみならず、近隣の中学にまで幅広く知れ渡ることになったのである。
中でも川田中学の「影の番長」が、たったひと睨みで天王南中学の番長を震え上がらせ、腕力を振るうことなく全員を撤退させたくだりは、近隣の中学の腕に自信がある連中の心を熱く揺さぶった。そして、川田中学の「影の番長」の存在は、そうした連中にとって一躍賞賛の的になって行くのである。
そのように名の知れた存在となった「影の番長」だが、その実態が「見ため華奢な女子」であることは、意外なことに、あまり知られていない。
恐らくそれは天王南中学の榊原という番長を初めとした当事者達が、必死になって隠蔽したことによるのだろうが、それで一層、「影の番長」を神秘的な存在として祭り上げる結果に繋がってしまったようだ。
一方、その日に大河の河原で「影の番長」と共に天王南中学の男達と対峙した四名、松岡賢斗、木下誠也、古川麻友、そして中野美香については、その後、「影の番長」の配下の四天王として一躍、脚光を浴びることになったのだった。
そして、この出来事は、後に「タコ焼き事件」として、近隣の中学の後輩達により、末代まで語り継がれることになって行くのである。
★★★
中学三年生の春、修学旅行で薫は初めて東京を訪れた。コロナ前は、まだ誰もが多少はゆとりがある時代で、ほとんどの親は子供を東京に行かせるくらいの金銭的な余裕があったのだ。
その修学旅行で薫は、東京という街の巨大さに感動した。そして、いつかは自分もここに住んでみたいと強く思ったのだが、それが数年後、本当に実現してしまうとまでは想像すらできなかった。
ちなみに美緒は、あまりの人と車の多さに、ただただ怯えていたらしい。その彼女が帰りのバスの中で、「やっぱ、あたしって都会向きじゃないかも」と情けない声で呟いた時、薫は思わず「くすっ」と笑ってしまった。それで焦って美緒の方を見たけど、窓際に座った彼女は窓の外を見ていて、ホッとしたことを薫は今でも良く思えている。
やがて秋になり、美緒と薫は生徒会役員を引退。新しい会長には中野美香、副会長には八木瑛太がそれぞれ就任した。
この時、美香が会長になったのは、彼女が四天王の一人として不良っぽい連中から担ぎ上げられたからに他ならない。美香が本当に会長になりたかったかどうかは疑問だが、とにかく美香は、煽てに乗り易い性格なのである。
薫に言わせると、あの「タコ焼き」事件で美香は、たまたま付いて来ただけ。なのに、瑛太よりも偉そうなのは、どうにも納得が行かない。だけど瑛太が、「俺がサポートしますから」と言うので、薫は「まあ、いいや」と思ってしまったのだった。
★★★
生徒会を引退した後の薫は、祖母の幸子が言う通りに勉学に勤しみ、この地域のトップ校である県立天王高等学校に無事合格することができた。
家族全員で合格発表を見に行った薫は、他の人達と同じように「やったあ」と言って飛び上がって喜んでみたのだが、四月から小学二年生になる妹の楓に、「お姉ちゃん、顔が怖―い」と言われてしまった。やはり、自然な笑顔とは行かなかったようだ。
それで少し沈んだ気分の時に、河村正人と吉田舞香が駆け付けて、お祝いを言ってくれた。
「いやあ、中州の出身が天高に三人も通うのって、珍しいんじゃないか?」
「そうでもないんじゃないかい。私が通ってた頃、中州出身者はもっといた筈だよ。私は中州出身じゃないから詳しくはしらないけど、私が嫁いで来た時でも、中州分校の児童は二百人ぐらいいた筈だからねえ」
正人の言葉を打ち消したのは、祖母の幸子である。彼女もまた、川田中学と天王高校の卒業生なのだ。
子供の数が減っているのは、何も中州に限ったことではない。今は日本全体で少子化の時代だからだ。
ただ、中州の人口が大きく減り続けているせいで、中州の子供の数は全国平均以上に減っているのは間違いない。最近は、水草家の屋敷がある中州本郷の集落においても空き家が増えていて、野良猫等、小動物の棲み家となっていることも珍しくない。中でも、かつて使用人が使っていた長屋等は、どこも朽ち果てて崩壊寸前の有り様だ。
一番の要因は、機械化の進行で使用人達を手放したことだが、最近は経営環境の悪化と後継者不足によって、農家自体が廃業してしまうケースも出始めている。
薫が川田中学に入学した頃に祖母の幸子に聞かされた家の財政問題だが、何とかやりくりはしているものの、ほとんど借金は減っていないようだ。
中学生の薫には細かい状況まで知る由もないのだが、祖母の幸子と父の武が並んでパソコンのディスプレイを睨み、深刻そうに話している場面を薫は何度も見掛けたことがある。それに幸子も武も、そして母の佳代でさえ、毎日、慌ただしく飛び回っているようだ。
つまり、「何も改善されていない」ということなのだが、それでも、すぐに水草家が破産するという訳ではない。
中学卒業の頃は、まだまだ薫の周辺に温かい春風が吹いていて、彼女は穏やかな気分で、自分の未来を夢見ることができていたのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
やっと中学生時代が終わりました。次話は、翔視点になります。
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