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第60話:幸子の失策 <薫サイド>

再度、見直しました。


水草幸子みずくささちこは、七十歳で生涯を終えた。水草(かおる)が大学を卒業した年の七月のことである。

恐らく、幸子の死と共に、室町以前から延々と続いた水草家の歴史は終わりを告げてしまっていたのだろう。


幸子は、薫にとって尊敬する存在であることは間違いないのだが、決して完璧な人ではなかった。そのことは幸子自身も自覚していたようで、「私なんか、お義母かあ様の足元にも及ばないんだよ。お義母様は、本当に凄い人だった」と常々言っていた。

その「お義母様」である曾祖母、水草朋子(ともこ)のことを、薫は全く覚えてはいない。朋子は、薫が立ち上がって歩けるようになって間もなくして亡くなってしまったからだ。ちょうど満八十歳だったという。


瀬古せこさんなんかは、私のことを水草のゴッドマザーとか言うけど、本当のゴッドマザーは私のお義母様のことだよ。戦後のあの激動の中で、水草の家と田畑をそのまま残して、水草家の没落を防いだ上に、中州なかす全体の権限を守ったんだからね」


戦後、水草家を襲った農地改革の動きは、本来、中州の体制を根本的に破壊するものだった。それを当時の若旦那と若女将であった水草(たかし)と朋子の二人が、若者らしい斬新な発想と持ち前の粘り強い交渉、そして水草家が持つ政治力によって、大禍なく乗り切ったのである。

具体的には、特例として中州の治外法権を国や県に認めさせてしまったのだ。かねてより大規模農業を効率よく手掛けてきた中州の農地を細分化し、わざわざ非効率な方向に持って行くことが改革ではないと主張した訳だが、彼らは同時にあぜ道を完全な碁盤目状に引き直し、後の機械化への布石を打った。当時はまだ食料事情が厳しく、米の増産が期待されていた時期だったことが幸いした。

ところが今回は、その治外法権というのが仇となってしまった。当時のことを直接に知る役人など皆無な筈なのだが、政府が全く介入しないことを良い事に、中州は外資系企業によってあれよあれよという間に蹂躙されてしまったのである。


ただし、そのことを全て先々代のせいにすることは、もちろんできない。一方、幸子に言わせれば、全ては自分の失態だったということになるのだが、それはそれで自虐的過ぎる。

それでも薫は、水草家が没落という結果を招いたことに関して、幸子にも幾らかの責任があったことを認めざるを得ないのだ。

薫は大学生の時に帰省した際、幸子自身の至らなについて、本人からの告白を何度も聞かされたことがある。その内容に薫独自の視点を加えて考え抜いた結露として、幸子が犯した失策は次の三点である。


――父の武と母の佳代の結婚を認めてしまったこと。


――父の武を水草家の当主に据えたこと。


――薫が東京に行くのを許してしまったこと。


三点目は、付録のようなものなので、割愛しても良いかもしれない。

ただ、薫は思うのだ。

あの時、幸子は私が東京に行くことを許すべきではなかった。

私が中州なかすの屋敷に残っていて、幸子と共に多少なりとも父のたけしをサポートしていたら、ひょっとして……。


もちろん、薫が中州に残っていたとしても、本当に何かが変えられたかどうかは分からない。捉え方によっては、上から目線での傲慢な考え方だとも言えるだろう。

それどころか、あちこちから叱責が飛んで来そうな気さえする。


お前みたいな小娘に、いったい何ができるんだ? うぬぼれるのも大概にしろ!


だけど、それでも薫には、「自分が中州に残っていれば」という思いを、どうしても拭い去ることが出来ないのである。


その三つ目の失策も含めて、幸子の失策を一言でまとめるとすれば、「一族を束ねる立場の者として、身内に甘過ぎた」ということになるのだろう。



★★★



水草薫の父、たけしと母の佳代は、実は恋愛結婚である。

とは言っても、二人が結婚を誓ったのは、武が八歳、佳代が五歳の時だった。つまり、二人は近所に住んでいた幼馴染であって、「大人になったら、結婚しようね」「うん」といった幼い時の仲良し同士に良くある口約束を、そのまま実現してしまったということだ。


佳代の実家、川口家は、中州なかす第二の名家、西川家の分家筋に当たる家である。とはいえ、川口家が所有する田畑は、それほど広くはない。そもそも西川家の本家とその有力な分家は、全て西端にしばたの集落にある。本郷ほんごうの集落に家がある時点で、小さい分家ということだ。

対するたけしは、水草家の一人息子である。

この二人の縁談は川口家にとって願ってもないことなのだが、実際に佳代が水草家に嫁ぐまでには、かなりの紆余曲折があったらしい。


元々、水草家の次期当主がたけしで良いのかという議論は、水草家の分家筋からは前々からあったそうだ。それは、武の成績が今ひとつパッとせず、先々代のたかし、先代のしげると比べると大きく見劣りしたからである。もちろん、学校の成績がいくら悪くたって、地頭じあたまが良ければ問題ないのだろうが、武の場合、まったくそんな感じではなく、どんな能力も平凡そのものだった。

当然、幸子は一人息子のたけしを次期当主にしたかった訳で、武の欠点を補える優秀な嫁を切望した。だから、武と佳代の結婚には反対だったのだ。

当時、まだ存命だった朋子は、既に引退した身だとして口出しはせず、薫の祖父、しげるの判断となったが、彼は態度を保留したままだった。


やがて、たけしも佳代も高校を卒業してしまい、尚も佳代との結婚をせがむ武に対し、滋と幸子は悩んだ末、水草の家督を取るか佳代との結婚を取るかの二者択一を迫った。ところが武は、その場であっさりと佳代との結婚を選んでしまう。結果、滋と幸子も二人の結婚を認めざるを得なくなってしまったのだった。

最終的に武と佳代が結婚したのは、武が二十三歳の時である。その時の佳代は二十歳はたち。奇しくも幸子が結婚したのと同じ歳だった。

一方、この時になっても、まだ水草家次期当主を誰にするかは決まっていなかった。それが最終的に武に落ち着くのは、しげるが病に倒れた後のことである。


この話は、見方によっては美談である。この縁談はひとえにたけしの執念の賜物であり、佳代の立場からすれば、まさに現代のシンデレラストーリーなのだから。


たけしの性格は、悪く言えば頑固一徹、良く言えば意志が強く粘り強い気質で、まさにしげるから受け継いだものだ。そして薫もまた、その頑固さを充分に引き継いでいるのである。

ただ、一方の佳代はというと、彼女もまた平凡な頭脳しかなく、しかも性格が暗く引っ込み思案。更に気が小さいときている。これでは武の欠点をおぎなうどころか、足を引っ張ってしまう。


確かに、佳代はたけしの嫁になると決めてから、努力に努力を積み重ねてきた。結果、高校は武と同じ天王北高に入れたし、そこでも、まあまあの成績を収めることができた。

だが、それでも当然、朋子や幸子には見劣りしてしまう。それに、引っ込み思案で気が小さくては、水草の嫁が務まらないのは目に見えている。いくら減ったとはいえ、それでは使用人達を動かすことができないのだから。


ただ、佳代の性格が本当に引っ込み思案で気が弱いだけかというと、そうとも言えないんじゃないかと薫は睨んでいる。佳代はたけしと長らく夫婦であった故に頑固であると周囲には思われているが、恐らく頑固なのは元からである。

もちろん、押しに弱い性格で、他人に何か言われると言いなりになってしまう点は否めない。でも、本当に大切だと決めたことについては、死んでも諦めない、そんな一途な所が佳代にはあるのだ。

佳代が武と結婚したのは、二十歳はたちの時、つまり彼女は、父からのプロポーズを受けた後、実に十五年間も待ったことになる。


たぶん、佳代がたけしと結婚の約束をした時、彼女は結婚の意味すら分からずに、ただ頷いただけだったに違いない。それなのに佳代は、そんな武と交した口約束をひたすら信じて夢を追い続けた挙句、最後にはそれを現実にしてしまったのである。

佳代がたけしとの結婚を勝ち取るまでの過程プロセスは、決して楽なものではなかった。それどころか、二人には絶えず逆風が吹き付ける厳しい状況が延々と続いた訳で、普通の娘なら途中で諦めて、自ら身を引いてしまったことだろう。ところが佳代は、そうした周囲の批判や妬みを全てスルーしてしまい、武との結婚に漕ぎ着けてしまった。その胆力が並みのものである筈がない。

この点だけで言えば、佳代も充分に水草の女の素養を持っており、薫にもその点は引き継がれているのだ。


とはいえ、この二人の結婚を認めてしまったことは、紛れもない幸子の失策である。

もしこの二人が結婚しなければ、薫はこの世に生まれてはいないのだが、それでも薫は、この二人の結婚を認めてはいけなかったと思うのだ。それがたとえ美談であり、反対すれば親子関係に致命的な亀裂が入る恐れがあったとしても、水草家のことを考えたら、幸子は認めるべきじゃなかった。

この件については、妹のかえでも薫と同意見である。一ヶ月ほど前に話したことがあるのだ。


「ねえ、お姉ちゃん。私もお姉ちゃんの意見に賛成なんだけど、それでもお姉ちゃんと私は、ちゃんと生まれてたと思うよ」

「えっ、どういうこと?」

「つまり、もしも、お祖母ちゃんが結婚に反対を貫き通したとしたら、うちの両親、絶対に駆け落ちしてたと思うんだよね」

「駆け落ちかあ。確かにそうかもね。でも、それで生きてくって、相当に大変だよね。うちら、極貧生活を送ることになると思うよ」

「どうせ今だって極貧生活なんだから、おんなじことじゃん。お母さんは、今みたいにスーパーで働いて、お父さんは、うーん、土方どかたでもしてるのかなあ。で、結局は身体からだを壊して、早く死んじゃったのかもね」

「それだと駆け落ちした意味ないんじゃない?」

「それが分かってても、一緒にいたいってことなんじゃないの。あー、でも、そうすると、うちらってさあ、どのみち悲惨な結果になっちゃうって訳だね」

「そうかもねえ」


ともあれ、駆け落ちなんてせずに、ちゃんとたけしと結婚した佳代が本当に幸せになれたのかについても、甚だ疑問である。傍目はためから見た佳代の半生は、まさに苦労の連続だったとしか思えないからだ。

でも、彼女が幼い頃からの夢を叶えたことは事実なんだし、これはこれでアリだったのかもしれない。

この件についても、さっきと同じ時に薫は楓と会話を交わしている。


「でも、お姉ちゃん。うちの両親の結婚って、一番身近なシンデレラストーリーではあるよね?」

「うーん、微妙だけどね」

「お母さんには一度、どう思ってるか聞いてみたい気がするなあ」

「無理でしょう。ただでさえ、口下手なんだし……でも、お父さんも頑張ったよね。あの頑固オヤジとは、どうしても結び付かない感じがしないでもないけど」

「頑固オヤジだからこそ、実現できたんじゃないの?」

「うん、そうとも言えるね」

「要するに、現実はおとぎ話のようにうまくは行かないってことでしょう?」

「楓さあ、お母さんって、お父さんと結婚して、本当に良かったのかな?」

「それは、本人達しか判断できない話じゃないの?」

「だよね。子供の立場からすると、あの二人が結婚して、やることやってなきゃ、こっちは生まれてない訳だからさ。一応、運命に感謝なんだけど」

「何その言い方。まあ、言いたいことは分かるけどね」

「でしょう。で、結論めいたこと言うとさ。『現実のシンデレラストーリーは、ちっとも甘くなんかない』ってとこかな」

「そうかもね。要するにさあ、どんなおとぎ話にだって本当は続きがあって、そこの所は必ずしもハッピーエンドじゃないってことだね」

「あ、お姉ちゃん、何かうまいこと言ったって思ってるでしょう?」

「ふふっ、さあ、どうかな……もう、寝るよ」

「はーい」



★★★



かくして、たけしと佳代の結婚が認められた時点で、佳代は水草家に通う形で幸子からの教育を受けることになる。この時点では、たけしが水草の家督を継ぐことが決まってはいなかったので、念の為ということだったが、結婚してしばらくし、武が次期当主に決まってからは、その教育内容も真剣なものに変わって行った。

当然、佳代は朋子や幸子とはうつわが違うので、全てを吸収できる筈もなく、お互いにフラストレーションが溜まって行く。普通は、そこで嫁姑間のいざこざが起きてもおかしく無い訳だが、内気で気の弱い佳代は、不満を自分の中に貯め込んでしまう。

幸子は幸子で、そんな佳代の性格は良く分かっている訳だから、それほど強くは出られない。こういうのは、教える側も相当に大変で忍耐と根気が必要なのだ。


たぶん幸子は、できることは全てやったんだろうと思う。でも、そのしわ寄せは、当然ながら薫の方にきてしまう。

佳代は幸子から毎日あれこれ言われ、その上、高校は卒業した筈なのに、大量の本を読まされて、好きでもない勉強までさせられていた。つまり当時の佳代は、いつだって自分のことで目一杯で、心がキャパオーバーの状態だったのだ。

だから、そこに幼い薫が入り込める隙間なんて、もうどこにも残ってはいなかったに違いない。


それだから、薫が小さい頃の佳代との関係は、まさに微妙なものだったと言わざるを得ない。その上、薫の世話役の野崎小夜(さよ)がそこに絡んだ結果、幼い薫は自己防衛の為、少しずつ性格を歪めて行ってしまう。

それは佳代と薫の双方にとって不幸なことで、二人はその修正の為に長い年月を掛けることになるのだった。


大人になった今だから思うのだが、佳代は佳代なりに精一杯、頑張っていたんだろう。そんな状態の佳代に、子供の養育まで期待するのは無理だったと思うし、それに、幸子に対する遠慮だってあったのかもしれない。つまりは、「子育てなんかにかまけている時間があったら、ちゃんとした女将おかみになれるように努力しなさい」ということだ。

もちろん、実際に幸子が佳代にそんなことを言ったとは思えない。だけど、まだ二十代前半の佳代が、毎日、しゅうとめからの強いプレッシャーに晒される中、事実を歪めて捉えていたとしても不思議ではない。

本来、自分が産んだ子供の養育について、自ら手を引いてしまうなど普通は有り得ない事なのだが、気の弱い佳代については、すんなりと納得ができる。割と気が強く、はっきりと物を言う祖母とは違って、内気な佳代は、とにかく人といがみ合うのが嫌いな人なのだ。放っておくと、すぐ人の言いなりになってしまうのである。


その為、小さい頃の薫は、そのあおりを喰っていたわけだが、ある程度の年齢になってからは、その防御策を講じるようになって行くのだった。


どういうことかというと、佳代は娘の薫を犠牲にしてでも周囲の人の顔色ばかりを窺っていて、すぐにそっちを優先してしまうのである。

例えば、薫が新しいオモチャで遊んでいる所へ、小さい子供を連れた来客があったとする。その時、その子が薫のオモチャを欲しがったりすると、すぐに佳代は薫からオモチャを取り上げて、その子の方に渡してしまう。

それでも薫は泣いたりしない。いつものことだと諦めているからだ。だから無表情のまま、別のオモチャで遊び始める。


たぶん、佳代のそうした習性を後押ししていたのは、薫の世話役である野崎小夜だったと思う。というのは、基本的に薫のことを嫌っていた小夜が、時々佳代に耳打ちするからだ。


「今、お嬢様が遊んでるオモチャですけど、お客様のお子さんの暇つぶしにちょうど良いんじゃないですか?」


「お嬢様だったら、また旦那様に買って頂けるでしょうから、いっそあげてしまわれたら如何いかがでしょう?」


「そう言えば、お嬢様の部屋にちょうど手頃なお絵かき帳がありましたよね? 早速、私が探して参ります」


「お嬢様のお部屋に、ちょうど良い折り紙セットがありましたので、お持ちしました。折角ですし、奥様がこれで鶴でも折って差し上げたら如何いかがでしょう?」


小夜は佳代より二十歳以上上なので、当時の佳代にとっては、祖母の幸子同様に逆らえない存在で、常に言いなりなのだった。


かくして、幼い薫の部屋からは物が次々と消えて行く。それに薫が遊んでいるオモチャも、お客様に同世代の子供がいれば、即座に取り上げられてしまう。

そうしたことが日常茶飯事に起こった結果、幼い薫は物にほとんど執着しなくなってしまった。今は自分の手元にある物でも、いつ取り上げられるか分からないからだ。

つまり、このオモチャは単に借りているだけ。自分の物になったわけじゃない。自分の物じゃない以上、いつ返さなきゃいけなくなっても、それは仕方のないこと。

幼い薫は、そう思い込むことで何とか心のバランスを保っていたのかもしれない。


とはいっても、薫にだって、どうしても自分のものにしておきたい大事な物くらいはある。そういう物があると、薫は祖母の所に持って行って、預かってもらう。祖母の幸子は、薫から預かったものを決して誰にも渡さないからだ。

当時の幸子は水草家において、父のたけしと同等の強い権力を握っていた。それに幸子は、野崎小夜を含めた使用人をあまり信用しておらず、自分の部屋は必ず自分で掃除する人だった。だから、祖母に預けさえすれば、薫の大事な物は決して無くならないのだ。


その大事な物は、学校に上がる前はお庭で見付けた綺麗な石だったり、水瀬美緒からもらったビーズの指輪とかだったのだが、小学生になると学校の物が大半になった。

学校の物が無くなると、とっても困る。先生に怒られるからだ。だから、薫は祖母に預かってもらうことを徹底するようになった。

具体的には、文房具だとか教科書や参考署、絵具や習字道具などで、そこには宿題のプリントなんかも含まれる。


薫がやった宿題のプリントが無くなったのは、まだ小学一年生の時だった。家で一度無くなった物は、探したって絶対に見付からない。だから薫は、すぐに諦めて学校に行った。

薫は怒られるのを覚悟していたのだが、怒られたのは神主の息子、河村直人(なおと)だった。というのは、何故か薫のプリントが直人の手元にあって、彼はそれの名前だけ変えて、自分でやったと言って飯田先生に出したからだ。

同級生が三人しかいない分校である。筆跡を見れば誰だって、それが薫のプリントだと分かってしまう。


放課後、水瀬美緒みなせみおが直人を追求した結果、昨夜、薫が夕食を食べている際、直人が母親に言われた届け物をしに水草家を訪れていたことが分かった。

その時、直人は佳代から「学校は楽しい?」と訊かれ、「宿題が大変だから、楽しくない」と答えたそうだ。すると、野崎小夜が薫のプリントを持って来て、「これを写せば楽ですよ」と渡してくれたらしい。それで、彼は「写すのめんどくさいから、このまま持ってっちゃえ」と思って、名前だけ変えて先生に提出した訳だ。


その日、薫は学校から帰ると、佳代は家にいなかった。それで、ランドセルをしょったまま祖母の部屋に行って、学校であったことをそのまま祖母に話した。

そして、それ以来、学校に関するものを薫は一切、自分の部屋には置かないようになったのだった。


薫は毎日、学校から帰ると、そのまま祖母の部屋に行って、そこで宿題をやる。終わると、宿題をランドセルにしまう。ついでに中の教科書やノートを翌日の授業の分に入れ替える。

それが済むと、祖母がおやつを出してくれる。薫は、その日、学校であったこととかを祖母に話しながら、それを食べる。食べ終わると、ランドセルを祖母の部屋に置いたまま、薫は外に遊びに行くのだ。

翌朝は、祖母の部屋にランドセルを取りに行って、それを持って学校に行く。その繰り返しである。

つまり自分の部屋は、ただ寝るだけの場所で、そこにあるのは無くなっても問題のない、いわば薫にとってどうだっていいものだけなのだった。


ちなみに、父のたけしが誕生日とかに良く買ってくれる熊のぬいぐるみなんかは、薫も自分の部屋に置かれていた。さすがの小夜さよも主人のたけしが娘の誕生日にあげたプレゼントまで、勝手に誰かにあげてしまうことはしなかった、というのが理由のひとつだが、それだけではない。

そもそも薫は、ぬいぐるみのたぐいに興味なんて無かったのだ。だから彼女は、もらったぬいぐるみを自分の部屋に置きっ放しにしていた訳だが、そんな家族だったら知ってて当然のことすら、武も佳代も全く切らないし、知ろうともしなかったのだった。



★★★



そういうわけで、小さい頃、薫は佳代のことを全く信用していなかった。その頃の薫にとっては、佳代という存在は「勝手に物を持って行ってしまう人」に分類されていたのだ。良いとか悪いとかじゃなく、単純に佳代とはそういう人として捉えていたわけだ。

薫のこうした行動は徹底していて、好きなお菓子とかケーキとかを貰ったりすると、必ず祖母の部屋に持って行って食べる。台所で食べてたりすると、余所の子が来た時に取られてしまうかもしれないと思うからだ。


そういった薫の行動を佳代はいつも悲しい目で見ていたのだが、中学校に上がる前の薫には、そのような母親の胸の内など知るよしも無いのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次話は、今日の続きです。翔視点は、その後になります。


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