第49話:故郷 <薫サイド>
再度、見直しました。
午後七時を過ぎ、そろそろ夕食の準備を始めようと水草薫が台所に立った時、スマホが鳴ってメールの着信を知らせた。メールは母の佳代からで、「総菜の余りを持って帰るから、ご飯だけ炊いておいて欲しい」という内容だった。
同じメールが妹の楓にも入ったようで、やっと自分の部屋で勉強を始めたばかりだというのに、わざわざ台所へやって来て、声を掛けて来る。
「お姉ちゃん、どんなお惣菜か楽しみだね」
薫は、お米を研ぎながら適当に「まあね」と答えておく。
「ねえ、リクエストってできるのかな」
「無理なんじゃない。今日は日曜だし、そんなに余るとは思えないよ」
「そっかなあ。ねえ、お姉ちゃんだったら何が良い?」
「だから、期待してもしょうがないんじゃないの?」
「いいじゃない。単なる夢だってば。私はねえ、ウナギが良いなあ」
最近は、ウナギの稚魚があまり採れないらしく、中国産のウナギであっても高値になりつつあるのだ。
「別にウナギじゃなくて、アナゴでも充分だけどね」
「確かに。穴子寿司とか、おいしいもんね」
そんな会話を交わしているうちにお米を炊くスイッチを押した薫は、楓を自分の部屋に押し込んで、先にシャワーを浴びることにした。
やがて、午後八時を少し過ぎた頃、母の佳代が重そうなレジ袋を二つも持って帰って来た。
すぐに楓が部屋から飛び出して来て、レジ袋の中身を覗き込む。
ところが、期待に目を輝かせていた楓の表情が、一瞬にして落胆へと変わった。
「何これ、ギョウザ?」
「そだね」
「しかも、『にんにく増量』ってシールが貼ってあるんだけど」
「だね」
「あとは、コロッケかあ。これは、まあ、普通に嬉しいけど、えっ、このギョーザ、いくつあんの?」
「二十個入りが六パックあるね」
「誰が食べるの?」
「冷凍しときゃ、後でも食べれるだろ」
ここでようやく佳代が口を挟んできた。
「ちゃんとニンジンとジャガイモ、それからキュウリも買ってきただよ」
「何このキュウリ、萎びてない?」
「見切り品だけど、まだ食べれるだろ?」
「かろうじてだけどね」
楓は不満そうだったが、取り敢えず薫は、コロッケ三個とギョーザのパック一つ分をお皿に移していく。我が家では、少しでもおいしく食べれるように、お惣菜はちゃんとお皿に移すことにしているのだ。
移し終えたお皿は、電子レンジに入れて温める。
萎びたキュウリは、すぐに洗って輪切りにしておく。こういうのは、すぐに食べてしまうに限る。
それから、ギョウザとコロッケの載ったお皿を電子レンジに入れたのだが……。
「もう、お、お姉ちゃんったら、そのギョーザ、本当に食べるつもりなの?」
「当たり前でしょう」
「私、嫌だよ。口の中が臭くなっちゃうじゃん」
「少しくらい良いでしょう。学校は休みなんだから」
「図書館に行くじゃない。隣に座った子が迷惑だよ」
「そんなの、良いじゃない。知らない人でしょう?」
「愛衣は朝からバイトだけど、午後から智也くんが来ると思う」
「あ、そうだ。明日の夕食会に出してみようか?」
「ぜーったいに駄目。あ、そう言えば、お母さん。きしめんは買って来てくれた?」
「そこにちゃんとあるだろ?」
萎びたキュウリが入ったレジ袋の一番下に、きしめんの袋がたくさん入っている。薫が袋の数を数えていると、隣で楓が歓声を上げた。
「うわあ、何それ、生麵の高い奴じゃん」
「そうだよ。ちょっと多めに買っといたからね。重かったんだよ」
「そだねー。ありがとう、お母さん……あ、ちゃんとしょうがと大葉もあるね」
「ネギはまだ冷蔵庫にあっただろ?」
佳代の問いには、楓が答えた。
「うん。ちょっとだけだけど、足りない分は明日、図書館の帰りに買って来るよ」
「そうかい」
その間に薫は人数分の茶碗にご飯をよそって、食卓テーブルに置く。楓は、そこに箸を並べてから麦茶をコップに入れて、それもテーブルに置いた。
薫は冷蔵庫を開けて楓が朝に作ってくれた野菜サラダの残りを取り出し、そこにさっきのしなびたキュウリを足してから、テーブルに運んで行く。そして、電子レンジで温めたギョーザとコロッケが載ったお皿をテーブルの中央に置いて、自分の席に座った。
ちゃんと手を合わせて「頂きます」を言った所で、楓の方を見ると、何とも言えない複雑な表情をしていた。
「ねえ、お母さん、何でギョーザなの?」
「何でって、楓、本当はギョーザ、好きだろ?」
薫がこっちに戻って来てから、ギョーザが食卓に並んだことは無い。けど、中州にいた時は時々食べていた。というのは、父の武が好きだったからだ。力仕事をやる男の人には、にんにくが好まれるのだろう。
でも、佳代の言ったことも案外、図星かもしれない。少なくとも、楓が小学生の頃は、喜んで食べていた。
「店長がね、持って行けって言うんだよ。暑いから、にんにくが一杯入ったギョーザが良いだろうと思って、多めに発注したんだろうけど、たくさん余っちゃってねえ」
佳代が意地悪く笑っている。最近は滅多に見なくなった佳代の歪んだ笑顔だが、薫が小さい頃、佳代は良くこんな笑顔をしていた。もちろん、佳代がこの顔をしたら、薫はできるだけ早く退散して祖母の部屋に隠れるのだ。
内気で不満があっても人に言えない質の佳代の悪意は、自然と弱い存在に向けられることがあった。と言っても、虐待に繋がるようなことではなく、頬を抓ったり脇腹をこそぐったりといった悪戯程度のことだったのだが、それだって幼女の身としては嫌に決まっている。それに、佳代のそうした行為は、とにかくしつこい。
父の武が怒った時も怖かったけど、実は佳代のこうした悪戯の方が薫には嫌だったのだ。
もっとも、当時は数多くいた使用人や出入りの業者の中にも、薫のことを嫌ってちょっかいを出してくる者は大勢いた。だから薫は、佳代を特別に敵視したりはしてなかったのだが、ひとつだけ今になって思うことがある。
「悪魔の笑み」と言われる薫の歪んだ笑顔は、たぶん、そうした佳代から受け継いだんじゃないだろうか?
いや、今はそんなことどうだって良い。
「楓、せっかくだから食べようよ。一晩ぐっすり寝たら、案外、大丈夫かもよ」
「お姉ちゃんっ!」
楓が睨み付けてきた。
「いいもん。一番の被害者は、お姉ちゃんなんだから」
「あのね、私は、小夜さんが忙しくて手が離せない時とかに何度も楓のおむつ、替えたことがあるの。それも、くっさいうんちのおむつばっか。お母さん、嫌がるんだもん」
「別に私だって嫌じゃなかったさ。ただ、ちょっと面倒だっただけだよ。あの頃は、私だって忙しかったからねえ」
「もう、これから食事だってのに、なんでそんな話、すんの?」
口を尖らせながら、レンジでチンしたギョーザを楓が口の中に放り込む。半ばやけっぱちなのか、次々と放り込んで行く。
そして、次第に頬がにやけて行くのだ。
「楓、やっぱりギョウザ、好きなんじゃない」
「もう、お姉ちゃんったら、早く食べないと、私が全部食べちゃうよ」
「こら、そんな風にギョーザばっか食べないの。サラダも食べなさい」
「ふ-んだ。早いもん勝ちだもん」
楓の勢いに押された薫も、気が付くとにんにくたっぷりのギョーザを頬張っている。
そして楓と顔を見合わせて、何だか楽しくなってきた薫の顔には、自然な方の笑顔が浮かんでしまうのだった。
★★★
佳代は相変わらず口数が少なかった。昔から無口な人だったけど、中州を離れてから更に口数が減ってしまったようだ。生まれた故郷、屋敷と田畑、そして夫を相次いで失い、それらの喪失感から立ち直れていないからだろう。
夕食が終わって、『さあ、後片付けをしよう』と薫が立ち上がった時、佳代がボソッと、「やっぱり、この辺は危ないみたいだねえ」と言った。
「さっきも、チンピラ風の若い男達が騒いでたんだよ」
「騒いでたって、喧嘩?」
「どうだろうねえ。怖くて遠回りに通り過ぎただけだから……」
「案外、女の人が襲われてたりして」
「こら、楓。無責任なこと言わないの」
「だってえ、ありうるじゃん。こん中で一番に危ないのは、お姉ちゃんなんだからね」
「私は、大丈夫だよ」
薫は、楓のもっと何か言いたげな顔を無視して、洗い物を始めてしまった。
自分はもう居なくなるから、どうだって良い。だけど問題は残されたこの二人だ。やっぱり、もう少し治安の良い所に引っ越さないと……。
そんなことを考えながら後片付けを終えて歯を磨いた薫は、寝室で二人分の布団を敷くと、佳代の隣で横になった。
すると、珍しく佳代が話し掛けてきた。
「薫、本当に軍に入るのかい?」
「うん、もう決めたℚんだ」
「そうかい。仕方ないねえ」
その後、佳代は黙ってしまい、寝たかなと思った頃に再び口を開いた。
「中州のお屋敷は、本当に無くなっちゃったんだねえ……」
薫は、続きの言葉をしばらく待っていたけど、聞こえてくるのは寝息だけだった。
佳代は既に寝入ってしまったようだ。さっきの言葉とて、案外、寝言だったのかもしれない。
それでも佳代のその言葉は、薫の思いを過去へと誘うには充分だったようだ。瞳を閉じた途端、薫の脳裏に故郷、中州の思い出が次々と走馬灯のように蘇ってきたからだ。
それは、中州で生まれ育った薫自身の生い立ちの記憶だった。
★★★
水草家の屋敷と田畑は、天王市の西の外れをゆったりと流れる大河の中州にあった。
広さは、10平方キロメートルを若干上回る程度。広くは無いけど、凄く狭い訳でもない。形は、南北に細長いサツマイモ。つまり、真ん中が膨らんでいて、北と南が尖っている。そして、中州だから当然、周囲を河に囲まれた平らな島である。
この中州には、長い歴史がある。
有史以降も大河は時として大きな氾濫を起こし、きまぐれに流れを変えてきた。つまり、今の中州がある場所の形状が、その都度、大きく変わってしまっていた訳である。
それでも今から千二百年ほど前には、だいたい今の場所に形は違えど中州が存在し、人が住み着いたという。彼らは、そこに田畑をこしらえ、作物を作り始めた。最初は手間の掛からない芋や豆類からだろうが、やがて、そこでも米を作るようになる。
そして、そんな者達をまとめ上げ、豪族の頭として中州という土地を治めてきたのが、水草家なのである。
水草薫は、その中州と水草家の歴史を、幼い頃から繰り返し何度も祖母の幸子に聞かされて育った。
「うちら水草の者は、その始まりの時から、大河と共にあったんだよ」
大河は大きな恵みを与えてくれる存在だが、時に大きな災いをもたらすことがある。
「うちらの先祖は、常に大河の水と戦い続けてきたんだ」
かつては、その形状を度々変えた中州だったが、周囲を高い堤で囲むことに成功した室町中期以降は、今の形を保っているという。
水害にさえ遭わなければ、中州は水に困らない肥沃な農地であり、毎年かなりの収穫を得ることができた。
それに、周囲を川に囲まれていることは、外敵を防ぐ意味でも有益だ。
更に、かつて大河は、物を運ぶ上でも重要な役割を果たしてきたのだ。中州に住む者達は田畑を耕すだけでなく、自ら舟を操り、大河の物流を担うことでも大きな富を築いてきたのである。
この水草家が最も栄えた戦国の時代、彼らは中州だけではなく、大河の中流から下流域周辺の土地までをも支配下に置いていた。
その頃の水草家が支配する地域は細長く、それほどの面積はないのだが、その全てが肥沃な農地である。その為、当時の水草家の富と力は、数十万石の大名にも匹敵するとされていたのだった。
その水草家が周囲の大名に恐れられていたのは、強力な水軍を持っていたからである。彼らは無数の舟を縦横無尽に操って、大河や河口周辺の水域を行き来しており、彼らの許可なく大河を渡ることを許さなかった。
当時、織田信長と盟友関係にあった水草家は、美濃や伊勢を攻略の際、その水軍によって大きな功績を上げたと言われている。
その為、信長と秀吉の治世の間、水草家は大名として遇されていたのだが、関ヶ原の戦いにおいて、水草家は動かなかった。つまり、どちらを支持するかを明確に示さずに中立を守ったのである。
それでも家康は、水草家を中州以外に美濃の一部を合わせた合計五万石を与え、大名として処遇するつもりだった。その頃、水草の勢力は尾張と美濃の大河流域に相当深く根付いていたのを、その地域だけに抑え込む思惑もあった。
ところが、水草家はその申し出を断ってしまった。そして、中州に引き籠る道を選択した。水草家は中州以外の土地と全ての水軍を放棄した。ただし、唯一出した条件が、中州の自治だった。結果、中州は幕府直轄領とし、中州の代官を代々水草家が務めることとなったのだ。
江戸時代、中州の石高は公称五千石だが、実際は八千石程度あったと言われている。つまり、中州だけでも小さな大名同等と言えなくもない。しかも、大名とならないことで、参勤交代のような大名としての義務を免れることができる。
更に軍用以外の舟の所有は、そのまま認められており、継続して、大河の物流を担うことでの利益だって期待できた。
当時の水草家は、そうした実利の方を選んだのだった。
「薫はね、世が世なら、お姫様だったんだよ。そのことを絶対に忘れるんじゃないよ。常に水草直系の娘としての誇りを持って行動するんだ。分かったかい」
祖母の幸子は薫に対して事ある毎にそのような言葉を口にしていたのだが、それを言われた時の薫は少々こそばゆい気持ちになってしまうのが常だった。姫とか言われても、現状の自分は、それにあまりにもそぐわないからだ。
それでも、昔、水草家の令嬢が「姫」と呼ばれていたことは事実だったようで、そうした姫達の多くが水草家の舟に揺られて、熱田や桑名の港に降り立ち、そこからは籠に乗せられて各地の大名家へ嫁いで行ったという記録がある。昔から水草の娘は器量よしで才媛だと評判で、割と引く手あまただったようなのだ。
それは江戸時代になっても変わらず、大名や旗本の家に輿入れする姫が後を絶たなかったらしい。
薫としては、にわかには信じがたい話なのだが、それも政略結婚の一環であることは間違いない。そうすることで、水草家は江戸時代を通して、この地方でそれなりの影響力を保持してきたようなのである。
★★★
江戸から明治の時代へと変わっても、中州には水草家が君臨し続けた。もちろん、水草家は代官の任を解かれたが、代わりに中州の村長達を束ね、県庁にも配下の者を送り込んだ上に、自らは県会議員となることで、変わらぬ影響力を保持し続けたのだった。
その頃の中州には、中州五村と呼ばれる五つの村が存在していた。本郷村、西端村、中郷村、南方村、先崎村の五つがそれである。
やがて、これらの村々は合併して中州村となるのだが、それぞれが五つの地区の名称として戦後まで存続した。
戦後の農地改革において、中州は従来の入り組んだ田畑の区画を改め、碁盤目状に整った形にあぜ道を引き直した。それと同時に、五つの地区の中心となる集落以外の周辺集落を取り潰し、そこにあった屋敷を中心の集落へ移築するといった荒療治が行われた。
そうしたことができたのは、薫の曾祖父である水草隆の功績であり、その時点でも中州における水草家の発言力が、それだけ協力だったことを物語っている。
戦後しばらくして中州村は、大河を挟んで東岸に位置する川田村に併合された。そして、薫が大学生の時、川田村が天王市に吸収合併されたことで、現在の中州は天王市の一部となっている。
★★★
中州にあった五つの集落は、全てが中州の土地を取り囲む堤防に沿った所にあった。堤防沿いに土を盛って高台にし、そこに全ての屋敷が建てられた。
先崎、西端、南方は西潟の堤防、そして中郷と本郷の集落は東側の堤防に沿って造られていたのだった。
水草家の屋敷は、中州で最大の集落である本郷にあった。その広大な敷地を誇る屋敷は、中州で最も大きな建造物であり、いわば、中州の象徴でもあったのだ。
そして他にも、この本郷には、中州のほぼ全ての機能が集中していた。
その代表が、鉄筋コンクリート二階建ての公民館である。
かつての中州村役場の敷地に建てられたこの公民館の一階には、川田村の中州支所、農協の支店、郵便局が入っており、信用金庫のキャッシュディスペンサーが置かれていた。
二階には、診療所、歯医者、美容室があったのだが、これらは開いている曜日が決まっていた。それから、この二階には広い多目的ホールと会議室が三つあって、様々なイベントの会場となっていた。例えば、健康診断だとか、予防接種、選挙、各種の販売会等である。
会議室の方はというと、カラオケ大会だとか各種サークル活動等で使用されることが多く、何らかの親睦会と称して、酒と料理を持ち寄っての飲み会が行われたりすることもあった。
公民館の隣には、中州で一番高い建造物である火の見櫓が設置されていて、消防車一台を備えた消防団の建物が並んでいた。その建物には、天王警察署の交番が併設されていて、二人のお巡りさんが常駐していた。
本郷の集落の北の端には、川田北小学校の分校があって、中州で育った人は全員、ここの卒業生である。
その分校に通う児童の数だが、中州では急激な人口減と少子化が進んだ影響で、薫が分校に入学した時点でも三十人にも満たない状況だった。それが卒業時には二十人を切り、妹の楓が在籍していた時には十人そこそこにまで減ってしまう。
その分校も昭和の頃には、中州小学校として独立していた。つまり、当時の敷地や設備がそのまま使われていた為、広いグランドに加えて体育館やプール等、分校にしては施設が充実していたのである。
ちなみに、薫の両親が子供だった頃は小学校だけでなく中学校もあったそうだが、薫が分校に上がった時点で、その敷地は既に野原になってしまっていた。
本郷の集落の南東の外れには、中州の人達の氏神様でもある治水神社がある。この神社の分社は、本郷以外の集落にもあったのだが、本郷の神社は神主がいる立派なものだ。
その境内には高い木々が生い茂る小さな林になっていて、中州の子が大好きな遊び場だった。神社の隣には菩提寺があって、その裏側には割と広い墓地がある。その更に奥に昔は火葬場があったらしいが、薫が小学校に上がる前、祖父が亡くなった時には既に使われておらず、天王市の火葬場で荼毘に付された。
本郷の集落は、中州の真ん中より少し南の東岸に沿った場所にあったのだが、そのちょうど反対側の西岸に沿って西端の集落があった。ここには、大河の西岸に渡る舟乗り場があったらしい。
この西端には、集会所、神社、菩提寺があり、本郷に次ぐ規模を誇っていた。
中郷は、中州分校の北、八百メートル程の所に位置するこじんまりとした集落だった。
そして、南方は中州の南端、先崎は北端にあったのだが、どちらも薫が東京に行く頃には、十軒にも満たない小さな集落になってしまっていた。
昭和の頃、本郷の集落を東西に貫き水草邸に突き当たる通りは、ちょっとした繁華街になっていた。そこには飲食店が幾つも軒を連ねており、中州の外からも人がやって来る田植えや稲刈りの時期とかは、大層な賑わいだったという。
ところが、平成になってからは小料理屋数軒に加え、総菜屋、パン屋、酒屋、雑貨屋、クリーニング店、そして吉田商店しか残っていなかった。更に薫が高校生になった頃になると、中州にある商店は趣味でやっているような小料理屋を除くと、吉田商店だけになってしまったのである。
この吉田商店は小型のスーパーのようなお店で、食品や酒類から日用雑貨、文房具、一部の衣料品等が所狭しと置かれていた。それと、薫が高校生の頃になって加わった、小さなクリーニング屋も併設されていたのだった。
この吉田商店は、西端の集落にも小さな店舗を構えており、本郷以外の集落での唯一の店となっていた。
その他、買い物に関しては、公民館で定期的に各種販売会が行われていて、ちょっとした高級品も買うことができた。薫が小学生の頃は、中州の各農家もまだ余裕があって、それなりの購買力があったからである。
もっとも、水草家の場合、何かを買う際には、デパートの外商や業者を呼び付けていた。食料品についても通常は、吉田商店が届けに来てくれていたのだった。
★★★
中州には、薫の父が小学校に上がる頃まで橋が架かっていなかった。つまり、当時の中洲はニつの河で隔てられた完全なる孤島であり、渡し舟を使わないと外には出られない閉鎖的な土地だったわけだ。
その頃の中洲では、収穫された米や野菜は渡し舟で河向こうまで運ばれていた。逆に生活に必要な物は何だって渡し舟で運ばれて来る。
当時は、公民館にある診療所に医師が常駐してはいたのだが、その医者で対応できない急病人が出た場合、大急ぎで患者を渡し舟に乗せ、対岸の病院まで運んだらしい。梅雨《》の終わりの豪雨の時期や、秋の台風シーズンは大変だ。距離的には大都市名古屋から近いにも関わらず、山奥や海の孤島と同じである。
橋ができても中州の状況は、それほど大きく変わったとは言い難い。対岸の川田村に次々とスーパーやコンビニ等ができた頃だって、中州には一軒も進出しては来なかった。ゲームセンターもカラオケ屋といった、若者が楽しめる所は何も無い。
高校を卒業した若者が、中州から出て行ってしまって当然だった。
とはいえ、薫の子供時代、中州こそが生活のほぼ全てだったのだ。
中州分校に通っていた頃の薫は、いつも親友の美緒と中州を出て行く話をしていた。
中州は大きな箱庭に過ぎない。もっと悪い言い方をすれば、「檻の無い監獄」のような所だと、かつての薫は親友の美緒と話し合っていたのだ。
それでも中州は、そこで生まれ育った者達にとって、大切な故郷だった。
その故郷は、今はもう……。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
今回、後半は説明が続いてしまい、すいません。次話からは薫の子供時代の回想となります。
しばらくお付き合いくださいませ。
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