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第47話:天王池公園 <薫サイド>

再度、見直しました。

◆7月26日(日)


昨夜、久しぶりにお酒を飲んでハイテンションな気分を味わった水草薫みずくさかおるは、少し気だるい朝を迎えていた。


何だか起きたくない。


それでも、『時間を確認しなきゃ』と思ってスマホの方へ手を伸ばした所で、妹のかえでから声が掛かった。


「お姉ちゃん、いつまで寝てるの……なんだ、もう起きてるじゃん。もうすぐ七時二十分だから、早くご飯、食べなよ」


まずいと思った薫は、慌てて起き上がって、浴室に向かって行く。

シャワーを浴びて、適当に髪を乾かしてから、急いで朝ごはんをかき込んでいると、楓が薫の前に立って話し掛けてきた。


「ねえ、お姉ちゃん。こないだ、智也ともやくんをうちで預かる話があったじゃない」

「智也くんって?」

愛衣めいの弟だよ」

「あ、そっか」

「それでさあ、明日って、愛衣のお母さんもうちのお母さんもお休みでしょう」

「そだね」


そこで薫は立ち上がると、食べ終わった食器を流しに持って行く。


「あ、お姉ちゃん、私が洗っとくから……。でね、明日の夕方、愛衣んの三人、うちに呼んだらどうかなって思ってさ」


つまり、牧野愛衣(めい)の弟の智也を預かるに当たって、両方の家族で顔合わせをしておいた方が良いだろうということだ。

楓によると、愛衣の母親の由利ゆりが勤め始めた居酒屋「大衆酒場」は、月曜がお休みらしい。それに母の佳代もまた、明日の月曜は休みにしている筈だ。


「愛衣には、もうメールしてあるから、(エコ)マートで愛衣に会ったら、確認しといてよ」

「分かった。あ、でも、何を用意するつもりなの?」

「うーん、大したもんは、できそうもないよね。どうしよう?」

「もう。えーと、カレーとか?」

「どうなんだろう。夏だし、もっとさっぱりした物の方が良いかもね」

「じゃあ、そうめんとか? あ、ざるきしめんとか?」

「ざるは無いから、お皿に載せるけどね」

「後は、サラダだね」

「私、ポテトサラダ作るよ」

「うーん、そんなんで良いんかなあ……。まあ、いいや。愛衣ちゃんと話しとく」

「うん。宜しく」



★★★



今日の薫は、牧野愛衣(めい)と一緒に朝八時から夕方の五時までのシフトだった。


薫がEマートのお店に入って行くと、日比野ひびの店長と大学生の大島が迎えてくれた。

大島が何か話したそうな感じだったけど、この時間は忙しいので、すぐに薫はレジに入ってしまう。隣のレジでは、既に愛衣が働き始めていた。


レジからお客さんがいなくなると、店の隅に立っている大島の所に歩いて行く。


「どうしたの?」

「あ、水草さん、おはようっす」

「もう、元気だね」

「はい。寝てないと、結構ハイになる方なんで」

「ふーん、そうなんだ。で、何なの?」

「あ、はい。実は、小さい会社なんですけど、一応、正社員のエンジニアってことで内定もらったんで、報告ってことで」

「へえ、良かったじゃない」

「いやいや、従業員三百人くらいの小さなメーカーなんで、微妙な所ではあるんですけど」

「何のメーカー?」

「電子部品です」

「そっか。おめでとうだね」

「ただ、給料はあんまり良くないんで、寮に入って、相当に慎ましい生活しないと奨学金は返せそうにないかなって」

「なるほど。確かに微妙だね」

「でしょう。それに、業績が悪化してボーナスが出ないとかになると、一気に食べられなくなりそうだし……」

「まあ、その時はその時だよ」

「一応、店長に頼んで、休日だけでも働かせてもらおうかと思ってます」

「良いんじゃない。頑張ってみなよ」

「はいっ、ありがとうございましたあ」


大島は、それだけ言うと帰って行った。確かに微妙な所なんだろうけど、就職先が見付からないよりは、ずっと良い。

彼は好青年だし、薫と違って、会社側の受けが良かったんだろう。


パぴパぴ……

「「いらっしゃいませー」」


入って来たのは、これから車でお出掛け風の中年女性三人組だった。そうかと思うと、すぐに家族連れが入って来る。


さっきの大島の話で少し心が温かくなった薫は、愛衣一人だとレジが混みそうだったので、いつもより少しだけ軽いステップでもうひとつのレジの方に向かって行った。



★★★



午前中は割と客が多くて、薫は愛衣に話し掛ける機会がなかなか無かった。

それでも、まもなく十一時になろうかという頃になって、ようやく客足が途切れた。

すると、愛衣がさっと寄って来て、いろいろと話し始めた。


「あの、明日、お招き頂いた件なんですけど、本当に大丈夫なんですか?」

「あ、もちろん、うちは大丈夫だけど……と言っても、うちの母親にはまだ話してないんだけど、反対しないと思うから大丈夫だよ」

「でも、悪いなと思って。お世話になるのはうちだから、本当はこっちがお招きしなきゃなんないのに」

「そんなの、どっちでも良いと思うよ。それより、まあ、当然といや当然なんだけど、うち、狭いよ」


薫がそう言うと、愛衣は少し笑った。


「知ってます、って言うのも、本当は失礼ですよね」

「まあ、お互い様だよね。あ、それと食事なんだけどね、きしめん茹でるのと、サラダだけなんだけど……」

「全然、大丈夫です。ていうか、嬉しいです。えーと、だったら果物でも持って行きますよ」

「良いよ、そんなの」

「大丈夫ですよ。最近、お母さんが大衆酒場の余った食材、持って来てくれることがあるんです。今、古くなった葡萄ぶどうとかあるんで……って、それじゃ駄目か。やっぱ、もっと良いの無いか、お母さんに聞きてみますね……あ、お客さんだ」


パぴパぴ……。

「「いらっしゃいませー」」


それからも、愛衣とは何度か言葉を交わした。昨日の土曜も夕方五時迄は愛衣と一緒だったのだが、ずっと忙しくて、ほとんど話ができていなかったのだ。

一番に気になっていたのは愛衣の父親のことだが、あれからアパートには来ていないらしい。鍵は金曜日に買って、もう取り替えてあるそうだ。それでも、不在時に誰かがアパートに来た痕跡は残っていないという。


それと、愛衣が母親の由利と話した時、由利が「やっぱり、何とかして離婚できないかねえ」と呟いていたらしい。当然、愛衣も賛成である。これから何をするにせよ、あの父親の存在が足枷になるからだ。

。それに対して薫は、「私も考えてみるね」と答えておいたのだった。



★★★



その後、お昼の忙しい時間がやってきて、それが落ち着いた午後一時半頃、薫は愛衣めいに続いて休憩室で昼食を取っていた。

その時、薫が頬張っていたのはコンビニのじゃなくて、妹のかえでが手で握ってくれたおにぎりだった。それを休憩室の小さな冷蔵庫に入れておいて、レンジでチンして食べていたのだ。それとキューリが一本。やはり自宅から持って来た奴で、塩を付けて丸かじりだ。

ちなみに楓が作ったおにぎりは、前は全然おいしくなかったのに、薫の親友の水瀬美緒みなせみおに教えてもらってからは見違えるよに上達した。今では、少し固くなったコンビニの破棄品なんかより、ずっとおいしいと自信をもって言える。

それらをちょうど薫が食べ終えた時だった。休憩室のドアが軽くノックされたかと思うと、愛衣がひょっこりと顔を出して言った。


「薫さん、こないだの彼氏さんが来てますけど、大丈夫ですか?」


愛衣がそんな聞き方をしたのは、こないだの火曜日、薫が泣いていたのを、やはり彼女も知ってるからだろう。

それでも薫が「分かった。すぐ行くよ」と言うと、彼女は何故かほっとした顔をした。


そうやって愛衣には返事をしたものの、薫は内心、うろたえていた。

もちろん、愛衣が薫の彼氏と呼ぶ存在は、藤田(かける)しか思いつかない。正直な所、『何しに来たんだろう』という思いが強かった。

可能性としてあるのは、水瀬美緒みなせみおか山口沙希(さき)が彼に何かを吹き込んだことだ。そのどちらにも、彼とケンカ別れしたことを伝えてある。

彼は、ほとんど薫の現状を知らないし、知ろうともしていない。それなのに、彼の目線で薫のことをあれこれ言って来るから、薫は彼にカチンときたりするのだ。


そのことは、美緒も沙希も充分に分かってくれている筈で、彼に忠告めいたことを言ってくれたりしたんだろうか?

うーん、美緒はともかく、沙希だったら強い口調で言ったりしてそうだ。


だけど、そんなの今更だ。

本当は、もう二人でなんか会いたく無い。ていうか、昨夜、彼にはもう会わないと決めたばかりなのだ。なのに、その次の日に彼がここへ来ちゃうなんて、はっきり言って迷惑だ。


それに薫には昨夜、少々はしゃぎ過ぎたという自覚があった。


たぶん、彼が嫌がることとかはやっていない筈だけど、それにしたって昨日の今日で会うなんて、恥ずかし過ぎる。


ああ、会いたくないな。


そうは思ったものの、行かないと、愛衣にだって迷惑を掛けてしまうだろう。

仕方なく薫は立ち上がると、重い足を引き摺るようにして店の方に戻って行った。



★★★



薫がバックヤードの扉を開けた時、元カレの翔は背を向けて立っていた。ポロシャツにハーフパンツといったラフな服装で、足元はスニーカーだった。もちろん、薫みたいに汚れて穴が開きそうなのとは違う。見た感じ新品で、しかも相当に高そうなブランド品だった。

近付いて行くと、彼が眺めているのは新製品のスナック菓子の棚だと気付いた。彼は、そんなお菓子は食べないだろうに……。


「翔くん、お待たせ」


薫が声を掛けると、彼はすぐに振り向いてくれた。


「悪いな、食事中の所、呼び出してもらったりして」

「ううん。もう食べ終わってたから、大丈夫だよ」


そう言って薫はランチ休憩の残り時間を彼と過ごすべく、店を出ることにした。愛衣には「三十分で戻るから」と伝えておく。


「ごゆっくりどうぞ。でも、時間どおりに戻って来て下さいね」


愛衣には、きちんと釘を刺されてしまった。

と言っても、普段の薫は十五分程しか休まないし、愛衣だってそうなので、これは相当に寛大な取り計らいではあるのだけれど……。



★★★



薫は彼の前に立って、天王池公園の方に向かってずんずんと歩いて行く。


さっき、ちらっと見た彼の表情は、何となく緊張した面持ちだった。やっぱり、美緒か沙希に何か吹き込まれたというのは、正解なのかもしれない。

だったら、何を吹き込まれたんだろう……。


あ、そうだ。ひょっとして、あのことかも?


その時、薫の頭にひとつの可能性が浮かんだのだ。


ひょっとして、あの二人、私が軍に入ることまで言っちゃったのかも。


その可能性を思い付いたことで、ほんの少しだけ薫は顔をしかめた。


朝方は真夏らしい天気だったのに、今は雲が出て陽が陰ってきている。相変わらず空気はじめっとしているけど、肌がじりじり焼かれるような暑さよりはましだ。


薫は、振り返って彼の顔を見るのが怖くなってしまった。だから彼女は立ち止まらずに、ずっと彼の前を行く。


美緒か沙希から私が軍に入ることを聞かされているとして、どうやって彼はその話を持ち出してくるんだろう?

「戦場には行くな」とでも言ってくれるんだろうか?


いや、彼はそんな情熱的な男ではないし、そんなこと言われたって困ってしまう。

そもそも、あの彼のことだ。こうして呼び出しておいて、結局、何も言ってくれないことだって充分にあり得る気がする。


まあ、いいや。

そんなことは、もうどうだっていい。


私は、もう決めたんだから。


ぼんやりと色々なことを考えているうちに、天王池のほとりに着いてしまった。

薫はその場にしゃがみ込むと、近くの水面みなもをじっと見詰めた。そこには無数の蓮の葉が浮かんでいて、まだ花もちらほらと残っている。それらの間を小さなアメンボがスイスイと滑って行く。


すぐ後ろに彼が立ったのを感じて、薫は言葉を放った。


「ねえ、昔よく一緒に見た亀さん達、まだいるかな?」


よし。普通の声だ。


薫の問い掛けに、彼は「まだその辺にいるんじゃないか? 亀は長生きだから」と答えてくれた。声が心持ち震えていて、何となく空々しく聞こえる所が翔くんらしい。

どうせ最後なんだから、もっと上手に演じて欲しいのだけれど、やっぱり彼には無理なのかな。


しばらくの間、二人で亀の姿を探したけど、どこにも見付からなかった。


「なあ、薫。お前のこと、いろいろと聞いたんだけど……」


彼が言おうとしたことをいち早く察した薫は、さっと立ち上がって「ねえ、弁天島の方に行ってみようよ」と誘った。そして、おもむろに彼の手を取ると、その彼を引きずるようにして歩き出す。


弁天島は、天王池の中にある小島で、池の端とは赤く塗られた木製の橋で繋がれている。その橋の欄干の先に、さっきあれほど探しても見付からなかった亀たちを発見した。


「いたいた。亀だよ。ほら、翔くん、あそこにいっぱいいる」


薫は、子供のようにはしゃいだ声を挙げてみた。

彼は、橋の途中の手すりから身を乗り出して、無言のまま亀たちを見詰めている。だけど、まるで操り人形のような仕草だ。少なくとも私には、そんな風に見えてしまう。


「ほら、早く行こうよ」


薫がそう言って促すと、彼はようやく弁天島の方に歩き出してくれた。


薫は、想像してみた。


ここは、今までの辛い過去と未来とを繋いでいる橋だ。未来が今より明るいとは思えないけど、今と違うってことだけは確かな筈だ。今、私はそっち側に足を踏み出そうとしているんだ。


でも、そこに翔くんはいない。

翔くんは、私にはもういらないから。


彼の手を放して先に歩き出した薫は、彼より先に橋を渡り終えると、クルッと振り向いて彼に言い放った。


「ねえ、翔くん。私、軍に入ることにしたよ。もう決めちゃったから」


薫は、今日、始めて彼の顔をじっと見た。その顔が一瞬でゆがんでしまう。薫は、そんな顔を見たくはなかった。

翔くんには、いつだって笑っていて欲しい。


だから薫は、再び彼に背を向けて速足で歩き出す。弁天島の中央に向けて、どんどんと先に行ってしまう。


弁天島の中は小さな公園になっていて、よく手入れされた草花が咲き乱れていた。

まるで天国のようだと、薫は思った。


「薫、待てよ。待って俺の話を聞け」


彼がそう言いながら、薫の後を追い駆けて来た。薫は「嫌だよ」と短く言って走り出す。


愛衣めいはエプロンだけだけど、薫の場合は上下共にコンビニの制服を着ている。膝丈のスカートがちょっと走りづらいけど、そんなことは気にしないで、全速で小島の中を駆け回る。まるで子供の頃に戻ったみたい。


この公園は、小さい頃から何度も両親とかに連れて来てもらった場所だし、小学生の時は遠足でも何度か来た。遠足の時は、お昼のお弁当をこの弁天島で食べて、その後はいつも鬼ごっこをやった。


そう言えば高校の時、剣道部のみんなとここで鬼ごっこをして遊んだことがあったな。

あれは確か三年の夏、コロナ禍のせいで県大会が中止になって、その残念会ってことだったっけ。夏休みに入ったばかりのちょうど今ぐらいの時期で、本当はマスクをしてどっかに籠ってなきゃダメなんだけど、親達には内緒でここに集まったんだ。

沙希にとってはインターハイに行く最後のチャンスだったのに、本当に可哀そうだった。それで確か松永くんあたりが急に言い出して、ゲリラ的に集まったのがこの小島だった。

私は、翔くんと一緒に天王市の図書館にいたから、すぐに駆け付けることができた。


その時、空には真夏の太陽がギラギラとみんなを照り付けていて、一番汗っかきの圭介けいすけが「何でこんな時間にこんな所に呼び出したりしたんだよぉ」とブーたれていたのを、薫はよく覚えている。

それなのに、その圭介が突然、こんなことを言い出したのだ。


「なあ、鬼ごっこしないか。俺さあ、小学校の遠足の時、ここで鬼ごっこやって、すっごく楽しかったんだ。なあ、やろうぜ」


圭介はそう言うと、翔を最初の鬼に指名した。その瞬間、誰もが本気で四方に散って行く。

薫も必死に走ったのに、翔がどんどんと薫の方に迫って来て、気が付くと捕まってしまっていた。


「こら、薫ったら待てよ」


大人になった翔の声は、薫のすぐ傍で聞こえた。

と思ったら、背中から突然抱き締められた。懐かしい男の汗の匂いに、薫の鼓動が跳ね上がる。

でも、薫は素直にはなれないし、なっちゃいけないと思った。


 だって、これは真剣ゲームなんだもの。


「離してよ、翔くん。苦しい」

「嫌だ。薫がちゃんと俺の話を聞いてくれるまで、ずっとこのままだ」


薫は、彼の腕の中で必死にもがく。でも、ちゃんと分かっていた。薫がどんなにもがいても、男の人の力では逃れられない。


「分かった。聞くよ。聞くから」


薫がそう言って、やっと彼の腕がほどかれる。それでも、彼はまだ不安なのか、薫の左手は彼にぎゅっと握られたままだ。


その時、薫の目に突然の光が飛び込んできたかと思うと、ドドーンとお腹に響く大きな音がした。

「えっ、爆発?」と思って身構えたら、雷だった。

頬に大粒の水滴が当たる。まずいなと思ったら、いきなりザァーっと激しい雨が降り出した。すぐに長い髪が頬に張り付いてしまって、気持ちが悪い。


薫の左手が強い力で引っ張られた。「走るぞ」と彼が叫ぶ。そして、二人して、小島の中央にある東屋あずまやに飛び込んだ。


「薫、お前って、相変わらず雨女だなあ」


彼のその言葉で、薫は大学時代のことを思い出す。

あの頃、薫は、彼と一緒にいつも出歩いていた。デートと呼ぶには少し微妙な、ただ二人して歩くだけのものだったけど、確かに傘を差しての散歩が多かったように思う。いつもどっちかが傘を持ってなくて、一緒の傘に二人へばり付いて入ってたような……。


「私じゃないよ。翔くんが雨男なんだよ」


薫が拗ねて口を尖らせてみせると、彼もちょっと拗ねた顔で「どっちでもいいだろ。そんなこと」と言った。

『翔くんが最初に言い出したのに、ひどい』と思った薫は、大声を張り上げた。


「良くはないよ。全然良くない。あれは私の大切な思い出だもん」


しばらくは、沈黙が続く。その間、激しい雨が東屋の屋根を叩いている。随分とうるさい。

薫は、その音が戦闘機からの機銃掃射の音に似ていると思った。時折、ドドーンととどろく落雷は、戦車が放つ砲弾だろうか?


薫が目線を上に向けると、彼は困惑した様子でじっと薫の顔を見詰めていた。

薫にとって今でも大切な彼に、そんな顔をさせてしまっていることが、薫には悲しかった。


今の自分はみじめだ。私なんて消えてしまえばいいと思う。このまま意識がすうーっと遠のいて、この世界から居なくなってしまえばいいんだ。


そうして、別の世界で生まれ変わろう。その世界で私は、幸せな女の子になる。翔くんなんていなくても、きっと幸せになれる。


大丈夫。きっと戦場で決着を付けられる。

この世界のことなんて、全部が無かったことにしてしまえる。


周囲が明るく光って、ひときわ大きな雷鳴が轟く。


その直後、彼が大声で何かを叫んだ。


「お前、戦場がどういう所か分かってんのか。戦場ってのは、人を殺す所なんだぞ」


薫は一瞬、混乱した。


えっ、人を殺す所? 人に殺される所じゃないの?


「お前に人が殺せるのかよ?」


薫はハッとなった。

辺りがまた光ったかと思うと、もう何度目かの雷鳴が轟く。


「殺せるよ」


気が付くと、薫は叫んでいた。


「男だって、女だって、老人だって、子供だって、みんな、みーんな、殺してやる。殺して、殺して、殺しまくってやるんだ」


これは、呪いだ。私に掛けられた「殺人の呪い」だ。


雨脚あまあしが急に弱まった。雷も収まり、さっきまでが嘘のように雨は止んでしまった。


「行こう」


呟くように彼が言って、薫より先に歩き出してしまう。薫も無言のまま、その元カレの後を追った。

服が雨水を吸っているせいで、身体からだが重い。足元の古いスニーカーが、ちゃぽちゃぽと音を立てる。


薫は、弁天島の方から赤い橋を渡って、現実の世界へと戻って行く。


二人の前方には、大きな虹が架かっていた。


『ああ、虹だ』と薫は思った。


私は、鬼ごっこをしてもすぐに捕まってしまう。


そうだ。圭介はもう鬼ごっこもできないんだ。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次話も薫視点で、今日の続きになります。


もし宜しければ、感想、ブックマーク、いいね、評価をして頂けましたら大変嬉しいです。宜しくお願いします。

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