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第46話:翔の焦燥 <翔サイド>

再度、見直しました。


藤田(かける)が久しぶりに帰国して実家のある天王市に戻った最初の日曜日、朝早く女友達の山口沙希に呼び出され、和風の喫茶店、喫茶愛愛(あいあい)で元カノの水草薫みずくさかおるのことをあれこれと聞かされた後、店を出た翔は、酷く動揺していた。


外の熱風に再びさらされた翔は、まだ酷く混乱していた。

 正直な所、今の話は自分にとってキャパオーバーだ。記憶をどんなに遡ってみても、これほど重い課題に直面したことは無い。強いて挙げれば、父親が死んだ時と薫に振られた時くらいだろうか。

これまでの翔の人生は、それだけ順風満帆だったということだ。


そう言えば、薫に振られた時のことだ。


あの日は翔にとって学生最後の日で、翌日に入社式を控えていた。

巣から旅立つ前の雛鳥ひなどりのように翔は怯えていて、自分以外は全く見えていなかった。

それでも翔の前には青空が広がっていたし、翔には立派な翼だってあって、それを使えば空に舞い上がることなんて造作もないことだった。単に初めてのことだからと、翔は甘えていただけなのだ。


薫の場合は、全く違っていた。彼女は巣から地面に落ちて、瀕死の状態にあったのだ。もう二度と飛べないかもしれない。それどころか、いつ命を失うかも分からない絶望の淵に追い込まれていた。


就職に失敗したことで、薫がそこまで追い詰められていただなんて、翔は全く思いもしなかったのだ。


あの日、翔が薫にしたことは、傷付いた小鳥に唾を吐くような行為に他ならない。

それなのに翔には、ただ一方的に別れの言葉を告げられたといった認識しか無くて、それからの三年間、薫が何であんなことを言ったのか、ずっと考え続けてきた。

だけど、自分が被害者だと思い続けている限り、その疑問は永遠に解けなかったことだろう。


――私達って、もう会わない方が良いよね。


この言葉を発した時の薫は、どれだけ心を痛めていたことか。

やっとそれに思い至った翔は、過去の自分を思いっ切りぶん殴ってやりたくなった。


「翔、ごめんね。私、ちょっと言い過ぎちゃったかも」


翔の悲壮な表情を見た沙希が、おずおずと声を掛けてきた。さっきは、その沙希だって少々取り乱した様子だったのに、今はすっかり普段どおりに戻っている。


「それで、どうしよっか?」


翔には沙希が何を言いたいか、この時だけはよく分かった。

今更、翔にできることなど、ほとんど無いのかもしれない。でも、まずは本人に会って確かめてみよう。


「今日にでも薫に会って、話してみるよ。たぶん、すぐそこの(エコ)マートでバイトしてると思うからさ」


翔がそう言った時、沙希は微笑みながら頷いてくれた。


「分かった。あ、それで、薫と会って話した結果だけど……」

「ああ、ちゃんと後で報告してやるよ。こっちからコンタクトするから、待っててくれ」


この時の翔は特に深く考えもせず、沙希に向かってそう言ってしまった。

そのあとで沙希は、やはり微笑みながら「うん、待ってるから」と返してきた。


「あ、沙希、今日はありがとうな。わざわざ来てくれて」

「いいよ、そんなこと。あ、タクシー来たみたい」


その時、店内で沙希が呼んだセルフのタクシーが狭い路地へと入り込んで来て、喫茶愛愛(あいあい)の店の前で静かに停まった。

沙希がそれに乗り込む前に、もう一度、翔は彼女にお礼を言った。それから翔は、彼女が乗ったタクシーが見えなくなる迄、手を振って見送ったのだった。



★★★



翔が家に帰ると、迎えてくれたのは、祖母の初枝はつえだった。


「あら、翔、お帰り。学校、もう終わったのかい?」

祖母ばあさん、今は夏休みだよ」

「あら、そうかい。じゃあ、部活かい?」

「まあ、そんなもんだよ」


翔は内心で、『今日は日曜だけどね』と付け加えるのだが、口に出しては言わない。余計なことを言うと、祖母が混乱するからだ。


祖母の初枝に認知症の症状が出始めたのは、翔が今の会社に就職した頃のことだった。大学の頃から既におかしい所はあったのだが、まだ翔も母の恵美も、単に物忘れが酷くなったくらいにしか考えていなかった。

ところが、大学の卒業式の後に帰省した翔が、再び東京に戻った際、急に初枝が「あきらが居ない、晶は何処どこに行った?」と喚き出したそうだ。

あきらというのは、翔の父親の名前であり、翔が高校三年の夏に亡くなっている。

母の恵美は初枝から「あんたがあきらを隠したんだろう?」とまで言われてしまい、これは唯事じゃないとなったらしい。それで倉橋の人達と一緒に初枝をなだめ、何とか市民病院に連れて行ったのだそうだ。

翔が水草薫に振られた、ほんの数日前のことだった。


もっとも、その時の症状はすぐに収まって、その後、定期的に病院に通って薬を飲むようにしたことで、しばらくは何も起こらなかった。

だが、認知症には、未だに特効薬がない。初枝が飲んでいる薬も、単に病気の進行を遅らせるだけのものだ。

もう随分と前から、認知症特効薬の開発は、もうすぐ目途が付きそうだと言われてはいるが、未だに実現していないのだ。


今回、実家に帰るに際して祖母のことは翔の心配事項のひとつだったのだが、思ったよりは症状が軽くて安心した。ただ、それでも時々は翔のことを父のあきらと間違えるし、今日みたいに翔がまだ高校生だと思い込んでいることも良くある。

同じことを何度も繰り返したり、聞いてきたりもするので、何かと面倒なのだが、翔の場合、この家に居られるのは四週間だけなので、時間がある限りは付き合うようにしていた。



★★★



山口沙希と喫茶愛愛(あいあい)で会った後、実家に戻った翔は、自室で沙希から得た情報を何度も反芻していた。

最初は、すぐにでも足をコンビニ(エコ)マートに向けようと思ったのだが、思いとどまった。こんなにも頭の中が混乱した状態で、何を薫に話して良いのか分からなかったからだ。


だけど、少しぐらい時間を掛けた所で考えがまとまるような内容ではないと思った。

たぶん、翔は薫に謝るべきなんだろう。それは、火曜のケンカ別れの時のことだけじゃなくて、自分の過去の行い全てを誤るべきなのだ。

自分が、それだけ彼女に酷い仕打ちをしてきたことは、明白だった。彼女の立場に立って考えてみれば、明らかに自分は酷い男だ。


だけど……と翔は考える。


いきなり俺が薫に謝ったって、何が変わるというんだろう。果たして、そんなことで今の彼女が喜んだりするだろうか?


答は、(NO)だ。


だったら、この俺はどうすればいい?


ひとつ、考えられることは、彼女の家の借金を肩代わりすることだ。

それと、母の恵美に頼み込んで、彼女を藤田コーポレーションで雇い入れることもアリなのかもしれない。


だけど、それって俺が、薫の全てを面倒見るってことにならないか?

もっと簡単な言葉で言うならば、それは彼女と結婚するということなんじゃないのか?


結婚相手でもない相手に多額の援助をするなんて、不自然極まりないことだからだ。

とすれば、薫にプロポーズして、それから、相手の親に挨拶して、けっこんの了解を得て、更に母の恵美にも了解してもらうということになる。


いや、そんな回りくどい言い方はすべきじゃない。


そこまで考えて、ようやく翔は、今まで自分が直視してこなかった問題に初めて思いを巡らせた。

つまり、翔の妻になるということは、藤田家の嫁になるということなのだ。


翔の父、あきらが病死した後、今の藤田コーポレーションは、恵美の弟、畠山竜馬はたけやまりょうまが社長を務めており、恵美は専務として竜馬を支えるといった形を取っている。それは、女の恵美が社長となるよりは、竜馬が社長職を務めた方が対外的に良いだろうといった判断からだ。

しかし、会社の株の大半は未だに恵美が握っており、本当の実験は恵美にあると言って良い。

畠山竜馬に子供は一人、翔より五つ年下の紫帆しほがいるだけだ。しかも、紫帆には藤田の血が流れていない。

となれば、当然、将来の社長は翔ということになる。しかし、翔は、自分が藤田の後を継ぐことを、まだ決断しかねていた。


例えば、藤田の血には拘らず、社内から社長の素養がある者を選ぶといった考え方もあるだろう。藤田コーポレーションは、未だに株式を上場してはいないが、そろそろ上場を考えるべきだといった意見は前々からあるのだ。

となれば、当然、そういったことも検討すべきだ。


とはいえ、藤田の嫁が簡単に決められることにはならない。

もちろん、翔の一存で自分の好きな女性を妻に迎えることだってできなくはないのだが、そうした考えは最初から彼には無かった。生まれた時から翔は、両親に藤田の家の跡継ぎとしての立場の重さを常々教えられて育ったのだ。

それは、たとえ翔が藤田コーポレーションの社長にはならずとも、藤田家当主の座からは容易に逃れられないということだ。つまり、社長の座は他人に明け渡し、上場して持ち株の比率が下がったとしても、当分の間、藤田家が藤田コーポレーションのオーナーではあり続けるからである。

翔は、それが藤田家嫡男として生まれてきた者の務めだと思い込んでいた。即ち、それは、彼の妻にもそれ相応の役割が求められるということなのだ。


翔は、そうした役割が薫に務まるかどうかは気にしていなかった。彼女なら、当然、務まると思っているからだ。


ただ、それを彼女が望むかどうかは、別の問題である。


そして、薫を母の恵美が受け入れるか、更には藤田の一族が受け入れるかどうかは、全くの未知数なのである。



★★★



エアコンの効いた自室のベッドの上に横たわりながら、藤田翔は、長々と考え込んでいた。

途中、翔は寝返りを打って、壁側へと顔を向けた。そして、白い壁紙をぼんやりと眺めているうちに、ふと思い出してしまった。


そうだ。ニューヨークの山森支社長に言い渡されたミッションのことを忘れていた。

そもそも、翔が今回、一時帰国した理由のひとつは、名古屋支社でのお見合いである。ということは、薫のことだって、それと合わせて考える必要がある。


翔は、中山支社長が翔に引き合わせてくれた三人の女性のことを思い返してみた。その中には一名、残念な性格の子も混ざってはいるが、それでも三人とも藤田の嫁として考えた場合、充分に合格ラインを越えているように思う。

恐らく中山支社長は、藤田の嫁となることを視野に入れた上で、あの三人を翔に引き合わせてくれたんじゃないか?


とはいえ、結婚できる女性は、一人だけだ。


翔は、じっと考えてみた。そして、翔の頭に浮かんだのは先週の金曜日、二人で様々なことを語り合った女性、桜木莉子(りこ)の優しげな笑顔だった。


もちろん、彼女との関係が本当にうまく行くかどうかは、まだ未知数である。

だが、それは水草薫についても同じこと。むしろ、薫の方がハードルは高い。何故なら、彼女とはケンカした状態にあるのだから。

そして、金額は分からないが、彼女は大きな借金を抱えていて、家は没落しているらしい。今は、満足に身なりを整えることもままならない程に、生活は困窮しているのだ。

そんな女性を藤田の嫁として母の恵美に紹介することを思うと、翔は正直、気が重かった。


そう言えば、高校時代、一度だけ薫を家に連れて来たことがあったな。あの時は偶然にも母の恵美が家にいて、薫にとっては突然の事態だったにも関わらず、彼女は不思議とうまく対応していた。

もっとも、動じない女の薫が、人前であがるといったことは考え難いのだが、その一方で彼女は人見知りである。そんな彼女にしては、あの時はうまく振舞っていたように思う。後で聞いた時の恵美の評価も決して悪くは無かった。

だが、あくまでそれは、高校の時の評価だし、まさか恵美だって、薫を翔の嫁候補として見ていたとは思い難い。たぶん、参考にはならないだろう。


ここまで考えても、薫に会いに行った時、彼女にどう接したら良いか翔には分からなかった。


唯一、翔に思い付くのは、過去の不誠実な行いを詫びた上で、彼女と腹を割って話し合うことくらいだ。

ただし、たとえ真剣に謝ったとしても、その先の話し合いに彼女が応じてくれるかは未知数だ。昨日の彼女の様子からすると、翔には何となく拒絶されてしまうように思えた。


でも、だったら、どうすれば良いのだろうか?


翔には、それ以上のことは何も思い浮かばなかった。

そして、この期に至ってもまだ彼には、水草薫が今いったい何を悩んでいて、何を望んでいるのかといった普通、親しい者が当然のように考えることには、未だに思い至らなかったのだった。



★★



結局、どんなに考えた所で、なかなか結論めいたものは得られ層の無かった。それで翔はしばらくの間、ベッドの上で悶々としていたのだが、急にドアがノックされて彼は現実に引き戻された。


「翔さん、お食事の準備が整いましたので、食堂の方にいらして下さいませ」


上品な女性の声は、倉橋彩音(あやね)のものだった。

倉橋家は、藤田家に代々使える番頭の家柄である。今の当主は倉橋悠介で、彼は藤田コーポレーションの管理担当常務取締役。そして、その妻が倉橋彩音だった。

会社の方で働く夫に対し、彩音は藤田の屋敷の方を支えるのが仕事である。とはいえ、昔とは違い、今は家での仕事はそれほど必要としていない為、家政婦として常に働くのではなく、来客等のイベントがある時だけ手伝いに来ることになっていた。


今日、彩音が藤田家に来てくれているのは、翔が帰って来ている中、母の恵美が日曜にも関わらず仕事だからだろう。彼女は恵美に代わって、初枝や翔の昼食の準備をしてくれているわけだ。

翔が大学生の頃、恵美がいない時の昼食は祖母の初枝が作ってくれていた。初枝は、もう料理はしなくなったんだろうか?


リビングダイニングに入って行くと、そこには既に祖母の初枝はつえがいて、翔を待っていた。その祖母は、片側に四人がゆったりと座れる大きなダイニングテーブルにポツンと一人で座っている。その祖母の背中が妙に小さく見えてしまい、翔は思わず息を飲んだ。


祖母ばあさん、お待たせ」


翔は祖母の初枝に軽く声を掛けてから、彼女の対面に座った。

テーブルには既に箸と野菜サラダが置かれている。翔が席に着いたのを見計らってか、そこに二人の女性が入って来た。二人とも地味な着物姿の上にエプロンをしている。


一人目は先ほど翔に声を掛けに来てくれた倉橋彩音。彼女は、翔の母、恵美よりやや若い五十代半ばで、常に笑顔を絶やさないにこやかな女性だ。

そして、もう一人は今年二十歳になる倉橋花音(かのん)。倉橋家には三人の娘がいるが、彼女はその末っ子で、やや気が強いきらいのある上の二人とは違って、おっとりとした性格をしている。従妹いとこ畠山紫帆はたけやましほと同じ歳で、今は地元の大学に通う女子大生だ。

先に花音の方が持っていたどんぶりを初枝と翔の前に置いてくれる。中を見ると、冷たいきしめんだった。

そして、彩音が持って来たものはというと……。


「えっ、天ぷらですか? お昼から、わざわざ天ぷらとか……」

「はい。せっかく翔さんが帰っていらっしゃったんで、手間を掛けました……というのは、建前で、今夜、翔さんの歓迎会をするので、その為の準備を始めてまして」

「歓迎会ですか? 俺、聞いてないですけど」

「えっ、そうなんですか?」

「まあ、母さん、そういう所はわりかしいいかげんだから、忘れたんでしょう」

「ふふっ、そうですね」


彩音とそんな会話をした後で、翔は初枝の前で頂きますを言ってから、食事を始める。

冷たいきしめんは茹で方が絶秒で、汁もカツオの出汁が利いていておいしかった。揚げたての天ぷらも衣がサクサクで最高だ。

翔が思わず「おいしい」と呟くと、傍で見守っていてくれた花音が「ありがとうございます」と言って、微笑んでくれた。



★★★



昼食を食べ終えた翔は、もう一度、軽くシャワーを浴びた後、服を着替えた。とはいっても、ポロシャツにチノパンは変わらない。さっきとは色が微妙に変わっただけだ。

もちろん、外出する為だった。


再びリビングダイニングに出て行くと、台所の方で彩音と花音がせわしなく働いている。

すぐに彩音が翔の姿に気付いて、声を掛けてきた。


「あら、翔さん、外出ですか?」

「はい。少しだけ出てきます」

「外は暑いので、お気をつけて。それと、夕食会は六時くらいからですので、それまでにはお戻りになって下さいね」

「今日は、叔父さんも来られるのですか?」

「はい。畠山はたけやま夫妻も、ご出席されるとのことです。それと、倉橋うちは五人で参加させて頂きます」

紫帆しほは?」

紫帆しほさんは、まだ東京みたいですよ」

「まあ、今頃は、やっと試験が終わった所でしょうからね。まだレポートとかが残ってるのかもしれない」

「なんか、お友達と旅行に行かれるとかで、お盆前にならないとこっちには来られないそうです。残念ですけど」

「なるほど。あいつらしいな」


畠山紫帆はたけやましほは、翔のたった一人の従妹いとこである。従妹とは言っても、家は隣だし、翔も紫帆も一人っ子同士なので、実際には兄妹に近い関係だ。五歳も離れているので小さい頃は可愛かったのだが、いつの間にか口が随分と達者になってしまった。今は非常に生意気で少々うっとおしい存在である。


外に出る前に、左手首のウェアラブル端末で時刻を確認してみる。まもなく一時半といった所だ。

まあ、ちょうど良いだろう。


翔は、彩音に「行って来ます」と言って、思い切って外に出た。


彩音が言ったとおり、外は相変わらず暑かった。ただ、先程よりも雲が多い気がする。見上げると、立派な入道雲が少し遠くに見える。これは、夕方辺りに一雨あるかもしれない。

そんなことを思いながら、翔は近所のコンビニ(エコ)マートの方へと足を向けた。

もちろん、目的は水草薫に会う為である。


気楽な風を装って家を出た翔だったが、実はひどく緊張していた。

昼前にあれこれ考えてはみたのだが、結局、元カノの水草薫に対して、どのように話を持って行けば良いのかについては、何も思いつかなかった。つまり、作戦らしいものは全く持ち合わせていないのだ。

それでも、こうして出て来てしまうのが藤田翔という男である。作戦が無いにも関わらず彼がこうしてEマートに向かっているのは、山口沙希と約束したからだ。約束を守らなかった時の沙希は怖い。

だが、それ以前に彼のこうした行動は、彼本来の性格による所が大きい。いくら悩んだ所で余程の事が無い限り、彼はその悩みを長引かせることはないし、事前に決めた行動を変えることもない。


悩んでたって仕方がない。

たぶん、何とかなるだろう。

もし駄目だったら、その時、考えれば良いさ。


これらが、翔の行動原理である。

楽天家と言えば聞こえが良いが、要は物事をあまり深く考えないたちなのだ。


今までの翔の人生において、大概の事はうまく行った。だから、きっと大丈夫だ。


こうした根拠のない経験則が、彼の発想の根底にはある。

藤田コーポレーションの社風は、石橋を何度叩いても渡らないといった堅実なものだが、藤田家の男達の性格は意外といいかげんなものだったりする。そうした男達の手綱たづなを妻がしっかりと握って操る形が、実は藤田家の伝統なのである。



★★★



パぴパぴ……。

「いらっしゃいませー」


翔がコンビニ(エコ)マートの店内に入った途端、元気な声が耳に飛び込んで来た。期待した水草薫の声ではなくて、別の若い女性の声だ。

声がした方に目を向けると、この間もいたバイトの子だった。

彼女は今日も天王高校の制服であるセーラー服を着ていた。髪の毛は短いけど、小柄で目がパッチリしている可愛い子だ。お化粧はしてないようだったが、セーラー服のスカート丈がとても短く、たぶん今どきの子なんだろうと翔は思った。


こっちに来てから目にする女子高生は、翔の頃より短いスカートを履いている子が多い。最初は教師が注意しなくなったからだとか考えたけど、やはり最近の流行なんだろうか?

いや、その両方のような気がする。

確か、景気が悪化すると女性のスカート丈が短くなるんじゃなかったか。今の日本は、まさにそれなんだろうか?


翔がそんなことを考えていると、その彼女が翔の方に寄って来た。


「えーと、お客さんって、この前いらした薫さんの彼氏さんですよね?」


その子が翔を見てニヤッと笑ったので、翔は「彼氏じゃないぞ」と小声で訂正しておいた。

それなのに、その子は聞こえた筈の翔の言葉を華麗にスルーした上で、業務的な笑みを浮かべてこう言った。


「薫さん、裏でお弁当食べてると思いますから、ちょっと呼んできますね」


さっと奥に隠れてしまった彼女の後ろ姿を目で追いながら、ふと翔は、彼女が日曜なのにセーラー服姿だったことが気になった。

あの短いスカート丈もそうだが、天高てんこうの制服に何か思い入れでもあるんだろうか?


実は、昨夜の居酒屋「大衆酒場」で薫が話題にしていた天高生が彼女なのだが、既に翔はすっかり忘れてしまっている。


彼女がいなくなってしまうと、今度は店内に自分一人しかいないことが気になり出した。

店員が誰もいないなんて、物騒だ。

そう思って店内を見回していた翔は、頭上に設置された小型カメラを見付けて納得した。レンズが翔の姿を追って微妙に動いていたからだ。たとえ無人でも、この店のセキュリティは万全なようだ。


ひょっとして、このカメラの向こう側に薫がいるのかもしれない。

彼女があの小さな口に手作りの弁当を少しずつ箸で運びながら、じ―っと店内の様子を眺めているとしたら、ちょっと怖い。さっき翔がバイトの女子高生のスカートを、じっくりと見ていたことだとか、あとで冷やかされそうだ。


そんなくだらない妄想を頭に浮かべたりしながら、翔は何となくそわそわと落ち着かない気分で、薫が現れるのを待っていたのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次からは、薫視点になります。翔に対して、薫がどういった反応をするかですね。


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