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第41話:スナック未来(2) <翔サイド>

再度、見直しました。


藤田(かける)は、高校時代の剣道部の仲間達とスナック未来みくのカウンター席に四人並んで座っていた。翔から見て右奥が松永陽輝(はるき)、翔の右側が山口沙希(さき)、翔の左隣が水草薫みずくさかおるだった。

その薫の前には、このスナックのチーママで薫の幼馴染の水瀬美緒みなせみおがいて、二人で何やら話し込んでいる。そして、松永と沙希の前には大学生バイトの真凛まりんという子がいて、二人の相手をしながら雑用をしたりしていた。


さっきから翔は、松永達三人の会話の方に加わっていたのだが、次第に話が松永と沙希の痴話げんかの様相を呈してきたことで、興味を失ってしまった。

そこで、反対側の薫と美緒の会話に耳を傾けることにしたのだった。


「ねえ、美緒。昼間の仕事の方はどうしちゃったの。確か工場とかの事務職で働いてたでしょう?」

「ああ、五月の終わりまで働いて、辞めちゃった」

「ええーっ、もったいないじゃない。せっかく、正社員だったのに」

「まあね。そこそこ大きい会社だったし、あたしのこと気に入ってくれてはいたんだけど、やっぱ、お給料のこと考えるとねえ」

「こっちの方が稼げるってこと?」

「まあね。実は、あたし、叔母さんがこの店のオーナーになってすぐの頃から、ずっとこの店、手伝ってるんだ。もう四年以上になるかな」

「えっ、そんな前からなんだ」

「うん、そうなんだ。で、こないだまでは週末だけのバイトだったんだけど、そんでも、前の職場と同じくらいのお給料、貰ってたんだよ」

「へえ、凄いね。でも、前の仕事の方も、なんかもったいないなあ」

「まあね。前の会社の社長、あたしと同じ北高出身でさ、あたしが生徒会長だって言ったら、『実は俺もそうだった』とか言われて、内定が決まったんだよね。それなのに、辞めちゃって悪いとは思ってる。けど、薫も知っての通り、今はあたしも大変でさ、叔母さんにも頼ってばっかりで申し訳ないとは思うけど、背に腹は変えられないっていうかさ……」

「そっかあ。仕方ないね」

「それより、薫の方こそ、大丈夫なの?」

「うん。まあ、何とかなりそうだよ」

「本当かい? 何か心配だねえ」

「ごめん、心配かけちゃって」

「まあ、そのことは、また別の所で話そっか?」

「うん、そだね」


しばらくの間、幼馴染二人だけの会話に耳を傾けていた翔だったが、彼女達は途中で会話を止めてしまった。美緒がちらっと翔の方を見たことから、彼の前では話しづらいことのようだ。

そんなタイミングを見計らってか、沙希を挟んだ隅の席に座っている松永が割り込んできた。


「美緒ちゃんはさあ、ママからこの店、任されてるんだってさ」

「へえ。美緒、凄いじゃない」

「別に、オーナーのママが身内ってだけだよ」

「それでも凄いよ。こんな風に人を使う立場なんだし、経営とかも見てるんでしょう?」

「まあね。あたし、北高の商業科だったし、前の会社で経理みたいなことやってたしね」

「そっかあ」


美緒が心持ち頬を赤らめながら、水草薫と藤田翔の前に水割りのグラスを置いた。山口沙希の前には濃いめ、松永陽輝(はるき)の前には特別薄い水割りが置かれている。


「叔母さんがね、四月に新しい店を立ち上げたんだけど、ここの店長を任せる筈だった人が五月にいきなり辞めちゃったんだよ。まあ、よくある男関係のトラブルなんだけど、それで身内のあたしに白羽の矢が立っちゃったってわけなんだ。その時点であたしが一番の古株になっちゃってたこともあるんだけどね……」


どうやら薫は、そのオーナーのことも知っているようだった。

この店にはカウンター席の他に、ボックス席が三つあって、今は他に二組の客が入っている。カウンター席とは違って、ボックス席の方は女性のキャストが応対することから、やっぱり料金が高いようだ。

ちなみに女性は、美緒とさっきのバイトの子の他に、今は四名の女性キャストがボックス席にいる二組の客の相手をしている。この手の店としては、ごく普通の規模だった。


「そっかあ。だけど、朱音さんがオーナーだったら、美緒も安心だね。で、朱音さんは、相変わらず忙しいの?」

「まあ、そうだねえ、相変わらずだよ」

「そういや、心愛ここあちゃん、元気?」

「ああ、元気だよ。あの子、三歳なのに、すごく良くしゃべるんだ。それに、かなりのお転婆でね。きっと、叔母さんに似たんだと思うよ」

「ふふっ、美緒にも似てるんでしょう?」

「まあね」

「ああ、でも、朱音さんとは二月に会ってから、結局、まだ一度も会えてないや。一度、会いたいなあ。心愛ここあちゃんにも会ってみたいし……。なんか、心愛ここあちゃんって、他人って感じしないんだよねえ」

「誕生日が同じだもんね」

「うん、そうなんだ」

「叔母さんもね、薫には会いたいとは言ってんだけど、なかなか時間が取れないみたいでね。ごめんよ」

「しょうがないよ。お仕事、忙しい人なんだもん」

「まあ、そうだけどさ。近いうちに時間、作ってもらうから、待ってておくれよ」

「うん。お願い」


薫と水瀬美緒の会話を聞き流しながら、翔は薫に話し掛けるチャンスをうかがっていたのだが、なかなかタイミングが掴めない。

『これじゃ、駄目だな』と思った翔は、一度トイレに立って気分転換を図ることにした。




★★★



トイレから戻った翔は、さっきの女子大生とは別の女性キャストから冷たいおしぼりを受け取って手を拭いた後、再び薫の隣に腰を下した。

相変わらず薫はチーママの水瀬美緒と会話をしており、それが自然と彼の耳に飛び込んでくる。しばらくすると話が一段落したのか、薫は目の前の水割りに口を付ける。

今がチャンスだと考えた翔が口を開き掛けた時、彼女は急に何かを思い付いたように再び話し出した。


「あのね、美緒。私、ここに来る時に思ったんだけど、このお店、美緒の住んでるとこに近いんじゃない?」

「ふふっ、その通りだよ。だって、ここの二階だもの」

「えっ、そうなの?」

「だから、最悪、薫が潰れても、あたしの部屋に泊まってけば良いからね」

「ありがとう。それは、心強いね」

「でしょう。上の部屋は、元々は叔母さんが住んでた所でね。今でも二階の別の部屋に、叔母さんの荷物が置かれたままなんだよ。叔母さん、もし旦那とケンカしたら、ここに引き籠るんだってさ。もっとも今の所は、そんな心配なんか全然なさそうなくらいに、旦那と熱々なんだけどね」

「ふふふ、幸せそうで良かったよ」

「だよねえ」

「でもさあ、美緒も楽しそうで良かった。案外、美緒って、この仕事、合ってるかも。美緒、中学の頃からマドンナって呼ばれてたもんね」


そこに突然、口を挟んできたのは、ボックス席の客が帰るのを見送って戻って来た女子大生バイトの真凛だった。


「ええ-っ、チーママのあだ名ってぇ、マドンナだったんですかあ?」


その質問にすかさず答えたのは、薫だった。


「そだよー。中学の時なんか、男子にモテモテだったんだからね。それに、中学の時の美緒、生徒会長もやってたんだよ」

「あ、それは聞いたことありまーす。チーママ、北高の先輩なんですけどー、北高でも生徒会長だったんですよねー」

「あ、そだね。ふふっ、北高でもモテたんでしょう」

「そうみたいですよー。でも、勉強の成績は今ひとつだったみたいだけどー。フツー、生徒会長って、勉強のできる子がやるもんなんですけどねー」

「もう、真凛は、ひとこと余計なんだよ」


真凛が美緒に「ごめんなさーい」と謝ったところで、美緒が「あ、あたし、あっちのお客さんにちょっと挨拶してくるから」と言い残してボックス席の方に行ってしまった。そこで真凛が改めて一番奥の松永から、沙希、翔とグラスを合わせて挨拶して行く。そして最後に薫の前にやって来たのだが……。


「あのー、さっきチーママと抱き合ってた親戚の子だよね。お酒とか、飲んじゃっていいのかなあ……」


真凛がそう言った途端、薫以外の三人が爆笑した。


「あはは、やっぱり薫って、お子ちゃまなんだ」

「沙希ったら、ひっどーい」

「いいじゃないの、若く見られる分にはさ」

「まあ、薫は昔からだもんな」

「違うよ、松永くん。私、中学の時は……あっ」

「中学の時は、何だったんだよ」

「あんたらには、内緒だよ」

「えっ、沙希は知ってんのかよ」

「まあ、松永だって、本当は知ってんだろうけどね」

「何だよ、その思わせぶりな言い方」

「あ、あの、さっきから、何を盛り上がってるんですかあ?」


真凛が割り込んで来て、沙希が溜め息を吐きながら言った。


「この子、美緒の幼馴染で、同級生。それに、私とは高校の同級生でね。つまり、美緒を入れた五人は全員、同じ歳なんだよ」

「ええーっ、それって、本当ですかあ?!」

「もう、そんなに驚かなくてもいいじゃない。私、水草薫、二十五歳でーす」


真凛が叫び声をあげた所て、翔の左隣の薫が勢いよく右手を挙げた。


「あの、十五の間違いですよねえ?」

「むぅ」


薫が頬を膨らませて口を尖らせる。

一方の松永は、「それより、オレ、中学ん時の薫の話、聞きたいんだけど」と喚いていたのだが、沙希は全く取り合わない。その沙希が「まあ、薫だからね」と呟いた所で、美緒が帰って来た。



★★★



やがてカウンターの前に戻った美緒が薫と翔の前に新しい水割りのグラスを置いてくれる。それに軽く口を付けた翔がふと隣を見ると、薫がひと息に半分ほど飲んで、ふーっと大きく息を吐いた。


「ねえ、美緒、さっき美香の話が出てたじゃない」

「美香って、中野美香かい?」

「うん。美香って、今、何やってんの?」

「何って、先生だけど」

「ええーっ、マジで?」

「マジでって、知らなかったのかい?」

「うん、初めて聞いた。あの美香が先生って、どういうこと?」

「だから、天王高校の先生なんだよ」

「ええ-っ、天高てんこうの?」

「そう、天高」

「……有り得ない」


いきなり薫が驚きの声を上げた。

確かに中野美香というのは、ちょっと天然な所のある子だったと思うが、バスケ部女子のキャプテンだったし、生徒会長に担ぎ上げられたりもしてたと思う。だから、有り得ないことは無いと翔は思ったのだが……。


「まあ、初めて知ったんだったら、そう思うだろうね」

「いやあ、それでも、あの美香に教師なんて務まるとは思えないんだけど……、そもそも、あの脳筋のうきん天高てんこうに受かったのだって、本来は有り得ないことな訳じゃない。それなのに、その天高の先生になっちゃうだなんて、絶対に何かが間違ってる」

「あたしもそう思うけどね……そういや、二月の時には、美香も来たんだろう?」

「うん、美香とも話したんだけど、あん時は大勢いたから、あんまり話ができなくってさ。今、何やってるとか聞きそびれちゃったんだ」


翔には、二月のイベントというのが何なのか気になったが、この時はスルーしてしまった。


「そうかい。でも、かえでちゃんからも聞いて無かったんかい?」

「うん、聞いて無い。あの子、学校のことは、あんまり話さないんだよね」

「なるほど」

「でも、いいなあ、天高てんこうの先生なんて、楽しそう」


薫が、本当に羨ましそうな声を上げた。


「だけど、あの美香が先生やってて、生徒の方は大丈夫なのかなあ?」

「まあ、教えてんのは、体育だからねえ」

「体育かあ。あの子って体格良いし体力だけはあるから、怖そうな先生って思われて生徒から嫌われてなきゃいいけど……」


そこで美緒が沙希の方を向いて、ニタっと笑った。


「それは、沙希にも言えるね」


その沙希も少しは薫たちの話を聞いていたのか、すぐに反論してきた。


「あのね、美緒。確かに中野美香の場合は、いっつも怒鳴ってるイメージがあるけど、私は優しい先生なの。一緒にしないでくれる?」

「でも、イメージで言うと、沙希の方が怖いんじゃないかい?」

「美緒は高校時代の私のこと、そんなに知らないでしょうがっ。知らないのに、なんでそんなこと言えるわけ?」

「ほら、もう怒ってるじゃないかい」

「しょうがないじゃない。今は陽輝はるきのせいで、怒りっぽくなってるんだから」

「ちぇっ、またオレのせいかよ」

「仕方ないですよー、松永さんは、虐められる運命なんですぅ」

「な、なんだよ、それ」

「だって、松永さんって虐められるの、好きなんじゃないですかー?」

「ち、違うわ。そんなもん、好きじゃねえよ」

「えー、だってえ、いつも山口さんに……」

真凛まりんちゃん」「真凛!」


沙希と美緒が同時に声を発した。


「真凛、言い過ぎだよ。松永だって、お客さんなんだからね。あ、沙希もだけど」

「ちょっと、私のこと、ついでみたいに言わないでよ」

「はいはい」


そのやりとりを聞いていて、真凛が言ったことは、案外、当たっていると思ってしまった翔である。それをストレートに口にしてしまった奴がいた。


「でもさあ、松永くんが、虐めらえるの好きなのって、当たってるよね」

「か、薫、お前、何でそうなるんだよ」

「だって松永くん、いつも沙希に怒鳴られると、嬉しそうにしてるんだもん」


薫の言葉に、美緒と沙希は爆笑である。真凛が必死に笑いを堪えているのを見た翔は、釣られて笑ってしまったのだった。



★★★



「そういや、まだ薫はコンビニのバイトやってるのかい?」

「うん。ほとんど毎日、働いてるよ」

「そうかい」


美緒は、顎に手を当てて、少し間を置いてから再び口を開いた。


「あのね、薫。ひとつ提案なんだけど、どうせバイトだったら、ここで働いたらどうだい。たぶん、今のお給料と比べたら、各段に多く払えると思うけどね」

「ええーっ、私、美緒みたいに要領良く働けそうにないし、愛想無いし、どんくさいし、そもそも見た目ブサイクだもん。ダメダメだよ」

「あのさあ、少なくとも最後のブサイクってのは絶対に違うから。昔からだけど、薫は自己評価が低過ぎなんだよ。薫がブサイクだって言っちゃったら、怒る子いっぱいいるからね」


そう言って、美緒は真凛まりんの方を見る。真凛は聞いてなかったようで、翔の方に愛想笑いを向けてきた。それで翔が真凛に話の概略を教えてやると、思った以上の反応が返ってきた。


「そうですよぉ。もう、何なんですかあ? 美少女コンテスト、総ナメしそうな顔して、嫌味ですかあ?」


そこで、思わず翔が口を挟んでしまった。


「あのさあ、さすがにそれは大げさなんじゃ……」


すると、凄い剣幕で真凛に反論されてしまった。


「藤田さん、その認識、甘いです。水草さん、スッピンですからね、それで、この顔なんですよ」

「えっ、それってそんなに凄いの?」

「もう、何なんです、この人達はあ」


薫だけでなく、翔も真凛に呆れられてしまった。翔の隣で沙希が、「こいつ、超鈍感だから」と言って真凛を慰めていたが、翔は聞こえないフリをしてしまう。

薫の前のグラスが、また新しいのになった。それと一緒に作った自分用のグラスを手にしながら、美緒が笑顔で先を続ける。


「それにね、薫は頭良いし結構器用だから、うちの仕事なんか問題なく務まると思うんだ。それに、愛想無いっていうけど、それはそれで一部の男たちには受けるんだよ。確かに薫は、たまにどんくさいとこあるけど、それだってこの業界じゃ売りになるんだからね」

「そうですよぉ。ツンデレでドジっ子のロリっなんて、最強キャラじゃないですかあ」


真凛が今ひとつ意味不明なことを喚いていたが、翔はスルーすることにした。すると、美緒が大きく口を開けて笑った。


「あはは。まあ、当然だよ。薫は、あたしの自慢の幼馴染だからね」


そこで、沙希が翔に何事かと訊いてきたので、ざっとこれまでのやり取りを説明してやった。


「こら、美緒。薫を水商売に引き摺り込まないでよ」

「別にいいじゃないかい。薫はお金がいるわけだし」

「でも、嫌な客だっているんじゃないの。薫に務まると思う?」

「大丈夫だよ。あたしが見てるから。それに、男の扱いなんて慣れだからね」

「そうですよー、男なんか、ちょろいもんですって。ねっ、松永さん?」


急に話を振られた松永は、「お、おう」と慌てて相槌を打った。


陽輝はるきったら、今、真凛ちゃんに何いわれたか分かってんの?」と沙希が問い掛けると、松永は「えーと、高校の時、オレがモテまくってた話とか?」と返してしまう。


「もう、松永さんったら、それって、こないだここで話してたことじゃないですかぁ。そんでもって、一番好きだった子に振られたんでしょう。それが山口さん」

「ちょ、ちょっと、本人がいる前で言うなよ」

「あ、大学生の時にも振られたんでしたっけ?」

「こら、真凛、言い過ぎだよ」


そこで美緒のストップが掛かったのだが、面白いので翔も参加することにした。


「お前、さっきも振られてなかったっけ?」

「なーんだ。それで、さっきの居酒屋でしょんぼりしてたんだあ」


翔の次に大声を張り上げたのは、薫だった。


「うわあ、松永さん、可哀そう」


真凛がちっとも可哀そうじゃない口調で言う。それを聞いた美緒が大口を開けて笑い出した。

それに釣られたのか、薫までがケラケラと笑う。その笑顔は、相変わらず少し不気味だ。


未だに状況を掴み切れていない松永の肩を沙希がポンと叩いて、「まあ、乾杯でもするか」とグラスを突き出すと、松永はしぶしぶ自分のグラスをそこに合わせた。


松永と同じで、翔も今ひとつ彼女達のテンションには付いて行けていない。隣で笑い転げる薫を見ながら、翔は困惑した表情を顔に浮かべていた。



★★★



「ねえ、今夜の翔って、やっぱり口数が少ないよね?」


翔の右隣に座る沙希が、ボソッと言った。


「べ、別に」


沙希とは反対側、翔の左隣にいた薫は、今は席を立っている。さっき、美緒を伴って、一番奥のボックス席の方に行ってしまった。

二人は幼馴染で一番の親友のようだし、いろいろと話したいことがあるんだろう。

翔は、その中に自分のこともあるかもしれないと思い、ズキンと心が痛んだ。


「まあ、私はどっちでも良いけどさ。あんた、いろいろ聞きたいことがあるんじゃない?」

「えっ?」


沙希の思わせぶりな口調に翔はハッとなった。


「まあ、俺がいない間にいろいろあったみたいだしな」

「そうね。いろいろあった」

「やっぱり、そうなのか?」

「ふふふ。翔が知りたいことって、たぶん、本当は私じゃなくて本人から聞きたいんでしょうけど、まあ、いいわ。教えてあげる」


翔は、沙希の方を見た。彼女は、いつの間にかウイスキーをロックで飲んでいる。酒に強いのは知っているけど、いつからロックなんかで飲むようになったんだろうか?


「明日の午前中が良いわね。呼び出すのもなんだから、私がこっちに来てあげる。それで良いかな?」


翔は、「ああ、いいよ」と頷いておく。


「じゃあ、細かい時間とかは、後で連絡するから。まあ、私が起きてからだね」

「なんじゃ、それ?」

「早く起きた場合は、早朝に叩き起こすから、覚悟しといてね」


沙希は、いつもどおり横暴だった。

すると、そこに薫が美緒を伴って戻って来た。


「じゃあ、もう一杯、飲もっかな」

「薫、まだ飲むのかい?」

「いいじゃない。久しぶりなんだし」


薫は、相変わらずテンションが高い。

一方の美緒は、心なしか元気がないように見えるのだが、気のせいだろうか。


薫の前に新しい水割りが置かれた。彼女はそれを持って立ち上がると言った。


「ねえ、みんな、もう一回、乾杯しようよ」


すると、さっきまで一番隅の席で眠そうにしていた松永が突然、頭を上げて、口を開いた。


「乾杯って、何に対する乾杯だ?」


薫は、少し考えてから、ここにいない奴の名前を口にした。


「えーとね、圭介けいすけだよ」


途端に周囲が凍り付いた。


「薫、お前って酔っ払ってねえか?」

「ええーっ、私、酔っぱらってないよー」


薫が、いつものように口を尖らせて抗議する。


「だいたい、圭介の何に乾杯するんだよ?」

「圭介が日本に戻って来られたことじゃない。まあ、無事とは言えないけど、ちゃんと圭介は帰って来てくれた。神様に感謝しなきゃ、バチが当たっちゃうよ。ねえ、沙希もそう思わない?」


沙希は、どう答えていいか考えあぐねている様子だった。

そんな沙希にチーママの美緒が、「薫は昔から、いきなり突拍子もない事を言うことがあるからねえ」と言う。


「そんなに突拍子もない事じゃないよ。今日、うちらが集まったのは、圭介のお見舞いの為だもん。圭介がうちらを呼んでくれたんだよ。全部、圭介のおかげじゃない。だったら、圭介に感謝して、乾杯するのが当然だよ」


薫の主張に沙希が諦めたような表情で口を開いた。


「まあ、良いんじゃない。それに、今日の集まりが圭介のお見舞いだってのは本当のことだし」


沙希がそう言うと、薫は更に「そだよー」と大げさに同意してみせる。

それで松永も諦めたのか、ゆっくりと首を縦に振った。


「まあ、そうだな。じゃあ、圭介にも乾杯ってことにするか」

「そだねー。じゃあね、圭介にもお帰りなさーいってことで、カンパーイ」


薫の乾杯の音頭に、沙希と松永がグラスを掲げた。少し遅れて、美緒も「カンパーイ」と言って、薫とグラスを合わせる。薫が「ほら、翔くんも」と言ったので、翔も無理矢理にグラスを合わせることになった。


ところが、そこで松永がボソッと言った。


「やっぱ、ここに居ないのに乾杯ってのもなあ」


そんな松永を沙希が睨んだ。


「別にいいじゃないの。圭介だって仲間なんだから」

「まあ、いいけどよ」


でも、松永が感じている思いは、たぶんここにいる全員共通のものだ。と思ったのだが……。


「あの、圭介さんって誰ですかあ?」


戻って来たばかりで事情が呑み込めない真凛まりんが、普段どおりの口調で尋ねた。

美緒が「同じ天高てんこう剣道部の同級生だよ」と囁いた所で、「へえ、その人も来てくれたら良かったのにー」と大きな声で言ってしまう。


ちょうどその時、来客を告げるベルが鳴って、真凛は急いで玄関の方に行ってしまった。

その彼女を目で追っていた美緒が翔たちの方に顔を戻すと、「ごめんね」と謝った。


「あの子には、もっと考えてしゃべんなって口酸っぱく言ってんだけどねえ。明るいだけじゃダメだって」

「まあ、物怖じしないとこは、良いんじゃね」

「そう言ってくれると、ありがたいんだけどねえ。顔はそこそこ可愛いし、お客さんの受けは悪くないんだけど、受け答えがねえ」

「まだ二十歳はたちなんだし、そのうち、良くなってくるんじゃないの」

「オレもそう思うよ」

「だと良いんだけどねえ」


美緒が溜め息を吐いていたが、沙希と松永は真凛という子に好意的なようだった。


そして、その間も薫は、キョロキョロと回りを見ながら、ひたすら水割りを飲み続けていたのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次話もスナックでの話になります。


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