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第40話:スナック未来(1) <翔サイド>

再度、見直しました。


そのスナックの名前は「未来」だった。「みらい」じゃなくて「みく」と呼ぶようだ。

入口のドアの横に控えめな電飾の看板があって、その名前と「Miku」というローマ字が、共に丸みを帯びた書体で書かれていた。


ちなみに藤田(かける)の親友、松永陽輝(はるき)によると、「未来」は先代のオーナーであるママの名前ということだ。そのママが以前は洋食屋だった店舗を改装してスナックにしたらしい。

もっとも今は代替わりしているのだが、その新しいオーナー兼ママも別の店舗の立ち上げで忙しく、この店の方はチーママが仕切っているそうだ。


その木製の重厚なドアを引いたのは、松永だった。すると、チリンとベルの音がして、中から「いらっしゃーい」という若い女性の元気な声が掛かる。

ドアを持つ松永の横を、山口沙希(さき)水草薫みずくさかおるの女性二人がすり抜けて中へと入る。その後を藤田翔も付いて行った。


中は、冷房が効いて、とてもひんやりとしていた。

店内は薄暗く、所々に間接照明があって、居心地の良さそうな雰囲気を醸し出している。

入ってすぐの所はホールのようになっていて、右手にボックス席が三セット。正面の奥にカウンター席が設けられているようだ。

ボックス席には女性のキャストが付くようで、たぶんカウンター席とは料金が違うのだろう。


出迎えてくれたのは、人懐っこい笑顔の若い女性だった。ショートボブの髪を茶色に染めていて、華奢な身体からだに薄いピンクのドレスワンピを纏っている。その丈がドキッとするほど短くて、細い生足なまあしなまめかしい。


その子が沙希に目をやって、「あ、山口さんだあ」と声を上げる。それに反応したのが松永だった。


真凛まりんちゃん。オレだっているんだけどな。てか、最初に入って来たの、オレなんだけど……」

「だってえ、松永さんはしょっちゅう来てるじゃないですかー」

「しょっちゅう来てるからこそ、お得意さんなんじゃねぇの?」

「しょっちゅう来てても、ボトル、ちっとも減ってかないでしょう? 山口さんは、飲みっぷり良いですもん」


確かに酒に弱い松永では、店の売り上げにはあまり貢献しなさそうだ。その点、沙希は酒豪である。ここの店員が沙希の方を有難がるのは当然に思えた。


「ちぇっ、そうゆうことかよ」

「もう、拗ねないで下さいよー、来てくれて、ありがとうございま-す、松永のオジ様」

「げっ、オレってオジ様かよ」

「ははは、この子からすりゃ、松永はオジ様だな」

「オレがオジ様だってことは、お前だってそうなんだぞ」


翔が松永をからかうと、速攻で逆襲に遇ってしまった。

と、その直後……。


「あれ、美緒?」


薫の声に釣られて、翔もカウンターの中の女性をじっと見てみる。

ぱっと見た感じ、とても華やかで綺麗な女性だった。胸元が大胆に開いた赤いドレス姿が何ともなまめかしい。やや小柄なこともあって、大きく膨らんだ胸が覗けてしまいそうだ。

その彼女がゆっくりとこちらに歩いて来た。


「あれ、チーママのお知り合いの方?」


ピンクのドレスワンピの子が声を上げるが、その前をその女性が素通りして来る。


「うわあ、やっぱり美緒だ」


再び叫んだ薫を、その女性がガシッと抱き締めた。


彼女は薫より小柄だけど、それでも姉妹のように見えた。薫に姉はいないから、親戚の人とかだろうか?

彼女の明るい色に染めた髪をお団子にしている所とかも、薫よりかなり年上に見せている。赤いドレスの上のうなじの白さに、翔は思わずぞくっとしてしまう。

その彼女は薫の身体を離すと、「いらっしゃい」といろっぽい声で言った。


「もう、美緒ったら、びっくりするじゃない。いきなり抱き着いて来るんだもん」

「だって、嬉しかったから」

「うん。こうして直接に会うのって、久しぶりだもんね。でも、どうしたの? バイト?」

「ううん。ここ、叔母さんのお店でね。手伝ってるんだ」

「えっ、朱音あかねさんの?」

「うん」

「へえ、そうなんだ。こないだスマホで話した時は、そんなこと言ってなかったじゃない?」

「だって、聞かれなかったしさ」

「それは、そうだけど……ふふっ。でも、会えて嬉しい」


その彼女が急に翔の方に顔を向けてきた。ドレスと同じ真っ赤なルージュを引いたその端正な顔を間近で見て、ようやく翔は、彼女が知り合いであることに気が付いた。

天王北高校に通っていた、薫の幼馴染の子。毎日、中州なかすとの長い距離を薫と自転車を並べて通っていて、翔も何度が会って話したことがある。名前は確か……。


「藤田くんも久しぶり。ふふっ、どうしちゃったの、そんなに見詰めちゃって、恥ずかしいじゃん。てか、ひょっとして、あたしのこと、忘れちゃった? 水瀬美緒みなせみおだけど……」

「いや、覚えてるけど、なんか……」

「なんかって、なーに? そこんとこ大事なんですけどお。『何か綺麗になった』と『何かケバい』じゃ大違いでしょう、キャハハハ」


赤く塗られた口を大きく開けてはじけるように笑いながら、その彼女が薫から離れて翔の方に寄って来る。


「藤田くんは、変わんないね。高校の時のまんまって感じ」


そう言われて、翔は気付いた。さっき彼女が薫より年上に見えたのは、薫が若く見えるからで、彼女が年を取って見えたわけじゃない。


「で、答えはどっちかしら。綺麗とケバい、さあ、どちら?」

「もう、そんなの『すっごく綺麗』に決まってるじゃない。翔くんのこと、虐めちゃダメだよ」

「はいはい。薫にそう言われちゃ、仕方ないね。さあ、藤田くんも、あっちの席にどうぞ」


彼女が示したカウンターの席には、既に松永と沙希が並んで座っていて、翔たちの方に手を振っている。


翔は、ゆっくりとそっちに歩いて行った。



★★★



カウンター席に座った松永と沙希の相手は、さっき入口の所にいたピンクのドレスワンピの女性が務めているようだった。翔が沙希の隣に腰を降ろすと、その子がサッと冷たいおしぼりを渡しながら、明るい笑顔と間延びした声で「真凛まりんでーす。宜しくお願いしまーす」と挨拶してくれた。

すると、一番壁側に座っている松永が「真凛ちゃんは、まだ女子大生でバイトなんだぞ」と教えてくれた。どうやら、女子大生というのが、この世界では結構ウリになるようだ。

それから翔は、その真凛という子に貰ったおしぼりでゆっくりと手を拭きながら、彼女と松永や沙希との間で交わされるやりとりに耳を傾けることにした。


「……そっか。真凛ちゃん、こないだ二十歳になったばかりなんだ。おめでとう」

「へえ、おめでとう。やっぱり、二十歳は区切りだもんね」

「松永さんも山口さんもありがとうございまーす」

「でも、誕生日が海の日って、ちょっとかっこいいかもね」

「えへっ、そうなんですけど-、海の日って毎年微妙に変わるから、そこがちょっと困りますよねー。あ、アタシの名前も海のマリーンから取ったそうなんですよー」

「ふーん、そうかー……って、あれっ、でも、真凛ちゃん、前に来た時もビール飲んでなかった?」

「もう、山口さん、気のせいですよー。まあ、ここで働くようになったの、四月からですけどー。それまでは居酒屋の大衆酒場でバイトしてましてー、もっとお給料が貰えるとこってことで、こっちに移らせて貰ったんですよー」

「へえ、大衆酒場なら、さっきまでオレらが飲んでたとこだけど」

「えーっ、そうなんですかあ。ありがとうございまーす。あそこも、こことオーナーは同じなんですよー」

「へぇ、そうだったんだ」

「は-い。うちの会社、スナックは二店舗だけなんですけどー、大衆酒場の方は、こないだ百店舗になったんですよー。あと、最近『大衆食堂』っていうファミレスチェーンも初めまして、近々三店舗になる予定なんですよー。大衆食堂の一号店は今月、天王通り沿いにオープンしたばっかなんです。味にこだわってますから、普通のファミレスより美味しいと思いますよー。もちろん、お値段はお手後頃価格でーす。ぜひ、そっちにもいらしてくださいねー」


そこで翔が「へえ、バイトなのに結構、思い入れがあるんだね」と言うと、真凛は「はーい。もちろんですよー」と言って、笑った。


「アタシって大学入ってからずっと大衆酒場でバイトしてて、今度はここのスナックに移ったでしょう。それで、先週、社長さんとお会いしてお話しさせて頂く機会がありましてー、なんと正社員の内々定、頂いちゃいましたー」


真凛が自分で軽く拍手をして、それで松永と沙希も拍手を始め、釣られて翔まで拍手をしてしまった。


「真凛ちゃん、おめでとう。正社員ってことは、幹部候補生だもんね。でも、真凛ちゃん、まだ大学二年なのに、もう就職先、決めちゃって良いの?」


沙希がそう言うと、真凛からは前向きな答えが返ってきた。


「いいんですよー。うちの大学、あんまり就職、良く無くてー、正社員ってなかなか厳しいんですぅ。今の所、大衆酒場は業績好調だしー、それに、うちって従業員の福利厚生も充実してるみたいなんです-。仕事がどうしても夜遅くになるから、すぐ傍に寮があるんですよー。それも独身寮だけじゃなくてー、家族寮まであるって、凄いと思いませーん?」

「へえ、そうなんだ」

「それにアタシ、ここのお仕事、自分に合ってると思うんですぅ。まあ、チーママに嫌われちゃったら、別のお店に行っちゃうこともあるんですけどー」


そう言いながら、真凛は未だに薫と何やら立ち話をしている美緒の方をちらっと見た。


「大丈夫だよ。真凛ちゃんがいなくなったら、この店、すっげぇ戦力ダウンだかんな」

「そんな風に言ってくれるのってー、松永さんだけですぅ」

「ふーん、陽輝って、美緒が目当てでこの店、来てるんだと思ってた」

「もちろん、それもあるけどよ。ほら、真凛ちゃんって明るいし、良い子だからさ」

「若い子の方が良いってこと?」

「いや、オレはそういう趣味はねえなあ」

「ですよねえ。松永さん、おっぱいフェチだから」

「だよね」

「おっぱいと言えば、大鹿久美おおしかくみって人、この前いらっしゃいましたよー。松永さんと同じ職場なんでしょう。松永さんがここに良く来ること、ご存じでした」

「また久美かよ」

「陽輝がここ、紹介したんじゃないの?」

「あ、違いますよー。中野美香(みか)さんが連れて来られましたー。山口さんのことも、ご存じでしたよー。中野さんって、チーママと幼馴染なんですって-」

「ああ、そっか。中野美香も薫と同じ中州なかす出身だったもんな」


松永の口から薫の名前が出て翔はドキッとしてしまったのだが、真凛は松永専用の薄い水割りを彼の前に置きながら、別の話を始めてしまった。


「松永さん、大鹿さんみたいな巨乳の人が好きなんですよねー?」

「おいおい、久美はオレの幼馴染なんだって」

「えーっ、職場が同じってだけじゃないんですかあ?」

「そうだよ。あいつとオレは小さい頃からの腐れ縁」

「ふーん。それで、おっぱいが好きになったんだあ」

「ちがーう。久美もでかいけど、うちの姉貴もでかいのっ!」

「え-っ、シスコンですかあ?」

「もう、なんでそうなるんだよ」


松永はそう言って否定するが、彼がシスコンなのは翔も沙希も知っている。


「こらこら、真凛。ここにいないお客さんのことをぺらぺら喋っちゃ駄目だろ」

「あ、ごめんなさーい。でも、中野さんも大鹿さんも、このお二人とは親しいようだったんでー」


その時、ちょうど戻って来た美緒が、真凛を軽く叱った。

その美緒の後から薫がやって来て、翔の左隣の席に腰を下ろす。


「まあ、美香のことだったら、どうでも良いんだけどね」

「ぷっ」


美緒のコメントに沙希が噴き出した。


「でも、大鹿さんの方は駄目なんじゃ……」

「いや、久美のことは大丈夫だよ、美緒ちゃん」

「そうなのかい?」

「あいつも、細かいことは気にしねぇ方だからさ」

「確かに、大鹿さん、良い人ですよねー」

「さあ、そこはどうかな」

「えー? 松永さんって、大鹿さんに厳しくないですかあ?」

「まあ、幼馴染だかんな」

「てことは、松永さん。何だかんだ言っても、まだ山口さんが一番なんですねえ」

「こ、こら、本人がいる前でそういうこと言うなよ」

「あ、ごめんなさーい」


真凛が素直に頭を下げた一方、沙希はぶっきらぼうな調子で口を開いた。


「別に良いよ。こいつとよりを戻すつもりは、もう無いからさ」

「ええーっ、そんなこと言っちゃって良いんですかあ?」

「良いんだよ。何度もこいつに言ってることだしさ。こいつも早く別の女とくっついた方が良いんだよ」

「そうなんですかあ?」

「そういうこと。一応、こいつも男友達としては大事だから、気にはなるんだよね。それこそ、さっきの大鹿久美とでもくっ付けば、私は安心なんだけど」

「沙希、てめえ、勝手なこと言いやがって、お前は一体どうなんだよ。好きな男でもいるんかよ?」

「いるわけないでしょ」

「だったら……」

「だったらって、今更、あんたとは無いね」


再び沙希にはっきりと自分とよりを戻すことを否定された松永は、苦笑いしながら薄い水割りを口にした。


と、そこに少し前から翔の左隣の椅子に座って二人の会話を聞き流していた薫が、さっき真凛から受け取ったおしぼりでゆっくりと手を拭きながら言った。


「もう、沙希も松永くんも、ケンカは駄目だよ」


そこに真凛が「えっ、これってケンカですかあ?」と茶々を入れる。


「うーん、ちょっと違うかもだけど、だいたいそうじゃない? 仲良くやろうよう」


すると、松永が薫の方を向いて、端から端へと視線を飛ばす。


「薫、お前はどう思うんだよ」

「えっ、沙希が松永くんとよりを戻す可能性があるか無いかってこと? それだったら、私は無い方に一票」

「お前なあ、投票やってんじゃねえぞ」

「じゃあ、あたしも無い方に一票だね。真凛は?」

「アタシはー、うーん、なんか松永さん、可哀そう。やっぱり、おっぱい星人を慰めるのは、胸の大きい子でしょうかあ?」


そこで、真凛が首をコテンと傾げて、翔の方を見た。つまり、コメントしてないのは、翔だけということになる。とはいえ、多数決なら既に決まってしまったような……。


「俺は、どっちでもいいや」

「どっちでもいいって、翔、お前って奴は……」

「だって、沙希がうんと言わなきゃ、よりは戻せない訳だろ。てことは、将来の可能性がどうのこうのより、沙希をどう攻略するかを考える方が建設的だろう。それが思い付かないとしたら、さっさと別の子に……」

「翔、お前だったら、そんなに簡単に割り切れるんかよ」


松永が言いたいことは、翔にとって薫のことをどうするのかということだ。現状、薫とは仲違いをしたままの状態だ。翔には、彼女が自分をどう思っているのかすら、正直な所、検討も付かない。それに、今の薫の状況がどうなっているのかも気になる所だ。


思わず絶句してしまった翔の横で、薫はいたってご機嫌だった。


「もう、なんか深刻な話ばっかでつまんないじゃん。みんな、せっかくなんだから、もっと楽しい話しようよ」


あっけらかんと、そう言い放った薫を前に、相変わらず翔は何も言葉を持ち合わせていないのだった。



★★★



「ねえ、さっきから翔って、口数が少なくない?」


薫の話を受けてか、翔は沙希にそんなことを言われてしまった。


「ふふっ、未だに時差ボケだとか?」

「そんなわけないだろ。もう、こっちに来て六日目だぞ」


翔が沙希に投げやりな返事をした所で、相変わらずテンション高めの薫が言った。


「そう言えば、今日って翔くんの歓迎会じゃない。なのに、カンパイがまだだよね」

「えっ、さっきやっただろ」

「もう、松永くんったら、あれは大衆酒場でじゃない。もう一度、美緒を入れてやろうよ」


そこで自分の名前が出たからか、チーママの美緒が口を挟んできた。


「そういや、藤田くんって久しぶりだったね」

「そうだよ、美緒。ニューヨークから帰って来たんだよ……あ、でも、すぐにまた戻って行っちゃうんだけどね」


薫の言葉に、美緒は何となく事情を察したような微妙な表情をして見せた。


「へえ、そうなのかい。じゃあ、乾杯の音頭は、あたしに取らせてもらおうかね」


それから、そこにいた全員がグラスを手にするのを待って、美緒が「藤田くんとの再会を祝して、カンパーイ」と叫ぶと、最初に翔の方にグラスを差し出してきた。

それに翔が合わせると、その後に真凛まりん、沙希、松永と続き、一番最後が薫だった。その薫は、カチンと軽くグラスを合わせた後、勢いよく手を叩き始める。その間、視線はあちこちを彷徨さまよっていて、ちゃんと翔の方に目を向けることは無かった。

そして、拍手を終えた薫がボソッと言った。


「本当はさあ、圭介けいすけもいたら良かったんだけどね。圭介とも久しぶりに会えたんだし……」


確かに今日の集まりは翔の為じゃなくて、服部圭介はっとりけいすけのお見舞いの為だった。けど、それをここで言っちゃうってのは、どうなんだろう?

翔がそう思っている間に、沙希が美緒に圭介のことを説明していた。


「そうかい。まあ、いろいろあるんだねえ」


美緒がそう呟くと、薫が「そだよー」と言う。


「うちらが天高てんこうで出会って、もう十年なんだもん。いろいろあって当然だよ」


薫の言葉に沙希がしみじみと「十年かあ」と言った。


「オレが沙希を追い掛け始めてから、十年ってことだな」

「違うでしょう。あんたって中学の時から、試合で一緒になると私の方をチラチラ見てたでしょうが」

「えっ、知ってたの?」


そう言って松永が翔の方を見るので、翔は肩を竦めておいた。

翔と沙希は同じ天王南中学なのだが、松永は隣の天王北中学出身で三人とも部活は剣道部。どうやら松永は、中学の時から沙希に目を付けていたという話だ。


「でもさあ、この十年、いろんなことがあったよな」


松永は気まずくなったのか、話を変えてきた。それにすかさず薫が「そだねー」と相槌を打つ。


「たぶん、一番変わったのが圭介で、次が私じゃないかな」


薫のその言葉に、翔は違和感を覚えた。そして、次の瞬間には、そのまま口にしていた。


「こんなかで一番に変わってないのは、薫だろう?」


すぐに『まずかったかも』と思った翔だったが、薫は「ひっどーい」と言いながら口を尖らせただけだった。


「まあ、薫には、いろいろあったよね」

「だな。沙希が言う通りだな」

「そうだね。まあ、あたしにもだけど」

「そだね。美緒もだよねー」

「でも、今のあたしは、こうやって働けて良かったと思ってるよ」

「そっか。それに、沙希や松永くんだって、いろいろあっても、ちゃんと働いてるんだよねー……。私だけが、ダメダメだよ」


翔は、薫のことを三人が肯定したのも気になったが、薫が翔の名前を出さなかったことの方がショックだった。

そんな翔を余所に、再び松永が口を挟んできた。


「まあ、今はともかくとして、これからのことじゃね?」

「これからかあ」


松永の言葉に薫が、彼女にしては珍しく溜め息を吐いた。


「私に、これからなんて、あるのかなあ?」

「痛っ」


沙希が松永の頭をいきなり叩いた。


「陽輝さあ、ちょっとは考えて物を言いなよ」

「わりぃ……あ、でも、最初の失言は翔もだよな?」


翔がビクッとした。


「人のことは良いんだよ」

「ちぇっ、沙希、お前ってオレにだけ厳しくないか?」

「そんなこと無いよ。翔には、また後でお説教してやるからさ」

「もう、沙希ったら、そんなのは良いからさあ。なんか明るい話題は無いの?」

「明るい話題ねえ。私にあるのは、学校の愚痴くらいだしなあ」


チリン……。

「あ、お客さんだ」


真凛が入口の方へ早足で向かって行った。


遠くの方で「高橋さん、いらっしゃーい」という声がした。

しんみりとした所で口を開いたのは、またもや松永だった。


「先のことっていうとさあ、おれらの老後って、どうなるんだろうな?」


翔が『なんだ、こいつ』と思って沙希の方を見たら、案の定、呆れた顔をしている。

それに答えたのは、薫だった。


「松永くんは、大丈夫なんじゃない。公務員って年金が充実してるんでしょう?」

「でも、今は医療費が高騰してるからなあ。老後の貯えって、いくらあっても足りないと聞くぞ」

「あ、それは、そうかも」

「だろ。変な病気になるくらいなら、さっさと死んだ方が良いかもな」


翔と沙希を通り越して、そんな会話が交わされる。そこに沙希がツッコミを入れた。


「特に陽輝は、いろいろと家族に迷惑、掛けそうだもんね。老害っていうかさ。ああ、陽輝と結婚する子は大変だわ」

「お前なあ」


棘のある沙希の言葉に、今度は陽輝が呆れた声を上げた。翔にも沙希の言葉は、『私じゃなくて良かったわ』と聞こえてしまったからだ。

そんな沙希を咎めたのは、薫だった。


「もう、沙希ったら、そんな嫌味、言わないの」


そう言って薫は、グラスの中の水割りをグイっと飲むと、今度は松永に向かって「そう言えば、京香きょうかさん、元気?」と訊いた。

京香というのは、松永の姉のことだ。


「え、なんで姉貴?」

「確か、京香さんって、老人ホームで働いてるんじゃなかった?」

「ああ、老後の話の続きか。姉貴なら元気だぞ。それと、老人ホームじゃなくて、グループホームな。認知症患者専門の施設で、そういった老人が一緒に生活するんだわ。もちろんスタッフが二十四時間面倒見てるんだけどよ」

「ふーん。京香さん、優しい人だから、お似合いだね。あ、そう言えば、私の幼馴染にも、介護士がいるんだ。えーと、特別養護老人ホームだったっけ?」

「オレもあんまり詳しくないんだけど、そっちは忙しいんじゃないか? 入居費用が安いとこだから」

「その代わり、なかなか入れないっていうよね」

「そうそう。何十人待ちとかでしょう?」


そこで松永と薫のやりとりに沙希が口を挟んだので、翔も参入することにした。


「高齢化対策は大事だよな。うちの祖母ばあさんもボケ始めててさ」

「翔のとこだったら、いわゆる老人ホームだろうな。それか、金があるんだから、そのまま自宅にいて、二十四時間体制でヘルパーさんを雇うって方法もある訳だし、どうとでもなるんじゃね?」

「そうなのか?」

「ああ。老人ホームだって、高級なとこは割と空きがあるらしいぞ」

「ふーん。年を取っても、格差社会なわけね」

「沙希の言う通りだわな。まあ、ボケちまったら、どこでもおんなじって気もするけどよ」

「そんなことは無いでしょう。そんでも、やっぱり人間扱いされたいって思うんじゃない?」

「あのな、人間扱いしとらん施設なんて、ある訳ないだろ。利用者に対する虐待行為については、どこの施設も相当に神経を使っとるんだとよ。姉貴からの受け売りだけどな」

「なるほど。まあ、当然でしょうね。だけど、さっき陽輝はるきが言ってた、えーと、特養とくようだっけ、そういう所は忙しいから介護士の方も大変で、色々と問題が起きてるみたいじゃない?」

「沙希が良くぼやいてる小学校と、似たような感じってことかな?」

「どこの職場でも、下っ端は大変ってことだろ。働き方改革で日本人の働きすぎが見直されて来てはいるけど、過酷な現場の状況は、すぐには改善されねえって訳だな。結局、そういう政策の恩恵を受けられるのって、翔みたいな大企業で働くエリートだけってことなんじゃね?」

「おいおい、また俺だけけ者にしようとするなよ」

「仕方ないでしょう。こん中で翔だけが上級国民なんだし」"


どうやら、この仲間の中だと、翔だけが異質であるようだ。

高校時代は、全然、そんなことを感じなかったというのに、やはり、これも社会人になって変わってしまったことなんだろうか?


そんな淋しい思いが翔の胸をよぎった所で、チーママの美緒が新しい水割りを目の前に置いてくれた。

翔は、その琥珀色の液体を喉に流し込んでから、深い溜め息を吐いたのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

次も今回の続きになります。


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