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第28話:都落ち <薫サイド>

再度、見直しました。


この店の女子更衣室は休憩室を兼ねた造りになっていて、割と広かった。店に女性従業員は僅かしかいないのだが、こういったイベントでバイトを雇う時に備えてのものなんだろう。


その部屋には、水草薫みずくさかおると同じバニーガール姿の子が三人いた。彼女達は奥に置かれたソファーでくつろぎながら、おしゃべりを楽しんでいた。

三人とも髪は茶色に染めていて、こういう仕事には慣れてるといった感じがする。誰もが女らしい凹凸のある身体からだ付きで、バニーの衣装も薫よりずっと似合っていた。

それにこの三人、薫よりも断然若い。二人はたぶん十代後半。もう一人は、どう見たって妹のかえでよりも若いんじゃないだろうか?


「あれ、もう交代の時間?」と一番年上っぽい子に訊かれたので、正直に「もうこんなの、やってられないから、辞めようと思って」と答えた。

それに反応してくれたのは、やたら大きな胸が目立つ子だった。


「そっかあ。まあ、あんた、朝からいきなり、あのスケベ野郎に目を付けられてたもんね。分かる、分かる。そういうのって、運だよね。アタシもこういうバイトしてると、ちょくちょくそういう目に遭うんだ。露骨に胸とか触りに来るだけならまだしも、理不尽な要求突き付けてきて、何とかホテルに連れ込もうって魂胆が見え見えだったりとかさあ」

「うん、うん。あんたの場合は、特にそうだろうねえ」

「もう、アケミさんったら、アタシの胸見て言わないでよ」

「ごめん、ごめん。でもさあ、あたしも経験あるけど、この子が言う通りだと思うよ。別にあんたが悪かった訳じゃなくてさ。運が悪かっただけだから、気にすんなよ」

「だよね、アタシもそう思うよ。案外、あのフロア長、あんたの身体狙いだったんじゃないの」

「かもねえ。あんた、すっごく綺麗だしさ。ああいうのも、あの男なりの愛情表現なんだよ。可愛い女の子を、つい虐めちゃうって奴。あたしらにしたら、ド迷惑なんだけどね」

「だよねー、ナミもあのフロア長、超ムカつくー。何気にナミの方にすり寄って来てー、姿勢がどうのこうとかワケ分かんないこと言い出しちゃってさあ、ナミの肩とかお尻とか、べたべた触るのー」

「お尻だけなら良いじゃん。アタシなんか、いきなり胸だよ。『お前、良いもん持ってんだから、お客さん、もっと喜ばせろ』って、ここはピンサロじゃねえっつーの」

「まあ、そんなにデカけりゃ、そうかもね。あたしとかナミは普通だからさ」


そう言う姉御肌のアケミも、胸は充分に大きい。たぶんDカップだろう。ナミちゃんは小柄でロリっぽい子だけど、それでもCはありそうだ。


その後は、フロア長の悪口で盛り上がった。どうやら薫だけでなくて、全員が彼のおさわりの被害に遭っていたようだ。

それで、さっき薫がフロア長の足をピンヒールで踏ん付けた上に、文句を言って蹴飛ばしてやった話をすると、彼女達はお腹を抱えて笑い出した。


「あんた、やるねえ」

「大人しい子かと思ってアタシ、心配してたんだけど、全然大丈夫だったじゃん。こういう仕事は、それくらい気が強くなきゃ、できないもんね」

「ナミの仇を取ってくれて、嬉しい。どうもありがとう」


感謝までされてしまった。


「でも、これであたし達の職場環境、間違いなく良くなるね」

「そりゃそうだよ。アタシ達に散々セクハラしてたの、ぜーんぶバレちゃったんだから。てか、胸とかお尻とか触ったりするのって、セクハラじゃなくて犯罪だよね」

「あんたのお陰だよー。ありがとうねえ」

「そもそも朝礼の時、この格好で前に並べられた時点で、非常識だよね」

「うん。あのオヤジ達ったら、鼻の下ビーンと伸ばしちゃってー、嬉しそうにナミの身体、ジロジロ見てんだもん」


どうやら、感じてたことは、誰もが同じだったみたいだ。


「けど、ちょっと残念だねー。このバイト、結構お金貰えるしー、割とおいしー系じゃん。ちょっとエッチな服を着なきゃだけど、別に身体売るわけじゃないしー」

「うん、それはあたしも思った……まっ、だからやってんだけど、あんたみたいに変な店員に絡まれたりしちゃ、やっぱ、割に合わないよね。多少、金とか貰ったって、あたしら、身体からだが資本じゃん。病気になったりしたら、意味ないもんね……。あ、そうだ。あんたって、時給いくら貰ってんの?」


どうやらこの三人は、それぞれ別の会社から派遣されて来ていて、今日ここで初めて知り合ったようだ。

それで全員の時給を比べてみたら、他の子は薫よりも断然に高い。

どうせ自分の容姿と年齢のせいだと落ち込んでいると、「きっと、派遣会社がピンハネしてるんだよ。そんなとこ辞めちゃって、アタシんとこ来なよ」と巨乳の子が勧めてくれた。


「あ、あの、ありがとう。えーと……」

「アタシの名前、レモンだから」


どうやら、この巨乳の子はレモンという名前らしい。


「えっ、レモンって、ひょっとして本名?」

「んなわけないっしょう……と言いたいとこだけど、本名なんだ」


薫が思わず聞いたら、まさかの肯定だった。


「えーと、あの難しい漢字の方? それとも……」

「ふふっ、カタカナのレモンちゃんだったりしてー」

「なんか、エロっぽい感じがするねえ」

「もう、だから嫌だったんだよ。名前ばらすの」

「巨乳ちゃんよりは、いいんじゃない?」

「もう、アケミさんったら」


どうやら、レモンの一番多いあだ名は「巨乳ちゃん」だったらしい。


「で、正解は?」

「漢字なんだけど、恋文こいぶみって書いて、れもん」

「うわあ、カッコ良いじゃん」

「キラキラだねえ」

「でも、ナミの友達に蜜柑ちゃんとか、いるよー」

「ああ、蜜柑なら普通にいるね」


そこでアケミが、悪女の顔でレモンの方を見た。さっきは自分が悪女だと思った薫だったけど、この子の妖艶な笑みは本物だ。


「でもさあ、あんたの場合、メロンの方が良かったんじゃないの?」


レモンの方は、「アケミさん、ひどい」と言って拗ねた表情をする。


「ごめん、ごめん」

「はあ。ほんと、デカいと碌なことないんだよね」

「良いじゃない。それで稼げてるんだろ?」

「別に、これで稼ごうとは思って無いんだけど……あれ、ナミ、どうした?」

「ナミは、でかいのに憧れるんだろ?」

「もう、アケミさん、はっきり言わないでよ-」

「ナミは、可愛いから良いんだよ……てか、ナミもそれが売りなんじゃないの?」

「うーん、微妙かも。てか、話題、変えたい」


ナミが俯いて低い声になったので、すかさずアケミが薫に顔を向けてきた。


「えーと、あんたの名前、聞いてなかったね」

「あ、はい。えっと、カオルだけど」

「ふふっ、さっきのレモンとおんなじこと聞くけど、本名?」


言われてみれば、カオルも源氏名に聞こえなくもない。


「本名だよ。私は、男と間違えられそうな名前で嫌だけど」

「てことは、難しい方の漢字なんだね」


薫は、首を縦に振った。


「それでさあ、カオルって、今日が誕生日じゃなかった?」

「えっ?」


アケミの言葉に、薫は固まってしまった。そして、必死に頭を働かせる。私、このアケミって子に、自分の誕生日とか言ったっけ?


「やっぱ、そうなんだね。実は今朝、あのスケベなオヤジが話してるの聞いたんだよ」


スケベなオヤジというのは、広告代理店の男のことだろう。


「えー、今日が誕生日ってことは?」

「イブが誕生日ってことだよねー。いいなあ、すっごいロマンチック」

「ふふっ、ナミってそういうの好きそうだもんね。まあ、アタシも良いなって思うけど」

「だよねー」


レモンとナミが言い合うのを聞きながら、薫は昔、幼馴染の親友に同じことを言われたのを思い出してしまった。


「ねえねえ、それでカオルっていくつになるのー?」


ぶしつけな質問は、ナミからだった。


「こら、ナミ」

「いいじゃない。カオル、どう見ても若そうだし」

「そういや、あのオヤジが年齢査証じゃないかって言ってたもんね」

「えっ?」


薫は少し混乱していた。


「私、年齢査証とかしてないよ」


薫の返事を聞いて、アケミが噴き出した。

レモンが、「誰もそんなこと思ってないよ」と言う。


「それに、もしカオルが年齢査証してたって、アタシは何とも思わないよ。そんなの、この世界じゃフツーじゃん」

「てかさあ、年齢査証はナミだと思うよ。もちろん、別の意味でだけどさ」

「アケミさん、ひどいー。ナミも年齢、偽ってないよーだ。あ、カオル、ナミも言うから、教えてー」


どう見ても高校生にしか見えないナミが、両手を合わせて頼み込んでくる。それで薫は、心の中で苦笑しつつも、答えてあげることにした。


「えっとねえ、二十五なんだ。みんなと比べると、オバサンだよね」


引かれるかもと怯えつつ答えた薫だったのだが……。


「うっそお、あたしと同じ歳じゃん」

「ええー、ナミよりもお姉さんなのー。信じらんなーい」

「ふふっ、アタシは年上かなあって思ってたよ。でも、まさか四つも上とはね」

「あ、ナミは二十三だよー」

「ええ-っ」


ナミの何気ない言葉に、今度は薫が思わず声を洩らしてしまった。


「えー、何で驚くのー。てか、ナミも五つくらいなら平気でサバ読めるんだけど、カオルなら、十歳だって平気そうじゃん」

「だね。ナミも合法ロリだって思ってたけど、もっと凄いのがいたよ」

「何それ、合法ロリって、ひどくなーい?」


ナミが口を尖らせてアピールするけど、他の二人はスルーだった。

それから、急に巨乳のレモンが立ち上がって言った。


「それよりさあ、誕生日だったら、お祝いしなきゃね」


レモンは、そのまま更衣室から飛び出して行ってしまい、今度はアケミがこんなことを言い出した。


「じゃあ、あたし、ケーキ買ってこよっかな。確か近くにあったよね?」

「うん。けどー、まだあるかなあ」

「どうせ、昨日の売れ残りがあるんじゃない? きっと安売りしてるよ。取り敢えず、見て来るよ」

「そっかあ、じゃあ、ナミはどうしよっかなー」

「そこに居な。カオルの話相手になってあげなよ」


そう言って、今度はアケミが出て行ってしまった。



★★★



「カオルってさあ、これから、彼氏さんとかとデートなんじゃないのー?」


レモンとアケミがいなくなった後、ナミが最初に口にしたのは、こんな問い掛けだった。薫の方は、「まさかあ」と軽く答えておく。


「ナミちゃんこそ、どうなの?」

「ナミん、母子家庭だからさあ。それに弟と妹いるしー。やっぱねえ、男よりもまず働かなきゃ-」

「そうなんだ」


ナミは外見に似合わず、家族思いの子のようだ。案外、こういう子の方が、しっかりしていたりするのかもしれない。


しばらくナミと雑談していたら、ショートケーキの箱を抱えたアケミが戻って来て、そのまま三人で他愛もない話をした。

二人の見た目は垢抜けていて、普段の薫だったら決して話さないタイプなのに、不思議と会話が弾んだ。


そうこうするうちに、今度は最初に出て行ったレモンが勢いよくドアを開けて、部屋に飛び込んで来た。

その彼女が両手に抱えていたのは、とっても大きな花束だった。


「ほら、カオル、お誕生日おめでとう」


レモンが言うと、残りの二人も拍手をしてくれて、おめでとうを言ってくれる。


花の種類は色々で、高そうな赤いバラも何本かある。赤、青、黄色に白いかすみ草と、色彩的にもカラフルだ。


「あ、あの……?」


あまりのことに、薫がどうお礼を言おうかとあたふたしていると、レモンが口を開いてしまった。


「この時間に、そこのかどのお花屋さんへ行くとね、余ったお花をすごく安く譲ってくれるんだ。アタシ、その花で時々ブーケとか作ったりしてるの」


レモンが言うには、いつか自分でお花屋さんをやるのが夢なんだそうだ。


「アタシ、家の近所の花屋でもバイトしてんだけど、そこはお給料が安くてね。こっちで稼いで、花屋は勉強の為って割り切ってるんだ」


外見に似合わず、目的を持って頑張ってる子だった。


その後は、アケミが買ってきてくれたイチゴが乗ったショートケーキを、四人で食べた。

アケミにとっては、ケーキと言うと必ずイチゴが乗ってなきゃダメらしい。詳しくは聞かなかったけど、そこにも彼女の隠されたストーリーがあるようだ。


やがて三人の休憩時間が終わって、薫と同じシフトの二人が入ってきた。


「あ、あんた、大丈夫だった? ごめんね、あたし、見てたのに、な-んにもしてあげられなくて、本当にごめんなさい」

「ほんと、大変だったねえ。私、全然、別のとこにいて分かんなかったんだけど、今、この子に聞いて、やっと何があったのか分かって、びっくりしちゃった」


彼女達も優しかった。


「あれ、すごい花束」

「今日はねー、カオルの誕生日なのー。あ、カオルはこっちのお姉さんのことだよー」

「えっ、そうなの? お誕生日おめでとう」

「おめでとう。そんな日に、とんだ災難だったね」


二人も薫の誕生日を祝ってくれた。

薫は、その二人に、一番気になっていたことを尋ねた。


「あ、あの、今、フロアの方は?」

「あの後、偉そうな人が来て、フロア長、どっかに連れてかれたみたい。まあ、事情聴取だろうけどね。それから、少しの間はざわざわしてたけど、今は落ち着いてるよ」

「うん。もう出てっても大丈夫じゃないかな。あ、でも何か聞かれるかも。私も店の人に聞かれたんだ。だから、フロア長の悪行、全部ばらしてやったよ」

「そういや、あたしも聞かれた。直接は見てなかったけど、フロア長には私もお尻とか触られたから、いろいろ言ってやったよ」

「じゃあ、ナミ達も聞かれるのかなあ」


薫は、ちょっと考えてから、「私、早めに逃げた方が良いかなあ?」と訊いてみた。

答えてくれたのは、薫と同じ歳で一番の年長者らしいアケミだった。


「カオルが訴えたりする気が無いなら、それでも良いかもね」

「訴える気はないよ。めんどくさそうだし」

「うん。その方が賢明だと思うよ。あたし達がうまく言っとくから、カオルは行っちゃいなよ。できるかどうか分かんないけど、今日のお給料だけでも支払われるように言ってあげるから」


薫は、アケミが言ってくれたように、出て行くことにした。このままここにいると、「偉そうな人」に呼ばれて、恥ずかしいことを根掘り葉掘り聞かれかねないと思ったからだ。


薫は彼女達に何度も「ありがとう」を言ってから、先にアケミ達三人を見送ると、大急ぎで着替えた。

脱いだ衣装はゴミ箱に突っ込んでやった。ピンヒールは一瞬迷ったけど、それも一緒にゴミ箱に放り投げる。

そして、休憩に入った二人にも挨拶をした後、大きな花束を抱えた薫はフロアに出て行った


脇目も振らずに出口を目指したのだが、それでも店の若い従業員の男に声を掛けられた。彼は、いきなり薫の手首を掴んで、「店長が呼んでるから来い」と言う。


「嫌です」

「つべこべ言わずに、来い」

「お兄さんさあ、彼女、嫌がってるじゃん。セクハラで訴えるよ」


助けてくれたのは、アケミだった。男の手が緩んだ隙に手を振りほどいた薫は、アケミの「行って」という言葉で、ペコリと頭を下げた後、急いで外に飛び出して行った。



★★★



最寄りの駅からアパートに行く道の途中に、薫が長年バイトをしていたファミレスがある。

一瞬、迷ったけど、薫はその店に寄って行くことにした。


従業員口から店の中に入って行く途中で、バイトの同僚の子に声を掛けられた。


「あれ、水草さん、今日はお休みじゃなかったっけ」

「うん。ちょっと吉川店長に話があるんだけど」

「うわあ、何、そのすごい花束」

「へへっ、貰っちゃった」

「ああ、水草さん、誕生日だもんね。ちょっと待っててね。確か事務所にいたと思うから……」

「あ、私から行くよ。ありがとう」


薫は、細い通路を通って事務所に向かう。吉川店長は、小さな事務机に向かってPC端末を操作していた。


「あれ、薫ちゃん、どうしたの? うわ、花束、凄いね。そっか、誕生日だもんね。おめでとう。二十五歳だね」

「はい。四捨五入すると、三十歳になっちゃいました」

「なに生意気なこと言ってんの。それじゃ私、四十じゃないの」

「店長は、若いです。私なんて……」

「こら、そうやって、僻んでばかりいる癖、止めなって言ってるでしょう」


薫は、素直に「ごめんなさい」を言う。本当は笑いたいけど、やっぱりうまく行かない。


「ふふっ。無理に笑わなくて良いわよ。どうしたの? 何か私に言いたいことがあるんでしょう?」


吉川店長は、何でもお見通しのようだ。少しだけ間があったけど、六年半もお世話になってきたんだもの。

薫は、全て打ち明けることにした。この人の前では、嘘はつけない。

さすがに店長も「今からでも東京を離れたい」という薫の言葉には、一瞬だけ驚いた表情を見せたけど、すぐに「分かったわ」と返してくれた。


「そっか。やっと決心したんだ」

「はい?」

「仕方がないね。夢だけじゃ食べて行けないし、薫ちゃんの場合、その夢も空回りしてたみたいだったし……。まあ、よくここまで頑張ったよ」

「はいっ」

「でもね。頑張ったことは、絶対に無駄じゃないから。人生に無駄なことなんて無いの。それだけは覚えておいて」

「えっ?」

「ふふっ、ちょっと急だけど、決めたら即行動ってのは悪くないと思うから、協力してあげる。薫ちゃん、お金はあるの?」

「あ、はい。夜行バスに乗るくらいなら、ギリギリ何とか」


吉川店長は呆れた顔をして、ちらっと時計の方に目をやった。


「駄目よ。最後くらい新幹線を使いな。今からなら、まだ今日中に帰れそうだしね」

「えっ?」

「それと、家賃は払ってあるの? 夜逃げなんて、駄目だからね」

「えっと、先月分までは……」

「分かった。私が一緒に不動産屋、行ってあげる。あとは引っ越しだけど、大物で持って行きたいものってある?」

「無いです」

「そっか。じゃあ、行こうか」

「えっ、でも……」

「さっき協力してあげるって言ったでしょう。最後ぐらい、お姉さんに頼りなさい」



★★★



この吉川店長も高校卒業後、十八で東京に出て来たのだそうだ。彼女は二年間、デザイン系の専門学校に通ったが、そっち関係の就職はできなかった。それでもバイトで生活費を稼ぎながらネットでデザインの請負をやって、六年くらい頑張ったらしい。


「……結局、デザイナーの夢は諦めて、バイト先で正社員にしてもらい今に至るわけだけど、私は運が良かったと思ってる。高卒で正社員にしてもらって、しかも店長になんて普通、なれないもの」


店の車を特別に出してくれた吉川店長が最初に向かったのは、ホームセンター。そこで段ボール箱とガムテープを買ってから、薫のアパートを管理している不動産屋に行く。吉川店長はそこの社長と顔見知りだったようで、すんなりと敷金をそのまま渡してくれた。そこから十二月分の家賃を払っても、多少は手元に残った。


そのまま薫のアパートの部屋まで一緒に来てくれた吉川店長は、部屋にほとんど何もない状態に驚いていた。


「私も昔は物があまり無かったけど、私以上ね。冷蔵庫と洗濯機、それにこたつは使えそうだから、うちの子の誰かにあげるとして、この炊飯器とトースターはゴミで出しましょう。ベッドだけは粗大ごみかな。布団とかもゴミで出しちゃいましょう」


吉川店長に手伝ってもらったら、一時間もしないうちに薫の持ち物の全てが、小さなキャリーバックと段ボール箱三つに収まってしまった。


段ボール箱を車に運んでいると、たまたま隣の椛姉もみじねえさんが外に出て来たので挨拶する。彼女は水商売で働いていて、これから出勤らしい。


「ふーん。夜逃げかあ。アタシにも経験あるよ。あ、ゴミとか出しといてあげるから、そこに置いときなよ」


この椛姉さんは、薫がお金が無くてどうしようもない時、ご飯を食べさせてくれたことが何度かある。

「だって、隣の部屋で餓死者が出たら、気持ち悪いじゃない」とか言いながら、全く嫌そうじゃなかった。

薫が元カレと別れて部屋に閉じ籠ってた時も、ドアをドンドンと叩いて、「生きてるかあ?」と心配してくれたりもした。


「東京にはさあ、薫みたいな子、いーっぱい居るんだぞ。自分だけ惨めだなんて思っちゃ駄目。どんなに辛くたって、アタシみたいに笑ってりゃー何とかなるもんさ」


そう言ってケラケラと笑ってばかりいる人だ。淋し気にお礼を言う薫に対して、最後もやっぱり笑いながら見送ってくれた。



★★★



薫は最寄りの駅までで良いと言ったのだが、吉川店長は品川駅まで送ると言い張って聞かない。

その車内で、改めて「お誕生日、おめでとう」を言われた。


「年取るとね、誕生日なんてどうでもよくなるっていう人がいるけど、そういうのはダメだと思うの。たとえ人が祝ってくれなくたって、自分だけでもちゃんと『おめでとう』って言わなきゃ。だって、また一年、頑張って歳を取ったわけじゃない。だったら堂々と胸張って、自分に『良くやったね』って言ってあげなきゃ。私は、そうしてきたわよ」


そんなことを言う吉川店長は、薫にとって尊敬する人のひとりだ。でも、今の薫には、彼女のようになれる自信がない。

それを言うと、吉川店長は優しい顔で頷いた。


「そっか。やっぱり、今の薫ちゃんには、休息が必要ね。まずはゆっくり休んで、美味しいものを食べたりして、頑張るのはそれからで良いわ。四半世紀生きて来た自分を、たまには甘やかせてみたらどうかな」


品川駅に着いた時、彼女は素敵な笑顔で、薫を送り出してくれた。


だけど、薫が暖かい気持ちでいられたのは、そこまでだった。


都会の冷たい風が、薫の身体と心を凍えさせる。


右手に大きな花束を抱え、左手で古いキャリーバックを引き摺って、薫は品川駅の人混みの中に消えて行った。


新幹線の改札口まで来ると、吉川店長が餞別代りに取ってくれた電子切符を読み取り機にかざす。ピッと電子音がして通り過ぎる。

ホームに下りると、ちょうど発車ブザーが鳴っていた大阪行きのぞみ号に飛び乗った。

その直後にドアが閉まり、ゆっくりと車両が動き出す。

大きな花束を抱えた薫は、そのままドアにもたれ、後ろに流れて行くビルの明かりをぼんやりと眺めた。


自然と涙が溢れ出し、止まらなくなった。


薫は涙でぐちゃぐちゃになった顔を花束で隠すようにして、ずっと立ったままでいた。


私にとって、東京での七年間はいったい何だったんだろう?


薫の問い掛けに、答えてくれる人は誰もいなかった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

次話は、再び薫のコンビニでのバイトの話になります。


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