第23話:愛衣の事情 <薫サイド>
再度、見直しました。
◆7月22日(水)
水草薫は、この日、久しぶりに寝坊した。
目が覚めたのは暑さのせいで、窓から差し込む強い陽射しが既に太陽が高くまで登ってしまっていることを示している。
当然、身体は汗びっしょりだ。Tシャツが身体にへばり付いていて気持ちが悪い。
薫は、昨夜なかなか寝付けなかったことを思い出した。それと同時に、元カレの藤田翔とケンカ別れしたことが脳裏によみがえってしまい、朝だというのにどんよりと沈んだ気分になった。まさにケンカの後遺症といった感じだ。
今日はバイトが昼からだから、寝坊したと言っても大丈夫なんだけど、こんな暑さでは、寝ているどころじゃない。
それで薫は布団からもぞもぞと起き上がったのだが、ふと隣を見ると、母の佳代はまだ寝ている。この母は余程のことがない限り、一度寝たら目を覚まさないのだ。
一晩中、窓は網戸にしてあるから風は入るのだが、やはり、この季節はエアコンを入れないときつい。もちろん、このアパートにもエアコンはあるのだが、電気代が掛かる割には効きが悪いので、あまり使いたく無いのだ。
薫は、重たい身体を引き摺るようにして浴室へ行き、シャワーを浴びる。新しい下着とTシャツに着替えて洗濯機を回す。もちろん、こんな音でも、佳代は起きない。
リビングの古い掛け時計を見ると、既に九時半を回っていた。妹の楓は、とっくの前に市立図書館へ行ってしまったようだ。アパートの部屋は暑いから、学校が無い時、楓はいつも図書館にいるのだ。
ご飯は炊いてあるし、味噌汁もできているので、簡単にサラダだけ作って佳代を起こす。さすがにこの時間だ。何度か揺することで起きてくれた。
それでも半分寝ぼけた状態の佳代を食卓に着かせて、ご飯、味噌汁、サラダ、そして漬物だけの朝食を前に、「頂きます」を言う。
食べながら、薫は独り言のように口を開いた。
「そろそろ、本気でここを引き払うことを考えないとね」
やはり女所帯に、このアパートは物騒だ。
しかし、今朝も佳代の返事はそっけなかった。
「そうだねえ」
「だから、楓のことが心配でしょう?」
「楓は、八木さんとこの子が送ってくれるから、大丈夫なんじゃないかい?」
八木家は、水草家の数ある分家の中で最も優勢を誇った家だった。中州でも五本の指に入る豪農と言われていたのだが、水草家同様、今では落ちぶれてしまっている。とはいえ、八木家が借りたのは天王駅の東側にあるマンションなので、水草家の場合よりは多少良い経済状態にある筈だ。
その八木家には二人の息子がいて、次男の颯太が昔から楓と仲が良く、何かと楓の世話を焼いてくれている。具体的には、学校で楓が遅くなった時なんかに方向が全く違うにも関わらず、このアパートまでわざわざ送ってくれるのだ。そんな時の待ち合わせ場所は、楓が通っている天王高校に近く、比較的安全な所にあるコンビニEマート、つまり薫のバイト先だった。
とはいえ、それでも薫には不安だった。
「大丈夫ってことはないんじゃない? あのひょろっとした子が楓を守れるとは思えないんだけど」
颯太は楓より一つ下の高校二年で、天王北高校に通っている。最近、やっと身長が楓を上回ったとはいえ、薫には彼が小さい頃のイメージが抜け切れていない。いつも泣いてばかりいた颯太が楓を守れるだなんて、どうしても思えないのだ。
それに……。
「あの子、こないだから夜のバイト始めたんじゃなかったかな。ほら、天王通りの大衆酒場。だから、もう前みたいに楓の相手してられないと思うんだけど」
「八木さんとこも、借金は大変みたいだからねえ」
「もう、お母さんったら、他人事みたいに言わないでよ。楓が心配じゃないの?」
薫は楓が心配でならないのだが、相変わらず佳代の反応は思わしくなかった。
「そんなこと言ったって、お前、引っ越しとなると、お金が掛かるだろう? それに家賃だって、ここより高くなるんじゃないかい?」
「だから、お金のことは大丈夫だって言ってるじゃない」
「でもねえ。先のことは、何が起こるか分からないじゃないかい。ちゃんと借金を払い終えてからじゃないと、私は心配だよ。楓が大学に行くとなると、お金が本当に要るのは、これからなんだし……」
佳代が言いたいことは分からないでもない。これまで佳代は借金のせいで散々な目に遭ってきたのだ。その恐怖はそんなに簡単に忘れられるものじゃない。
薫の家族は、外資系企業に大きな屋敷と広大な田畑を奪われて、天王市内でも治安が最悪の地区の古いアパートに追いやられた。確かに家賃の安さは魅力だけど、女所帯には心もとないことこの上ない。
特に妹の楓は、年頃の女子高生なのだ。
薫が溜め息を吐くと、佳代は立ち上がって食器を流し台に持って行く。薫は、「あ、お母さん、私が洗っとくから」と言って、慌てて席を立った。"
★★★
今日の薫のバイトは、正午から夜中の十一時迄。そのうち、夜九時迄は女子高生の牧野愛衣も薫と一緒だ。それに、昨日と同様、比較的忙しい午後四時から八時の時間帯は、女子大生の斉藤美月が入ってくれることになっていた。
今日は薫にとって、久しぶりの夜遅くまでのシフトだ。
少し前までの薫は、一円でも多くお金を稼がなければならない状況にあった為、夜間も含めて貪欲にシフトを入れていたのだが、今はもうそんなに働く必要はない。でも、あの古いアパートにいるよりは、ここでバイトしている方が涼しくて快適なので、まだ当分はバイトを続けようと思っている。
ただ、夜の勤務は、そろそろ止めるつもりだった。それなのに、今週もこうして夜中までのシフトを組んでいるのは、愛衣が心配だったからだ。だけど目一杯はきついので、週二回だけにした。
本当は愛衣と同じ夜九時迄で良かったのだが、それを今までと同様に十一時迄にしたのは、店長に頼まれてのことだ。日比野店長にはお世話になっているので、余程の事でない限り、薫は受けることにしていた。
「あ、薫さん、おはようございます」
「愛衣ちゃん、おはよう」
着替えを終えて店に出て行くと、さっきは居なかった愛衣が、レジカウンターに立っていた。
「もう、薫さん。今はお昼ですよ。おはようじゃないです」
そう言いながらも、レジに立っている愛衣は、手をしきりに動かしてお客さんの商品を捌いている。
愛衣はセーラー服の上にエプロンを掛けるだけだから、更衣室を使う必要がないのだろう。その証拠に、私物を入れたバックが隅の方に置いてある。前に「私物は更衣室のロッカーに入れるように」と言ったことがあるが、いつも手が空いた時に持って行くようなので、うるさいことは言わないことにしている。
もっとも薫の場合、更衣室は単に着替えるだけじゃなくて、撥ねた髪の毛を直したりの身だしなみを整える場でもある。
あ、そう言えば愛衣ちゃんの髪の毛……。
「どうしたんですか、薫さん。私の髪に何か付いてます?」
ようやくお客さんが途切れた時、愛衣が小走りに薫の所にやって来て声を掛けた。
「あ、いや……愛衣ちゃんの髪の毛なら、撥ねたりしないから良いなあって……」
「ああー、それ、楓ちゃんに何か言われたんでしょう。もう、何でも薫さんには喋っちゃうんだから」
「ううん。楓が愛衣ちゃんと友達だって知ったの、昨日のことだよ」
「えっ、そうなんですか? 今日だって、さっきまで一緒に図書館で勉強してたんですけど」
「そうなんだ」
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
団体のお客さんがやって来て、二人ともレジに戻る。
薫は、忙しく手と口を動かしながら、愛衣と楓のことについて考えていた。
愛衣と楓は、二人とも受験生。その二人が属しているのは国立理系クラスで、しかも、この辺では最難関の国立大学を目指しているらしい。文系で、どちらかというと数学は苦手だった薫には、別世界の人種である。
昨夜、楓から聞いた話だと、この二人が親しくなったのは、比較的最近のことらしい。四月に初めて一緒のクラスになったのだけど、どちらも休み時間は参考書と睨めっこ、あまり人と話さない生徒で、クラスの中で浮いていたのだという。
「ほんと、楓ちゃんと私って、似た者同士だったんですよ。ふふっ、外見はちっとも似て無いんですけどね。楓ちゃんって背がすらっと高くて、凛々しい麗人って感じですもん」
「ふーん。それで、どうやって楓と仲良くなったの?」
「それはですね、二人だけ担任の先生に呼び出しを受けたんです」
「えっ?」
薫は、二人が呼び出しを受ける理由を考えてみた。一番可能性が高いのは、二人揃って協調性が無いとかだろうけど、でも……。
「あの、素行が悪いとかじゃないですからね。実は、私達の住んでる場所のことなんです」
「ああ、なるほど」
薫は、すぐに納得した。つまりは、治安の問題だ。
「たぶん、ご存じだと思うんですけど、楓ちゃんも私も通学時はジャージ姿なんです。セーラー服だと、ひと目で女子高生だって判っちゃうでしょう。それにセーラー服って、いたずらに男性の劣情を煽るアイテムじゃないですか?」
「れつじょう?」
人並み以上に可愛い愛衣の口から、彼女には全くそぐわない単語が出てきて、薫はオウム返しにしてしまった。
「そう、劣情ですよ。ほら、私がセーラー服の上にエプロン着けてお店に立ってるのだって、その方が男の人の受けが良いからみたいですよ」
薫は『それって、単純に日比野店長の趣味というか、セーラー服フェチだからなんじゃないの』と思ったのだけど、口に出しては言わないでおいた。店長にはいろいろとお世話になっている。
「それで、その時、先生と話し合ったんです。男の人の劣情を煽らない為に何ができるかって」
どうやら愛衣は「劣情」という言葉がお気に入りらしい。
「いろいろ出たんですけど、楓ちゃんも私もビンボーだから、あ、ごめんなさい」
「いいよ。実際、ビンボーだもん」
「まあ、そうですよね。あの地区に住んでる訳だし……。で、二人共お化粧はしてないし、髪の毛とかも黒いままだし、楓ちゃんは髪の毛を切ることも言ったんですけど、二人とも既に短いし……まあ、楓ちゃんは私ほどじゃないけど……」
ジャージ通学に関しては、愛衣の場合、一年の時から許可されているそうだが、楓の場合は、もちろん今のアパートに引っ越してからの適用だ。
愛衣の場合、それでも、門の所で知らない先生に何度も注意された経験があるらしい。その都度、その場でお説教されたりしたようだけど、いつもへらへらと笑っているそうだ。そして一通り怒られた後で生徒手帳に記載された住所を見せると、たいていは解放してくれるという。
だけど時々は、職員室まで連行されたりするそうだが、担任の先生が間に入ってくれて、逆に謝られたりするらしい。
「本当は、夏だとセーラー服の方が断然、涼しくて良いんですけど、安全第一ってことで、仕方ないですね」
薫自身の経験からも、「ジャージの方が暑い」というのは納得できる。それに、その方が楽だからとジャージで登下校する女子高生なんて普通はいないに違いない。たいていの女子高生というのは、自分を少しでも可愛く見せるのに命を賭ける人種なのだ。
それが愛衣や楓の場合、一に安全、二に節約で、お洒落はその次になってしまっている。仕方がないこととはいえ、可哀そうだと思ってしまう。
ちなみに楓の場合、やはり校門で怒られて、薫みたいに完全無表情で突っ立っていたら、即座に職員室へ連行されてしまったそうだ。でも、楓は成績が学内でトップクラスで、先生方にとって有名な生徒だったことから、すぐに開放されたのだという。
ジャージ登校以外にも、二人は距離に関係なく自転車通学が認められている。これは結構、有効な手段のようだが、それでも、多人数で道を塞がれたりすると捕まってしまうので、万全ではない。
ともあれ、その時は先生と話し合っても、シャージと自転車登校の他に追加の対策案は出ずにお開きとなったらしい。ただ、ひとつ決まったのは、できるだけ二人は一緒に登下校すること。それでも愛衣はバイトがあるので帰りは別々のことが多いのだが、朝はいつも一緒に行くようになったようだ。
でも、この時の最大の収穫は、二人が初めてお互いを認識し、その場ですぐに友達になったことだろう。二人は、貧困にあえぐ中で何とか難関の国立大学への合格を目論む同志だったのだ。そうすることで少しでも社会の底辺から這い上がろうと大それた野望を抱く点でも、二人の目的は同じだった。
「普通の人は、普通に努力するだけで充分に夢が叶ったりすると思うんだけど、貧乏人は何十倍も努力した上に、運まで味方に付けないと、普通の人にだってなれないんですよ」
愛衣は軽く笑って言うのだが、言ってることの中身は重い。薫や楓の場合、そこに家の没落で下への慣性が加わって、相当なパワーじゃないと再び上に向かうのは難しい。
「貧乏人は貧乏人のままでいりゃいいんだ。貧乏人のくせに大学に行きたいだなんて、思い上がるのもいい加減にしろ。まして、お前は女だろ。尚更、金がもったいないわ。そんな金があったら、俺に酒を飲ませろ」
実際、愛衣は父親に、そんな風に言われたことがあったらしい。
実は、楓や愛衣のアパートがある地区から天王高校に通う生徒はすごく珍しいようで、現在、二人だけなのだそうだ。なので、高校側としても二人に特別の対応をしている訳だが、当然、二人の家庭事情そのものを何とかできる訳ではない。
それでも、普通はなかなか認められないバイトの申請が、愛衣の場合、即座に下りたりと優遇してもらっている。それで愛衣は、こないだまでの薫と同様、バイトのシフトを目一杯入れた上に、更にバイト量を増やすべく昨日から夜九時迄の勤務に挑戦している訳だった。
★★★
それからも薫は、愛衣と様々なことを話した。愛衣が楓の友達と分かって親近感が増したこともあり、今まで何となく避けていたような愛衣の両親のことまでもが話題となった。たぶん、愛衣もいろいろと悩んでいて、誰かに話しを聞いてもらいたかったんだろう。
今日もお昼の忙しい時間帯を過ぎると客足がピタッと途絶えたこともあって、愛衣との話は思いの外に盛り上がった。
愛衣の母親、牧野由利の口癖は、「あの人のせいで、あたしの人生、滅茶苦茶よ」だという。でも、それを直接、夫にぶつけることはしない。そんなことをしたら、怒鳴られて暴力を振るわれるからだ。
その父親は、あまり家に寄り付かないらしい。ところが、たまに家に顔を出した時には、必ずお金をせびるのだそうだ。
「できれば、両親に離婚して欲しいんです。そうしたら、私達の生活も少しは楽になるんだけど……」
そうやって呟く愛衣を横目で見ながら、薫は陳列棚の商品を整える。賞味期限切れの総菜やおにぎりを休憩室にある冷蔵庫に移し、薫と愛衣の夕食にするのだ。
「普通の家庭は父親が稼いできてくれるんでしょうけど、うちは逆なんです。お母さんと私が一生懸命に働いても、ちっとも生活が良くならないし、食べ盛りの弟には、満足な食事も出してあげられない。あ、ここの破棄品、本当に助かってます」
「ふふっ、それは、うちも同じだよ」
「ですよねえ。コンビニの弁当とか毎日食べてると身体に悪いって言うけど、食べられないよりはずっと良いですもん」
愛衣の母親は調理師で、とある工場の社員食堂で働いていたのだが、そこを辞めて昨日から新しい職場で働き出したらしい。そのことを愛衣は、今朝になって知って驚いたのだという。
「私が図書館に行くので家を出ようとした時、まだお母さんがいたんです。それで、『どうしたの』って聞いたら、夕方から働くことになったって言うんですよ。これからは、居酒屋で働くんですって」
「転職したってこと?」
「転職したっていうより、させられたって感じですね。先週、お母さんの職場にお父さんが怒鳴り込んで来たそうなんです。要は、お母さんにお金をせびりに行ったんだと思うんだけど、お父さん、酔っぱらってたみたいで、大暴れしちゃったらしくて……。それで、お母さんは職場に居辛くなって、辞めちゃったそうなんです。もうこれで、二回目なんですよ」
愛衣が、父親のことを自分から口にするのは珍しい。今回のことは、相当にショックだったんだろう。
「でもね、すぐに新しい仕事が見付かって、本当に良かったです。あの、天王通りにある『大衆酒場』っていう居酒屋なんですけど……まあ、夜のお仕事にはなっちゃうんですけどね。ちゃんと調理師の仕事みたいだし、お給料も前より多く貰えるみたいなんですよ。だけど……」
一度は明るい表情になった愛衣だったが、再び俯いて口籠ってしまった。きっと、父親のことを思い出したんだろう。
愛衣の父親のことは、薫も断片的にしか知らないのだが、普通には働いていないらしい。薫が聞いているのは、「天王通りとかで道行く人を脅しては、お金を巻き上げるようなことをしてるみたい」ということだった。
「……監視カメラに映らないようにするのがテクニックだって、お父さん、偉そうに言うんですよ。もう、あんな人、早く警察に掴まっちゃエバ良いのに」
それでも愛衣が言うには、今の警察は凶悪事件の捜査に掛かりっきりで、スリや恐喝なんかには人を割く余裕なんて無いそうだ。だから最近では、天王市も治安が悪くなる一方なんだろう。
「お母さん、離婚しようとは思わないの?」
「もちろん、お母さんの方は離婚したがってますよ。でも、お父さんは離婚したくないみたいで、一度離婚届を見せたら、もの凄い剣幕で怒り出しちゃって、それで顔とかも殴られて、しばらく仕事に行けないことがあったんです。それからは、お父さんが怖くて、離婚の話は切り出せないみたいなんです」
「そうなんだ」
「それとですね、私と弟があの危険な界隈で襲われたりしないのって、お父さんの子供だからって理由もあるんです。お父さん、一応は、あの辺の悪い連中が私達に手を出さないようにって、睨みを利かせてくれてるみたいなんです」
だから、愛衣の母親は離婚しないということなんだろうけど、どうにも言い訳っぽい。そこは、愛衣も同じように感じているみたいだ。
「でも、本当に襲われないかどうかなんて、分からないと思うんです。だって、うちのお父さん、そんなに力があるとは思えないんだもん。襲われてから気付いたって、後の祭りじゃないですか」
それで、楓と仲良くなってからは、毎朝一緒に登校していたわけだ。帰りも愛衣にバイトが無い時は一緒だったそうだ。
そして、夏休みに入ってからは、一緒に市立図書館に通っているという。もっとも、愛衣の方は昼からバイトのことが多いので、午前中だけらしいけど……。
「弟さんは?」
「うちの地区の子は、学校から集団登校するようにって言われてるんで、行きも帰りも誰かと一緒なんです」
それから愛衣は、何かを思い出したように「くすっ」と笑った。
「楓ちゃんと私が一緒に自転車に乗ってるとこ、なんか男女のカップルみたいだって先生が言うんですよ。どっちもジャージとか着てるんだけど、薫ちゃんってすらっと背が高くて野球帽とか被ってるでしょう。ちゃんと男子に偽装できてると思うんです。でも私は背も低いし、髪の毛がこんなんでも全然、男の子に見えなくて……まあ、楓ちゃんが強そうだから、私は女の子でも良いんだけど……」
「うーん、甘えん坊の楓が強そうってのは、納得できないけど……。まあ、いいや。それより、愛衣ちゃんも野球帽とか被ってみたら?」
「弟のを被ってみたことがあるんですけど、余計に女の子っぽくなっちゃうんですよねえ……むぅ、なんで笑うんですかあ」
薫は、「ごめんごめん」と言いながらも、口元に手を当てて目を逸らした。愛衣が野球帽を被っている所を想像すると、どうしても笑えてしまったのだ。
「あ、でも今の薫さん、自然な笑顔でしたよ。薫さんって、『そうやって笑うと、凄く可愛いんだな』って思っちゃいました」
今度は愛衣にそう言われて、薫の方があたふたする番だった。
それが意識してできるんだったら、苦労はしないのだ。
だから薫は、いつもの無表情を懸命に保ちつつ、愛衣に「ありがとう」と呟くように言うのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
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