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第22話:歓迎会 <翔サイド>

再度、見直しました。

◆7月22日(水)


藤田(かける)の歓迎会は名古屋支社の営業部だけでなく、全部門の有志を含めた総勢四十名近くが集まる盛大なものとなった。しかも女性の比率がやたらと大きい。聞けば、普段めったに職場の飲み会には出席しない派遣社員までもが、ずらりと顔を揃えているという。


最初に中山支社長の挨拶があって、いきなり翔が自己紹介をさせられた。大勢の女性達の熱い視線を浴びる中、しどろもどろになりながらも何とか挨拶を終えると、受入先の垣見かきみ課長が乾杯の音頭を取ってくれる。

その直後、大きな拍手が巻き起こり、再び翔は出席者全員の注目を集めながら深く頭を下げたのだった。


「いやあ、藤田君はモテモテだねえ」とにやけた顔の中山支社長が、翔の肩を叩いてくる。

『モテモテって、いつの時代の言葉だよ』と思いながらも、「そんなこと全然ないですよ。こんなに綺麗な女性の方々に囲まれて、ドキドキしっぱなしです」と謙虚に答えてしまう。


後半の部分は、もちろん周りの女性達への配慮だ。社会人たるもの、こうした細やかな気配りが何よりも大切なのである。というのは、正面の支社長を除くと、翔の周囲はずらっと若い女性に囲まれてしまっているからだ。


場所は洋風居酒屋で、他のお客さんがいない所を見ると貸し切りのようだ。六人掛けのテーブルが二列に並んでいて、翔の両脇は鈴村千春すずむらちはると桜木莉子(りこ)犬飼葉月いぬかいはづきは正面にいる支社長の隣に控えている。他にも左右二つのテーブルの席は、全て女性陣に占有されていた。翔と支社長以外の男性社員は、全員が後ろの列のテーブルに押しやられている状態だ。

翔は、それら男性社員達の恨みを買わないだろうかと、冷や汗たらたらであった。



★★★



翔の周囲に勢揃いした女性達は、それぞれ思い思いのカラフルな私服に身を包んでいる。夏だから薄着な分、余計に華やかな感じだ。

そんな女の園に平気で割り込んで来る猛者もさがいた。翔が一時的に席を置いている営業四課の上司、垣見かきみ課長である。


「おう藤田。お前の席の周り、凄いことになってんな」


彼は翔を助ける救世主の顔をして現れて、隣の千春との間に立つ。


「あれだろ、ニューヨークだと大柄で気が強い女ばっか見てるだろうから、日本に帰って来ると、女なら誰でも可愛く見えるんじゃないのか?」


これだけ女性ばかりに囲まれていると、彼が来てくれてホッとする面もなくはない。だけど、翔にとっての垣見課長は、今の所、支社長の次に気を使う相手である。


「いやあ、そんなことないっていうか、皆さん、本当に素敵な方ばかりで……」

「あのね、藤田さん。そんなに気を使わ なくてもいいんですよ」


左斜め前から声を掛けてくれたスレンダーな女性、犬飼葉月は、今日もピシッとスーツ姿で決めている。ただし、今日のスーツは明るい若草色だ。

その彼女は、さっきから料理が運ばれてくる度にそれを小皿に取って、支社長と翔の前に並べてくれていた。

とはいえ、こんなに緊張する席では、翔も食が進まない。翔の前のスペースは、既に小皿で飽和状態だ。その中から垣見がひょいと春巻きを素手で掴んで、自分の口に放り込む。


「うん。うまいな」

「もう、垣見課長ったら、お行儀悪いですよー。それに、藤田さんとあたしの間に割り込まないで下さいっ!」


千春がいつものキンキン声を上げると、垣見をキッと睨み付ける。


「おお怖っ……でも、鈴村も必死だねえ。まあ、藤田は有望株だからな。せいぜい、ガンバレや」


垣見がなげやりにそう言うと、今度は鳥カラを取り上げて口に運ぶ。


「何ですかぁ、その言い方。あったまきちゃう。だいたい、そんな脂っこいものばっか食べてるから、お腹出ちゃうんですよー。そんな派手な色のサマースーツで若作りしたって、無駄ですからねっ!」

「そう言うお前さんだって、勝負服かなんか知らんが、派手な格好してるだろうが」


垣見が言うように、千春は葉月と対照的にカジュアルな服装をしていた。胸が大胆に開いたフリフリの黄色いワンピである。丈もかなり際どいミニで、翔としても目のやり場に困ってしまう。


「だいたい、あれだろ。お前さんの本音は、藤田と結婚したいというより、藤田にくっ付いてニューヨークに行きたいってことだろ」

「いーえ、そんなこと無いですぅ。ちゃんとあたしは、藤田さんご自身の魅力に惹かれたっていうかあ……てか、そもそも、そんな風に言っちゃったら、身も蓋もないじゃないですか」

「ほらな。そう言うってことは、やっぱ、行きたいんじゃないか」

「そりゃまあ、行きたい気持ちもちょびっとはありますよ。けど、メインはやっぱ、藤田さんみたいな素敵な男性と一緒にいられたらいいなあって……」

「いやあ、そりゃ変だろう。だいたい初めて会って二日で好きもくそも無いだろうが。お前、やっぱ、頭おっかしいんじゃねえか?」

「全然、おかしくなんかないですよー。誰だってあることじゃないですかあ。あのね、あたしは、藤田さんに一目ひとめ惚れしちゃったんですぅ。藤田さんは、あたしにとっての、運命の人なんですぅ。ねっ、藤田さん」


垣見課長とやり合っていた千春が、いきなり翔に抱き着いてきた。大きな胸が翔の腕に押し付けられたのを見た葉月が、目の前にあったトングを素早く掴んで千春の頭を叩いた。


ったーい」と千春が涙目になったのを見た垣見が、不穏な空気を察してか、後ろのテーブルに戻って行った。


「こらこら、君たち二人とも飲み過ぎなんじゃないのか」


千春と葉月の間で喧嘩が勃発すると見た支社長が、絶妙のタイミングで仲裁に入る。

翔の左隣で桜木莉子が、ホッと安堵の吐息を漏らした。いつもは彼女が、二人の喧嘩けんかを止める役目だからだろう。

ちなみに莉子の正面、翔の右前の席には、莉子の同期、つまり新入社員の女性が座っているのだが、さっきから千春と葉月の両先輩に恐れをなしてか、完全に固まってしまっている。


翔の左隣の鈴村千春は、今でも葉月をじっと睨み付けている。まるで全身の毛を逆立てた猫が相手を威嚇しているかのようだ。

そうかと思うと、さっと振り向いて、今度は翔の方に突っ掛かってきた。


「藤田さんも黙ってないで、あのメス犬に何か言って下さいよぅ。あれ、ビールが空になってる。莉子ちゃん、ちゃんといであげなきゃダメじゃない」


千春のその言葉で、反対側の桜木莉子が慌ててビールを注いでくれる。長い黒髪がテーブルに触れないように、そっと左手で押さえる仕草がなまめかしい。


「そうだ。今度、莉子ちゃん入れた三人でお食事でも行きません? ていうか、明日どうです、明日……」

「こらっ、千春。抜け駆けは駄目だって何度言えば分かるの。ちゃんと四人にしなきゃ、不公平でしょうが」


犬飼葉月が斜め前から口を出してきた。その隣の支社長も何故か首を縦に何度も振っている。まるで福島の方の民芸品みたいだ。


「君たち、なかなか積極的で良いねえ。頑張りたまえよ」


支社長は、そう言って葉月の肩をポンと叩くと「よいしょ」と声を出して椅子から立ち上がろうとする。

葉月が「あれ、支社長……」と声を掛けると、「ああ、年寄りは、そろそろ退散するわ。後は、若いもんだけでやってくれ」という声が返ってきた。どうやら若い女性ばかりの席は、支社長にとっても居心地が良くなかったようだ。


慌てた葉月が「それでしたら、お車、お呼びしませんと……」と言って支社長の後に続こうとすると、「今日はいいから、君もゆっくりしてなさい」と言い残して出て行ってしまう。

これはまずいと思った翔は、急いで先回りして支社長の前に出ると、大声でお礼を言った。


「ああ、藤田君か。今日の主役は君だからな。しっかりと頑張れよ」


その言葉と共に、翔は背中をどんと叩かれたのだった。



★★★



それからは、みんなそれぞれに席を移動したりして、会場は混沌として行った。

桜木莉子の前に座っていた彼女の同期の子は、いつの間にかいなくなっていて、二つの開いた席に次々と別の女性達がやって来ては、翔に挨拶がてら様々な質問を投げ掛けてくる。中には翔のプライベートに切り込む際どいものまであって、翔は何度も冷や汗をかきながら、丁寧に受け答えして行ったのだった 。


「藤田さん、人気者なのも大変ですね」

「本当にそうだよ。俺、こんなの始めてだからさ」

「そうなんですか。藤田さんってモテそうですけど」


時々、右隣の桜木莉子と短い会話を挟みながら、翔は淡々と女性達の相手をこなして行く。女性の扱いに慣れない翔にとっては、とても気疲れのする作業だった。

そんな翔をさりげない仕草で気遣ってくれていたのが莉子だった。飲み物のお代わりはもちろんのこと、暖かいおしぼりを渡してくれたり、飲み過ぎないようにウーロン茶を用意してくれたり、デザートが来たら自分より先に食べ易い一口サイズのフルーツとかを爪楊枝に挿して渡してくれたりする。

それでいて、彼女はもの静かで、積極的に会話には加わって来ない点も、翔にはありがたく思っていた。


一方で、莉子がいることで反対に気を使うことになったのが、下ネタのたぐいである。翔より年上の派遣社員達は、好んでそんな話題で翔をからかいたがる傾向にあったのだ。

おきまりの「藤田さんって、初体験はいくつの時ですかあ」に始まり、翔が口籠っていると「まさか、童貞じゃないですよねえ」と続く。「だったら、私が教えてあげる」だとか「あたし、お持ち帰りされたーい」と立候補する女性まで出る始末で、そのうち、「白人の女って、やっぱユルユルなの」だとか「本当にオーオーって獣みたいな声出してた?」といった、初対面の異性に対して有り得ない会話を平気で繰り出してくる。それに加えて、どの女性もひどく酔っぱらっていて、翔の反応を見てはキャーキャーと大声ではしゃぐのだ。

あまりにえげつない会話には、葉月と千春が止めに入ってくれるのだが、これまで何かと翔に絡みたがるその二人が、派遣社員達の前だとあまり話し掛けて来ないのが翔には不思議だった。


そんな派遣の女性達がいなくなった時、千春が小声で教えてくれた。


「あの人達ってね、同じ職場で働いてても、お給料とか福利厚生とか、あたし達とは全然違うじゃない。それに彼女達を邪険に扱ったりする女性社員とか、平気でセクハラする男性社員とかいて、毎日が大変なわけ」

「……?」

「それでも派遣先として、うちは超優良物件なのね。だから辞めさせられたくなくて、社員に何言われても逆らえないし、セクハラされても泣き寝入りしちゃったりするの。だから、誰もがストレス溜まっちゃってるから、こういう場で思いっ切り吐き出そうとするわけよ」


その後、葉月が神妙な顔をしてこぼした言葉は、翔にとって更に印象的だった。


「まあ、ひとことで言えば、身分の違いですかね。可愛そうだとは思いますけど、わたくし達ではどうしようもできません。今の日本は、いわゆる格差社会ですから」


確かに会社組織というのは、典型的なヒエラルキーで成り立っている。ただし「同一業務、同一賃金」が基本だから、どんなに優秀でも、派遣の女性達には補助業務以外は与えられない。

もちろん、本当に優秀なら社員登用も不可能ではないのだが、派遣会社との関係もあって、なかなか難しいのが実情だった。

一方で派遣会社というのは、能力よりも見た目で女性を採用しがちだ。というのは、人件費に多少は余裕がある一流の企業になればなるほど「見た目の良い」女性を好む傾向にあるからだ。


つまりは、需要と供給の関係である。

特に翔の会社のような一流商社になると、芸能人級の可愛い子とかも派遣されて来る。千春や葉月が戦々恐々として翔のガードを強めるのは、むしろそういった子達が近付いてきた時だった。そんな時だけは幼馴染としての本領を発揮して、二人でピッタリと息の合った鉄壁のディフェンス耐性を敷くのである。それを躱せる女性など、この支社にはいる訳がない。


やがて、翔たちのテーブルにやって来る女性達もいなくなり、翔と例の三人の女性だけになった。

後ろを振り返ってみると、一番に騒いでいたのは垣見かきみ課長で、さっき翔をからかっていた派遣のお姉さん達を相手に卑猥なジョークで盛り上がっている。

その向こうには、静かに飲みたい系の男性社員や、社内の噂話に興じている風の女子社員のグループができあがっていた。


「藤田さん。さっき千春が言ったこの四人での飲み会、あれ本気ですから、お願いしますね」

「そうそう、ここだとイマイチ飲めないってゆうか……」

「千春、あんた、そう言いながらも、相当飲んでるでしょうが」


葉月が言うように、千春の前には常に空のジョッキがいくつも並んでいる。

そう言えば、さっき面倒だからって、店員が大量にビールの中ジョッキを千春の前に並べて行かなかったか。あれって、ひょっとして……。


「そんなことないよ。いつもの七割くらいってとこかな」

「もう危険領域の八割に達しちゃってるんじゃないの。だいたい、あんたがMAX行ったら、大変なことになるでしょうが」

「千春先輩は、今日みたいに黙って飲んでる時の方が、酔いが早いですからね。私、ちょっと不安なんです。また暴れ出すんじゃないかと……」

「莉子ちゃん、あんた、藤田さんの前で何、あたしのこと暴露しちゃってんの」

「あ、ご、ごめんなさい、千春先輩……」


千春に叱られた莉子がうなだれてしまった。すると、葉月が立ち上がり、莉子の隣に来て慰める。

そうこうするうちに、葉月はクルッと後ろを振り向いて凛とした声を張り上げた。


「では、そろそろ中締めにしたいと思います。垣見かきみ課長、お願いします」



★★★



お開きになった後、翔はエレベータ待ちの列には加わらず、歩いて階段を降りて外に出た。

途端にムッとする湿気と暑さに包み込まれて、気分が悪くなりそうだ。

さすが名古屋の熱帯夜だと思いながら翔が何気なく前を見た時、高層ビルの壁面に備え付けられた巨大ディスプレイが目に飛び込んできた。


『……愛する人や家族を守る為、今あなたにできることが、ここにあります。試してみませんか、あなたの勇気……』


様々な年代の人達の笑顔をバックに、二十歳はたちくらいの軍服を着た女性が、凛とした声で語り掛けてくる映像。彼女の表情は、どこか挑発的だ。そして、バックに哀愁漂うメロディーが流れる中、「私、この国が好きです」のテロップが現れる。


これはいったい何のコマーシャルだろう。


そう思っていると、控えめに「防衛省」の文字が画面の右下に現れた。


「知ってます? 今の女優、このCMで大ブレークしたんですよ」


ふいに後ろから優しい声で問い掛けられた。もちろん翔は、そんなCMなど知らない。


既に正面のディスプレイの映像は、最新のウェアラブル端末の宣伝に切り替わっている。


「でも、私はちょっと嫌だな、さっきのCM。なんか、嘘っぽくて」


翔のすぐ耳元で囁かれる少し鼻に掛かった甘い声は、先程の飲み会でずっと右隣にいてくれた桜木莉子のものだった。


「嘘っぽい?」

「うん。だって、軍に入ったからって、家族が喜ぶとは思えないんだもの。ましてや恋人とかだったら、絶対に悲しむんじゃないかな」


莉子が真剣な声音で語っているのを聞いて、翔は少し意外な感じがした。


「えーと、軍って自衛軍のこと?」

「そうですよ。スマホに突然ダイレクトメールとか来たりしませんか……あっ、藤田さんはスマホじゃないか。それにアメリカでの契約だと、そんなの送られて来ませんよね」


それで莉子は納得したようだったが、翔には軍というのが少し気になっていた。それは、日本に戻って来た初日、名鉄電車の中でふと聞いてしまった男女の会話が頭の片隅に残っていたからだ。

それでも翔には、自分の身内や友人等が直接関与するものだという認識は全く無かった。


あ、いや、待てよ。高校の剣道部同期の服部圭介はっとりけいすけが、確か軍に入ったって聞いた気がする。


そのことで翔が過去の記憶を探っていると、莉子が訝し気に「どうされました?」と訊いて来た。


「あ、いや、ちょっと……。それより、意外だな。軍が、こんなに積極的に広告を出してるなんて、全然知らなかったよ」

「だって最近は、中東の紛争がどんどん拡大してるじゃないですか。そのせいで、自衛軍にも相当な死者が出てるみたいなんです」

「ああ、そうみたいだな。てことは、戦死者の補充をしなきゃいけないってことか……」

「それだけじゃないみたいですよ。戦死者が増えるってことは、そんだけ軍に人が集まりにくくなるんです。だから、その分、ああやって軍は広告を増やさなきゃいけないんです。それで、また軍事費が増加して、国民の負担が増すってわけです」

「なるほどな。政府にしてみりゃ、頭の痛い問題なわけだ」

「今の日本じゃ、徴兵制は難しそうですもんね」

「まあ、そうだろうな……。でも、桜木さんって、そういうの詳しいんだね?」

「ふふっ。友達に、そういうのが好きな子がいるってだけです。私自身は、軍なんて全く接点が無いですよ。それに……」


彼女は、そこで少しだけ躊躇ためらってから、次の言葉を口にした。


「正直、このまま軍とは接点が無いと良いなあって思ってます」


そう言って彼女は、不安げに翔の方を見て訊いてきた。


「あの、そういう考えって卑怯でしょうか?」


彼女の問い掛けは、いわば、翔の想定外のものだった。本音で言えば、軍のことなんてどうだって良い。思春期の頃は別として、最近の彼は、そういった類のことを考えたことが無かったのだ。

既に彼には、さっき頭に浮かんだ服部圭介のことは忘れてしまっていた。となれば、ここでの答えは、「それで良いんじゃないか」だ。「卑怯だと思わない」と断定しない所が、彼らしいと言えた。

だけど、その通り彼が答えようとした所で、ふいに彼女の首に掛かった十字架が目に入った。


「別に、卑怯だとは思わないよ」


気が付くと、そう答えていた。そして、その理由を彼が口にしようとした時だった。


「藤田さん、みっけ」


翔の後ろから、急に誰かが抱き付いてきた。前のめりになって転びそうな所を、翔は何とかふんばって堪える。酒と香水が入り混じった何とも言えない臭いがした。大きくて柔らかい膨らみが二つ、背中にぎゅっと押し付けられている。顔を見るまでもなく、鈴村千春だ。


「莉子ちゃん、ずる~い。藤田さん、独り占めしちゃ、めっだよ」

「千春、何いい歳してぶりっ子してんのよ。さあ、帰るよ」


葉月が、そんな千春を翔の背中から引き剥がしに掛かる。莉子も手伝って、二人して何とか取り押さえた千春を両脇から支えると、葉月が翔に向かって、「藤田さん、じゃあ、わたくし達、今夜はこれで失礼します」と挨拶してきた。

千春だけが「まだ帰るの嫌だあ~、二次会に行く~、二次会、行くんだもん」と喚いていたけど、二人には完全に無視されている。


しばらくして一台のワゴンタイプの車が、目の前の道路の端に音もなく停まった。葉月がスマホで呼んだセルフのタクシーのようだ。

葉月が近付いてドアの所に手をかざすと、ひとりでにドアが静かに開いた。そこに千春を押し込んだ葉月は、自らもさっと中に入る。最後に莉子が乗り込もうとした時、ちらりと翔の方を見て、ペコリと頭を下げてくれた。


その仕草が思いの外に可愛くて、翔は胸に思いがけないトキメキを感じてしまったのだった。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

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