第20話:空白の三年間(2) <薫サイド>
再度、見直しました。
東京に戻ってからの水草薫を待っていたのは、更に過酷な現実だった。
その朝、会社に行く途中で派遣会社からのメールがスマホに入った。
「急で申し訳ないけど、出勤前に事務所に寄って欲しい」という趣旨の内容だった。
嫌な予感がした。
でも行かないわけにはいかない。派遣会社は派遣先の会社とは逆方向。急いだけど、指定の時間を少し過ぎての到着だった。
薫が最大限急いで品川の事務所に飛び込むと、そこで待っていたのは、たぶん薫とあまり歳の違わない若い女だった。その渋谷という女は、薫が所属する派遣会社の社員で、一応、薫たちを管理する立場にある。
彼女は、汗まみれでゼーゼーと荒い息をしている薫を見るなり、冷ややかな口調で「遅刻ね」と言った。
「急ぐように指示したんだから、タクシーくらい使うのが当然でしょう。社会人としての常識が足りないんじゃないの」
「あの、すいません。持ち合わせが無かったもんで……」
「関係ないでしょう。必要経費よ」
「経費で落ちるんですか?」
「あんた、ばっかじゃないの。そんなもん自分で払うに決まってるでしょう」
渋谷という女は、薫を蔑むような目で見た上で、薫がもっとも聞きたくないセリフまでも、あっさいと告げた。
「そんなことだから、契約を途中で解除されたりするのよ」
遅刻したのは、薫のせいじゃない。それは、目の前の女からの連絡が遅かったせいだ。埼玉の職場に向かってる途中だっていうのに、三十分後に品川の事務所に来いだとか、いくらタクシーを使った所で無理に決まってる。
「何よ、その顔。何か文句でもあるわけ?」
もちろん、大ありである。でも、ここで何を言った所で、全く意味が無い。相手は、嫌がらせでやってるだけなのだから。
「まあ、良いわ。そんなことより、問題は今回の件よ。あんたが契約解除なんてことになると、あたしの評価まで悪くなるんだからね。どうしてくれんのよ」
目の前の渋谷という女はヒステリックに怒鳴り散らすけど、薫はひたすら黙っているしかない。こういう時に口答えすると、却って火に油を注ぐことになることを、薫は経験則として知っているからだ。
「何ずっと黙ってるのよ。謝りなさいよ」
「す、すいません」
「すいませんじゃないわよ。てか、謝ってくれたら済むなんて思ってないわよね。だから、有名大学出身者は嫌いなのよ」
彼女の今の発言から、薫はやっと目の前の女の態度に納得が行った。要するに、彼女は自分の出た大学にコンプレックスを持っているわけだ。そのせいで、薫は微かな笑いを唇に浮かべてしまう。
「な、なによ、その顔は。あんた、あたしのこと、馬鹿にしてんでしょう。そうよ、どうせあたしは、三流大学出よ。でもね、今はあんたの上司なわけ……」
薫が黙っていたにも関わらず、その女の怒りは収まりそうになかった。途中から、薫はもはや女の話など聞いてはいなかった。こんな時、心の動きをシャットダウンする術を薫はもうとっくに身に着けていた。
小一時間程も薫は渋谷という若い女に怒鳴り散らされた後、その女の指示で派遣先の会社に謝りに行くことになった。謝ったところで、たぶん決定は覆らないだろうにも関わらずだ。
女は一緒に行かないと言った。
「何であたしがあんたなんかのせいで頭を下げなきゃなんないわけ。ばっかじゃないの。あたしが行くわけないでしょうが」
もちろん薫にとっては、その方がずっと良い。こんな怒ってばかりの女が一緒だと、碌なことにならないのは目に見えている。
再び一時間以上も電車に揺られて埼玉の派遣先の会社に着くと、薫は自分の部署じゃなく、人事課の方に向かった。
最初に会った目付きの悪い人事課長は、相手が薫一人だと見ると、ほっとした面持ちになって饒舌に話し出した。
「いやあ、今回の契約解除で、君の所の若い担当者にいきなり怒鳴られちゃってさあ。えーと、何て言ったっけ?」
「渋谷ですか?」
「そうそう、渋谷さん。確かに今回はうちに非があった訳だし、突然すぎるってのも認めるけど、そもそも、その為の派遣なわけだろ……あ、でも、君には関係ないよな。最初の派遣先で急にこんなことになっちゃって、君には申し訳なかったと思うよ。別に君に落ち度があったわけじゃないんだ。その渋谷っていう担当の女性は、そこんとこ全然、聞いてもくれなくてさ。あとでちゃんと上の方の人に文書で出しておくことにするよ。実は、ニ年間丸々産休を取るって言ってた正社員の子が、予定より早く職場に戻りたいって急に言い出しちゃってね。本当に申し訳なかった、このとおりだ」
その人事課長は最初に会った時のつんつんした態度じゃなく、随分と柔らかい口調だった。それに、深々と頭も下げてくれた。
本当は薫が頭を下げるつもりだったのに、全く逆になってしまった形だ。
その後、昨日まで働いていた部署に行くと、顔なじみの人たちが思いの外、残念がってくれた。
「ああ、もう最悪だよ。水草さんの代わりに来る産休明けの関口さん、仕事はできないくせに文句ばっかり言う女なんだよ。君の方が彼女の百倍優秀だってのに、沢野部長も杉山次長も全然分かってくれないんだよなあ。関口の奴、部長と次長にだけは愛想が良いもんなあ」
上司だった松崎課長の小言が胸に染みた。自分のことは、それなりに評価されていたことが分かったからだ。
そして、松崎課長を含む部署の全員で食事に行った。お昼だけど送別会ということで、ちょっと高級そうなお店だった。
薫の分は、もちろん松崎課長の奢りだ。
「水草さんは痩せてるから、どんどん食べてよ。派遣会社のアンケートには、君の優秀さを徹底的にアピールしておいたから、すぐに次が見付かると思うよ」
その課長からそう言ってもらえて、薫は少しだけ元気をもらった気がした。
★★★
それなのに……。
最初は、すぐに次の派遣先が決まるだろうと楽観的に考えていた薫だったが、一週間しても派遣会社からは何の連絡も無い。
それで電話してみたら、知らない男の人が出た。
「君の場合、そんなに簡単には決まらないよ。まあ、気軽に待ってなさい」
そんな風に言われてしまった。前の会社の松崎課長が言っていたことと違うので、食い下がって訊いてみたのだが、その人はさも面倒くさそうな口調で、「そんなアンケートの結果なんて、参考になるわけないじゃないか」と言い放った。
「だって、先方の人事課長が、今回の件は私に一切落ち度が無いことだって仰ってました。その旨、うちの会社に文書で伝えておくと……」
「あのね、僕はその文書とやらを見てないけど、一般的に言って相手側は中途で契約解除してきたんだろう。だったら、君のことを悪く言う筈なんてないじゃないか」
「えっ、どういうことですか?」
「契約上、派遣社員に余程の落ち度が無い限り、中途での契約解除はできない決まりなの。だから、違約金を避ける上でも君のことを悪く言わないんだろうが」
「あの、おっしゃることが分かりません。だったら相手側はむしろ私に非があったことで押すと思いますけど。でないと、違約金を払わなきゃいけなくなるわけでしょう?」
「もう、細かいことはどうだっていいんだよ。ごちゃごちゃと煩い奴だなあ」
「だって、仰ってることが矛盾してるじゃないですか」
「……ツー、ツー」
いきなり切られてしまった。
埒が明かないので品川の事務所まで行ってみたけど、薫に散々怒鳴り散らした渋谷という担当は、出て来てくれなかった。
代わりに相手をしてくれたのは、こないだの電話に出た男の人だった。
「君は、最初の派遣先でケチが付いちゃったからねえ」
「あの、こないだも言いましたけど、産休の人が予定より早く戻って来たのが理由であって、私には全く非が無いと先方も仰ってましたけど」
「あのねえ、そんなの関係無いの。最初の派遣でケチが付いたような人は、何処も嫌がるんだよ」
「それは、相手の会社への説明の仕方じゃないですか? 中途解約されても私には非が無い内容だったってこと、ちゃんと相手企業様にご説明して頂いたのでしょうか?」
「うるっさいなあ。こないだも思ったけど、君、ちょっと理屈っぽいんじゃないの。そういう子は嫌われるんだよ。だいたい君の場合は、卒業した大学が良すぎるんだ。ほら、誰だってプライドがあるからさあ、派遣の子が自分より良い大学出てたら、あんまり良い気がしないだろ。向こうが一流企業だったら、そんなこともないんだろうけど、うちの顧客でそんなに良い会社ないしさ。君を中途解約した会社くらいだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。正直いうとさ、俺だって嫌だよ。あんたの相手、疲れるしさ。君の担当だった渋谷だって、おんなじだったんだと思うよ」
要は、まともに薫のことを売り込んでくれる気なんて、最初から無かったってわけだ。案外、薫のことも容姿の面だけで採用されたのかもしれない。薫は愛想は良くないけど、写真映りだけは良いからだ。
「あの、渋谷さん、どうかされたんですか?」
「渋谷か? あいつなら辞めたよ。『もう、こんな会社、やってられるか』だってさ。せっかく正社員で入ったのに、馬鹿な奴だよ」
「……?」
「ただなあ。俺も本音じゃ、辞めたいよ。うちの会社、人が少な過ぎるんだよな。俺なんか、自分の担当を持ちながら部下を十人も指導しろったって、そりゃ無理だわ。ああ、やだやだ。とは言っても、そうそう良い転職先なんてねえし……」
結局、わざわざ出向いて来ても電車賃が無駄になっただけのようだ。
確かに薫自身、「派遣会社だったら、何処でも同じだ」と思って、安易に選んでしまったきらいがある。もっと厳選すべきだった。
この会社は、「仕事ができる人」じゃなくて、「若くて可愛い女の子」を売り物にするような派遣会社だ。元々、薫には合っていなかった。全くもって薫のミスである。
★★★
そうやって軽率だった過去の行いを反省した薫だったが、全てはもう後の祭りでしかなかった。
それから他の派遣会社にも当たってみたのだが、最初の派遣先で契約解除されたことが仇になってしまい、全然相手にしてもらえない。
というか、そもそも派遣会社というのは学歴や能力よりも見た目の方を重視する所ばかりなのだ。はっきりした理由は分からないけど、薫が望む能力重視の会社なんて何処にも無かった。
そうこうするうちに、財布の中身はどんどん心もとなくなって行く。
このままじゃ駄目だと思った薫は、仕方がないので、以前バイトしていたファミレスとコンビニに頼ることにした。そして、そのどちらもが、その場で薫を暖かく迎え入れてくれたのだ。
後で思えば、これは本当に有難いことだった。薫が四年間、真面目に働き続けたことが、きちんと評価されていたということである。
ファミレスの吉川という女性店長は、「とんだ災難だったわね」と同情してくれた後、「そういうのも人生経験だと思って、あまり気を落とさずにに、またチャレンジしなさい」と励ましてくれた。
また、コンビニEマートの店長の方も、「薫ちゃんなら、いつだって俺は大歓迎だよ。まあ、人生、そんなに悪い事ばかりじゃないと思うよ。少なくとも、俺は薫ちゃんとまた一緒に仕事ができて嬉しいよ」と笑って喜んでくれた。
それでも、バイトだけでの生活はきつい。学生の頃と違って、卒業後は奨学金の返済がある。授業に出なくても良い分、シフトを多く入れられるけど、それだけで補える金額ではないのだ。
だから、いくら寝る時間を削って働いたって、生活するだけでやっとだった。とても友達と遊びに行ったり、新しい洋服を買ったりする余裕なんかない。
そんな風に、ただ生きる為だけに働く日々が延々と続いていくのだった。
★★★
薫は、ダメ元でも正社員の面接を受け続けた。
だけど、どんなに妥協して条件を落としてみても、薫を採用してくれる会社は無かった。薫は休日のほとんどを費やして面接に挑んだのだが、結局は悪戯に時間を費やして体力を消耗し、神経をすり減らしただけに終わってしまった。
言われることは、いつも決まっている。
最初は「君、少し緊張してるのかな?」から始まって、「少しは笑ってみたらどうだい」となる。
そのうち「ちょっと表情が暗いんだよな。陰キャって言うかさ」とか、「君って愛想がないよね。よく言われない?」とか言われ始めると、それはもう危険信号だ。
そこで焦って無理に笑ったりしたりすると、逆に相手を怒らせてしまう。薫の「笑った顔が怖い」という評価は、結構、昔からなのだ。
「なーんか、嘘っぽいんだよな」とか言われるのはまだ良い方で、「何だ、その顔は。人をバカにしてるんじゃないよ」といきなり怒鳴られたりすることの方が、むしろ普通だ。
そして、最後に言われるのは、「君って何か、やる気が感じられないんだよね」という言葉だった。
薫の場合、出身大学がトップ私大なだけに、最初から門前払いされることはあまりない。ちゃんと面接に漕ぎ着けることはできるのだが、その壁が越えられないのだ。
そして、最初は笑顔だった面接官の顔が徐々に不機嫌に変わって行く度に、薫の心は疲弊して行く。
もちろん、優しく対応してくれる人もいるにはいる。そんな人はたいてい太っていて、終始にこやかな表情で薫を和ませてくれたりするのだが、言ってくることは辛辣だった。
「うちは普通の客商売だからね、もっと愛想が良い娘じゃないと務まらないんだよ。あんたのような辛気臭い娘は、いっそ葬儀屋にでも行ってみたらどうかね」
ついその人に相槌を打ちたくなってしまう自分が、とても悲しかった。
もちろん、薫とて努力はしていた。
一人でいる時は、よく鏡を見ながら「自然に笑う」練習をする。毎日やっているから少しは笑えるのだが、人前だと、まだまだうまく行かない。
「薫ちゃんは、無理に笑わなくたっていいんだよ。誠実に接客してれば、ちゃーんと相手に伝わるもんだからね」
いつも薫がファミレスの休憩室で笑顔の練習をしていたことを、どうやら女性店長の吉川さんには知られてしまっていたようだ。
それにコンビニの方でも、薫の評価は決して悪く無かった。バイトの中で一番長く勤めていることもあるので、ある意味、当たり前のことなのだが、それでもきちんと評価してくれる人がいるのは嬉しい。
「ごめんね、薫ちゃん。本当はもっと時給を上げてあげたいんだけど、うちもいろいろ厳しくてさ」
たぶん、十八歳で東京に出て来てからずっと、頑張ってる薫を見てくれていたからだろう。ファミレスとコンビニの二人の店長に、薫は本当にお世話になっていた。単に働かせてもらっているだけでなく、生活面でもいろいろと助けてもらっていたからだ。
ファミレスでは、いつも栄養満点な賄いを出してくれていたし、コンビニの破棄品も薫にとっては貴重な栄養源だったのだ。
★★★
更に、二年があっという間に過ぎた。薫は二十四歳になっていた。
その間、薫は生きるのに必死で、将来の夢だとか希望だとか、そういったものは一切考えてなかったと言っても過言ではない。
後になってみれば全く意味のない時間のようにも思えるのだが、ある意味この時期が、その後の薫を土台を形作ったともいえる。
まるでオリンピックのような大きな大会を目指すアスリートのように、薫はストイックな毎日を過ごしていたのだった。
そんな単調な日々が終わりを告げる出来事は、ある日、何の前触れもなくやってきた。
八月のお盆に掛かった土日、薫がバイトしているEマートのお店が珍しく休業するとかで、薫は店長にシフトを入れないでくれと言われた。店内の大幅な改装もやるらしい。
その店舗はオフィース街にあって客層もビジネス客中心なので、お盆はお客さんが少ない。だから、別におかしくはないと思ったのだが……。
次の月曜。朝早くシフトを入れていた薫が店に来てみると、まだ店は閉まっていた。「あれっ?」と思って近寄って行くと、手書きの貼り紙がしてある。
『当店は、閉店致しました。長い間ご愛顧を頂き、大変ありがとうございました。店長』
そのうち、もう一人のバイトの子もやって来て、その彼が「やられたー」と小さく叫んだ。彼は、薫より少し年上のフリーターだった。その彼が、すぐにネットでコンタクト先を探して、Eマートの本部に電話してくれた。すると、この店の担当の人が二十分もしないうちにやって来て、やはり「やられた―」と叫ぶ。
薫とも顔なじみのその人に「何がですか」と尋ねると、Eマートの人は「たぶん、夜逃げだと思う」と言って、この店の経営状況が苦しかったことを教えてくれた。
薫は、六年以上もお世話になった店長に挨拶さえできなかったことが、とても悲しく思えた。
後で自分の口座を見てみると、働いた分の給料はちゃんと振り込まれていた。だけど、バイト先がひとつになってしまったことは痛い。ファミレスだけだと、奨学金が全然返せない。
思い悩んだ末に薫が考えたのは、アパートの隣の椛姉さんに水商売のバイト先を紹介してもらうことだった。
だけど、その話をファミレスの吉川店長に漏らしてしまったら、猛反対されてしまった。その代わりに少し時給を上げてもらったけど、やっぱり奨学金の返済には足らない。
それで薫が探してきたのは、ちょっと危ない感じの派遣会社だった。会社の事務とかじゃなくて、時給が高めのバイト先を紹介してくれる所のようだ。
面接に行くと、いつもとちょっと感じが変わっていて、薫の顔とか身体ばかりをじろじろと見て来る。途中で「ちょっと立ってみて」と言われたと思ったら、「今度は「ゆっくりと回ってくれるかな」と言ってくる。
しかも、その後に部屋の端から端までを何度も歩かされた。
「君って姿勢が良いし、歩き方も綺麗だね。何かやってたの?」
「えーと、高校の時に剣道部でした」
薫は、ちゃんと考えて答えたのに、何故かちょっと苦笑いされてしまった。
「うーん、ちょっと痩せ過ぎな点は、まあ良いとして、君って、あんまり笑わないキャラなんだね」
「あ、はい。すいません。良く言われます」
隠しても仕方がないので、薫は正直に言った。
「まあ、顔が綺麗だから大丈夫だとは思うけど、クライアントによっては嫌がるとこもあるかもだね」
「別にいいんじゃないの。俺はこういうタイプの子、好きだよ。クールビューティって感じだし、却って今風なんじゃないかな」
「いやあ、美人より可愛い子って言ってくるクライアントもいるじゃない」
「そこは、こっちで仕事を選んでやれば良いんじゃ無いの」
「オッケー、分かった。じゃあ、採用ってことで」
なんか、面接官同士でごちゃごちゃ言ってたけど、あっさりと採用になってしまった。
この新しい派遣会社から来る仕事は、短期のものばかりだった。それも、新商品の販促だとかイベントとかの仕事が多い。販促だと、チラシ配りの他に、お試し品を配ったり、試食や試飲のコーナーを担当する仕事で、イベントだと司会のアシスタントをやったり、会場の案内をしたりすることになる。
どれも普通のバイトと変わらない仕事が多いのだが、違うのはユニフォームだ。ほとんどの場合、テニスウエアだとかレオタード等の露出が多い衣装を着ることになる。
それでも薫は、恥ずかしさを必死に耐えて頑張った。
なのに、薫より若い子の方が時給が良かったりする。
「だって、あの子の方が、お客さんの受けが良いんだよ。確かに君も頑張ってはくれてるんだけど、正直、俺達だって、明るい子と仕事した方が楽しいんだよな」
薫だって、言われたことはもっともだと思う。それも需要と供給の関係だから、じっと我慢するしかない。まだ仕事が来るだけでも、ましな方なのだ。
毎日が妥協の連続で、ストレスとの闘いだった。そんな日々を過ごしているうちに、薫の心は次第に荒んで行く。心の中の大切なものが徐々に削られて行って、そのうち自分が何の為に東京へ出て来たのかさえ、思い出せなくなってしまう。
薫は、自分が少しずつ壊れて行く不安に駆られながらも、惰性のままに働き詰めの毎日を送っていたのだった。
たくさんの作品の中から、読みに来て頂いてどうもありがとうございます。
この続きも宜しくお願いします。




