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第2話:空港にて <翔サイド>

再々度、見直しました。

◆7月20日(月) ※海の日


コロナショックとウクライナでの紛争の後、しばらくして深刻な不況に陥ったまま、未だに長いトンネルを抜け出せない日本。その中で唯一活況を呈しているのが、名古屋を中心にした中京圏である。遅れに遅れたリニア中央新幹線も先月にようやく開通し、今や名古屋はアジアで最も注目を浴びている都市だ。

そんな名古屋の玄関口といえば、中心部から少し南の海上に造られた中部国際空港である。セントレアという国籍不詳の愛称を持つこの空港は、コロナショック以前と比べて貨物便の発着こそ大幅に増加したものの、旅客機の運行は削減されている。その為、空港全体は活況を呈していても、旅客ターミナルを訪れる人の数は減ってしまっていた。


藤田(かける)がこの空港に降り立ったのは、午後の比較的混み合う時間帯なのだが、入国審査と検疫はすんなりと通ることができた。

ところが、バゲージクレーム(手荷物受取所)の所で、翔は少々待たされる事になった。どうやら、機内から手荷物を降ろすのに手間取っているようだ。翔は、コンベアの周囲に次々と集まり出した人達の輪には加わらず、近くの壁に凭れてコンベアが動くのを待つことにした。



★★★



翔が七星ななぼし商事ニューヨーク支社に赴任したのは、今からちょうど三年前、入社して三ヶ月半の新入社員研修を終えた直後のことだった。

配属がいきなり海外というのは、グローバルに活動している七星商事でも珍しいことらしい。というのは、彼の場合、海外でも活躍できる若手社員の早期育成を目的に、人事担当役員の肝いりで新たに始まった制度の適用を受けているからだ。

対象は二十名。本人が希望する社員の中から研修中の成績と面接とで選抜がされたのだが、これを企画した人事担当役員にとって意外だったのは、思いの外に希望者が少なかった事だという。

理由は、一度海外に出てしまうとなかなか帰国できないことから、付き合っている彼女や彼氏がいる者に敬遠された為だ。つまり、これを希望した新入社員は、付き合っている相手がいない者ばかりであって、翔も例外では無かった。


もっとも翔の場合、入社の前日になって突然、高校の時から七年間も一緒だった女性に振られるといったハプニングがあり、この制度の存在は、まさに渡りに船だった。

更に、ニューヨークでの生活が多忙だった事も、傷心の彼にとっては有難かった。また、そこでの仕事はどれも興味深いものばかりで、毎日がエキサイティングな出来事の連続であり、振られた彼女の事を思い出す暇なんて無かった。


そうやって三年間を忙しく過ごした後、ようやく今日、翔はニューヨークに赴任して初めて日本に戻って来た。それも翔の実家に近い名古屋支社への出張である。

だから本当は、もっと明るい表情をしている所なのだが、彼の表情は冴えない。理由は単純で、現在の彼は、体調最悪の状態だったからだ。


明るい照明に目がちかちかする。さっきから頭がガンガンしている上に、気持ちが悪い。

実は到着した直後にトイレで胃の中の物を全部戻してしまったので、吐き気の方は治まっている。それでも、身体からだが悲鳴を上げている状態には変わらなかった。

つまり彼は、酷い二日酔いの状態なのだ。機内での深酒がたたったのである。彼が酒でこのような状態になったのは、学生時代の飲み会以来だった。


翔は、背中を冷たい壁に預けたまま、なかなか動かないコンベアををぼんやりと眺めていた。

ここにいる人達の大半がスーツ姿なのに、彼の服装はポロシャツにチノパン、上に薄手のジャケットを羽織っている。足元も革靴ではなくてスニーカーだった。

彼がこんなラフな格好なのは、職場の先輩からアドバイスを貰っていたからだ。


「機中にいるのが長いから、スーツは止めておいた方が良いぞ。本当はジャージ姿が良いんだが、さすがに恥ずかしいんだったら、せめてオフの時の外出着くらいにしとけ」


彼の話を聞いておいて、本当に良かったと思う。この状態でスーツなんか着ていたら、もっと最悪だった。あの先輩には、何かお土産を買って行くことにしよう。

青い顔をした翔がそんな事を思い出していると、彼の虚ろな瞳が、自分をこんな目に遭わせた張本人、エリカと名乗る元アイドルの女性を捉えた。ふわふわの長い亜麻色の髪を靡かせながら、しっかりした足取りでどんどんと近付いて来る。

機内であれだけ飲んでいたのに、何ともないのだろうか?


あいつ、化け物だ。


翔がそう思った時、彼女がニッコリ笑って声を掛けてきた。


「バーイ、カケル。シー・ユー・アゲーン!」


機内に持ち込めるサイズのキャリーバックを転がしながら、エリカは翔にもうひとつの手をひらひらさせて颯爽と目の前を去って行く。

サングラスで目元を隠してはいるが、翔とは対照的な明るい笑顔だ。高級そうなグレーのスーツをピシッと着込んでいて、酔っ払っていた時の痕跡など、もはや何処どこにも無い。

遠ざかって行く彼女の形の良いヒップに目をやりながら、翔は理不尽な思いに囚われていた。裕福な家で不自由なく育てられ、そこそこ優秀で何でも卒なくこなす彼にとっては、めったに感じた事のない敗北感だった。


突然、目の前のコンベアが大きな機械音を発して動き出した。やがて、壁に開いた黒い穴から大小様々なタイプのスーツケースが次々と現れて、小刻みに揺れながらこっちに向かって来る。翔は、ゆっくりとコンベアに近付いて、集まった人々の隙間から流れて行く手荷物を目で追って行った。

すると、一分もしない内に、見慣れた青いスーツケースが現れた。翔は、人が少ない所を探して前に出ると、素早く把手とってを掴んで思いっ切り手前に引く。必死に踏ん張ってコンベアから引き摺り下ろしだのだが、やはり本調子ではない身体からだの制御は容易ではない。ふらつきそうになるのを気力で押しとどめ、何とか税関の列へと進んで行った。


翔の前にはアジア系の男女がいて、彼らの台車の上にはスーツケースだけでなく、大きめの段ボール箱二個が載せられていた。係官の若い男性が荷物を検査台の上に置くように告げると、二人は一瞬、嫌そうな顔をした後、それらの重そうな段ボール箱を二人掛かりで持ち上げようとする。何とか上に載せると、係官は箱を開けて中身を丁寧に確認し始めた。

翔はこの列が失敗だったと悟り、すぐに見切りを付けて隣の列に並び直した。

五組目だったにも関わらず、それから五分もしないうちに翔の番になる。中年男性の無表情な係官に、赤いパスポートを差し出した。彼は興味無さげにそれを受け取ると「出張ですか?」と尋ねた上で、返事を待たずにそれを返してくる。まるで「お前には興味が無い」とでも言いたげな様子だ。

それでも翔は軽く会釈すると、再び重いスーツケースを引き摺って、その場から素早く立ち去った。


到着ロビーに向かう出口に近付くと、すりガラスのドアがスーッと左右に開いて、雑然とした空間が目の前に広がった。「ここは日本なのだ」という実感がやっと胸に込み上げてきて、ようやく翔の顔に微かな笑みが浮かんだのだった。



★★★



日本に帰って来た安心感と少し身体を動かしたことで、さっきよりも翔は気分が良くなっていた。

今、翔の周囲にいるのは、中年のビジネスマンが大半だ。中には出迎えに来たと思われる女性もちらほらいるが、それらは少数派に過ぎない。国際空港を名乗っているにも関わらず外国の人は数える程しかおらず、その少数の外国人というのは、さっき税関で見たようなアジア系ばかりである。

コロナ禍以降、一般の観光客が激減してしまい、未だに回復してはいない。こうして見ると、機内で一緒だったエリカという女がいかに異質な存在だったかが分かろうというものだ。二十代半ばの男性で純粋な日本人の翔でさえ、この空間ではかなりの少数派に見えてしまうのだから……。


大半の人がピシッとしたスーツ姿の中、翔のようなポロシャツにチノパン、薄手のジャケットといったラフな格好は、実際、相当に浮いてしまっていた。

ラフとは言っても、彼が身に着けているのは全てブランド物。一流商社マンとして、自分が身に着ける物には、彼なりのこだわりがあるのだ。

そういった所からも、翔の育ちの良さが伺えた。要するに、彼は結構な名家の一人息子なのである


さて、ここに長居は無用だと思った翔は、大きな青いスーツケースを引き摺りながら、早々に私鉄の乗り場の方に向かおうとしていた。

ここから実家までは少々距離がある。別にタクシーを使っても良いのだが、せっかくだから、公共交通機関を使って日本の空気を味わってみたいと思ったのだ。


三年ぶりの帰国とはいえ、別に誰かが出迎えに来るといった話は聞いていなかった。実家の母親には連絡してあるのだが、祝日とはいえ仕事で来られない筈だ。それに、そもそもフライトの到着時刻までは知らせていない。

だから、この時の翔は、ここで誰かに話し掛けられることなど、全く想定していなかったのである。


「あの~、藤田さんですよね? うわー、やっぱ、イケメンだあ。メールに付いてた3D画像よりも断然カッコ良いじゃん。やったー、ラッキーっ!」


若い女性の場違いな声だった。しかも、ただでさえ痛む二日酔いの頭にキンキン響く甲高い声。

思わず頭を抱えたくなった翔の目に飛び込んできたのは、白いブラウスをこれでもかと押し上げる巨乳だった。


「……あっ、あたし、名古屋支社の鈴村千春すずむらちはると申しまーす。ち、は、る、がニューヨーク支社の藤田さんをお出迎えに参りましたあ。いらっしゃーい。あ、いや、お帰りなさーい……あれ? お出迎えのこと、聞いてませんかあ???」


突然の黄色い声の襲撃に、青いスーツケースを手にした翔は、ただ呆然と立ち止まってしまっていた。


「あっ、スーツケースお持ちしますね。よいしょっと……」


小さな白い手がすーっと伸びてくる。若い女性の甘い香りがふわっと漂って、翔の心臓が勝手に鼓動を早めた。

それでようやく我に返った翔は、脇に立つ女性に改めて目を向ける。彼女の顔には、黒い大きなサングラス。またサングラスかと思った翔をおもんぱかってか、彼女がさっとそれを取り去った。そして現れたのは、二重ふたえの大きな黒い瞳。やや童顔だが、充分に美人と言える女性の笑顔だった。

小柄でグラマーだが、太ってはいない。ウエーブが掛かった茶色い髪。フリルの付いた紺色の短いスカートからは、煽情的な生足なまあしがにょきっと伸びていて、日焼け止めだろうか、甘いココナッツミルクの香りが微かに感じられる。

足元は、ヒールの高いピンクのミュールだった。


「藤田さーん、どうしましたあ?」

「あっ、いや、ちょっと時差ボケかな」


翔は、彼女に見とれていたことを笑ってごまかした。


「そうなんですかあ。じゃあ、ちょっとその辺で休んでいきましょうよ。お酒でも……うっ、痛ーい。いきなり叩くなあ!」


パッカーンと大きな擬音がしそうな程に勢い良く、彼女の頭がはたかれた。彼女は頭に手をやって、抗議の声を張り上げる。

犯人は、いつの間にか寄って来ていたスレンダーな女性である。黒髪ショートボブで背は高め。ヒールの高さのせいもあってか、百七十六センチの翔と比べても、そんなに変わらないくらいだ。


「こらっ、千春。藤田さんの都合も聞かずに、強引に誘っちゃ駄目でしょうがっ!」


両手を腰に当てて鈴村千春をキッと睨み付ける彼女からは、上品なミント系の香りが控えめに漂ってくる。シンプルな白いブラウスの上にラフなジャケットを羽織っており、ボトムのスキニーなパンツにパンプスといったいでたちが、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。「モデルのようだ」と言っても差し支えない美女である。


「あの、藤田さん。同僚の鈴村が大変失礼致しました……」

「あたしは、千春よ」

「うるっさーい。あ、その、わたくしは名古屋支社の犬飼いぬかいと申します」


犬飼と名乗る美女は、そこで一拍置くと、スーツケースの取っ手をさりげなく千春から奪い取る。そして、それまでのキリッとした表情から急に親しげなモードに切り替えた。


「藤田さん、あのー、長旅で大変お疲れかとは思いますが、せっかくの機会ですので、このわたくしとご一緒にお茶でもいかがでしょう? あまりお時間は取りませんので、できましたら名古屋支店の状況をざっとお話しさせて頂きまして、そのあと藤田さんの赴任先、ニューヨークのお話なども聞かせて頂けたらなあって……痛っ」


長身の犬飼の頭をジャンプしてはたいたのは、先ほどの小柄な巨乳女、千春である。


「この犬ったら、何、抜け駆けしてんのっ!」

「わたくしは藤田さんのご出張のコーディネーターとして、せっかくだから少し打ち合わせをさせて頂こうとしただけです。それを犬呼ばわりなんて酷いじゃない、このおっぱい女!」


「ちぇっ、そんなこと貧乳の犬に言われたくないっつーの」


千春が犬飼に向かって棘のある言葉を放つと、翔の腕をがっちりと両手で掴んだ。そして今度は軽く一オクターブは高いキンキン声で、翔に話し掛けてくる。


「さあ、藤田さ-ん。こんな犬なんか放っといて、この千春と一緒に参りましょう」


翔の腕が千春の胸にさりげなく押し付けられる。そのもちっとしたゴム鞠のような感触に、彼は抵抗する意思を奪われてしまう。それに彼女は華奢に見えて意外と力が強い。長旅の疲れと時差ぼけに二日酔いまで加わった翔が、いともたやすくエスカレータの上に乗せられてしまったとしても、それは仕方のないことだった。

首だけ回して後ろを見ると、翔のスーツケースを抱えた犬飼と目が合った。すぐに彼女は、優しく微笑み掛けてくる。


どうやら翔は、この二人の女性に捕獲されてしまった状態のようであった。



★★★



気が付くと翔は、二人の若い女性と向かい合う形で四人掛けのテーブルに座らされていた。場所は、お洒落なスポーツバー。店内は薄暗く、軽快なラップ調の音楽が大きめの音量ボリュームで流れている。

久しぶりの日本だというのに、この雰囲気はアメリカにいるのと同じだ。


テーブルの上には、生ビールの中ジョッキが三つ。これらのジョッキは、翔たちが席に着くなり、千春がオーダーしたものだ。断じて翔が頼んだわけではない。今の翔には、どんなアルコールだって見るのも嫌な状態なのだから……。


「それじゃあ、藤田さんの一時帰国と、これから始まる素敵な夏の恋に、カンパーイ」


千春のキンキン声が翔の頭を痛め付ける。乾杯の口上には「何だ、そりゃ?」とツッコミを入れたくなるフレーズがあったが、そうする気力が翔には無かった。


「あー、やっぱ、乾杯は生ビールじゃなきゃーね」


千春が、手の甲で大胆に口元の泡を拭う。そんな仕草しぐさも口にする言葉も、中年オヤジそのものだ。それなのに、彼女の顔は掛け値なしに可愛いし、

小柄ながらにグラマラスなボディーの美女でもある。

それに、何処どこから出しているのか謎の高音ボイス。全てがアンバランスで、捉えどころがない。まるで、小さい頃に見たアニメに出てくる少女みたいだ。確か、魔法少女と言っただろうか……。


「……で、どうですかあ、このあたし。やっぱ、女はスタイルよりも胸ですよねえ」

「何言ってるの。藤田さんのパートナーにふさわしいのは、知的な女性に決まってるでしょう。例えば、このわたくしとか……」


大きな胸を突き出した千春の前で、犬飼葉月がさっと前髪をかき上げる。そして、すました顔で翔に微笑み掛けてきた。その切れ長の妖艶な瞳に、思わず胸を高鳴らせてしまった翔だが、そこでふと素朴な疑問が頭をもたげてきた。


この二人って、何の為にここにいるんだ?


正直な所、翔は自分がそれほど女性にモテるとは思っていなかった。要するに、自己評価が低めなのである。

もっとも、彼は自分をそれほどイケメンだとは思っていない反面、ブサイクだとも思ってはいない。背だってそこそこあるし、一応、東京のトップ私大を出ている。勤務先は、大学生の就職人気ランキングで常に一桁上位の大手商社。それに家柄だって問題ない。藤田家と言えば、地元では一目ひとめ置かれる名家なのだ。

男性としてのスペックとしては、相当に高レベルだと言えるのだが、何故か翔には、女性にモテたという記憶が全くといって良いほどに無い。

本当の理由は本人が性格的に少々鈍いからであって、実際の所とは大きなズレがある。あくまで本人の認識としての「自分はモテない」なのだ。


という訳で、翔は目下の状況に、大きなとまどいを感じていた。

翔の眼の前にいる二人の女性は、一見してかなりのハイスペックに思える。性格の方は残念かもしれないが、それを補って余る程にレベルが高い「良い女」の範疇なのである。

そんな女性達が翔を巡って争っている。それを当然と捉えられる程、翔はおめでたくはなかった。何か裏があるに違いないと思って当然じゃないか。

二日酔いの回らない頭で翔は、その裏が何なのかを懸命に探ろうとしていた。


「ねえ、藤田さーん。ひょっとして何か疑ってますぅ?」

「へっ?」


 翔は、思わず変な声を上げてしまった。

すると、ニカッと笑った鈴村千春が、アニメキャラのような声で口早に畳み掛けてくる。


「そりゃそうですよねー。あたしみたいにプリティでキュートな女子がいきなり声を掛けてきたんですもん。いくらイケメンの藤田さんだって、とまどっちゃいますよねー。でもね、大丈夫ですよー、そっちの犬のことは置いといて、この千春ちゃんは純粋に藤田さんと早く会いたくって、ここに来てるんですから……あ、お姉さーん、中ジョッキお代わりー!」


千春の前のジョッキをチラっと見ると、既に空っぽになっていた。顔色は全く変わっていない。けど、更にくだけた口調になってきた所からすると、多少は酔いが回っているのかもしれない。


「こら千春。わたくしのこと、また犬呼ばわりしてディスったでしょう。それにあんた、今日って車で来てんじゃなかった? いくらオートドライブ機能が付いてるからって、あんたの車、基本はマニュアル車なんだから、運転手が酔ってたらロックが掛かっちゃうでしょうが」


ここ数年、日本でも運転手が必要ない完全自動運転の車が急速に増えている筈だ。その大半はトラックとタクシーで、プライベートで所有する車に関しては、未だにマニュアル運転車が多いようだ。

もっとも今の時代、車を個人で所有しているのは金持ちに限られる。つまり、そうした人達の多くが、自分で車を運転したがるというわけだ。

マニュアル運転者とはいっても充分な安全機能が搭載されており、事故ることはまず無いのだが、さっき犬飼が指摘したように酒気帯び運転については厳格に規制されている。たとえ自動運転モードを使おうとしても、運転席に座った者が吐いた息からアルコールが検出された時点で、エンジンにロックが掛かって動かせなくなってしまうのだ。

アメリカでも状況は、だいたい同じだ。マニュアル運転車の走行は郊外に限定され、都市部では人の手による運転そのものが規制されていることが多い。もちろん、ニューヨーク市内の走行は四年ほど前から禁止されている。


「大丈夫だってば。莉子りこちゃん、呼んであるから」

「えっ、今日って彼女、お料理教室じゃなかったの?」

「もう終わったって。今、こっちに向かってるとこ」


小声で答えた千春は、おかわりのジョッキを傾ける。薄い黄金こがね色の中身が見る見るうちに減って、いきなり半分以下になってしまった。


「千春さあ、いくら学校の後輩だからって、彼女のこと使い過ぎなんじゃない?」

「別にいいじゃない。あの子だって早く藤田さんに会っといた方が良いんだし、たぶん本人もその方が嬉しいと思うよ。あたしって、むしろ後輩思いなんじゃない?」


二人の間での会話は、翔と話す時より声が低いし、小声で早口だ。それでも、この距離だと聞き取れてしまうから翔としては、ちょっと気まずい。

それよりも気になるのは、この場所にもう一人、新たな女性が加わるらしいということだ。

となると、若い女性が三人揃ってしまうことになる。


そう、三人だ。


そこで初めて、翔の脳裏にピンとくるものがあった。

今から二週間ほど前のことである。その日、翔は、ニューヨーク支社長の山森から突然の呼び出しを受けた。そして、彼から意外なミッションを言い渡されたのだった。






たくさんの作品の中から、読みに来て頂いてどうもありがとうございます。

この続きも宜しくお願いします。

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