第14話:昼食会 <翔サイド>
再度、見直しました。
藤田翔が七星商事名古屋支社に出社した初日、総務課の鈴村千春に支社内を案内してもらい、受け入れ先の営業四課で桜木莉子にノートパソコンのセッティングと社内システムのレクチャーをしてもらった後、翔はパソコンでメールの処理をして過ごした。
その間、前の席に座る桜木莉子は、翔と目が合う度に優しい微笑みを返してくれていた。彼女は控えめな性格だからか、自分から翔に話し掛けて来ることは無かった。だけど、翔が何か質問をすると、きちんと丁寧に答えてくれる。
彼女は四月に入社したばかりの新人にしては、社内のシステムに詳しかった。そのことを翔が言うと、「私なんて、まだ全然です」と速攻で否定する。ただ、大学は経営学部でありながら、システム関連の講義も取っていたらしい。
「うちのゼミの教授に、『今の経営には、システム戦略が欠かせないから、そうした講義はできるだけ取っておくように』って勧められたんです」
「なるほど」
「あ、それでも、私はシステム屋になるつもりはないですよ。それよりも、営業の方に興味があります」
「そっか。うちの新人は、ほとんどが営業希望だもんね」
翔の勤務先、七星商事は総合商社なので、やはり花形は営業なのだ。
「でも、私は名古屋のローカル採用ですから、藤田さんみたいに、なかなか海外には出してもらえないんですよね」
「桜木さんも海外駐在がしたいの?」
「はい」
彼女は目を輝かせてそう言うけど、女性のローカル社員となると、海外駐在とかは難しい。七星商事にもローカル社員からグローバル社員になる道はあるのだが、それを実現するのは簡単ではなくて、それに見合った実績が要求されるのだ。
だけど、そんなことを新入社員に言うのは無粋だろうし、彼女には今の気持ちを忘れずに頑張って欲しいと翔は思った。
仕事中、そうやって翔が周囲の同僚に関心を示すのは珍しかった。つまり、前の席に可愛い女性がいる環境での仕事は、翔にとって、思いの外に楽しかったのだ。
ニューヨークからのフライトで乗り合わせた女性に指摘されるまでもなく、翔は女性に淡泊な方だ。それは元カノに振られたのを未だに引き摺っている為なのだが、そんな翔でも目の前の女性には珍しくトキメキを感じてしまうのだった。
そんな風にて満ち足りた気分で仕事を進めているうちに、いつの間にか時間が過ぎて行って、気が付くと、ほぼ正午になっていた。
元から十一階の営業フロアに残っている人は少なかったのだが、ざっと周囲を見回してみると、さっきよりも更に人がまばらになってしまっている。
何人かは残っていた男性の先輩達も、既にいなくなっていた。
翔が、『これは、ちょっと出遅れたかな』と思った所で、目の前の桜木莉子がさっと立ち上がって、翔に軽く会釈をしてからフロアを出て行った。
仕方がないので、一人で外に出てみるかと思い始めた時、いきなり後ろから名前を呼ばれて、思わず飛び上がりそうになってしまった。
慌てて振り返ると、いつの間にか支社長秘書の犬飼葉月が立っている。
「藤田さん、あの、今日のお昼なんですけど、支社長がご一緒したいということで、十二階の第一ミーティングルームの方に来て頂けませんか?」
支社長からのお誘いとなれば、行くしかない。
翔は、すぐに椅子から立ち上がると、葉月の後を追ってエレベータの方へと向かって行った。
★★★
翔が葉月に案内されたのは、十人以上が座れる大きなテーブルが中央に置かれた会議室だった。
「おう、藤田君、待ってたよ。まずは、そこに座ってくれるか」
指定された席は、支社長の隣だった。それでも会議室のテーブルが大きいので、距離は二メートルくらい開いている。
テーブルを挟んだ向かい側には、二人の女性が座っていた。一人は、もうだいぶ見慣れた顔になってしまった鈴村千春。彼女がここにいるのは、今朝からの流れで理解できる。でも、もう一人の方は、翔にとって少々意外だった。
上品な白いワンピに身を包み、胸に十字架のペンダントを付けた長い黒髪の女性が、緊張した面持ちで座っていたからだ。
「どうしたの、藤田さん。莉子ちゃんのこと見詰めちゃって」
甲高い声を出したのは、千春だった。「莉子ちゃん」というのは、今の職場で翔の正面の席にいる桜木莉子のことである。
「あ、いや、ちょっと意外だったから」
「これから藤田さんが一番お世話になるのは、たぶん桜木さんですよ。その桜木さんを、ここに呼ばないわけには参りません」
葉月の説明には、支社長も頷いている。ただ当の桜木莉子は、ぎこちない笑みを浮かべているだけで、相変わらず緊張している様子だった。
もちろん、彼女も昨日は空港に来てくれていたのだから、翔とて彼女をお見合い対象の女性の一人として認識していなかった訳ではない。だが、昨日はただのドライバーとして来ていたという可能性も捨てきれなかったのだ。
翔の前のテーブルには、既に高級そうな仕出し弁当が置かれている。更に葉月が、お椀に入ったお吸い物と冷たいお茶を運んで来てくれた。
残りの二人の女性も立ち上がって、それぞれが机の前に食事を並べていく。最後に葉月が女性の側に座った所で、再び支社長が口を開いた。
「本当なら藤田君の歓迎会を今晩やる予定だったんだが、客先との会食が入ってしまってな。そこで今日は取り敢えず、昼食会ということにしたってわけだよ。それでは、藤田君。ようこそ名古屋支社へ。これから、頑張ってくれよ。ということで、さあ、食べようか……」
支社長の言葉に続き、千春がフライング気味に「頂きまーす」と言って、全員が食べ始めた。
★★★
それからの三十分、翔は非常に緊張した時間を過ごすことになった。今までに経験した中で最大限の緊張感だ。得意先の社長との会食の時だって、こんなには緊張しなかった。なにしろ、高級な弁当の味がまるで分からない程なのだ。
その理由のひとつは中山支社長だが、それ以上に大きいのは、目の前に並んだ三人の女性の存在だった。
ニューヨークの山森支社長は、お見合いの相手を三人と言っていた。そして今、翔の目の前にいるのも、ちょうど三人。やはり、この三人が翔のお見合い相手ということで確定なんだろう。
「藤田君。そんなに緊張しなくてもいいだろう。ここにいる三人とは今日何度も顔を合わせているだろうし、もっとリラックスしたらどうだ」
そう言って中山支社長は、大口を開けて笑った。
「まあ、何だな。そうは言っても、君が緊張するのは分からんでもない。じゃあ、まず私の方から彼女達のことを説明させてもらうから、あとは君が直接聞くと良い。じゃあ、最初は……」
そんな前振りの後、中山支社長は、手元にタブレット端末を置いて、犬飼葉月からプロフィールの説明を始めた。その内容は担当業務とか職歴とかの仕事に関するものじゃなく、明らかに結婚相手としてのものである。どうやら事前に三人から簡単な釣書みたいなものを出してもらっているようだ。
最初は、犬飼葉月だった。
彼女は入社三年目で、年齢は翔よりひとつ下。この地域で最も有名な国立大学出身。
父親は弁護士。しかも地元で相当に力のある弁護士事務所を構えているらしく、常時五、六人の弁護士を抱えているとのこと。主に企業間の係争や買収案件を扱っており、相当な利益を出しているようだ。
葉月には兄が一人おり、日米共に弁護士資格を取得済。事務所の後継者であるらしい。
ちなみに、翔は一応、法学部を卒業しているが、日米どちらの弁護士資格も持ってはいない。
次は、鈴村千春。
彼女も翔よりひとつ年下で、小学校から大学までを地元で有名な「お嬢様学校」で過ごしたとのこと。
千春の父親は、大きな病院の理事長で、自身も医者らしい。彼は病院経営をビジネスと捉えており、医療以外に介護等の福祉関係全般を手広く手掛けているという。
千春には弟が一人いて、現在は医大生。将来は父親の後を継ぐつもりのようだ。
尚、鈴村家と犬飼家は、千春の父親が理事長をしている病院の顧問弁護士を、葉月の父親の弁護士事務所が担っているといった関係らしい。元々は母親同士が友人で、そこから家族ぐるみの付き合いになり、葉月と千春が同じ幼稚園に入れられた上に小学校も同じ私立に通ったことで、二人は今に至るまでの腐れ縁になったようだ。
最後は、桜木莉子である。
まだ新入社員の彼女は、翔より三歳年下。誕生日が一月なので、五月生まれの翔からすると、もう少し歳の開きがあるわけだ。
彼女は、翔と同じ一人っ子のようだ。その上、中学から大学までを千春と同じ女子校で過ごしたことで、今でも男性は少し苦手らしい。
千春とは大学で同じサークルだったことから、先輩と後輩の関係にあるという。
彼女の父親は、なんと桜木物産のオーナー社長。同社は地元でも有名な中堅商社で、衣料や化粧品からワインまで様々な商品を取り扱っている。
実は、翔の実家も藤田コーポレーションという会社を営んでおり、衣料の分野では地域で一番の卸である。当然、衣料以外にも幅広い商品を扱っている為、桜木物産とは一部で競合関係にあったりする。
ちなみに、どちらの会社も七星商事とは取引がある。
いずれにせよ、ここで言えることは、三人とも揃いも揃って、かなり良いとこのお嬢様だということだ。
★★★
「以上がまあ、彼女達の表向きの情報というわけだが、よりプライベートなことは、藤田君の方から聞いてくれるかな」
中山支社長は、最後にそう締め括ったのだが、いきなり本当のプライベートなことなんか聞ける筈がない。そうかと言って、ここで「ご趣味は何ですか」なんて訊いたら、「それ、何の冗談ですか」って返されるのがオチだろう。
これは、相当に難易度の高い問題だ。
翔が頭を悩ませている間も、目の前の三人の女性は黙々と料理を口に運んでいる。
彼女達にしてみれば、翔のお手並み拝見と言った所なんだろうか。それとも、ここで質問など来ないだろうと見越して、食べることに専念しているのかもしれない。いつも陽気な千春でさえ、何も喋ろうとしないのだから……。
完全に、しらけ切った状態だった。
翔の頭の中は真っ白で、何も言葉が浮かんでこない。むしろ、浮かんでくるのは、「そもそも職場でお見合いってコンセプト自体、おかしいんじゃないか」といった疑問である。
ところが中山支社長は、翔に質問を促してきた。
「ほら、何か三人に聞いておきたいことぐらいあるだろう。趣味だとか、好きな食べ物だとか、何でも良いんだぞ」
「はあ。えっと……」
そんなこと言われても、それを真に受けて間抜けな質問などしようものなら……いや、ここは腹を括って、やるしかなさそうだ。
たとえ翔の質問が少々すべっていたとしても、千春あたりにツッコミを入れてもらえれば、それで場を和ませることができる。そしたら、それをきっかけに何か会話の糸口を探って、場を盛り上げる方向に持って行こう。
そんな作戦を脳内で思い描いた翔が頼みの綱の千春へと目を向けると、彼女は大口を開けてエビフライを頬張っていて、翔とは目を合わせてくれない。
だったらと思って葉月の方に目を向けるのだが、彼女もまた明後日の方向を見ていて、心ここにあらずといった様子。
残るは桜木莉子だが、隣の千春と支社長を交互に見ながらあたふたしていて、全く頼れそうもなかった。
もはや天を仰ぎたくなってしまった翔だったが、これ以上の沈黙は許されそうもない。
となれば、趣味よりも多少無難な質問は、食べ物の方だろう。
焦って、そう判断した翔は、決死の覚悟で口を開いた。
「あのー、犬飼さん。嫌いな物って何か……」
「わたくしに嫌いなものなどありません」
翔の質問に被せ気味で返事をされてしまった。
こうなると、頼みの綱は千春だろう。
「鈴村さんの好きな食べ物は?」
「エビフライ……と言いたいとこだけど、うーん。やっぱ、揚げたてだよねえ、美味しいのは」
そう言いながらも、今度はとんかつを頬張っている。目下、食事に夢中で、「話し掛けるな」オーラがビンビン伝わってくる。
仕方なく支社長の方に目をやると、何やら難しい顔をしている。ひょっとして支社長は支社長なりに、この場を何とかせねばと焦っているのだろうか。
翔がそう思った所で、当の支社長と目が合ってしまった。翔がすぐに目を逸らすと、何を思ったのか自分自身の結婚観を滔々と語り出した。
「えーと……まあ、何だな。うちの職場には、他にも派遣とかで綺麗なのはいるんだが、正直言って、そっちはあまり薦められんな。ここにいる三人の場合は、まず家柄がしっかりしとる。君も分かってるとは思うが、家柄ってのは大事だぞ。結婚というのは本人達だけじゃなくて、家と家とのものでもあるんだ。それに親戚付き合いだってあるしな。貧乏な家の娘だと、そのうち何かと厄介ごとを背負い込むハメにもなりかねん。そうなれば、仕事にだって影響する。そもそも会社が君等のような若手に結婚を勧めるのは、家庭を持つことで落ち着いて仕事に打ち込んで欲しいからだ。それが家庭のいざこざで仕事にも支障が出るようじゃ、本末転倒だからな……」
支社長の話は長かった。さっきのように誰からも言葉が出ないのも困るが、上司からの一方的な長話もどうかと思う。
そもそも、こういうのは本人達を前にして言うことじゃないと思うのだが、翔にはそれを支社長に言う勇気はない。
「……私が選んだこの三人は甲乙付けがたい別嬪さん揃いだから、選ぶ方も大変だろうがな。まあ、ひとつ宜しく頼むよ」
そんな風に言われた上に、最後には肩まで叩かれてしまうと、翔の方も「はい、頑張ります」と言わざるを得ない。
でも、いったい何を頑張れば良いのか皆目見当が付かない翔である。
今や主流派となった草食男子だが、翔も御多分に漏れず女性に対して積極的なタイプではない。そんな彼にとって、自ら女性を選ぶなんてことは、仕事なんかよりも遥かにハードルが高いミッションなのだ。
ちょうど区切りが付いたと思ったのか、葉月が立ち上がって「支社長、そろそろ出ませんと」と声を掛けた。
壁にあるアナログの時計を見た支社長が「おっ、もうこんな時間か」と言ったかと思うと、「じゃあな」と言い残して、早足で部屋から出て行ってしまった。
その後を葉月が急いで追い掛けて行った。
★★★
二人が出て行った途端、部屋の中の空気が緩んだものになった。
千春が「ああ疲れたあ」と言いながら、大きく伸びをする。その隣では、同じようにほっとした表情の桜木莉子が立ち上って、食べ終わった弁当の片付けを始めている。
翔も手伝おうとしたのだが、「藤田さんは大丈夫です。座ってて下さい」と言ってくれる。
「うわー、莉子ちゃん、やっさしい」
「だって、これは藤田さんのプチ歓迎会ですもの」
「そんなこと言って、本当は藤田さんに良いとこ、見せたいんじゃないの」
「違いますよ。だいたい千春先輩や犬飼さんがいて、私なんかが選ばれるなんて思えませんし……」
「えー、何で?」
「何でって、当然じゃないですか。私みたいに地味なのが先輩や犬飼さんに勝てるわけないですよ」
「それは、違うんじゃない。莉子ちゃんは可愛いし、歳だって若いんだしさ。あたしが莉子ちゃんに勝てるとしたら、胸だけだと思うんだけど……」
「ふふふ、そのとおりよ。桜木さんは、もっと自分に自信を持った方が良いと思うわよ」
いきなり割り込んできたのは、支社長を見送って戻って来た葉月だった。
テーブルの上はあらかた片付けられてしまっていたが、葉月は最後に台拭きを掛けながら、更に会話を続ける。
「だいたい、胸しかアピールポイントのない千春は論外だけど、このわたくしと比べたって莉子ちゃんは強敵よ」
「えっ、でも犬飼さん、頭良いし、スタイル抜群だし、女性としての魅力だって……」
その後は聞き取れなかったが、この時点では翔もまだ桜木莉子と同意見だった。
あとは千春だが、外見はともかく、中身は残念な子だと言わざるを得ない……と、思った所で、その千春がじ-っと葉月を睨んでいる。
「こらっ、そこの犬。なんでこの可憐な千春ちゃんが論外なのよ」
「あら、千春こそ、負け犬の遠吠えってやつじゃなくて?」
「う、うるっさーい。なんで、あたしが犬よ。あたしは犬がだーい嫌いなの知ってるでしょうがっ!」
「よーく知ってるわよ。幼稚園の時、追い駆けられて、噛みつかれそうになったと思ったら、スカート、破られちゃったもんね」
「うるっさ-い! それ、藤田さんの前でゆうなあ」
「あの時は、わたくしにしがみついて大泣きだったもんね。ふふっ、小さくて可愛いワンちゃんだったのに……」
「うるさい、うるさい、うるっさーい!」
どうやら千春は犬が苦手で、しかも、それには理由があるらしい。
「やっぱり、千春さんと犬飼さん、本当に幼馴染なんですね」
「そうなんです。支社長の説明にあったとおり、腐れ縁って奴ですよ」
「むぅ。中学校からは別々だったのにぃ」
「わたくし、千春が上に行くって言うんで、中学から別の私立に移ったんです。それなのに何で……」
「まさか、あんたと一緒の会社になるなんて、一生の不覚だわ」
「千春が七星商事の内定を取ったって知っていたら、わたくし、内定を辞退しましたのに……」
「あんた、他に受かったとこ、あったの?」
「失礼な。優秀なわたくしですもの。引く手あまたでしたわよ。それが入社式の日に千春がいるなんて……もう、最悪」
「なるほど、本当は仲良しなんだな」
「あの、藤田さん、それは……」
「ふん、誰がこんなペチャパイと……」
二人の不穏な空気を察した翔が口を挟むと、慌てた桜木莉子が何か言い掛けて、それに千春のやさぐれた声が被さった。そして、案の定……。
「ぺ、ぺちゃ……何よ、チビのくせに」
「チビゆうな。犬のくせに」
「い、犬ですってえ、この乳おばけ」
「あら、犬の遠吠えかしら?」
「それ、さっき、わたくしが言ったセリフでしょうがっ!」
「あ、ペチャパイの遠吠えだったかも」
遂に二人の口喧嘩が、本格的になってしまった。昨日の空港で揉めた時と同じパターンだ。そして、桜木莉子が仲裁に入る所も同じである。
「もう、二人ともケンカはやめて下さーいっ!」
彼女としては、強い口調だった。それに今までで一番大きな声だった……と言っても、千春のキンキン声と比べると、全く気にならないレベルなのだが……。
「わ、分かったから……莉子ちゃん、ごめん」
「わたくしも、すいませんでした」
なんとか二人とも、すぐに再起動して平常稼働に戻ってくれたのだった。
★★★
そして、再び雑談が始まる。今度は葉月も加わって、文字通り姦しくなってしまった。
まずは葉月が「藤田さん、先程は大変お疲れさまでした」と言って、頭を下げてきた。
「いやいや、お疲れ様なのは、お互い様だと思いますけど」
「ふふふ。確かにそうですね」
「だよねー。だいたい『何か三人に聞いておきたいことぐらいあるだろう』って、あれ何なの。あそこでもし藤田さんに、『ご趣味は何ですか』なんて聞かれちゃったら、あたし、笑いに耐えられる自信なかったわ」
「それはまあ、そうだけど、わたくしだったら、ちゃんと『お茶とお花です』って言えるわよ」
「あ、あんた、今、藤田さんに何気でアピールしようとしたでしょう……って、だいたいあんた、藤田さんに『嫌いな食べ物は』って聞かれて、『嫌いなものなどありません』って冷たくあしらったじゃない」
「だ、だって、本当に嫌いなものはあまり無くて……って、あの状況でまともに答えられたら、それこそKYって言われちゃうでしょうが」
「まっ、確かにね。ちなみに、あたしは嫌いなもの、いっぱいあるから」
「あんた、それって自慢するとこじゃないでしょうが」
「うるっさいなあ。嫌いなものの筆頭が犬でしょう。次はやっぱ、虫かなあ」
「あのね、食べ物の話してたんだけど」
「だから、色々と煩いんだってば。どっちも食べる人は食べるでしょうが」
「まあ、イナゴとか食べる人はいるけど」
「あんた、あれ、食べるの?」
「いいえ、あいにく、うちの食卓に出たこと無かったので」
「やっぱ、食べたこと無いんじゃない。あたし、お祖母ちゃん家であれ見た時、卒倒しそうになったわ」
「もう、そんなこと、どうだっていいでしょうが。普通に嫌いな食べ物の話でしょう」
「だから、ちゃんと答えたじゃない。てか、あたしの時、藤田さんは『好きな食べ物は?』って訊いたのよ。で、あたしは、エビフライだって答えただけでしょうが」
「あんた、その後で『このエビフライ、冷たくてまずい』って言わなかった? このぜいたく娘が」
「違うでしょう。あたしが言ったのは、『エビフライは揚げたてが一番です』ってことじゃない。名古屋人として、エビフライにこだわりを持つのって、当然のことじゃないの」
「そうかもしれないけど、あんたのせいで支社長の長話が始まっちゃったんじゃないの」
「ち、違うでしょう。あんたが藤田さんに優しく答えてたら、もっと場が和んで、支社長だってあそこまで壊れなかったんじゃない。やっぱ、胸がない女は情が無いってゆうか……」
「情があるのと胸は関係ないでしょう。だいたい、あんたの胸に何が詰まってるっていうのよ」
「暖か-いミルク、イコール愛情じゃないの」
「あのね、赤ちゃんができなきゃ、母乳は出ないの。それって、宝の持ち腐れって奴じゃない」
「う、うるっさーい。このペチャ……」
「千春先輩っ!」
「……ペチャ焼き、おいしいよね」
「何それ」
「知らないの? タコ焼きとチーズをタマゴで包んだ奴」
「知らないっつーか、関係ないでしょうが」
「関係あるでしょう。好きな食べ物の話だったんだし」
「あれ、そうだったっけ。まあ、それはそうとして……」
「何が『それはそうとして』よ。しらじらしい……」
「千春先輩、ケンカはダメですっ!」
再び怪しくなってきた二人のやり取りに釘を刺したのは、もちろん桜木莉子だった。
ところが、そこから話が少しおかしな方向に行ってしまうのである。
「むぅ、分かったわよ……ってか、キャハハハハ」
「な、何、急に笑ってんのよ。恐いんだけど」
「だってさあ、さっきの支社長、『私が選んだこの三人は甲乙付けがたい別嬪さん揃いだからな』だよ。まっ、選んでくれたのはいいんだけど、『別嬪さん』って、何世紀の言葉よ?」
「別に、昭和なんじゃない」
「それにさー、その後の藤田さん、『はい、頑張ります』って、キャハハハハ……あれ聞いて、その場で噴き出さなかったあたしを褒めてやりたいわー」
「こ、こら、千春。ご本人を目の前にして、あんた何いってんの。……ひょっとして、忘れてたとか」
「あ、そ、そうだった。ご、ごめんなさい……」
さすがに、しょんぼりした様子の千春だったが、それ以上にダメージを受けたのは、翔の方だった。なぜなら、あれは誰だって笑って当然な言葉なわけで……。
千春と翔が落ち込んでいると、葉月が真面目な声で「そろそろ戻りましょうか」と言った。
確かに壁のアナログ時計は、午後一時になろうかという時刻を指している。
部屋を出る時、もう一度、千春が頭を下げてくれたけど、翔の気分は依然として、たそがれたままだった。
たくさんの作品の中から、読みに来て頂いてどうもありがとうございます。
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