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第1話:謎の女 <翔サイド>


高度一万メートル。ニューヨークのケネディ国際空港を定刻どおりに飛び立った大型の旅客機は既に水平飛行に移っており、藤田(かける)がいるビジネスクラスの客室では,女性のキャビンアテンダント達による飲み物のサービスが始まっていた。


「オ飲ミ物ハ、何ニ、ナサイマスカ?」


たどたどしい日本語で話し掛けてきたアテンダントの方に翔が目を向けると、長身でグラマーな金髪の白人女性だった。

翔は一瞬だけ考えて、白ワインを頼むことにした。

どうせ長いフライトだし、多少はアルコールの力を借りてでも眠ってしまった方が楽だと思ったからだ。


翔の返事に金髪のアテンダントはニッコリと微笑んでくれて、手元のワインクーラーからシャルドネのボトルをおもむろに取り出した。そして、そのラベルの部分を翔の目の前に差し出すと、「オッケー?」と訊いてきた。

翔は彼女の笑顔に内心ドギマキしながらも、軽く頷いた。それを見た彼女は、中身のワインを静かにグラスへと注ぎ、白いお皿に載ったチーズの盛り合わせと一緒に目の前の簡易テーブルに並べてくれた。


「あら、あなたも白ワインなの。気が合うわね」


突然、反対側から女性の声がした。

それで初めて翔は、右隣の席に目を向けた。そこには、まるでセレブのような若い女性が座っていることに気が付いた。

大きなサングラスをしているせいで顔の詳細は分からないが、それでも整った顔付きなのは分かる。染みひとつ無い瑞々しい肌は、白磁のように白い。ふわふわの長い髪は、淡い茶色、亜麻色といった感じだ。白いブラウスを押し上げる胸は、しっかりとした存在感を主張していて、ダークグレーのタイトスカートからは、すらっとした長い脚が伸びている。

どう見ても、日本人には見えなかった。

歳は、二十代だと思われた。翔と同じか、少し上くらいだろうか……。


「どうしたの。あれ、あなた日本人よね?」


翔の返事が遅れたことで、日本語が分からないのかと思われてしまったようだ。


「そうだけど、あなたは?」

「もちろん日本人よ。とは言っても、見た目のとおりハーフで二重国籍だけどね。育ったのが日本だから、自分では日本人だと思ってるってのが正確かな」

「なるほど」

「でもね、もう一度アメリカと日本が戦争することになったら、どっちを取るかは微妙だな」

「前の戦争の時は、日系人ってだけで収容所送りだったって聞きましたけど」

「そうなんだよねえ……、でも次は大丈夫なんじゃない?」

「それはどうかな。人種の問題ってのは結構、根深いみたいだし……てか、日本はアメリカと戦争なんかしませんよ」

「まあ、今の日本にそんな力、無いもんねー。あなた、日本にはお仕事で?」

「ええ、まあ。一応、里帰りも兼ねてますけど」

「ふーん、アタシと同じね。じゃあ、取り敢えず乾杯と行きましょうか。ほら、グラス持って……」


そう言いながら彼女は、優雅な仕草で自分のワイングラスを手に取ると、翔が慌てて手にしたグラスに軽くぶつけてきた。


「では、かんぱーい」


――カチン。

ガラスとガラスがぶつかり合う音がした。


彼女は自分のグラスを一気に空けると、翔の方に悪戯っぽい笑みを向けてくる。と思ったら、妙に明るい声で「ほら、空けて空けて」と催促された。

それから、軽く右手を上げて近くのキャビンアテンダントを呼ぶ。その発音は、完全なネイティブのものだった。



★★★



そうして、唐突に始まった機上の飲み比べ大会。

彼女は、さも当然のことのようにキャビンアテンダントを呼んで、白ワインのお代わりを注文した。

そして、彼女が手にする白ワインが三杯目になった時、別に頼んでもいないのに、二人の間にはワインクーラーが用意されていて、新しく開けられた白ワインのボトルが、その中に置かれることになってしまった。


折を見て、サラダとスープが運ばれて来る。その次のメインディッシュは、彼女がビーフシチュー、翔は白身魚のソテーを頼んだ。

その間も、彼女が飲むピッチは衰えない。しっかりとデザートまで平らげた彼女は、チーズの盛り合わせをつまみに、ぐびぐびとワインを喉に流し込んで行く。


「酒を飲みながらチョコレートケーキなんて、よく食べられますね」

「えっ、何でぇ。チョコとワインって相性良いじゃない」

「確かにブランデーとか入ったケーキはありますけど、つまみにケーキは無いでしょう」

「それって、ビールや日本酒の感覚だと思うよ。アタシは、ワインだったら、甘いものと一緒でも全然オッケーだけど……」


やがて機内の灯りが消されて暗くなっても、二人の酒盛りは続いて行く。

ニューヨークからのフライトは、本当に長い。偏西風に逆らって飛ぶから、十四時間以上も機内に閉じ込められたままなのだ。


暗闇の中でも、彼女はサングラスを外さなかった。手元の灯りは点けているので、見えないということは無いのだろう。

翔からすると、彼女の周囲だけが明るく浮かび上がっていた。そんな彼女の肌は驚くほど白く、顔の造形は美しい。ワイングラスを掴む細くて長い指が妙になまめかしく感じられる。それを口元に運ぶ仕草は相変わらず優雅で、赤いルージュを塗った唇が、思わずぞくっとするほどいろっぽかった。


彼女は酒に強かった。

翔も割と酒には強い方だが、彼女の強さは底無しだった。いったいどんな肝臓をしてるのか謎に思える程だった。


最初、彼女は「ニューヨークのマンハッタンで働くOL」だと自らを称したのだが、今の時代、普通のOLで日本に出張することなど有り得ない。若いけど大企業で相当に高い地位にあるか、ベンチャー企業の経営者か、それとも本物のセレブのお嬢様か……。


翔があれこれ考えを巡らせていると、彼女の方から自分の素性を話してくれた。やはり彼女の祖父が相当な資産家のようで、巨大な多国籍企業の経営者でもあるらしい。

そして彼女もまた、その企業に籍を置いていて、この歳で役員に名を連ねているという。

彼女の父親は長男で後継者。その彼が若い頃、日本にある出先企業に出向し、そこで日本人の母と結ばれて結婚、彼女が生まれたのだそうだ。しかも、彼女は一人っ子らしい。


「……本当はね、父方の祖父はユダヤ人なんだ。でも、アタシは完全に無宗教。だって、日本人だもん。ある時はクリスチャン、ある時はブッディスト。日本に居た時は、お正月に神社へ初詣でにも行ってたよ」


ただ、彼女が若くして大企業のエグゼクティブであるということは、しっかりした教育を受けていて、それなりに優秀であるということだ。じゃないと、やって行けるわけがない。実際、彼女との会話の端々には、相当な知性の片鱗が感じられる。

彼女は、翔のそんな推測を否定しなかった。

それだけだって、相当に凄いことなのだが、実は彼女の凄さは更に翔の想像以上だったのである。



★★★



やがて、彼女は自らを「エリカ」と名乗り、翔のファーストネームを知りたがったので、彼も彼女が「カケル」と呼ぶことに同意した。


そのエリカが翔の前でおもむろにサングラスを外した。大きな二重ふたえの瞳は、夏の空を思わせるブルーだ。

その彼女が翔の方に悪戯っぽい笑顔を向けてきた。


「ねえ、カケル。さっきから何度もアタシの顔を見てるけど、何か言いたいことあるんじゃない?」

「えっと、綺麗な人だなあとは思いますけど……」

「もう、カケルったらあ、わざとすっとぼけてるんじゃないの?」

「わざとって、何がですか?」

「ふーん、わざとじゃないとすると……本当に気付いてないとか? マジで?」


エリカが口の中でごちゃごちゃ言っている。普通ならイラつく所だが、相手が超ド級の美女なので、翔は黙って見とれていた。


「カケルってさあ、天然とか鈍いとか言われたりしない?」


今度は唐突に、こんなことを訊いてきた。さすがに少しムッとした翔は、つい小言を口にしてしまう。


「まあ、たまにズレてるとか、鈍いとか言われることはあるけど、何で初体面の人に言われなきゃなんないんですか」

「あ、ごめん、ごめん。てことは、アタシのこと、本当に気付いてないってことね」


彼女は首を傾げて、不思議そうな顔をしている。翔は酒に酔って回らない頭を必死に回転させて、今までに会ったことのある女性のリストを脳内で懸命に探っていた。

だが、若い女性のセレブなど、元々翔の知り合いにはいない。もし会ったことがあるなら、絶対に記憶に残る筈なんだけど……。


翔が小声で「気付くも何も、初対面だと思いますけど」と返すと、エリカはハッとした顔をして「ひょっとして……」と呟く。


「ねえ、アタシのこと、本当に知らないの?」

「だから、さっきも初対面だって言ったじゃないですか」

「うーん、おっかしいなあ。ねえ、『早川エリカ』って本当に知らない?」

「知らないですよ。さっきから、いったい何なんですか」

「うわあ。本当に知らないんだ。カケルって、テレビ見ない人なの?」

「えっ、テレビですか? 見ますよ。ケーブルで映画とかスポーツとか、あとはCNNも見てます」

「日本に居た時は?」

「おんなじですって。映画とスポーツ。それとニュースだけど、ニュースの方はネットがメインですね」

「芸能ニュースとかは?」

「スポーツニュースなら見ます」

「だから、アイドルグループとか……」

「あ、そういうの興味ないですね。友達にも珍しい奴だとは言われます」


エリカの表情が曇った。割と感情が表に出るタイプのようだ。

まあ、仕事の時は別かもしれないけど……。


「あの、聞きづらいことだけど、カケルって女の子に興味ないの?」

「どういうことですか?」

「ゲイとか」

「違いますよ。もう、何なんですか、本当に」


エリカが大きく溜め息を吐いた。そして、「別にいいんだけどね」と呟いた後で、再び口を開いた。


「あのさあ、『早川エリカ』って日本語でググってみなよ」


翔は左手首に装着したウェアラブル端末を操作して、言われたとおりにしてみた。すると、隣に座っている女性と同じ顔の三次元画像がにょきっとディスプレイから浮かび上がって、思わず「うわっ」と声を上げてしまった。


ビジネス席は人がまばらだとはいえ、大半の人は寝ている時間なので、大声はまずい。


今度は情報サイトを適当にいくつか当たってみる。

すると、日本の超メジャーアイドルグループで七年もの間センターを務め、二年前に惜しまれて引退したとある。「日本人であれば誰でも知っている国民的アイドル」とも書かれていた。

ようやく、さっきまでのエリカの言動に合点がいった。


「なるほど」

「あら、そっけないのね」

「いや、驚いてはいますよ」

「そうなの? 全然そうは見えないけど」


エリカが再びサングラスを掛けた。


「でもさあ、アタシの名前も知らないってことは、カケルって友達、いないんじゃない?」

「失礼な。普通にいますよ」

「彼女は?」

「……」

「やっぱり、いないんだ。そこまで芸能ネタに疎いんじゃ、女子と話が合わないもんね。アタシってさ。結構、女子にも人気あったんだよ」

「別に良いですよ」

「何がいいの? 女の子にモテたくないわけ? やっぱりゲイなんじゃないの?」

「だから、違いますってば」

「ふふっ。お姉さんに白状しちゃいなさい。うちの会社にもね、ゲイの人ってたくさんいるから、好きなタイプ教えてくれたら、紹介してあげてもいいよ」

「だから、本当に違うから」

「ふーん。てことはさあ、白人の女の子がいいとか? キャっ。アタシみたいなタイプとか?」

「確かにエリカさんは魅力的だと思いますけど、俺、フツーに日本人の女の子が良いっていうか……」

「分かった。そっかあ。本当は白人の子に憧れるんだけど、こっちじゃ日系人の男ってモテないもんね。だから、日系の子かアジア系の子を狙うんだよね。あ、日系の男ってゲイにはモテるよ。やっぱ、うちの会社の……」

「男は嫌ですってばっ!」


またもや大きな声を出してしまい、翔は慌てて口を押さえた。


「もう、そんなに強く言わなくたっていいじゃないの。てか、そこまで強く言うってことは、却って疑われちゃうよ。実は自分の本心を隠してて、誰にもカミングアウトしたことがないとか……」

「やめてくださいよ」

「だったら、何で女に興味ないわけ……あ、分かった。カケル、誰か好きな子いるな。すっと片思いの子がいて、その子にどうしても気付いてもらえないとか、それとも自分から告白できないとか……ねっ、そうなんでしょう。白状しなさい。カケルって見るからにヘタレって感じだもんね」

「……違いますよ」

「何が違うのかなあ。あ、分かった。ずーっと付き合ってた彼女がいたんだけど、ある日突然、振られちゃったとか……」

「……っ」

「そんでもって、振られた原因がどうしても分かんなくて、何年もうじうじ悩みまくって、もう女は信じられないとか思ってて……」

「……」

「カケルって、鈍感そうだもんね。女心、分からないって感じ。振られても仕方ないかも……あ、落ち込んじゃった? ごめん、図星だったんだ。うわー、何その表情。その子のこと、どうしても忘れらんなくて、未だに引き摺ってるんだ。こりゃ、相当に重症かも。分かった、分かった。お姉さんがぜーんぶ、聞いてあげるから、言ってみなよ……」


酔っぱらったエリカは、結構ウザい。


ある意味、当たってる所もあるのだが、翔としては、それほど引き摺ったりはしてないつもりだ。実際、ニューヨークに来てから、彼女のことを思い出したことなど無かったからだ。

けど、女にあまり興味が無いのが彼女のせいだという辺りは、案外、その通りなのかもしれないとは思う。


まあいい。過ぎたことだ。


藤田翔、日本でも有数の一流商社、七星ななぼし商事勤務、二十六歳。


結婚するには、早すぎる。それに今は仕事の方が面白い。

だから、翔としては別に焦って彼女だとか、まして結婚相手だとかは必要としていなかった。


それなのに周囲は、そう思ってくれてはいないようだった。


エリカは、なおも白ワイン片手に絡んでくる。翔の過去を根掘り葉掘り聞きたがっては、グラスをぐいぐいと開けていく。


ちぇっ、これじゃ、ちっとも眠れそうにないや。


彼女のせいで、翔もついつい飲み過ぎてしまいそうだ。


この日、翔に分かったことがある。


どんなに良い女でも、酔っ払いはみんな、同じだ。



★★★



翔の記憶がしっかりと残っているのは、その辺りまでである。それからも勧められるがままにワインを飲み続け、終いに意識が飛んでしまったのだ。

なので、その後に彼女が語ったことは、あいまいにしか覚えていない。つまり、本当に彼女がそんなことを言ったのかどうかは、翔にとって定かではないということだ。


いつの間にか翔は、眠ってしまっていた。


次に翔が目を覚ましたのは、彼を乗せた飛行機が目的地、中部国際空港の滑走路に降り立った時だった。着陸時のドンという振動と、ゴーという風切り音で翔は目覚めたのだ。


そして、徐々にターミナルビルへと近付いている時、翔は最後に彼女が語ったことをぼんやりと反芻していた。


彼女が機内で最後に語ったこと、それは相当に奇想天外な話だった。


「実はね、アタシ、テロリストなの」


その時、彼女はそう言ったのだ。


「それでね、今度、名古屋の真ん中で、大きな爆破テロ、やってみよっかなって思ってるの。ほら、名古屋の真ん中にテレビ塔ってあるじゃない。あの足元の辺りの地下街でね、どっかーんって派手にやっちゃうわけ……ふふっ、楽しみだなあ。きっと、みーんな大騒ぎするよ。その時の映像が何度も何度もニュースに出てさ。それ見ながらアタシ、ワインを飲むんだ。うん。きっと、最高だよね……」


その時の彼女は、微かに笑っていた。背中がぞくっとするほどの妖艶な笑みで、翔は、その美術室にある彫刻のような白い顔を綺麗だと思った。


「……あれっ、カケル、信じてないな。まっ、カケルが信じるかどうかは、ぶっちゃけ、どうでもいいんだけどね……」

「……」

「あれ、カケル、寝ちゃった? おい、おーい。寝るなあ。まだ寝ちゃ駄目だってばあ。もっとアタシの話、聞きなさいよ。ねえ、カケルってばあ……」






たくさんの作品の中から、読みに来て頂いてどうもありがとうございます。

この後も引き続き宜しくお願いします。

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