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戦争はお好きですか?

作者: アカイノ

 生きることが辛くなったとき、今が戦争だったらなと思ってしまう。


 このご時世に不謹慎であることは重々承知しているつもりだ。ただ、思うだけなら迷惑はかけていないはずなので、どうかご容赦ください。


 僕は戦争を経験したことはもちろんない。

 戦争を渇望する人間というのは、戦闘狂か愚か者のどちらかと相場が決まっている。僕はもちろん後者だ。それは自覚しているつもりだ。


 この不謹慎な願望を抱き始めたのは、いや自覚したのは、つい最近というわけではない。自慢みたいな言い方になるが、昨日今日から始まったものではない。


 大学生に成り立ての頃。受験期の名残か、本屋の参考書コーナーに置いてあった教科書をなんとなくパラパラ開いていたときだ。

 教科書に載せられた写真。歴史上もっと残酷とされる第一次世界大戦、それに向かう兵士の写真だった。僕はこの写真の中の哀れな兵士達に嫉妬した。初めは些細な違和感程度の感覚だったと思う。


 第二次世界大戦。

 ソ連のアフガニスタン進軍。

 ベトナム戦争。

 湾岸戦争。


 教科書を読み進める過程で膨らむこの違和感に対して、「嫉妬」という感情を当てはまるのにそう時間はかからなかった。


 僕はこの後も他の教科書や戦争に関する本を読んだり、戦争の写真が展示されている場所に赴いたが、その度に僕の中の「嫉妬」の感情を確認する。


 はじめは自身を戦闘狂の類ではないかと疑った。戦争という闘争本能を発散できる場を与えられた兵士達を酷く羨ましがったのだと。しかし、重ねて言わせてもらうが、僕は愚か者であって、戦闘狂ではない。


 アカデミー賞の授与式で、司会を殴った俳優が最近ネットニュースで取り上げられているが、僕が同じ立場なら彼のように()()()()()()()()のではなく()()()()のだ。


 なら戦闘狂でない僕がなぜ「嫉妬」という感情を抱いたのか。


 それは写真の兵士達が現代という病から無縁であったからである。きっと彼らには僕のような苦しみがない。過去の人である彼らには現代の苦しみを知らない。


 そんな当然のことが羨ましかったかった。そう思っだけで、彼らの不遇な状況が大変素晴らしいもののように思えた。そこには、彼らには彼らの苦しみがあるという当然を微塵も鑑みていない。


 彼らの苦しみとは、もちろん戦争のことだ。

 もっと言ってしまえば、死に対する恐怖だ。

 戦争中は死が身近な存在であった。


 客観的に見れば僕の悩みの方こそつまらないものに思えるかもしれない。いや、そうに違いない。それは分かっている。

 

 戦争に向かう兵士達より僕の方を不遇に思うのは、戦闘狂か愚か者であると、やはり相場が決まっているのだ。


 とある精神療法を試したことがある。自分と同じ苦しみを抱えている人に対してどのようなアドバイスをするかを考えるといったものだ。端的にいえば、自分に対して他人のようにアドバイスするというものだ。自分を他人とみなすことにより不思議と自分の状況への解決策が思いつくのだと聞いた。


 僕は自分の同じ状況の人、つまりは僕にこうアドバイスをかけた。本当はもっと長々と蛇足を並べながら語ったのだが、結局のところこの一言で済ませてしまう。


「死ぬことよりはマシだろ?」


 と。

 間違っていることには、すぐ気づいた。

 このアドバイスには、死が最も恐ろしいものという盛大な勘違いが前提にあった。無意識とはいえそんな前提が自分の中にあるのは許せなかった。


 人には寧ろ死にたくなるぐらい苦しいときがあること、死以外のものに死よりも恐ろしい何かを見ることを忘れていたのだ。少なくとも僕はそのことを身をもって理解していたはずなのに。


 戦後、自殺者の数は急激に増加した。最近は減少傾向にあったらしいが、それもまた変わってしまったらしい。


 その原因は、経済の低迷や福祉の不充実、もちろん感染症による拘束など様々な説明がされていて、もっと人に着目したものだと、人間の精神が落ち込みやすくなったとか、よりストレートにメンタルの弱い人が増えたなんて説明をする人いるけど。


 死よりも恐ろしい何かが増えたとは誰も考えない。現代というものが死んでしまいたいくらい過酷な時代であるとは誰も考えない。


 高校生の時の授業中、歴史の先生が、

「人類は多くの失敗をしてきたがそれでも一歩ずつ前に進んできた。それを学ぶために歴史を学ばないといけない」

 と言っていた。

 とてもいいセリフだと思った。

 性格の良い歴史の先生の多くが言いそうなことだとも。

 そしてこのセリフには、"今僕たちが生きているこの時代が最も良い時代である" という見苦しい前提があることを思わずにはいられなかった。


 なぜ人は今生きているこの時代を最高と思うのだろう。

 なぜ昔よりはマシだと思うのだろう。

 なぜ世界は少しずつ良くなっていると思いたがるのだろう。


 "今が最も幸せ"だとか、そういったセリフは個人の中で思ってくれてればよい。仮にそう思ってたとしても、外に発散するときはこの世界は最悪だと叫んで欲しいものだ。


 といってもそこまで悲観的になるのもそれはそれで問題だ。世界が良くなっているという希望もまた生きていくには必要だ。


 人は希望があるから生きていける。それはこの世に絶望が蔓延(はびこ)っているのと同じくらい真実なのだから。


 ああ、戦争があればいいのにな。

 と、SNSにでも声高に投稿してくれる人はいないだろうか。あまりの不謹慎さに炎上は免れないだろう。なら、炎上しなければそうする人はいるのだろうか?


 もしいてくれたら嬉しい。そのような人がいれば現代という病に苦しんでいるのが僕だけでないと実感できるから。他人も僕と同じように苦しんでいると実感できるから。


 現代で厄介なのは、他人も苦しんでいるということを実感しづらいことだ。他人も苦しんでいることを実感できたら、僕はもっと他人に優しくなれるだろうし、もっと他人を助けようとするし、そしてもっと人生が楽になる気がする。


 色々御託を並べてきたが、案外その実感が欲しくて僕は戦争を望んでいるのかもしれない。


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