第7話 消えた探偵
それぞれが単独で操作を開始したグレンとサム。
さて、目ぼしいヒントは見つかるのか?
人間の目をすり抜けて裏庭に回ると、樫の木の手ごろな枝に座り込んだ。さっきまで裏庭で作業していたチャーリーが、もう厨房で食事の支度をしていた。時間的に考えて、さっきの作業は放ってきたのだろう。タマネギを剥いたり、ジャガイモを洗ったり、バタバタと忙しそうにしているのが見えた。
今、アースフィールド家にいるのは、アースフィールド氏とブラウン氏、それにアンとチャーリーだけか。朝のうち掃除をしにきていた中年女性は、昼前に帰って行った。大きな家にたったそれだけの人数とは寂しいかぎりだろう。
チャーリーがタマネギを剥き続けている。いったい何を作るのだろう。さすがに料理人だけあって、手際がいい。あっという間に大なべいっぱいのビーフシチューが出来上がった。
配膳机には3人分の食器が用意され、サラダやパンと一緒にトレイに移されていった。そして残りの大なべはさっさとふたをして、サラダの大きなボウルと一緒にコンテナに移した。その上段には一食分のトレイが置かれ、チャーリーはそのまま正面玄関を抜けて食事を運んでいった。
おかしい。まかないの料理しか作っていないとはどういうことなんだ。アースフィールド氏には別メニューを出すのだろうか。しかし、使用人が先に食事をとるなんて聞いた事がない。
それにあの大なべはどういうことだ。ブラウン氏はどちらかと言えば細身な方だ。とても大食漢とは思えない。
俺は大急ぎで表の木によじ登り、チャーリーが到着するより先に部屋の観察を始めた。ドアがノックされ、ブラウン氏が不意に姿を表した。そしてそのままチャーリーを部屋に入れた。
チャーリーはブラウン氏のテーブルに食事の用意をすると、そのままコンテナを押して本棚の前まで進んだ。
俺は大急ぎで枝をよじ登った。もうちょっと高い位置からなら、本棚の前の部分がどうなっているのか見えるはずだ。
少しばかり頼りない枝ではあったが、そっと足を伸ばして本棚の前の部分が見える場所までやってきて気がついた。本棚のすぐ前には四角く区切られた場所があった。はっきりとは分からないが、地下から灯りがもれてきているようだ。
チャーリーはそこにコンテナの中の大なべや大きなボウルを運び入れると、どこかを操作した。コンテナごと乗り込んだ床はすっと滑らかに下降し、すぐさま人間だけを乗せて上がってきた。
そして、何食わぬ顔で空のコンテナを押しながらブラウン氏の部屋を出て行ったのだ。
あの大なべからして、それなりの人数があの地下室にいるのは間違いなさそうだ。上下する床はチャーリーが移動して数秒後には自動的に床と同じフローリングのシートで覆われた。もしかしたらあの簡易エレベーターのようなものには、入り口が分かりにくくする細工がほどこされているのかもしれない。
そっと枝を退いて、俺は納屋に急いだ。サムの方はうまくやっているだろうか。気になるが、今はサムを信じるしかなさそうだ。焼却炉のカフスボタンの件、チャーリーの食事のこと、それからブラウン氏の秘密の地下室の件をメールにまとめて送った。
急がなくては、できればあの扉の開き方を教えてもらわなくてはならない。
再び表の木の枝によじ登って、辛抱強く待ち続けた。
やがてブラウン氏が本棚の前まで歩いていくと、本棚の下から3段目の辺りに右手を差し入れるのが分かった。
あそこだったのか。と思ったとたん、足元にビシっといやな音がして、俺は足場をなくしてしまった。
ネコの癖に、着地に失敗してしまった。左足に激痛が走っている。早く逃げなくては。焦る気持ちを暗闇が覆い始める。遠くから足音が駆け寄ってくるのが分かった。あの靴は、チャーリーか…。俺はそのまま気を失ってしまったらしい。
サムは、ロイドの勤務する会社内に留まって、今朝からのロイドの行動範囲を調べ上げていた。マリアに聞いた話によると、ロイドは今朝もいつもどおり自分の車で出社したという。実際ロイドの車は駐車場に残ったままだった。
サムが調べ物をしているそばから、彼らの部署には上司からすぐにロイドを会議室に連れてくるよう連絡があった。トニーは焦り、ロイドの立ち寄りそうな場所は片っ端から連絡をつけたが、ロイドの行方はわからなかった。隣ではサラが警察に連絡を取っていた。しかし事件性がないという理由で、警察が動く事はなかった。
どういうことだ。サムはじっと考え込んでいた。もし、社外に出ていないのであれば、どこかに監禁されているのかもしれない。サムは大きな賭けに出ることにした。
残業組が帰り始めた頃、トニーは取引先から荷物を預かったと言って、警備員室の前を通り過ぎた。もちろんダンボールの中にはサムが隠れていた。
すぐさま作業着を着込んで、作業員のフリをして順番に道具入れや配電室など、人気のなさそうな場所を調べ始めた。
しばらく作業を進めていると突然キールがサムの前に現れた。
「お前は何者だ!」
「サム・エンジニアリングの者です。今日は点検日でして、お邪魔しております」
愛想のいい笑顔に、キールはちょっと口ごもった。サムは素知らぬふりで作業を続けていたが、キールがどうしても一箇所の道具箱だけは開けさせようとしなかった。
「すみません。全部見ないと上司に叱られるんですよ」
「いいよ、ここは。俺が変りに見ておくから、次の部署の方に行ってくれ」
「後で仕事していなかったなんて、言わないでくださいよ」
情けなさそうな顔でキールに言うと、そそくさと次の部署に移動していった。しばらく経ってその場を通り過ぎると、まだキールが座り込んでいた。サムは軽く会釈をするとそのまま通り過ぎて行った。
キールはなかなかしぶとかった。大型の道具箱の上に寝転がってこのまま夜を明かそうというつもりらしい。持久戦になることを覚悟して大型の缶コーヒーを買うと、キールの元に向かった。
「あ、やっぱりまだがんばってるんですね。お仕事大変ですねぇ。これ、よかったらどうぞ。いや、僕もね。こんな遅い時間に仕事するのは初めてで、なんだか怖いもんですね。誰も居ない会社ってものは。あはは。じゃあ、また」
サムはそういいながらキールに大型の缶コーヒーを手渡し、その場を去った。そして、そこから一番近いトイレを確認すると、その反対側に身を潜めた。
すっかり夜が更けていた。ガラス張りの壁の向こうに研ぎ澄まされたような三日月が輝いていた。そっと内ポケットのパソコンを覗く。グレンからのメールは夕方以来届いてはいなかった。
しばらくすると、キールが動き出した。あれだけ大量のコーヒーを飲んだのだ。トイレにも行きたくなるだろう。
「ありがとよ。分かりやすくて助かったぜ」
サムは道具箱に向かった。案の定、ロイドは手足を縛られ口には粘着テープが巻かれた状態で発見されたが、命に別状はなかった。
ふと思い出したようにケータイを取り出すと、時折情報を送ったりしている警官のパトリックにメールを入れた。
「ロイド、悪いがもうすぐ警官のパトリックがやってくる、それまで待ってくれないか?刑事事件になれば、この会社の幹部連中もキールたちを放ってはおけないだろ?」
ロイドはちょっと肩を落として頷いた。サムはそのままそっと道具入れの扉を閉めてその場を離れた。
まもなく、パトリックはめでたくロイドを救出することに成功し、事件は白日の元に晒された。
翌朝、サラはロイドを連れて会議室に飛び込み、事件の詳細を説明することになった。一時は騒然となった会議室も、事の次第が分かると会議の内容を変更し、キールの処分も決定した。
「サム、ありがとう! 貴方のお陰でやっとキールたちの悪巧みが明るみに出たわ」
サラは嬉しさのあまり上ずった声で受話器に叫んでいた。しかしサムはもう車の中にいた。
「そりゃあよかった。とりあえず、役に立てて嬉しいよ。」
「今日はこれから祝賀会をするの。是非サムにも来ていただきたいわ」
「悪いね。こっちはもう次の約束が入っちゃってるんだ。また今度ね」
サムは軽い口調でそういうと、電話を切ってハンドルを握った。すぐにでもアースフィールド家に駆け付けたかった。
グレンからの連絡は、途絶えたままだったのだ。
焦るサムの元に電話がなった。サムは大急ぎでケータイを取り出したが、かけた相手はもちろんグレンではなかった。
「サム、大変だ!」
「なんだ、エリックか。どうした?」
「お前さんが連れてきたリサって子がいなくなったんだ!」
「リサが…? 分かった。心当たりを探すよ」
サムはそのまま電話を切って、車を走らせた。ふっと助手席の上着の下にグレンがいるような気がした。
「おい、どこにいるんだよ。早く連絡をしてくれよ」
サムの独り言に、グレンが答える事はなかったが、サムには何かが聞こえた気がした。
-こういう時は、急がば回れだよ。-
「そっか。日本じゃそんなことわざがあったよな。それじゃあ、思い切って一軒回ってからにするか」
サムはアースフィールド家を通り過ぎて、以前訪れたコーヒー専門店にやってきた。サムが席に着く前に、喫茶コーナーには初老の男性がのんびりとコーヒーを楽しんでいた。店主も知り合いらしく、親しげに談笑しているところだった。
「それにしても驚いたね。隣は何か急用が出来たんだと思っていたんだが、戻ってきたと思ったら見知らぬ連中だったしね。おまけにどうもこの町にはそぐわん連中だったんだよ」
「しかしお手柄でしたねぇ。まさか屋敷ごと乗っ取ろうなんてこと考えていたなんて信じられませんなぁ」
「まったくだ。隣人とは親しくしておくもんだね。私も、もし隣との交流がなかったなら、不信感も抱いていなかったかもしれん。」
初老の男性はしみじみと語っていた。店主は何度も頷きながら、サムに注文をとりにやってきた。
「何かあったんですか?」
「いやぁね。こちらのご主人のお隣が、悪い奴らに屋敷ごと乗っ取られそうになったらしいんですよ。ところが、こちらのご主人、一昨日は一緒にパーティーをするはずだったらしくてね。帰ってこない隣人を心配しているところに、見知らぬ連中が何食わぬ顔で住み始めたもんだから、すぐさま機転を利かせて警察に連絡されたんです。
お陰で犯人はすぐに検挙できたし、街の治安も守られた。たいしたもんですよ。」
「それはすばらしい。よく気がつかれましたねぇ」
サムは話に乗りながらも気が気ではなかった。屋敷ごと乗っ取るだなんて、アースフィールド家にも充分に起こり得る話だったのだ。
サムに褒められてすっかり気をよくした初老の男性は、高級なコーヒー豆をたっぷり買い込んで帰って行った。サムはその後姿を見送りながら、店主に尋ねた。
「この前こちらに来ていたアンという子はまだがんばっているんですか?」
「ああ、アースフィールド家に働きに来ている子ですか? それがねぇ、ちょっと元気がないようなんです。お嬢さんの世話係という話だったらしいが、お嬢さんがまだ家には帰っていないらしい。まったくどうなっているんでしょうねぇ。あ、それに、買いに来る豆もすっかり変ってしまったんですよ。何があったんでしょう。さっきの話じゃないが、乗っ取られそうになってるなんてことじゃないといいんですけどね。アースフィールド氏はあまりご近所と交流されていない様子でしたから」
店主は哀れむように首を振って厨房に戻りかけて振り向いた。
「ところで、この前連れてきていた猫君はどうしたんです?」
「それが、いつの間にかいなくなってしまったんです」
サムは苦し紛れにそうつぶやいた。それが店主には痛々しい姿に見えたらしい。厨房に行って、なにやらごそごそと探していたかと思うと、サムにそっと握りこぶしを差し出した。
「これを。これは幸運のコーヒー豆なんです。なかなか手に入らないが、ちょっと前に2つも袋に入っていたんでね。大事に取っておいたんですよ。どうしても叶えたい願いがあるとき、これを握り締めて強く願うと叶うんだそうですよ」
サムは店主から小さな豆を受け取って驚いた。真っ白な豆だったのだ。そして、店主に礼を言うと、今度こそアースフィールド家に向かって車を走らせた。
アースフィールド家のすぐ横まで来ると、サムは路肩に車を止め、ケータイで先ほどのパトリックを呼び出した。
「まだ、はっきりとしたことは分からないんだが、もしかしたらアースフィールド家に事件が起こっているかもしれないんだ。アースフィールド氏は先日からどうやら行方不明らしい。しかしそれを執事たちが隠している素振りなんだ。これから内偵調査に入るが、なにか見つかり次第連絡する。援護を頼みたい。」
パトリックから快諾されたサムは、先ほどのコーヒー店の店主にもらった豆を握り締めた。そして再びハンドルをにぎろうとすると、門のすぐそばに座り込んでいる少女を見つけた。
「リサ!どうしたんだい?」
サムはすぐさま車を止め、逃げ出そうとするリサを捕まえた。
「ほっといてよ!」
「ほっとけないよ。 まだ退院許可は出ていないだろう? 足は大丈夫なのかい?」
「なによ!昨日は夕方にはお見舞いに来るって言ってたのに。」
「ごめん。悪かったよ。だけど今ちょっと大変な事がわかったんだ。とりあえず、車に乗って。ここじゃ、人目につきすぎる。」
サムは半ば強引にリサを車に乗せ、アースフィールド家の前を通り過ぎると、近くの公園の脇に車を止めて、グレンからのメールのことを話した。
「お父さんが?!」
リサは唇をかみ締めて黙り込んだ。しかしサムにはじっとそれを待っているだけの気持ちの余裕はなかった。
「リサ、悪いが僕はこれからアースフィールド家に乗り込もうかと思うんだ。君さえよかったら、協力してほしい。どこか抜け道はないだろうか」
「わかった。教えてあげる。でも、おじさん通れるかしら」
リサが案内してくれたのは、アースフィールド家の裏手、納屋の真裏にあたる塀の足元にある小さな穴だった。ポプラやその脇にある庭木に隠れて、屋敷からは死角になっているようだった。リサは周りに人の気配がないのを確認すると、しゃがみこんでするりと通り抜けた。そして後に続いて寝そべって穴を抜けようとしているサムの手をひっぱった。
アースフィールド家には一度入っているサムだったが、裏庭に来るのは初めてだ。まずは納屋の裏から偵察を始めた。熱心に周りを調べるサムをヒマそうに見ていたリサが、何かに躓いた。
「あ、これノートパソコン?」
「それは!グレンのものじゃないか! そうか、あいつはここにパソコンを隠しておいて内偵をしていたんだな。」
「じゃあ、あのコはホントに探偵だったの?」
リサは驚いた様子でパソコンを眺めた。しかしここにパソコンが置いたままになっているということは、グレンはこの屋敷から出ていないということになる。サムの胸中に最悪のシナリオが浮かんでは消えた。
「そうだ!焼却炉を調べなくては。」
サムはリサをその場に留まらせて、辺りに人がいないのを確認すると、そっと焼却炉のフタを開けてみた。耐えられないほどのいやな臭いにサムは急いでフタを閉めると、足元の溶けたカフスボタンを持って、再びリサの元に戻った。
「リサ。君のお父さんは、本当は、きっと君が入院したと聞いていたら、一番に飛んでいって君の安否を確かめたかっただろうと思うよ…」
「どうしたのよ、急に。実際には来なかったじゃない」
ふてくされた顔のリサを、サムは容赦なくぎゅっとその胸に抱き寄せてそっと頭をなでてやった。
事件はリサにとって最悪の状態になってしまった。
でもまだ終わりじゃないよね。
グレン、早く戻ってきて!