第5話 メアリーの目線
グレンとサムの聞き込み捜査は続きます。
さて、チェックの内臓脂肪の行方は… あ、そういう話じゃないですね。
サムと俺は一瞬言葉を失った。さっきまでのブラウン氏とはまるで別人のような口調なのだ。
「そうか、それはご苦労。ん、1万ドルぐらいになればいいだろう。欲を出すな。その辺りで手を打て。わかったな。…小娘?おい、ショーン!その小娘の名前は? ん~、分かった」
俺とサムは大きく頷きあった。やっぱりショーンたちには糸を引いている人間がいたのだ。しかし、まさかそれがリサの家の執事だったとは。
「帰ったらすぐ、ブラウン氏の過去も洗い出す必要がありそうだな」
サムはハンドルを強く握りながらつぶやいた。だが、そんなに簡単にわかるだろうか。アースフィールドとて、そう簡単に執事を雇ったりはしないだろう。それなりに調べ上げたはずだ。ブラウンという名前だって偽名の可能性もある。
その後は、書類のこすれる音やキーボードを叩く音がしているだけだった。
その日の夜、思いがけない連絡が来た。ロイドの展示会が大成功して、新ブランドを担当する事に決定したという。マージーは自分のことのように興奮していて、電話口にいない俺でさえ、電話の内容が手に取るように分かった。
しかし、ロイドの方がうまくいったという事は、キールとかいうインナー部門の連中は面白くないはずだ。キールとショーンがもし繋がっているとしたら、何も仕掛けてこないとも限らない。ここは警戒が必要だろう。
俺はすかさずキーボードに打ち込み、サムに代弁してもらった。マージーは納得した様子で、マリアやロイドにはよく話してみると答えていた。
次の週、俺は再び公園のベンチに居た。アンからの情報を得るためだった。しばらくすると、手芸屋のチェックがやってきた。
「なんだ、今日はグレンもネコスナック狙いか?」
「いやいや、そういうわけじゃないよ。もうすぐ来客かい?」
ベンチに上がってきたチェックは片目をつぶってにやりと笑った。俺はそんなチェックに場所を譲ってベンチを降りた。
「お前もご馳走になればいいじゃないか」
チェックが気を使ってくれたが、俺が欲しいのはネコスナックではない。
「気にしないでくれ。今日はのんびりできればいいんだ」
そんな話をしていると、道路の方からアンが歩いてくるのが見え、さっさとベンチの後ろに退いた。アンは先日と同じく元気の無い様子で、バスケットと水筒を抱えてやってきた。
「こんにちわ、ネコ君。今日も付き合ってね」
アンはそういうと、先週と同じくベンチに腰掛けてバスケットからネコスナックを取り出してチェックに与えた。そして、またつらつらと、ささやかなグチをこぼしてみたり、チェックを抱き上げて遊んでみたりして過ごした。
「ねえ、ネコ君。私ね、ちょっと気になる事があるのよ。実はこの前ね、お嬢様のお友達のお父様がお見えになって、ブラウンさんのお部屋に入ったんだけど、ブラウンさんのお部屋の背の高い本棚が、ちょっと変だったの。
詳しくは分からないんだけど、動かしたような傷が床についていたのよねぇ。でもあんな背の高い本棚、簡単に運ぶことはできないし、おかしいわよねぇ。もしかして、お隣のご主人のお部屋への秘密の通路だったりして! あは。そんなことはないか」
アンはちょっとおどけたように笑ってみたが、心の底からの笑顔ではなかった。アンには辛い状況だが仕方ない。しかし、本棚には気づかなかったなぁ。あの時、俺はソファのカフスに気をとられて本棚のそばまで足を踏み入れてはいなかったのか。
チャンスがあれば、もう一度調べてみたい場所だな。
「それにしても、リサお嬢様はどこでどうしていらっしゃるんだろう。。。」
すっきりと晴れたきれいな青空を仰いで、アンは大きなため息をついた。確かにリサの居所も気になるが、俺としては、なぜこんなに頼りなげなアンが採用されたのかも不思議だった。
いつものように、しばらくはぶつぶつと自分の不運を嘆いていたアンだったが、遠くから近づいてきた雨雲に追い立てられるように、早めに引き上げて行った。
チェックは、まだちょっと物足りなそうな顔をしながら、のろのろと家に帰っていった。オヤジ、家でもちゃんと食べてるんだろ? 老いてから太るとろくなことがないぜ。
家に戻ると、珍しくクレアより先にサムが出迎えてくれた。何かつかんだのか、サムはにやけて俺に早く2階に来いと合図をよこした。
「グレン、驚くなよ。 とうとうメアリーとコンタクトが取れたんだ。例のコーヒー専門店に、メアリー自身も客として登録していたらしい、頼み込んで教えてもらったんだ。」
サムははしゃぎすぎて口角に泡が出ている。気持ちは分かるよ。メアリーから直接詳細を聞き出せたら、こんなに楽なことはないのだから。
夜になって、サムと一緒にメアリーの自宅に招かれた。小ぶりではあるが、きれいに整った家は、和やかな空気に包まれていた。
「初めまして、サムと申します。実はリサさんのことで、教えていただきたくて…」
メアリーは前もってサムから用件を聞いていたのか、快く俺たちを迎え入れ、リサの変貌振りについて丁寧に話しだした。
「紅茶でもどうぞ。私の知る限りのことをお話しましょう。あ、貴方がグレンね。ミルクはいかが?
リサお嬢さんは、とても素直でお優しいお子さんでした。ご主人のアースフィールド氏は少し頑固なところがあって怖そうに見えるのですが、実際は仕事熱心なだけなんだと思っています。奥様もお優しい方でしたし、リサお嬢さんは充分に愛情を受け取って幸せに暮らしてらしたのです」
サムは持ち上げたカップをもう一度テーブルに戻して不思議そうに尋ねた。
「あの、無理やりやめさせられたってうかがったんですが、恨んでらっしゃらないんですか」
「うらむだなんて…。確かに突然の解雇には納得がいきませんが、私にはわかるんです。リサお嬢さんが突然解雇を言い渡されたのにはきっと理由があるって…」
メアリーは解雇そのものより、それを言わしめた原因に注目しているようだった。
「そうだわ!貴方は探偵さんだったんですよね。じゃあ、それを是非調べていただきたいわ。
リサお嬢さんのためにも、ジョンソンさんのためにも」
「わかりました。では、解雇の日の出来事を教えていただきますか」
メアリーはその日を思い出しているのか、じっと目を閉じて考えた。そして、おもむろに目を開けて、話し出した。
「私は、元々奥様のメイドとして、ご実家でお世話になっていたのです。まだ駆け出しのメイドで失敗も多く、奥様に助けていただく事も多かったです。その奥様がアースフィールド家に嫁がれるということになって、私もご一緒することになりました。
その頃は、まだご主人様のお仕事も、そんなにお忙しいというほどでもなく、ご家庭は円満でした。
やがて、リサお嬢様がお生まれになって、私はリサお嬢様のお世話をするようになったのです。お嬢様はとても愛らしいお子さんで、素直でやさしい女の子に育ってくださいました。
ところが、奥様が急にお体を悪くなさって、リサお嬢様も随分心配していらしたのです。あれはいつごろだったかしら。チャーリーさんがあのお屋敷で働き始めた後だったと思うんだけど。。 そう、前の料理人のリーさんご夫妻はとてもいい方々だったのですが、ご不幸にもご自宅が火事に見舞われて、母国にお帰りになったのです。それでチャーリーさんがこちらに来られたんだったわ。あれは、3年ぐらい前かしら。
奥様が自宅で療養されるようになると、リサお嬢様は少し塞ぎこんだご様子でした。それがあまりにも哀れで、私たち…、あのジョンソンさんと私で相談して、小旅行にお連れしたこともあったんです。」
「お二人で、お嬢さんを?」
サムは遠慮のない質問をぶつけていた。
メアリーは、はっとして顔を赤らめてつぶやいた。
「その頃、私とジョンソンさんはささやかながらお付き合いを始めておりました。いずれ結婚しようと約束していたのです。こんな形で実現するとは思いませんでしたが」
理解できずにいる俺たちに、メアリーはそっと隣のドアをノックした。しばらくすると、きゅっとタイヤのような音がして、車椅子に乗ったジョンソン氏がやってきた。
「あの日のケガで、彼は下半身の麻痺と言葉の障害を負ってしまいました。でも、彼もお嬢様のことをうらんではいないそうです」
サムは慌てて立ち上がり、ジョンソン氏と握手した。横で見ていても、彼がしっかりと意識を取り戻しているのがわかる。
ジョンソン氏は、画用紙にすらすらと何かを書き始めた。みんなはその作業が終わるのをじっと待ち、そしてうなずいた。
『ようこそ。私は、リサお嬢様の背後にいる何かを突き止めていただきたい。あのお嬢様は操られているとしか思えない。ブラウン氏が来て以来、アースフィールド家は雰囲気が変わってしまった。』
突然、ジョンソン氏は頭を抱えた。メアリーは急いでジョンソン氏を隣の部屋に連れて行った。サムが手を貸して、ジョンソン氏は隣の部屋にあるベッドに移され、落ち着きを取り戻したようだ。
「ジョンソンさん、私でよければお手伝いさせていただきます。今は無理をしないで、安静にしていてください。」
サムの言葉にジョンソン氏は深くうなずいた。
再びもとの部屋に戻って新しい紅茶を入れると、メアリーは話を続けた。
「とにかく、私たちはお嬢様が元気を取り戻してくれる方法はないかと、よくそんな相談をしていました。
そんなある日、お嬢様が学校の宿題で親御さんのお仕事をレポートすることになったとおっしゃいました。私たちはもちろん、ご主人様がお帰りになるまでお待ちいただくように止めていたのです。ご主人様はその頃、お仕事で他国に買い付けにおいででした。3日後にはお戻りになると分かっておりましたし、ご主人の許可なしに、勝手にお部屋にお入りいただくことはできませんでした。
ご主人様は貿易のお仕事をなさっておいでで、もちろん、やりとりの殆どはご主人様の会社の方で全部やってしまわれるようでしたが、取引上のお付き合いなどで夜昼構わずお仕事なさっているので、ご主人様のお部屋には大切な資料なども置いてあると伺っておりました。」
そこまで一気に話すと、紅茶を一口飲み下して続けた。
「ご主人様のカギは、ブラウンさんとジョンソンさんが持っていたのですが、どういうわけか、リサお嬢様は別にもうひとつカギをお持ちだったようです。ご主人様のお部屋を出られたリサお嬢様と、ちょうど廊下で鉢合わせになったんですが、とてもお顔の色が優れなくて驚きました。声をおかけしたのですが、そのままご自分のお部屋に駆け込んでしまわれたのです。」
メアリーは、そのときのことを思い出したのか、深い溜息をついた。サムは、そんなことなどお構いなしで質問に入った。
「他に、その時気づいたこととかないですかねぇ。」
メアリーはじっと考えをめぐらしていたが、意を決したように顔を上げた。
「実は、ブラウンさんのことなんですが。。。
ブラウンさんがアースフィールド家に来るまで、ジョンソンさんはアースフィールド家の執事として仕事をしていました。ご主人様の信頼も厚く、間柄は安定していました。一方ブラウンさんは、元々はご主人様のお仕事の関連会社の副社長だったと聞いています。出張先でばったり会って、その時何かのトラブルに巻き込まれたところをブラウンさんが助けてくれたのだと聞いています。
ご主人様がこちらにお帰りになった時、ブラウンさんも一緒にお屋敷に来られたのです。
初めは、仕事仲間としておいででしたので、来客としてもてなしていたのですが、ご主人様が、ブラウン氏も執事として働いてもらうとおっしゃって…
それ以来、ブラウンさんは事あるごとに、ジョンソンさんのやり方が古臭いと難癖をつけて、ゴタゴタしていました。
ブラウンさんは個人的にご主人様と親しいのをいいことに、物事がうまく運ばないときは、いつもジョンソンさんのミスだとご主人様に忠告していたらしくて、ご主人様も、ジョンソンさんに対して少しずつ距離を置かれるようになってしまいました。
リサお嬢様も、なんとなくいつも苛立ち気味で、誰にも心を許さないと言った感じでした。そして、ブラウンさんがリサお嬢様のお世話係をもう少し若い人にやってもらってはどうかと提案してきたのです。
ご主人様は家のことなどすっかりブラウンさんに任せきりだったので、ことは簡単に決まりました。そして、アンという少女が雇われたのです。
アンはごく普通の少女で、勉強はあまり得意そうではありませんでしたが、気立てのいい子だったので、内心ほっとしていたのです。
ところが、その日の夜、リサお嬢様が大変な剣幕でお屋敷に戻られたかと思うと、突然、私に解雇命令を出されたのです。
そして、憤懣やるかたない様子で階段を駆け上がられたのですが、階段の上でお嬢様が通り過ぎるのを待っていたジョンソンさんを振り払うようにして、お部屋に入られたんです。
お嬢様には悪気は無かったと思いますが、運悪く、頭を下げていたジョンソンさんはバランスを崩して階段を頭から転げ落ちてしまいました。
それ以来、私たちはあのお屋敷には足を踏み入れてはおりません。リサお嬢様やアンのことは今でも心配ですが…」
サムは手帳にメモを取っていたが、なるほどと納得したようにうなずいた。ホントにわかったのだろうか。怪しいもんだ。
しかし、反抗期が来た年頃という事を差し引いても、リサの変貌ぶりは気になる。アースフィールドの部屋で何があったんだろう。
それと、さっきから何かがひっかかっている。以前に誰かから聞いた話と、食い違っていると思った瞬間があったんだが…。
「とりあえず、私にお話できる事はこの程度です。また、何か思い出したらご連絡します。」
サムはメアリーに礼を言って席を立った。そして、思い出したように念押しした。
「あ、そうそう。くれぐれも、アースフィールド家の方々には僕が探偵だということはご内密にお願いします。」
「ええ、わかりました。その代わり、リサお嬢様やご主人様の力になってあげてください」
帰りの車の中でずっと考え込んでいた。リサになにがあったんだろう。どうやらサムも同じことを考えているらしい、今日は随分と無口だ。辺りはすっかり暗くなってしまった。
俺は突然のブレーキにサムの上着ごとシートから転げ落ちた。なんとか上着を掻き分けてシートに戻ると、サムが車から飛び出していくところだった。
「大丈夫かい? 急に飛び出しちゃ、危ないじゃないか。もうちょっとではねてしまうところだった」
サムの言葉にやっと事態が飲み込めた俺は車のすぐ前に倒れこんでいる少女を見て驚いた。リサだったのだ。どうやらサムの車には接触せずに済んだようだが、リサは意識をうしなっていた。サムが病院に運ぼうとリサを抱き上げていると、ビルの隙間からカツカツと走り去る足音がした。ビルの向こう側にでたその人物の髪に街灯があたると、ぱっと目を引く赤茶けた色が目に入った。
サムはリサを後部座席に乗せると、知り合いの外科医に連絡をとって、すぐさま病院に向かった。
「今日は随分と収穫の多い日になりそうだな」
「ふん。しょうがないだろう乗りかかった船だ。ロイドの件もアースフィールド家の紛争も、みんなまとめて片付けてやろうじゃないか」
まったくサムの人のよさにはついていけない。俺は大あくびで返してやった。
しかし、助手席の背もたれのすきまからみえるリサの顔は、まだまだ幼い少女のような寝顔だ。ときどき苦しそうに顔をしかめるのは、どこか具合が悪いからなのだろうか。それとも良心の呵責からだろうか。
病院に着くと、すぐさま診察がなされた。リサは足を骨折していた。頭も強く打っているらしい。体のあちらこちらに擦り傷もあるらしい。サムの知り合いだという医者は、エリックというが、交通事故かなにかのような怪我だと話していた。
「サム、私は医者だから手術をするにしても保護者の承諾が必要なんだ。彼女の自宅に連絡を入れるが、君の名前を出さない方がいいのかい?」
さすがにエリックはサムの友人だけある。その辺りは心得ているってことか。エリックの配慮で、サムは名乗らないで帰った親切な男性とということになり、手術が必要なので保護者に来院を依頼した。
しかし電話の向こうでは揉め事が起こっているのか、すぐには行くといわないらしい。
「あなたは? ご両親か血縁関係の方は? 執事をなさっているだけでは駄目なのです」
電話の向こうでブラウン氏が歯軋りをしているのが目に浮かんだ。
思わぬ出来事だが、これで直接アースフィールド氏に会えるかもしれない。サムと俺はしばらく病院の受付の前で待機していた。だがやってきたのはブラウン氏だった。
サムと俺はとっさに新聞で顔を隠してその場をやり過ごし、ブラウン氏とエリックとのやりとりを伺った。アンの話では、アースフィールドはもう自宅に戻ってきているはずなのに、どうしてブラウン氏がやってくるんだろう。アースフィールドは娘が可愛くないのだろうか。
ついさっきメアリーが話していたアースフィールドの人格と、大きなずれを感じていた。
「とにかく、怪我をしている人間を放っておくことはできない。ブラウン氏には、どんな責任も取るとサインしてもらったし、手術をするよ。
サム、一旦家に戻って休むといい。もう夜も遅いしね。明日の朝には麻酔も切れて意識も戻るだろう」
カンカンに怒ったブラウン氏が病院から帰っていくのを見送ると、エリックは不敵な笑みを浮かべながらサムに声をかけ、看護師に指示を出していた。
ん? なんだか前と話が違う。。。
そう、誰かが嘘をついているのです。
そして、リサの様態は。。。