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教えて

作者: 望月おと


──カナカナ、カナカナ……。


 夏の夕暮れはどこか儚げで、振り返ったら誰か立っていそうな雰囲気がある。もちろん、振り返ったところで誰もいないのだが。


 大学進学を機に緑豊かな地元を離れ、都内で一人暮らしを始めた。卒業後も都内にある会社に勤務し、地元に帰省するのは、盆・正月のみ。ビルに囲まれた世界は便利な反面、どこか殺伐(さつばつ)とした空気が漂っている。だからだろう。ふいに地元が恋しくなるのは。どこまでも続く青い空、辺り一面を覆う緑の田んぼ。地元に居た頃は当たり前に目にしていた蝶々やトンボの姿も、都内では見かけることが少ない。


 地元に住んでいた頃は、「こんな田舎、とっとと出ていきたい!」と思っていたが、実際に上京して自分には田舎のほうが合っていると分かった。人の温かさや自然の良さが田舎にはある。同じ時間を過ごしていても、せかせかと都会は(せわ)しいが、田舎はまったりのんびりしている。年二回の地元帰省だから余計にそう感じるのかもしれない。


 仕事で訪れた名も知らない田舎町のホーム。無事仕事を終え、後は電車に揺られて帰るだけ。朝から緊張で肩に力が入ってしまい、必要以上に疲れた。ホームから見える緑の田んぼ絨毯(じゅうたん)。地元と空気が似ていて何度も深呼吸しては地元に思いを()せてしまう。


 今日みたいな日を私は【ラッキーデイ】と勝手に呼んでいる。仕事とはいえ、少しでも地元に似た場所に行くと心が安らぐから。


 それにしても静かな場所だ。車はおろか、人の話し声や生活音が一切ない。聞こえてくるのは、哀愁(あいしゅう)漂う(ひぐらし)の鳴き声のみ。駅周辺に民家はなく、ぽつんと建てられた駅は世界から孤立したよう。だが、駅の前にはオレンジの中央線が引かれた道路が整備されている。場所が場所なだけに頼りなく映るが、れっきとした国道に変わりない。私が駅に着いてから四十分が経過したが、目の前の国道を通ったのは軽トラックが二台と自転車に乗ったご婦人だけ。普段、都内で目にしている道路がいかに慌ただしいか、ここに立つとよく分かる。


 都会の電車も回転寿司のように次々ホームに流れてくるが、田舎では一時間に二本来ればいいほうだ。まったり次の電車を待つのも田舎の醍醐味(だいごみ)かもしれない。


 この日のために買っておいた大好きなミステリ作家の本を鞄から取り出し、近くにあった水色に色褪(いろあ)せた青色のベンチに腰を下ろし、早速読み出した。読書を始めると、あっという間に時間が過ぎる。それだけ物語に集中している証かもしれない。


 ふと右端の視界に人の姿が入った。没頭しすぎて人の気配にも気づけなかったようだ。本を読みつつ、右端の視界に入る人物に視線を送る。地元の人だろうか? 20代ほどの今時の服装をした女性が立っていた。


──まもなく二番線に列車が参ります。黄色の線の内側にお下がりになって、お待ちください。


 軽快なメロディのあと、列車の到着を告げるアナウンスが流れた。本を鞄に入れて立ち上がると、視界の右端にいた女性が私の右横に立っていた。思わず、肩が跳ね上がる。私と彼女との距離は5メートルほど。いつの間に彼女は歩いてきたのだろうか。私が立ち上がったときに近くに彼女がいたということは、私が本を鞄に入れている間に歩いてきたことになる。いくらなんでも、それは不可能だろう。視界に入ったといっても、だいぶ距離はあった。遠近法で、親指と人差し指で測れるくらいのサイズだ。全力で走ってきたとしても立ち上がったタイミングで都合よく横に立てるだろうか?


 それに、奇妙なことはもう一つある。右横にいるのはいいが、なぜか私に体を向けて彼女は立っている。電車が到着するアナウンスを聞いたら、大概の人が線路側に体を向けて黄色の線の内側に立って待つはずだ。どうして彼女は私に体を向け、じっとこちらを見つめているのだろう。モデルや女優、アイドルやお笑い芸人などの有名人ならまだ分かる。だが、私はその(いず)れかにも該当しない一般人だ。もっといえば、ごく平凡などこにでもいるような【二十代後半 女A】。


 どうしていいか分からずにいると、彼女から声をかけてきた。


「すみません。教えてください」

「え? 何を?」

「あなたが読んでいた本のタイトルが知りたいんです。教えてくれませんか?」

「……私が読んでいた本のタイトル?」


 話が見えず、聞かれたことをオウム返ししてしまった。頷く彼女に私は読んでいた本のタイトルを伝えた。


「【教えて】という本の下巻です」

「どんな内容なんですか?」

「あまり話すとネタバレになってしまうので、触りだけでよければ……」


 そんなやり取りをしている内に列車のヘッドライトがホームに入ってきた。大まかな内容説明を終え、これで彼女も満足してくれるはず。だが、彼女が去る気配はない。まだ聞きたいことがあるのだろうか。停車した電車の同じ車両に彼女は乗り込み、私の隣に腰を下ろした。「まだ何か?」と言いたいところをグッと堪えていると、奇想天外なことを彼女は言い出した。


「その本、私に貸してくれませんか? 必ず、返却しますので」


 今しがた田舎町の駅のホームで初対面(はつたいめん)した見ず知らずの人物に本を貸すなんて前代未聞だ。それに返すといっても、どうやって彼女は返すつもりなのだろう。知人でもない人物に住所を特定されるのは怖いし、非常に困る。いっそのこと、貸すのはやめにしよう。


「返却は不要です。あなたに差し上げます。私もこの作品が好きなんですよ。……あなたもですよね?」

「そうなんです。田舎町の書店では置いてなくて……。隣町まで行ったんですが、完売したと言われて」

「そうだったんですね。当時、すごく人気でしたからねー」


 発売当初、私も買うことができなかった。一人暮らしを始めて間もなく発売されたから。家賃や学費や生活費やら払ったら、バイト代は泡のように消えていき、自分のために使うお金など一切残らなかった。


 【教えて】上下巻を探すのは苦労した。上・下巻でワンセットだが、なかなか下巻と遭遇できずにいたのだ。今はネットという最強の環境があるため、本屋巡りをせずとも簡単に手に入るが、探していた本を見つけたときの感動が薄れる。最強の環境に頼らず、本屋ローラー作戦というアナログな方法で探し出した下巻。まさか、こんな形で手放すことになるとは思いもしなかった。


 【教えて】下巻を手渡すと、彼女は嬉しそうに「ありがとうございます!」と微笑んでいた。その表情を見たら、まぁいっかと思ってしまった。自分でも呆れるほど【お人好し】だと思う。それから、彼女と本の話で盛り上がった。私よりも彼女は年下だが、たくさんの本を読了していて面白い話がたくさん聞けた。おすすめの本も教えてもらえたから、今日の仕事終わりにでも早速本を探してみよう。


「それじゃ、私は降りる駅に着いたから。その本、大切にしてね!」

「ありがとうございました!」


 彼女に手を振り、走りだした列車を見送った。高層ビルが立ち並ぶ見慣れた街に帰ってきた。改札へ向け、歩いていると、聞きなれた声が頭上から降ってきた。


 「お疲れー」相変わらず、ダンディな低い声をしている。ネズミ色のスーツを着た長身の彼は会社の人気上司。少々ナルシストなところがあるが、顔立ちが整っているため、女子社員からの受けはいい。


「あ、丹波(たんば)さん。お疲れさまです! 丹波さんも、今帰りですか?」

「あぁ。……俺もお前と同じ電車乗ってたんだけど、全然俺に気づいてくれないし。てかさ、お前──誰と話してたの?」

「え? 営業先の田舎町の駅で会った子ですよ。大学生くらいの可愛い今時の女の子」

「……お前の隣、誰も座ってなかったぞ。本しか置かれてなかった」

「まさっか~! 本もその子にあげたんです。貸してほしいって言われたんですけど、さすがに初対面(しょたいめん)の子には貸せませんよ。住所とか教えたくなかったんで」

「……その本、お前が駅のホームに降りたときに消えたけど?」


 私と丹波さんの足が改札目前で止まった。


「前々から思ってたけど……お前、鈍感すぎじゃない?」

「失礼な!! だって──」


 確かにおかしな点はいくつかあった。足音や気配が全く無かったこと。遠くにいたはずなのに一瞬で近くに来ていたこと。彼女に紹介してもらった本のほとんどが今から六年前に出版されたものだったこと。彼女が好きだと言った作者の新作の話をしても「知らない」と言ったこと。読書家な彼女が心酔している作家の新作を見逃すだろうか。一番の疑問はそこだった。


「貸しても、あげても、その子(?)にとっては変わらないんじゃねーか」

「どうしてですか?」

「だって、どこにでも出れるじゃん。実体が無いんだから」

「……さらっと怖いこと言うのやめてもらえます?」


 もしかしたら、彼女の(とき)は六年前で止まっていたのかもしれない。


──カナカナ、カナカナ……


 私は咄嗟(とっさ)に振り返っていた。都会の地下にある駅のなかで聞こえるはずもないのに、確かに(ひぐらし)の鳴き声がした。





「教えて」【完】



 


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― 新着の感想 ―
[一言] 女性に何かされるのかと思いきや、意外な行動でほっこりしました。だから彼女は返却しますと言えたんだなぁと。でも急に視界の中に現れる感じがゾクッとしました。
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