莉緒さんと零君のその後
天野さん視点の話です。
八月に入って第二週の土曜日。今日は夏祭りの日だ。
川沿いに露店が並び、数は少ないが花火も打ちあがる。その為、浴衣を着て気合を入れてくる人もそれなりにいるので、私が浴衣を着ても決して可笑しくない。可笑しくはないけれど……。
「気合の入れ過ぎで引かれれないかな……」
浴衣というのは存外動きにくい。着崩れしたら目も当てられないので、おしとやかに動く必要がある。そしてこの下駄も曲者だ。歩きやすいデザインとは言いにくい。つまりは、日本の夏らしい雰囲気は醸し出されるし、個人的には可愛いと思うけれど、機能的ではないのだ。
普段から着物を着ている人ならいざ知らず、にわか的に着ている身としては、全然着こなせていなくて、むしろ野暮ったく見えたりしないだろうかと不安になる。逆にはしゃぎすぎで痛い子と見られるのも辛い。しかも、今日はツインテール。零君は気に入っているけれど、子供っぽくて普段はあまりしない髪型だ。
正直私は何でも似あう美人ではない。
待ち合わせ時間より早く着た為、何だか不安でぐるぐるしてくる。
「ねえ、天野さんだよね?」
「はい?」
スマホを見ながら、ひたすら自分の心を落ち着かせようとしていると、突然声をかけられた。顔をあげれば、見覚えがあるようなないような男子が居た。
「同じクラスの、田中だけど」
「ああ。えっと、ごめんなさい。まだ名前覚えきれてなくて」
七月からの復帰で、すぐに夏休みに入ってしまったので、まだ名前を覚えきれていない私はヘラリと笑って誤魔化す。もともと人の顔と名前を覚えるのはそれほど得意ではないのだ。零君の友達なら覚えたけれど、それ以外は曖昧だ。
しかも学生服ではなく私服だと余計にピンとこなくなる。
「いいよ。天野さん、大変だったもんな。今日は友達と待ち合わせなのか?」
「えっと。うん。そんな感じかな?」
「俺もダチと待ち合わせなんだ」
「へぇ。田中君ってここが地元?」
「違うけど、学校の掲示板に祭のポスターがあったから、皆で行こうって話になってさ」
おおう。そうだったのか。
もしかしてクラスメートが結構来ていたりする感じだろうか。別に零君と付き合っているのを隠しているわけではないけれど、何か気まずい感じになっても困る。
「良かったら、天野さんも一緒にどう?」
「えーと。嬉しい誘いだけど一緒に行く子の意見もあるから、私の一存ではちょっと……」
「クラスメイトも結構来るし、親睦を深めるにもいいと思うんだけど。そうだ。名前も天野じゃなくて、下の名前呼んでもいい?」
ぐ、ぐいぐい来るなぁ。
どうしようかと戸惑っていると、ぐいっと後ろに手を引っ張られた。
「だーめ。莉緒を下の名前で呼んでいい男子は、俺だけって決めてるんだよ」
「えっ。柳田?! お前、来ないんじゃなかったのかよ」
「おっす。別に行かないとは言ってないだろ。予定があるって言っただけで。人のデートを邪魔するなよ」
「デート? えっ。マジ?」
「マジマジ。というわけで、クラスの奴らにも、邪魔するんじゃねーって言っておいてよ。ほら、莉緒、行こう」
ひらひらっと零君は手を振ると、ずんずんと進んで行く。私は軽く会釈しただけで、引っ張られるままに祭りの中に入っていく。
「えっと。零君、田中君の事は良かったの?」
「いいって。アイツら、ただ彼女欲しさに集まってるだけだから。莉緒は田中より俺の方がいいよな?」
「勿論そうだけど」
なるほど。
高校生にもなると、彼女を作ろうとするものなのか。
「クラスメートって言っても、男ばっかだし。狼の群れに莉緒を近づけるのが俺は嫌なんだよ。教室でクラスメイトとして話すのはいいけどさ……」
「うーん。別に男友達が欲しいわけでもないし、別にいいよ」
「ごめん。なんか、重くて。莉緒が可愛い過ぎて心配で。浴衣……似合ってる。めっちゃ可愛い」
零君の日焼けした顔が耳まで赤い。照れた零君につられて私まで顔が火照る。
「あ、ありがとう。零君はいつもカッコいいよ」
Tシャツ姿の零君は学生服とは違うカッコよさだ。
「お、おう。ありがとう。えっと、そ、そうだ。莉緒も、嫌な事があったら、ちゃんと言ってくれよ」
嫌な事かぁ。
うーん。特に思い浮かばないけれど、何かあったら伝えよう。その方が、零君は安心してくれる気がする。
正直、零君がちょっと独占欲的なものを出してくれるのは、乙女心としては嬉しいのだ。雁字搦めに行動制限をされると辛くなるけれど、元々男友達が居なかった身としては、零君のお願いは難しいものではない。
「あっ。莉緒、ちょっと小走りになるけど、ついて来てくれないか」
「えっ? どうしたの?」
「……嫌な気配するから」
「おお。流石は霊感少年だね。いいよ。どっちに行ったらいい?」
人の多いところでは、怪異も現れやすいのだろう。特に祭なんて、小説や漫画でもよく取り上げられる会場だ。
零君に手を引かれながら、私は小走りに走る。下駄な為走りにくいが零君が手加減して走ってくれたので、なんとかついていけた。
「なんか、ごめんな」
「何が?」
「いや。多分、見えなければ、わざわざ逃げるように動く必要もないからさ」
「零君が居れば守ってくれるでしょ? だから逆にちょっと楽しいかも。普通なら、体験できないわけだし」
こんな風に目に見えないものから逃げるなんて、まるで小説の主人公のようだ。
怖いのは苦手だけど、零君が居れば大丈夫だと知っている。多分人目がなければ零君は確実に相手を殴って追い返しただろう。
安全安心だから、こんなことがあるのもまた楽しいのだ。
私はギュッと零君の手を握ると、零君はやや困った顔で笑った。




