莉緒さんと零くん
私が目を覚まして三日後、ICUから一般病棟に私は移動になった。
驚異的回復速度すぎて、医者達もびっくりしているらしい。……まあ、夢か現実か分からないけれど、幽体離脱というものをしていて、魂が戻って来たわけだし。
そう考えれば、私が起きているのは当たり前のように思える。しかし科学が発展した今、幽体離脱も生霊も怪異も否定的な部類の話なので、脳にできた小さな腫瘍が大きく影響していたのではという話になっていた。
多分私が生霊として高校と家を往復していたという話も腫瘍又は手術中の麻酔が見せた夢扱いをされそうなので、今のところ黙っている。別に誰かに信じてもらいたいわけではなく、私がおぼえていたいだけなのだから問題はない。
宝物のような記憶なので、絶対忘れたくない。でも夢というのは時間が経てばたつほど忘れるという。あれから三日間は覚えていても、一週間後、一カ月後、一年後はどうなるか分からない。ある日突然忘れてしまう可能性もあるので、毎朝反芻するようにしていた。
「莉緒。約束だったスマホ、渡すわね」
今日も私のお見舞いに来てくれた母は、帰り際に淡いピンクのスマホを渡してきた。その事に私はびっくりする。
まだ退院もできていないので、スマホを持てるのは当分先だと思っていた。
「えっ。ありがとう。でも、いいの? 私、高校に通ってないよ?」
「これがあった方がやる気が出るでしょ。それに本当だったら、入学式が終わった後に渡す予定だったのよ。ただし使い過ぎには注意よ?」
「使いすぎって、連絡する相手なんて——」
「あら? 零君はスマホを持っているんでしょ?」
……私が寝ている間に、どうやら零君は、相当母に気に入られたらしい。いや、零君なら絶対気に入られると思うけれど、親公認で付き合っているとか、恥ずかしい。しかも私、紹介した記憶ないし!!
零君の対人スキルが恨めしい。
「もう。お母さんには、関係ないでしょ?」
「あんないい子いないわよ。莉緒が寝ている間、毎週お見舞いに来てくれていたんだから。でもまだ高校生なんだから、節度あるおつきあいをするのよ」
「分かったから!! もう」
ものすごく心配をかけたのだからこんな言い方するのは良くないと思いつつも、反抗期真っただ中の娘としては、彼氏について話されるのはキツイ。
本当に、勘弁して欲しい。
「はいはい。じゃあ、お母さんパートに行ってくるから」
「うん。気を付けて。……その、来てくれてありがとう」
母は鞄と汚れた衣類を持つと、手を振り病室から出て行った。
相部屋が空いていないので、今日のところは個室だ。その為母が居なくなるととても静かになる。
それにしても母が、私の夢の中よりもずっと元気で良かった。少し痩せた気もするけれど、病的な感じはしないし、表情も明るい。ちゃんと目を覚まして元気な母と会話できて良かったと思う。
暇だし、母が持ってきてくれた恐竜の図鑑でも眺めて居ようかなと思った時だった。ピロンと突然スマホが鳴った。
まだ登録もなにもしていないので、私はビクッとスマホをベッドに落としてしまった。画面にはラインの通知が——。
えっ。ラインって、自分で入れなければ最初はないアプリだよね?
母が入れておいてくれたのだろうか。
恐る恐る開ければ、見慣れた市松人形のアイコンが現れる。
「ひぃ」
メリー【私メリー。今、病院の前にいるの】
メリー【私メリー。今、エレベータの前にいるの】
メリー【私メリー。今、五階廊下にいるの】
「早い。早いよ。メリーさん」
返信を打つタイミングが見つからない。
メリー【既読】
メリー【見たわね】
メリー【分かっているわよ】
メリー【私メリー。今、貴方の病室の前にいるの】
相変わらずのホラー路線な早打ちだ。全然追い付かない。
しかも速攻で、部屋の前までやってきてしまったらしい。コンコンとノック音が鳴って、私はビクビクッと肩を揺らした。
メリーさんからラインが来るということは……私が今寝てない限り、あれは夢ではなかったって事でいいんだよね?
「は、入ってます」
メリー【知ってるわよ】
その通りだ。
「えっと。どうぞ」
「失礼します。あれ? 莉緒だけ?」
ガラッと扉を開けたのは、零君だった。母もいると思ったらしい零君は、キョロキョロと見渡した。
「うん。お母さんはついさっき帰ったよ」
「そっか。いつもならこの時間は莉緒のところにいるけど、目が覚めたし、仕事を頑張っているんだな」
……違う。いらない気を遣っただけだ。零君と私を二人っきりにしてやろうとお節介を焼いたにに違いない。でも恥ずかしすぎてそんな事言えない私は、曖昧に笑って誤魔化した。
零君にドン引きされても困る。
「でも丁度良かった。天野と二人きりで話したい事があったんだ」
「ふ、二人きりで?」
その言葉に、ドキリとする。
夢の影響でいまだにちょっと信じられないけれど、零君と私は付き合っているのだ。その状態で二人きりとか、色々動揺してしまう。
零君は紳士だし、変な事はしないと思うけど。それに、私、病み上がりだし、病院だし!! でもどうしよう。心の準備が。
「莉緒は、メリーさん、覚えている?」
……ですよねー。そっちの話ですよね。
医者や母がいる前では話せなかったので、もちろん零君にも夢の話は伝えていない。そうなれば、私がおぼえているかどうか不安にもなるだろう。
「うん。夢で見たよ。そして、零君の事を私は柳田君って呼んでいて、高校は隣の席だった」
「……そっか。覚えているんだ」
零君は複雑そうな顔だ。闇堕ちしかけた彼にとってはあまりいい記憶ではないだろう。でも、私にとっては必要な記憶なのだ。
「偽物だけど、恐竜の幽霊も見たよ。実際にティラノザウルスに見下ろされると怖いね。凄く大きいわ。植物食恐竜はあんなのにいつも追いかけられていたとか、逞しいね」
「流石莉緒。ぶれないね」
零君が苦笑いする。
いや。恐竜じゃなくても、あんな風に追いかけられたら、あの悪夢は忘れられないと思う。それぐらいあの時は怖かったし。
「零君。ずっと、ありがとう。沢山迷惑をかけてごめんね」
「うん。すっごく大変だったんだからな。ちゃんと、この借りは覚えておくから、生きて返せよ」
ニッと笑う零君だけど、【生きて】とあえてつけるのは、相当なトラウマを植え付けてしまった結果だろう。
「あのさ。前に私が先に死んだら、幽霊の私を探してねって言っていたけど、アレ撤回するね」
「は?」
夢の中ではかなり重い発言だなとドン引きぎみだったけれど、思い出すとなんてことない、本当に些細な会話の一つだった。ただ零君の霊感少年な部分を肯定したくて、あまり深く考えずに私は話していた。
でも今度は、ちゃんと考えての発言だ。
「私、零君より先には死なないよ」
霊感があるからこそ、先立たれた後の苦しみも深いだろう。唐突の別れとなった時に会話できる利点はあるけれど、今回みたいに少し歯車が狂うだけで、心を病む。隣にいるのに住んでいる世界が違うというのは、途方もなく遠いのだ。
「一秒でも長く私の方が生きる予定だから安心して」
「……今回だって、自分で死のうとしたわけじゃないじゃん」
「まあ、そうなんだけど。でも長生きする努力はするね」
歩道橋から落ちたのは、自殺でも他殺でもなく、事故だ。
だけど今回の経験で、零君は残して逝けないなぁと思ったのだ。
「ヨボヨボのおじいちゃんになった、零君を見送ってあげるから安心してね」
「えっ。俺、ヨボヨボになるまで生きるの?」
「もちろん。ひ孫に見守られての大往生目指そう」
「ひ孫って、どんだけ先だよ」
私の言葉に零君は呆れた顔をしたけれど、笑っていた。すぐにはトラウマは消し去れないかもしれないけれど、私は頑張ってこの言葉を本物にしようと思う。
「そういえば、メリーさんは?」
「それが、天野が目を覚ましてから、いなくなったんだ」
「えっ。でも、さっき、メリーさんからラインが来たよ。ほら」
私がスマホの画面を見せれば、零君は驚いた顔をした。そんな中、再びピロンと通知音が鳴る。
メリー【私、メリー。今、貴方の真上にいるの】
「えっ。真上?」
私は言われるままに上を見上げた瞬間、ボトっと黒い影が落ちた。
「ひぃ!!」
掛け布団の上だったので痛くはなかったけれど、何かを認識する前に唐突に何かが来るというのは怖い。
あまりの恐怖に、心臓が一瞬止まるかと思った。




